都市伝説の魔術師

巫夏希

第四章 少年魔術師と『二大魔術師組織間戦争』(1)





 その日は、朝から蝉が鳴いていた。
 七月上旬――蝉が鳴き始める季節としては上々であるし、何しろ、それについて違和感を抱く人間など居るはずも無かった。
 午前五時四十二分、ユグドラシル・ブリッジ。
 早朝ランニングをするジャージ姿の男は、立体交差橋梁ユグドラシル・ブリッジにて屹立する数十人もの人間の姿に、いつもとは違う雰囲気を感じ取った。しかし、それは自分とは関係ないことであるとすぐに察し――ランニングをしたまま去っていった。

「それは正解ですよぉ。実際問題、気付いて警察でも呼ばれてしまったら厄介ですからねぇ」

 双眼鏡で覗いているのは、褐色の肌をがさつに包帯のみで覆っている女性だった。目つきが悪く、どこかその表情も虚ろだ。それに、がさつに包帯を巻いているからか、完全に彼女の身体を包み込んでいるわけではない。
 双眼鏡の女性は踵を返した。

「リーダー、どうやら周囲に誰も見当たらないようです」
「ご苦労、フィトルア」

 リーダーと呼ばれた男は、フィトルアの報告を受けて目を瞑る。
 これから始まるのは戦争だ。
 木崎という、一つの街を巻き込んで始まる大きな戦争。当然死人も出ることだろう。

「だが、そんなことは関係ない」

 リーダーと呼ばれた男は、フィトルア以下、彼の前に立っている組織構成員に告げる。

「たとえ死人が出ようとも、魔術師同士で殺し合いになろうとも……関係ない。我々が勝利すれば、それだけでいい。きっと、我々の戦争を止めるために警察が関与してくることだろう。だが、足を止めるな、前へ進め! 退路など、この戦争に参加を表明した時点で断たれている! 勝って前を進むか、命令に逆らって死ぬか! 選ぶのは、お前たちの自由だ!」

 声高々に叫ぶ彼の言葉に、賛同しない人間等居ない。
 彼の目の前に立っている構成員全員が、右手を掲げて雄々しく叫ぶ。

「さあ、同士よ! 戦場へ向かおう! そして、忌むべき相手『ヘテロダイン』を殲滅させるぞ!」
「おおおおおおお!」

 今まさに、リーダーと構成員の感情は一つとなった。

「いかがでしょうか、アリスさま?」

 それを見下ろすような位置にある椅子に腰かけているのはアリスだった。その傍らには時雨も立っている。今日の彼女はアリスの補佐の役目を担う。そのため、アリスと常に行動を共にしているのであった。
 アリスは頷いて、言った。

「構成員も思った以上に集まってくれた。これであとは全員が効率良く戦ってくれればいい話だが……」
「そこに関しては問題ないでしょう。何せ、彼らは魔術のエキスパート、専門家です。専門分野はその分野の専門家に任せておけば何ら問題ありません。それに、彼らは実力も相当上ですからね。流石に全員が柊木香月以上とは言えませんが、それなりの魔術師を集めております。ランキングホルダーの一覧を見ますか?」
「いや、そこまでする必要は無い。別に、あなたの目を疑っているわけでも無いし」
「お褒めに預かり、光栄です」

 アリスの言葉を聞いて、深々と頭を下げる時雨。

「……さて、ところで、これからどうしましょうか」

 アリスの言葉を聞いて頭を上げる時雨。そして、首を傾げる。
 彼女もまた、その言葉の真意に気付いていないからだ。

「……どう、とは?」
「どうやって攻め込むか。最終的にヘテロダインの魔術師を行動不能にさせて、ユウ・ルーチンハーグを出来ることなら拿捕しておきたい。だけれど、そんな簡単にうまくいくはずがないこともまた事実。ならば、どのように攻めていこうか……」
「一般人はどうなさいます?」
「魔術を見られた場合のみ、殺しなさい」

 それを聞いて時雨は眉をひそめる。

「殺す、ですか」
「ええ、そうよ。二度は言わない。もし魔術を行使した場面で一般人にそれを目撃された場合、または、今回の計画を一般人に知らされた場合、その一般人を殺してしまって構わない。寧ろ、これは命令よ。殺しなさい。情報の秘匿性を管理するためには、必要不可欠なこと」
「情報の秘匿性……ですか」
「ええ」

 アリスの頷きを聞いて時雨も頷く。
 実際、彼女も情報の秘匿性については疑念を抱いていた。どのようにして管理すればよいのかということもあるが、実施する側にも問題がある。情報の秘匿性を管理する一番の方法は、情報を流出させないことだ。だから今回の作戦でも、あまり大っぴらに行動しないことが念頭に置かれている。そして、万が一行動を一般人に見られてしまった場合は、問答無用で口を塞ぐ。そうしなければ、魔術師組織として今後生き残っていくことは出来ない――それがアリスの言い分だった。
 だが、それは嘘だと時雨も薄々理解していた。普通に考えていけば、アリスのその理論は完全にデタラメで嘘っぱちということが解る。しかしながら、普通に仕事を求めてやってきた構成員にとってそれを理解する必要など無かった。いや、理解するまでも無かった――とでも言えばいいだろうか。
 仕事を求めてやってきた魔術師にとって、今回の仕事さえクリアすれば報酬が手に入る。裏を返せば、仕事に関してあまり関心を持っていないと言ったほうが近い。どうしてそうなってしまったのかといえば少々話が長くなってしまうかもしれないが、若干省略して言えば、いち早く仕事を済ませて報酬を手に入れたい魔術師側と、魔術師を集めて仕事を終わらせたい上層部とで利権が合致したことが原因と言えるだろう。
 いずれにせよ。
 いずれにせよ、魔術師と上層部では個々にそのような契約が結ばれており、了承を得ている。
 そして、その魔術師の大半が――大抵変り者であるということも、アリス含む上層部にとって、周知の事実であった。

「アリスさま、そろそろ準備が整った頃かと」

 時雨の話を聞き、アリスが椅子から立ち上がる。
 同時に、アレイスターの構成員が全員彼女の方を見つめた。
 沈黙。
 数瞬にわたる沈黙。
 それは永遠にも見えたし、一瞬にも思えた。
 すう、と息を吸ってアリスは言った。

「諸君。今回はこのような場に集まってくれたこと、感謝している。これならば、今回の我々の目的を容易に達成することが出来るだろう」

 ぐるり、と辺りを見わたす。
 集まった人数は八十人。彼女の予想であった七十五人を上回るが、アレイスターに所属している魔術師の半分以上が集まったことになるのは変わりない。
 それぞれの顔を見る。
 緊張している者、笑顔を浮かべている者、真剣にアリスの方を見つめている者。アリスの言葉など興味ないと言いたげにスマートフォンに目線を映している者。
 この高台ならば、実に多くの視線が目に留まる。
 だが、そんなこと彼女にはどうでもよかった。
 アリスの話を聞いていなくとも、魔術師が勝てばいい。ヘテロダインに勝てばいいのだから。そして、ひいては、彼女の目的が果たされればいいのだから。

「これから我々は大きな戦争へ足を踏み入れる。きっと、これは魔術師の歴史に残る戦いとなるのかもしれない。だが、だからといって、委縮してはならない! 自分が一番大きく歴史に名前を刻むと躍起になって敵を殺すがいい! ボスのユウ・ルーチンハーグを拿捕して、ここまで連れてくる! それが我々の作戦だ」

 余談だが、この空間で話している内容は、時雨が防音障壁を魔術で発動させているので、外部に漏れることは無い。だからこそ、こんな声高々に作戦内容を発表出来るのである。

「アレイスターとヘテロダインの戦いが始まるぞ。諸君、ぜひ我々アレイスターに勝利を、そして、ユウ・ルーチンハーグの身体をここまで持ち帰ってきてほしい。よろしく頼む。以上」

 踵を返し、アリスは元の席に腰掛ける。
 それと同じタイミングで、アレイスターの構成員のテンションは最高潮を迎えた。
 そして、もともと班分けされていたチームごとに、ユグドラシル・ブリッジを後にするアレイスターの構成員。
 最後に、アリスと時雨だけ残ったアレイスター。

「……それでは、行きましょうか?」
「ああ」

 時雨の発言を聞いてアリスは頷く。
 そして、アレイスターの構成員は木崎市の街々へと散らばっていった。
 彼らの目的はただ一つ。ユウ・ルーチンハーグを拿捕して、アリスの元に連れていくことだけだ。

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