大和戦争 - Die was War -

葉之和駆刃

『逃亡の深雪』

 雪太はスノーを背負いながら、森を抜けた。右足と左腕に火傷を負った彼女の微かな息が、耳元で聞こえる。
 多動治癒の仏力を解放させている生徒に頼んで、治してもらわなければならない。頼れるとしたら、同じ部隊の由佳か明日香だ。明日香は第六線のメンバー以外で唯一、雪太に好意的な態度を示し続けている。おそらく、スノーを連れていけば頼まなくても癒やしてくれるはずだ。

 建物まで戻ってくると、門の前にはツキヨミが立っていた。胸の前で腕を組みながら、仁王立ちしている。
 帰ってきた雪太と、その背中で脱力しているスノーを認めると、引き締まった口許を僅かに緩めた。

「……やはりそういうことか」
「はい、すみません……」
「君が謝ることはない。後のことは我々に任せてくれ」

 ツキヨミはそう言いながら歩み寄ってくると、スノーを持ち上げて抱きかかえた。

「君は一旦、部屋に戻っているといい。ではな」

 ツキヨミはくるっと雪太に背を向け、立ち去ろうとした。そのツキヨミの背中に、雪太は声をかけた。

「あの、カグナのことはいいんですか。そいつ、治ったらきっとまた、カグナを探しにいくと思います」

 雪太の言葉に、ツキヨミは振り向いて言った。

「君が気にすることではない。それは……スノー自身の問題だ」

 いつもに増して突き放すように冷たくそう言い放つと、ツキヨミはスノーを抱いたまま歩いていってしまった。雪太は、今度は何も声をかけられなかった。自分に何ができるのか、それがわからなかったのだ。何故、あの時、スノーを助けられなかったのか。何故、こんなことになってしまったのか。
 ツキヨミの言う通り、今回の件はスノー自身の問題なのかもしれない。己は介入できない。しばらくその場に立ち止まっていた雪太は、それを悟ると門をくぐり、第六線の部屋に向けて歩き出すのだった。


 部屋の戸を開けると、四人はベッドに腰掛けて寛いでいた。ここ数日、自主練ばかりで何をしたらいいのかわからなくなりつつあるのだろう。

 雪太もそっと部屋に入ると、自分のベッドに腰を下ろした。

「やぁ、雪太。お帰り」

 何も知らない春也は、暢気にそう声をかける。

「帰ってきてたのか」
「君があまりにも遅すぎたんだよ。こんな時間まで、何をしてたの?」

 雪太は何と返すべきかわからず、そっぽを向いた。それが春也には、何かを隠しているように見えたらしい。

「おや〜? これは何かあるといった様子だね。もしや、クシハダ姫と駆け落ちとか?」

 余計なことをきいてくる。しかし雪太は、先程あった出来事を話す気になどなれなかった。なれるはずもなかった。

「ねえ、それって誰のこと?」

 春也の話に興味を示したのか、麻依と雑談していた由佳が尋ねてきた。それには春也が回答する。

「ここの隣の国、ヤヨイを統治している方の娘さ。王の娘だから、姫君」
「じゃあ、ツキヨミさんとかと一緒なのね」
「いやぁ……あの人は姫というにはあまりにも……」

 春也が言いかけると、ドアが激しく開かれる音と同時にツキヨミが中に入ってきた。キリッとした目つきは健在で、まるで大鷲のごとくだ。彼女と目が合った春也はその場から少し飛び退き、座り直した。だが、ツキヨミには彼の話など全く聞こえていなかったようだ。

 ツキヨミは春也には目もくれず、雪太の方に歩み寄ってきた。その後ろから、アメノーシに連れられてスノーも入ってきた。更にその後ろには、何故か明日香が控えている。
 雪太は、何故ここに明日香がいるのかが全く持って読めなかった。アメノーシまでならどうにか理解できるが、どういう経緯で明日香がここにいるのだろう。

 再びツキヨミに視線を移すと、彼女も表情を崩さず、雪太を見つめている。不審そうな視線を向ける雪太に、ツキヨミは口を開いた。

「スノーから、君に話があるらしい」
「話……?」

 ツキヨミは後ろを振り向き、

「さぁ、早く」

 と、スノーを促すように言った。
 雪太はわけもわからないまま、スノーに目を向ける。すでに怪我は治っていると見え、火傷の痕は残らず消えている。とはいうものの、服の焦げた部分は当然ながら残っている。一瞬、雪太はスノーの後ろに立っている明日香と目が合った。すると明日香は雪太に、穏やかな微笑を返してくる。雪太はその表情を見て、スノーの傷を癒やしたのは明日香なのだろうかという予測を脳裏に浮かべた。

 スノーは明日香やアメノーシから離れ、俯きながら雪太に近づいてきた。そして眼の前まで来た時、顔を上げた。その目は、カグナと対峙した直後とは違い、非常に据わっていた。それを見て、雪太も少し安堵する。

 首にかけられたエメラルドの勾玉の飾りが、ランタンの光を反射してキラリと光る。雪太がそれに見とれていると、スノーはようやく口を開いた。

 それは――――雪太の想像を絶する言葉であった。

「雪太……もうお前は、おいらの弟子じゃない」
「……どういうことだ?」
「もうおいらは、お前の主じゃない。……ううん、なれない。おいらは弱いんだ、すごく。だから、お前はもうおいらの家来じゃない」

 それだけ言うと、スノーは勢いよく体を反対に向け、駆け出して部屋の外に飛び出していった。雪太は呆気にとられ、呼び止めることもできなかった。

「スノーちゃん!」

 明日香は追っていこうとするが、雪太は立ち上がって手を伸ばし、その腕を掴んだ。明日香は雪太の方を振り向き、

「雪ちゃん……?」

 と目を驚かせている。雪太自身、何故彼女を止めたのかわからなかった。だが、徐々に思考が追いつき始め、その理由を理解した。

「あいつ、今、すごく苦しんでるんだ。これ以上構ったら、余計に辛い思いをさせてしまう」

 雪太が手を離すと、明日香も理解したのか、頷いた。

「そうだね……。でも、放っておいたらどこ行くかわからないし、行くだけ行ってみようよ」

 明日香のその言葉を聞いた雪太は、失念していたことに気づいた。スノーを一人にさせたらまた……。

 雪太は振り返ってツキヨミを見ると、

「すみません。スノーを連れ戻してきます」

 ツキヨミが返答を出すのも待たず、雪太は部屋を出た。すぐ後ろを明日香がついてくるのを感じながら、雪太は廊下を歩き続けた。


 外に出て探し回ったが、一向に見つかる気配がない。明日香と二手に分かれて探していた雪太は彼女と合流し、見つかったかときいたが、彼女は首を振るだけだった。やはり、カグナを探しに行ったのだろうかと雪太は不安になった。それを読んだように、明日香は雪太の肩にそっと自分の手を置いた。

「大丈夫だよ、雪ちゃん。きっと見つかるから」

 明日香のその優しさが、雪太の冷えた心を温めた。雪太は胸の奥に熱が戻るのを実感しながら、彼女に微笑み返した。その時、

「お〜い、雪太〜! 明日香〜!」

 そう呼びながら、春也が駆けてきた。その後ろからは、他の第六線メンバーもついてくる。春也たちは二人のところに来ると、

「やあ、あの子は見つかったかい?」
「いや、まだだ。お前らは何してたんだ?」
「決まってるじゃない。俺達も探してあげてたんだ」

 雪太が問い返すと、春也はにんまり笑いながら答えた。どうやら、他のメンバーでスノーの捜索を手伝っていたらしい。

「本当にどこいったんだろうね?」

 春也は周りを見回しながら、とても緊迫感があるとは思えない声で呟いている。
 もう庭内は粗方探し終わった。それで見つからなければ、スノーは門の外にいるということになる。となれば、考えられることは一つだけだった。
 雪太が、

「俺、ちょっと外探しに行ってくる」

 と、門の方に歩き出した、その時。

「す、すみません!」

 背後から、何度も聞いたことのある声が響く。

 振り返ると、ウヅメが怯えたような目で立っていた。裾のほつれた着物を着、屋敷に仕える一般的な侍女の格好をしているが、澄んだ瞳は宝石のように美しく映る。花が散りばめられた紅の着物も、彼女が着れば高貴そうに見える。

「あの……少し、宜しいでしょうか」

 ウヅメがそう言いながら雪太に近づいてくるので、雪太も無意識に彼女に歩み寄っていた。少し遠慮がちのウヅメだが、今日は雪太の前に来ると躊躇いを見せず、切り出した。

「スノー様は今、屋敷に戻っておられます」
「いや、だってさっき訪ねていったけど、まだ戻ってきてないって……」
「はい。わたくしも他の侍女たちと一緒に探しておりましたが、先程、ご自分で戻ってこられました。今は、アマテル様のお部屋でお休みになっておられるそうです」

 ウヅメの話が本当だと悟ると、雪太から肩の力が一気に抜けた。そして明日香の方を振り向くと、彼女も安堵したように笑いかけてきた。

「いやぁ、これで一安心だね!」

 春也も雪太に近寄り、彼の肩にポンッと手を置く。その手を振り解き、部屋に戻ろうとする雪太を、再びウヅメが呼び止める。

「あの! お洋服が汚れていますが、またお洗濯しましょうか?」

 雪太は改めて身につけている制服を眺めると、いたるところに土や泥がついている。森林を出たり入ったりしていたせいで、皆よりもかなり汚い。春也もそれに気づき、声をかける。

「また洗ってもらいなよ」
「いや……でも……」

 雪太が逡巡していると、ウヅメが皆を見回しながら提案した。

「では、皆さんのお洋服をお洗濯いたしましょう!」
「いや、俺らはいいから、雪太だけで」

 春也が軽く断ると、ウヅメは何か引っかかったように不思議そうな顔をした。

「あの……、前々からきこうと思っていたのですが、皆さんの身につけていらっしゃるお洋服は、何という名前なのでしょう?」

 その質問を聞き、由佳と麻依は顔を見合わせている。しかし、春也はウヅメの質問の意味を理解したのか、こう答えた。

「制服っていうんだ。俺達のいた世界、もとい、俺達のいた国の学校では指定の洋服を着るのが当たり前なんだ。だけど、俺達が通っていた学校はちょっとイレギュラーでね、指定の制服っていうのが存在しないんだよ。個人でオリジナルの制服を発注し、毎日それを着て学校に行く。ね、変わってるでしょ?」

 春也の説明を聞きながら、由佳達も頷いていた。ウヅメはまだわからないといった顔をしていたが、徐々に納得したような表情に変わる。
 春也は続けて、

「制服にも種類があってね、ブレザーと学ランが多いね。因みに、雪太が着ているのが学ランって呼ばれる制服だよ。第六線では雪太が学ランで、他の人はみんなブレザー。まあ、学ラン着てるのって男子だけだけどね。学ランは真っ黒だから、ブレザーと比べて、汚れやすいのが欠点だ」

 と言うのを、ウヅメは関心を示したように聞いていた。

「そうなんですか……とっても勉強になりました!」

 次いで雪太に歩み寄り、まじまじと雪太の着ている学ランを眺め始めた。そこに、雪太は気恥ずかしさを覚えた。

「な……なぁ、ウヅメ」

 雪太にそう呼ばれ、ウヅメは顔を上げる。
 先程から、気になっていることがあった。それをこの時、雪太はウヅメに尋ねることにしたのだ。

「お前、他に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」

 その発言を聞いた春也や明日香も、ウヅメに不思議そうな視線を向けた。ウヅメは少し恥ずかしそうにまた俯くと、一歩雪太から離れた。そして、顔を上げると今度は全員の顔を見つめながら話した。

「実は……ツキヨミ様から、伝言を預かっております。言いにくい内容なので、少し躊躇っておりました」

 ウヅメの声から、雪太は再び不安を感じた。今度は一体、何を伝えようというのだろうか。ツキヨミの考えていることを予測するのは、雪太にとっては未だに未知の領域だった。それは皆も同じらしく、不安そうに互いの顔を見合わせている。

 ウヅメは一息おいて、口を開いた。

「明日のお昼、広間に集まってほしいとのことです。全部隊を対象に、大事なお知らせがあるからと」

 その言葉の意味することを、雪太は見出だせなかった。何故、このタイミングなのかということも。そして、スノーと何か関係があることなのかということも。

 しかし、それも今日限りだろう。明日の午後、すべてがわかるのだから。

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