大和戦争 - Die was War -

葉之和駆刃

『疑心暗鬼』

「ツキヨミさんは、またよからぬことを企ててるのかね」

 部屋に戻ると、春也が呟いた。雪太以外の残り三人――特に由佳と麻依は、不安そうに顔を見合わせている。

「……まぁ、明日まで待てってことだね」

 そう言いながら、春也はドカッと自分のベッドに腰を下ろす。雪太も無言のまま、春也の下に腰掛けた。二段ベッドで、上段が春也の寝処で下段が雪太の寝処なのだ。

 スノーの一件でかなり疲れが出ていたが、雪太はそのことを言う気にもなれなかった。それ以外にも、ツキヨミの話というのも気になる。一体、全部隊を集めて何を話そうというのか。

「それで、スノーちゃんはどうしてあんなこと言ったんだろう?」

 由佳が不思議そうに呟く。続いて麻依も、

「郡山君はずっとあの子の特訓に付き合わされてたのに、それをあっさり断ち切るなんて」

 と、憤りを感じているように言った。
 理由については、この中では雪太が一番よく知っている。そして、皆が責めたがる気持ちもよく理解できた。それでも、雪太はスノーの過去を知っているからこそ、彼女のことが哀れに思えて仕方なかったのだ。雪太は、それを皆にもわからせるために立ち上がり、口を開く。

「みんな、聞いてくれ」

 皆の視線が、雪太に集中する。雪太は覚悟を決め、言葉を続けた。

「あいつ……スノーには昔、血の繋がらない兄弟がいたんだ。その兄弟が間違いで母親を殺しちゃって、そいつをあいつは恨んでる。その仇をとろうとして戦いを挑んだけど、相手は神力を持っていて、手も足も出なかった。だから、あいつは今よりももっと強くなろうとしてる。俺の相手をしてる暇なんてないんだよ。あいつを付き合わせてたのは……俺の方だ。だから、お願いだ。あいつのことは責めないでほしい」

 第六線の部屋に、静寂が漂った。皆、絶句したように雪太を見つめている。数十秒後、春也がベッドから下りてきて、また雪太の肩に手を置いた。

「大丈夫。君が言うからには、本当のことなんだろう。誰も責めたりしないよ」

 雪太は改めてメンバーの顔を見渡すと、由佳、麻依、光河(は無表情だが)も穏やかな視線を送ってくる。

「だけど……お母さんを間違いで殺しちゃったって、どういうこと?」

 訝しむ由佳の問いかけに、雪太は首を振る。

「それは俺もよくわからない。何故、そんなことをしたのかも」
「まぁ。明日のツキヨミさんの話がそのことと何の関係もないとは言い切れないけどね」

 春也はそう言って雪太から離れると、またベッドに上がっていった。一瞬だけ暗い雰囲気になったものの、その後は侍女が夕食を運んできてくれ、寝る時間となった。

 灯りを消し、皆は自分のベッドで眠り始めた。雪太も布団に潜り込み、目を閉じた。あまりにも疲れていたのか、すぐに眠気が襲ってきた。ゆっくり遠のいていく意識の中、最後に瞼の裏に現れたのは自己嫌悪に陥ったような、スノーのあの顔であった。


 窓外から射す陽光によって、雪太は目覚めた。上体を起こし、部屋の中を見渡す。皆、まだ目が冷めていないのか静かな寝息を立てている。その微かな合唱を聴きながら、雪太はベッドから下りて扉を開けた。

 なんとなく散歩したい気分になり、誰もいない廊下を歩く。真っ赤な絨毯が敷き詰められ、ここだけ異国風の建物を思わせる造りになっている。

「雪ちゃん……?」

 そんな小さな声量を、雪太は聴き逃さなかった。
 足を止め、振り返ると数メートル先に明日香が立って雪太を見ていた。

「こんなところで何してるの?」
「ちょっと、散歩したくなってな。明日香は?」
「私も。雪ちゃん、一緒に行っていい?」
「あぁ」

 雪太が答えて歩き出すと、明日香は隣に並んでついてきた。

 扉をくぐり、中庭に出ると、燦々とした朝陽がこれから起こることがすべて喜ばしいことのように、庭中を照らしている。
 明日香は石段に腰掛けると、空を見上げた。東から、太陽が照りつけてくる。

「ここ、目が覚めて初めての夜に雪ちゃんと話した場所だね。……覚えてる?」

 雪太も明日香の横に腰を下ろすと答えた。

「あぁ。あの頃は色々と……混乱してたけどな」
「私も。みんなそうだったと思う」

 あの夜、雪太は明日香に夕食の食べ残しをもらった。雪太の部隊は、他の部隊と比べてぞんざいな料理だった。それを明日香は見抜いていたのか、第一線に支給された料理を雪太に分けてくれたのだ。食した後、予期せぬ涙がこぼれてきたのを、雪太は忘れるはずがない。

 小鳥の声が森の方から聞こえ、暖かい風が心地良い。

「そろそろ、戻るか」
「えっ……?」

 雪太が立ち上がると、明日香は不思議そうに彼を見上げた。

「そろそろ、みんな起きてくる時間だろ。どっか行ったってなったら、また心配かけるからな」
「……そうだね」

 明日香も納得したように立った。

「じゃあ……戻ろっか」

 明日香は雪太の手を握ると、再び歩き始めた。その時、雪太の胸の鼓動はズキン、と跳ね上がった。なかなか足が進まずにいる雪太の方を明日香は振り返り、

「どうしたの?」
「あ……いや、なんでもない」

 雪太はなるべく意識しないようにし、明日香と同じ歩幅を保ちながら歩いた。明日香は雪太のそんな感情の機微に気づくはずもなく、建物の方に向けて歩いていく。雪太も、彼女に手を握られながらその後ろをついていった。


 部屋に戻った時には、皆起床し、朝食の配給が終わった後だった。雪太は、第六線の部屋で皆と一緒に朝食を済ませると、そのまま待った。
 食事を配りに来た侍女によると、今日は訓練がなく、遣いの侍女が呼びに来るまで待機するように、ということであった。これはツキヨミからの指示であり、雪太達もそれに従うことにしたのだ。

 待っている間、いつもはうるさい春也でさえ口を噤んだまま開かなかった。皆、緊張しきったように体を縮めている。雪太もやはり不安を拭いきれず、頭を空っぽにしようと努めたが、どうにも余計なことが頭に浮かんでしまう。
 ツキヨミは、これから何を始める気なのだろうか。また、部隊同士で対決するといったことを言い出さないだろうか。……そんなことが、雪太の脳裏に貼りついて離れなかった。

 二時間ほどが流れ、ようやく侍女が五人を呼びに来た。五人はその侍女に連れられ、広間に案内された。すでに広間には、第一線から第五線までの生徒が勢揃いしていた。その中には、もちろん明日香の姿もあった。いつも通り、第六線が最後だったようだ。支給される料理が第一線とほとんど変わらなくなっているとはいえ、まだ扱いの優先順位は一番低いようだ。

 部隊ごとに縦に整列し、第六線は雪太が先頭になって、舞台から見て一番右端に並んで座った。畳に腰を下ろすと、隣に座っていた第五線のリーダーの法隆寺が、

「やぁ。君もこれから聞かされるアナウンスについて何も知らないのかい?」

 と話しかけるが、雪太は何も返さなかった。その時、雪太は突き刺さるような視線をいたるところから感じた。

 ここ数日、雪太とツキヨミが特別な関係になっているのではないかという噂が立っているのだ。雪太もそのことに覚えがあった。昨日、中庭でツキヨミから声をかけられた時も、近くに他の生徒の姿があった。皆は雪太のことを無視していたが、気になるのは確かのようだった。雪太が彼女から何か大事なことを聞いているのではないか、という疑惑を抱くのも、仕方ないことなのかもしれない。
 しかし、雪太は何も知らなかった。ツキヨミの思考が読めないのは以前からだが、スノーの一件以来、ますますそれが増してきているように感じる。

 何も答えようとしない雪太に、今度は斜め後ろから女子の声がかけられた。

「郡山、あんた本当は何か知ってるんじゃないの?」

 振り返ってみると、第五線の列の一番後ろから、紗矢香がこちらを見ている。再び、雪太の方に視線が集まった。

「……いや、何も聞いてない」

 それだけ答えるが、周りの皆は納得しないようだ。やがて第六線から最も離れている第一線の生徒にまで飛び火し、二階堂瑛が勢いよく立ち上がった。

「お前。最近、あのツキヨミっていう女と仲いいんだってな! よく二人で喋ってるとこを、ここにいるほとんどのやつが見てんだよ!」

 その声に、多くの生徒が僅かながら頷く。

「私も見たことある」
「あたしも」
「俺も」
「なんか隠してる感じだよねー」

 そんな声があちこちから飛び交う。瑛の後ろにいた広陵も立ち上がり、雪太を指さした。

「おい、こいつ嘘ついてるぜ! 自分の不利になるから、言わないだけだよ!」

 広陵の声に、第二線の吹部三人衆も食いついた。

「何それ、最低」
「対抗合戦の時に優勝したのも、八百長なんじゃない?」
「八百長……私益だけに働く愚かな行い……」

 北、高田、高円の三人は、口々に毒を吐く。それを見かねたのか、

「待ってよ!」

 と言いながら立ち上がる者がいた。第一線の列の先頭にいた明日香が、全員を見渡しながら話し始めた。

「雪ちゃんは何も知らないって言ってるじゃない。どうしてみんな、疑うことしかしないの? こんなの、恥ずかしいことだよ!」
「じゃあ、あいつが嘘ついてないって証拠でもあるのか?」

 瑛に問われ、明日香は押し黙った。瑛は続けて、

「簡単に人を信じることこそ恥ずかしい行為だろ。そんなに郡山のことが好きかよ、だったらここで告白でも何でもしてみろよ!」

 瑛の言葉を聞いた途端、明日香の頬が赤く染まる。瑛の後ろからその様子を見ていた広陵も面白そうな顔で、

「お、赤くなったぞ! 図星みたいだな!」
「よし。じゃあ、早く郡山に告ってやれ」

 瑛に迫られ、明日香は若干後退る。周りの視線は一気に明日香に集中する。

「告白、告白!」

 瑛がそうコールしながら手を叩き始める。それにつられ、周りにいる生徒も同じように手を叩き出した。

「こ〜くはく! こ〜くはく!」

 明日香は恐る恐る右に視線を送ると、雪太と目が合った。明日香からの視線を受け、雪太は思わず、彼女から目を逸らしてしまう。二人にとって、まるで地獄のような時間だ。早くツキヨミが家来を連れて来てくれれば……と雪太は望んだが、その気配すらない。いつもであればここで京子辺りが止めに入ってくれるが、今回は彼女もなかなか腰が上がらないのか、コールは鳴り止まない。

 このままでは、明日香が泣いてしまう。そう危惧した雪太が、なんとか止めさせなければと立ち上がろうとした、その時。

「いい加減にしてよ!」

 すぐ後ろの方から、金切り声にも近い女子の声が響いた。雪太は咄嗟に振り返ると、紗矢香が立っていた。両手を握りしめ、唇を震わせているようだ。

「こんなことして何が楽しいの? 確かに、郡山が嘘ついてないっていう証拠はない。でも、だからってなんで告白とかそういう流れになるのよ。結局、これってイジメでしょ?」

 紗矢香の声に、生徒達は我に返ったように下を向く。しかし瑛達が反発しないはずもなく、

「じゃあ、お前も郡山を庇うってことでいいんだよな?」
「もしかして、お前も好きだったり?」

 瑛と広陵が、今度は紗矢香のことを詰り始める。

「違う! 本当のことを言えば気に入らない。気に入らないけど……あんた達のやってることはもっと気に入らないだけ!」

 紗矢香の声が広間中に響き渡る。雪太は紗矢香が話している間、驚きの目を彼女に向けていた。現実世界において、紗矢香がクラスメイトの前で声を張り上げている場面は、少なくとも雪太の記憶にはなかった。雪太の知る限り、彼女は授業中も後ろの方の席でただ黙々とノートを取っているだけだった。教師に当てられた時以外に皆の前で発言することなど、ほとんどなかったのだ。
 この世界に来てから彼女は変わった、雪太にはそう思えてならない。

 直後、扉が開いてツキヨミが現れた。ツキヨミは数人の生徒が立っているのも気に留めず、飄々とした風情で後ろに数人の平兵を従えながら舞台に上がった。
 ツキヨミは生徒二十九人を見下ろしながら、口を開く。

「今回、急に呼び出してすまなかった。皆、大いに不安を抱いていることだろう」

 ツキヨミが話を切り出すと、立っていた生徒達は全員その場に座り直した。ツキヨミは生徒達を見回しながら、続ける。

「実は、これはヤマタイ族討伐とは関係のない、つまり私の我が儘だと思って聞いてほしい」

 それを聞いて、生徒達は近くの者達と顔を見合わせる。

「皆も、私の妹、スノーのことは聞いているだろう。そのスノーの目付役兼護衛役を、この中から選ぶことにした」

 ツキヨミがさらに言うと、多くの生徒から「えっ」「は?」などという声が漏れた。

「七日後、全部隊合同のトーナメント戦を行う。一対一で戦い、最後まで勝ち残った者をスノーの目付役兼護衛役に任命する。参加は自由だ。明日の日没までに、参加を希望するものは私の部屋へその旨を伝えに来てほしい。三日後、トーナメント表を中庭の石碑にて発表する」

 最後に「話はそれだけだ」と言い残すと、唖然としている生徒を残し、平兵を連れて早々に広間から引き上げてしまった。

「えっ? 何? どういうこと?」
「私達に……殺し合いをしろってこと?」
「もう、わけわかんねえ!!」

 生徒達からは、当然のごとく混乱したような声が飛ぶ。雪太でさえ、話についていけないのが現状だ。ツキヨミが、何故あんなことを言ったのかもわからない。
 警護役をクビになった雪太の代わりに、新しく護衛をつけようということなのだろうか。

「私達、どうなっちゃうんだろ……」
「もうどうにでもなれって感じね」

 すぐ後ろからは、由佳と麻依の半ば諦めたような会話が聞こえてくる。やがて生徒達は立ち上がり、部屋に引き返していく。雪太も春也に促され、第六線の部屋へ戻ることにした。

 廊下では、周りからの視線を気にして俯きながら歩く雪太の肩に、春也の手が回された。

「気にすることないよ。君は実際、何も聞いてなかったんだから」

 雪太は何も答えず、ただ歩を進めていた。その脳裏にあったものは、やはり明日香のことであった。彼女は今、どのような気持ちなのだろう。これからあの不良達と同じ部屋に帰らなければならない明日香のことを思うと、雪太は胸が痛くなるのを覚えた。

 部屋に戻って数分間は、声を発する者はいなかった。皆、声に出すのも恐ろしいのだろうと雪太は思う。

 その重たい空気を打破したのは、やはりムードメーカー的立ち位置の春也であった。

「……ま、まぁ、あれはツキヨミさんの悪い冗談じゃない?」
「でも……冗談にしては重くなかった?」

 麻依の意見はもっともだ。だが、脳が勝手にその事象の受け入れを拒んでしまう。また沈黙が、部屋の中に満ちていく。
 雪太はふと、誰かに寄りかかられているように感じた。右に目を向けると、光河が寝ながら肩にもたれかかってきていた。口数が少なく、今まで存在自体を忘れていた。光河はまだ状況を飲み込めていないのかと心配になりつつ、雪太は彼の体を揺すった。

「おい、起きろ。今、大変なことになってるんだぞ」
「相変わらず、平城君はマイペースだね」

 春也も苦笑しながら、その様子を見守る。
 光河は欠伸をし、雪太から身をはがす。そして、

「でもさ……。トーナメントは参加自由って話だったし、あんまり深く考えすぎなくていいんじゃね?」

 と、光河は天井を見遣りながら言った。確かに、ツキヨミは「参加は自由」だと言っていた。仮に参加者がいなければ、この話は水泡に帰してしまうだろう。

「私も……クラスの子と戦いたくない」

 由佳が口を開いた。

「だって……同じ学校、同じクラスで過ごした仲間じゃない」

 彼女は、目に涙を溜めている。何故、クラスメイト同士で戦わなくてはならないのかわからないといった様子だ。その気持ちは雪太だけでなく、他のメンバーも同じであったことは言うまでもない。
 春也はその話題に区切りをつけるように、

「まあ、決断まではあと一日あるわけだし、すぐに決めなくていいと思うよ。もちろん、俺は出ないけどね」

 と話した。
 その後、皆はその話を一旦脇に置いて、世間話に花を咲かせていた。雪太はその間、時間のなさを感じていた。あと一日あるとはいえ、何もしなければあっという間に過ぎてしまう。

 雪太にとって時間は金よりも貴重な存在だった。今日中に決めなければならない。スノーのことが心配になるのは、これで何度目だろうか。この世界に来てから、当たり前のように彼女がいた。その当たり前が、今は特殊なことのように感じる。遠くに感じる。自分が守ってやらねばならないのだ、雪太は自分にそう言い聞かせた。
 ――何が何でも――もう一度。
 雪太は今夜、ツキヨミの部屋に行くことを決めた。

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