お兄ちゃんがお母さんで、妹が甘えん坊なお話

ただのものかき

…俺、あなたみたいな人のそばになんて、いたくありません

「明洋さん、すごく元気になってきてくれて、嬉しいな…」



いつもの平日のアルバイトを終えた、時間にして十八時を過ぎた頃。

涼羽は明洋が入院している病院に、この日も姿を現した。



日に日に前向きに、そして日に日に担当の医師達が驚くほどに回復していっている明洋の姿を見るたびに、涼羽のその可愛らしさ満点の顔に、嬉しくて嬉しくてたまらない、といった感じの笑顔が浮かんでくる。

その笑顔は、周囲にいる全ての人間の目を惹いてしまうほどに魅力的で、それだけでその辺り一帯に幸せな雰囲気をもたらしてくれている。



明洋のお見舞いのために頻繁にこの病院を訪れているため、ここの入院患者や医療スタッフ達も涼羽のことは周知しており、涼羽の姿を見ると途端にその顔に笑顔が浮かんできてしまうようになっている。



今となってはベッドの上で寝たきりの状態ではなく、病室から近いデイルームの方で会話をすることができるようになっているため、より涼羽と明洋の会話も弾むように、楽しそうになっていっている。

そして、兄の涼羽からそんな話を聞かされて、自分だけの兄をとられてしまったようで面白くなくなって、羽月が明洋のところにぷりぷりとヤキモチを焼きながら、愚痴を言いに来るのも定例化してしまっている。



最近では、羽月は明洋のところでいろいろと愚痴を言う時間も長くなっており、最終的に涼羽と合流してから帰ることも多くなってきている。

さすがにこの日は羽月はすでに病院から家に帰っており、この世で一番大好きで大好きでたまらない兄の帰りを、一日千秋の思いで待っているのだが。



周囲の人々をそれだけで幸せにしてしまうような笑顔を浮かべながら、涼羽はその足でいつも通り、明洋のいる病室に向かおうとした、その時だった。







「!!!!!!見つけた!!!!!!」







その涼羽を見かけた一人の女性が、病院内であるにも関わらず大きな声をあげて、驚くほどの素早さで、涼羽のそばまで近寄ってきた。



「え?」



いきなり病院内では出してはいけないほどの大きな声が聞こえたと思えば、その直後に自分に近寄ってくる、長身の女性の姿が涼羽の目に映ってくる。



しかも、その女性はまるで生き別れたはずの我が子に出会えたかのような、そんな衝撃と歓喜が入り混じった表情を、その整った顔に浮かべており、さらには、もう二度と離さないと言わんばかりに涼羽の手を、その両手でぎゅうっと握りしめてくる。



「あ、あれ?あなたは確か…」



いきなり自分に近寄ってきて、しかも自分の手を握りしめてくる女性の顔に、涼羽は見覚えがあった。

あの時、志郎と殴り合って左頬を怪我したその帰り道に、いきなり自分を呼び止めてきた、あの女性。



「まさかこんなところで会えるなんて…ああ、今日はなんていい日なの!!」



あの時の左頬の怪我もすっかり完治して、以前よりもさらに女性的な可愛らしさが増している涼羽の顔をじっくりと眺め、心底目の保養としてくる女社長。

そして、自分よりも少し小柄な涼羽の身体を、まるで自身がお腹を痛めて生んだ我が子にそうするかのごとく、その独占欲と母性をむき出しにしながらぎゅうっと抱きしめる。



「!!え?え?あ、あの…」



いきなり目の前の女性にぎゅうっと抱きしめられて、すでに困惑気味だった涼羽の思考が、混乱の渦に落とされる。

どうして自分は、名前も知らない女性にいきなり抱きしめられているのか。

どうしてこの女性は、自分のことをこんなにも包み込もうとするのか。



いくら考えても分かるはずもないことを考えてしまい、ますますその思考が混乱してしまう。

そして、自分よりも年上の異性に抱きしめられている、という事実に恥ずかしさを覚えてしまい、その顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。



胸は女の子としては残念過ぎるほどにぺったんこなのだが、非常に抱き心地がよく、しかもいつまでもかいでいたいほどのいい匂いまでする涼羽のことを、もっともっと抱きしめてたくて、ますますその独占欲を形にするかのようにその両腕に力をこめてしまう。

そして、涼羽の恥ずかしがる仕草を見て、ますます涼羽のことが愛おしく、もっともっと涼羽のことを独り占めしたくなっていってしまう女社長。



「ああ~…あの時、奇跡のように出会えたあなた…私、あれからずっと、あなたのことを探してたのよ?」

「え?え?な、なんで…」

「なんでって、あなた私の好みドストライクなんですもの!」

「え?え?それって、どういう…」

「もうね、ほんとに見てるだけで幸せになれちゃうくらい、可愛いの化身なんだもの!あなたみたいな子をめいっぱい着飾らせて、う~んと可愛がってあげるのが私の生きがいであり、仕事なんだもの!」

「!べ、別にそんなこと…」

「い~え!誰がなんと言おうとも、あなたは私が独り占めしてあげる!でね、い~っぱい着飾らせてあげて、あなたがこ~んなにも可愛くて可愛くてたまらない子なんだって、世の中に自慢してあげるんだから!」

「こ、困ります…そんなことされたら…」

「ああ…もう今からあなたに着せたいものがい~っぱい浮かんでくるわ~…私があなたを、誰もがうらやむほどに可愛い女の子に、してあげるからね~…」



女社長は、もう片時も離れたくないのか、涼羽のことを抱きしめたまま離そうとしないまま、うっとりとした表情で涼羽にどんなものを着せようかとひたすら想像している。

そして、涼羽のことを独り占めする宣言まで飛び出してしまい、どんどん話がおかしい方向になってしまっていることに涼羽自身も気づくものの、今のところぎゅうっと抱きしめられていて、身動きが取れない状況となってしまっている。



自分の理想が服を着て歩いているかのような存在を目の前にしてしまい、女社長はその興奮と幸福感がうなぎのぼりに膨れ上がっていき、まるでこの世界に自分と涼羽しかいないかのような、そんな感覚にまで陥ってしまっている。



「あ、あの…そんなの、困ります…」

「まあ、何が困るの?あなたも女の子なら、可愛らしく着飾ることが望みなんでしょ?」

「ち、違います…」

「あら、困った子ね。こんなに可愛い女の子なのに、着飾ることが嫌だなんて」

「だ、だから…女の子じゃ、ないですから…」

「あらやだ、またそんなこといって!どこからどう見ても、世の中の女の子の理想を詰め込んだみたいに可愛らしい女の子じゃない!」

「ち、違います…俺、男です…」



自分のことを完全に女の子だと勘違いしている女社長の誤解を解こうと、懸命に涼羽は自分が男であることを伝えようとする。

その最中に、世の中の女の子の理想だとまで女社長に言われてしまい、そのことにいつも通りの精神的ダメージを受けてしまうのだが、それにも負けずに懸命に自分が男であることを、弱弱しくながらも言葉にして目の前の女社長の耳に響かせる。



しかし、女社長が見たままの容姿、そして自分が男だということを言葉にしたその声の可愛らしさが、涼羽の主張の説得力を皆無にしてしまっている。



「もお!またそんなこと言って!あなたみたいな子が、男だなんて汚らわしい生き物なわけないじゃない!」

「ほ、本当です…俺、男なんです…」

「うそおっしゃい!同じ女の私でもうらやましくなるくらいのスタイルしてるじゃない!…胸がないのはすっごく残念だけどね」

「ほ、本当ですってば…」



女社長が実感している胸のなさが、涼羽が男であることの、現状での唯一の判断材料になるのだが、彼女は涼羽が男であることを信じられないというよりも、信じたくないという感じになってしまっている。



以前会った時と全く同じように、何をどう言っても自分が男だと信じてもらえない涼羽。

なんだか、自分が男であることを完全に否定されているみたいで、なんだかどんどん悲しくなってしまう。



「あれ?…涼羽君…何してるの?…」



そんなところに、たまたま自分での歩行リハビリで下のフロアまで歩いてきていた明洋が、涼羽が見知らぬ女性にぎゅうっと抱きしめられているところを見かける。

いつものように涼羽が病院に来てくれたことに喜びを覚えつつ、一体何をしているんだろうと思いながら、明洋は涼羽に声をかけてくる。



「あ、明洋さん…」



自分に声をかけてきた人物が明洋だと分かると、ほっとしたような表情を浮かべて、明洋の方へと視線を向ける涼羽。

ただ、やはり目の前の女社長にひたすら男である自分を否定されていることが悲しいのか、まるで萎れてしまった花のような、浮かない表情になってしまっている。



「!まあ!何このきったならしい男!」

「!う…」

「あなた、この子の知り合いなの!?」

「!は、はい…そうですが…」

「ふざけないで!あなたみたいなのが知り合いだなんて、この子の印象が悪くなっちゃうじゃない!」

「!う…うう…」



とことんまで、男という存在そのものを嫌う女社長が、涼羽と明洋のそんなやりとりを見ていて面白いはずもなく、むしろ今自分の腕の中にいる涼羽が、明洋のような冴えない男と知り合いだということ自体がおぞましくなってしまっている。

ゆえに、初対面であるはずの明洋に対して、容赦ない罵詈雑言を浴びせてしまう。



明洋としては初対面となる女社長の、突然の罵詈雑言の声に、元々の人見知りが勝ってしまい、思わず萎縮してしまう。

そして、この入院中に涼羽と羽月、そして院内で関わりを持つようになった人達が少しずつ洗い流してくれていたはずの、醜いコンプレックスがまたしても明洋の中で大きくなっていってしまう。



ましてや、涼羽が明洋の知り合いであるということが、涼羽にとっての汚点になるなどとまで、女社長は吐き捨てるかのように言ってしまっている。

それがよほどショックだったのか、明洋は以前のような陰鬱とした表情を浮かべ、俯いて黙り込んでしまう。



やはり自分は涼羽とこうして関わりを持つこと自体、おこがましいのか。

やはり自分みたいなのが関わるのは、涼羽にとっては迷惑なのか。



そんなことを思い浮かべてしまい、傷心の表情が明洋の顔に浮かんできてしまう。



「ふん!全く、この子に相応しいのは私のような女なんだから!あなたのような醜い男なんて、この子に相応しくないのよ!お分かり!?」



傷心の明洋にさらに追い討ちをかけるかのように、女社長はますます鋭さを増した罵詈雑言の声を、ナイフで切りつけるかのように明洋にぶつけていく。

彼女にとって、男という存在がそれほどまでに憎らしく思えてしまう理由は確かにあるものの、それを差し引いても、初対面の人間に対してそこまで言っていい理由にはならない。

にも関わらず、全て自分が正しいと言わんばかりの彼女のその態度はまるでぶれる様子もなく、ここまで明洋にぶつけた言葉も、全て自分が正しいとまで信じて疑う様子もない。



自分の言葉に、明洋がまるで何も反論しないのも、女社長のそんな態度をますます増長させていってしまっている。



そこまでのことを明洋に向かって言い切ったその瞬間。

自分の中では、まるで鍵をかけてしまったかのように涼羽のことを抱きしめていた両腕が、いつの間にかその鍵を壊されたかのように離されていた。



そして、その腕の中にいたはずの存在が、ひどく傷ついた表情の明洋のそばに寄りそうかのように近づいて、今の明洋の心境に同調するかのような、悲しげな表情を浮かべながら、声をかけているのを、女社長は呆気にとられたかのような表情で見つめている。



「明洋さん、大丈夫ですか?」

「りょ、涼羽君…」

「ひどいですよね…こんなにも前向きに、一生懸命に頑張ってる明洋さんに、あんなひどいことを言ってくるなんて…」

「で、でもそれは僕が…」

「違います。明洋さんは、僕と羽月のことをこんなにもひどい怪我を負いながらも護ってくれたじゃないですか。それに、いつも僕が知らないことをい~っぱい教えてくれるじゃないですか」

「…涼羽君…」

「明洋さんは、素敵な人なんですから…自信持ってください」



今また、傷口をえぐられるかのように刺激されてしまったコンプレックスに囚われている明洋に対し、涼羽はその傷を慰めるかのように、しかし決して単なる慰めではなく、本心から明洋が自分にとって素敵な人物であるということを、つらつらと声にしていく。



自分を優しく慈しんでくれるかのような、そんな笑顔を浮かべながら自分を励ましてくれる涼羽の言葉に、明洋はこれまで何度感じたか分からない救いを、その心に感じる。



やっぱりこの子は、自分にとって救いの女神のような存在だと、明洋は思えてしまう。

こんなにもこんな自分のことを救ってくれる存在を、自分のそばに引き寄せてくれた神様に感謝したいという、そんな思いも芽生えてくる。



傷心だった明洋の表情が、少しずつながら穏やかになっていくのを見て、涼羽は心底ほっとしたような表情を浮かべる。

それは、心の底から明洋のことを気遣っているということがすぐに分かるものとなっている。



「な、何!?何なの!?なんでそんなのにそんなに優しくするのよ!?あなたは私のそばにいるべきなの!そんなののそばになんて、いたらだめなの!」



そんな明洋と涼羽のやりとりを見ていた女社長から、まるで子供の癇癪のような叫びが飛び出してくる。

涼羽は自分のそばにいるべきなのだと言うこと、明洋のような醜い男のそばになど、いるべきではないということをとことんまで主張してくる。



それが、涼羽の琴線に触れてしまうことなど、まるで考えもせずに。



自分のことで何を言われても、思うことはあってもそれを表面上で見せることはない涼羽だが、自分が一度内に入れた存在のことを悪く言われると、決して黙っていることなどない。

ましてや、それが言われのないことだったのなら、なおさらのこと。



それを本当に分かりやすく現したかのような怒りと、人のことをそんな風に言って悪びれもしない女社長に対する悲しみを入り混じらせたかのような、複雑な表情を浮かべて、涼羽は女社長の方へと向き直る。



「…嫌です」

「!な、何がよ?」

「…俺、あなたみたいな人のそばになんて、いたくありません」

「!な、なんで!?」

「…あなたみたいに、表面上のことだけでそこまで人のことを悪く言える人なんて、大嫌いです」

「!!………」

「…それに、人の話を聞かないで、自分の思いばっかり主張してくる人も、大嫌いです」

「!!な、な………」

「…あなたがどう思おうとも、俺は男です…そう、あなたの大嫌いな男です」

「!!ま、またそんな嘘…」

「…それをどう思おうとあなたの勝手ですけど、事実は事実ですから…それに、この人のことを男だというだけでそこまで言うのでしたら、俺だってあなたにとって忌み嫌うべき存在です」

「!!………」

「…ですから、もう関わらないでくださいね。俺は正直、あなたともう、関わりたくないですから」



自分にとっての言うべきことを静かに、それでいてしっかりと言い切ると、涼羽はもう女社長と係わり合いになりたくないということまでしっかり言葉にして、リハビリで下のフロアまで降りてきた明洋を病室まで連れて行こうと、明洋と共にその場を後にする。



普段なら目上の人間に対しては『僕』という一人称になる涼羽なのだが、この時はよほど自分が男であることを強調したかったのか、『俺』という一人称になっている。

そんな涼羽が、明洋と共にこの場を去っていく後ろ姿を、微動だにすることもできず、女社長はただただ、見つめることしかできなかった。

自分のようなタイプの人間が大嫌いだという涼羽の言葉も、彼女にとってショックが大きかった。

その為に、余計にその場から身動き一つ取ることもできなかったのだ。



涼羽と明洋の姿が見えなくなるまで、その場に微動だにできずに立ち尽くしていた彼女。

しかし、二人の姿が見えなくなったその瞬間、身体が麻痺から解放されたかのように、口から言葉がぽつぽつとこぼれ出てくる。



「…ふふふ…この私にあそこまで言い切るなんて……ますます気に入ったわ……」



普段の涼羽らしくない、本当にばっさりと切り捨てるかのような口調と言葉をぶつけられたにも関わらず、高い壁に挑みたくなるという彼女の本質がそうさせたのか、逆にますます涼羽のことが気に入ってしまったようだ。



「…決めたわ!あの子は絶対に私だけのものにする!」



その決意をそのまま言葉に表した彼女の表情は、まるで自分にとって本当の生きがいを見つけたかのような、非常に生き生きとした、輝きに満ち溢れた表情となっていた。

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