東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

魔人始動

 古代王朝は地下に住居や施設を作るが、地表に全く何も現れていないわけではない。古びてはいても見事に造られた柱に囲まれた入り口があるし、その周囲にも石畳のように石材が敷き詰められている。
 その高い技術力で造られた土台の上に粗雑な作りの砦が建っているのを見た者はあまりの落差に絵を無理矢理に継ぎ接ぎしたような感覚を受けるだろう。それは白い絵に黒い顔料をぶち撒けるかのようで、一種冒涜的な風情がある。
 その砦は今、外観に似合わぬ活気に満ちていた。時刻は夜であり人里少ないこの地では一面を漆黒に塗りつぶされていたが、ここだけは篝火の温かい光が満ちている。
 篝火に用いる燃料も有限であるからして、日頃は夜間にこのような様子を見せることは流石に無い。今日はめでたい日…宴が行われているからだ。予定されていたモノではなく突発的に自然発生した宴だ。
 大陸の中央部や東部では収穫時期を祝う祭りだとか新年を迎える行事などが当然あるものだが、この貧しい西方辺境域ではそんな余裕はない。そんな懐事情を抱えていても砦の人々が祝いたくなるような出来事が不意にもたらされたのだ。
 彼らを脅かしていた賊が近隣から一掃されたのだ。それも突然の来訪者によって。さらに犠牲も兵士から数人出ただけともなれば祝いたくなるのも無理からぬことだった。

 戦いに関しては特筆すべきところは無かった。馬よりも遥かに早い歩兵というソウザブの存在は戦場において反則じみている。他の“先祖返り”に比べて見劣りする膂力ですら常人の倍程度は軽くあるのだから敵に回した賊徒は不幸であった。加えていえばソウザブには未だ使いこなせてはいないとはいえ、“権能”という切り札もある。負ける要素は無かった。


「気色が悪うござるな…」

 本来宴の主役になるべきソウザブはひとしきり揉みくちゃにされ、飲まされた後でではあるが騒ぎから逃れてエルミーヌと二人きりになっていた。
 気色悪いと言ったのは酒精による酔いではなく、人々の無意識のあるいは隠された期待に対しての発言だった。
 この宴は単に喜びを表しているだけでなく、ソウザブたちに無言の圧力をかけるための場でもある。簡単に言えば今後も守ってくれるだろう?という期待を込めているのだ。近隣の敵を一掃したと言っても、その地を維持するだけの人数がこの砦には無い。ならばいずれは似たような賊が蔓延るのが当然であった。そう考えれば彼らの期待はごく当たり前のことだ。

 しかし、ソウザブはそれを不快に感じてしまった。ホレスと別れて以来、こうした煩悶が付き纏う。正確に言えば故郷を出た時から起こっていたことが庇護者から離れたことで顕在化したというに過ぎない。
 人間だろうとエルフを初めとした精霊種であろうと、生命の抱く感情は常に斑模様で純粋なときの方が稀だろう。理屈は分かっていても、ざらついた感情が時折顔を出す。戦闘についても今更に嫌悪感が湧くことがあった。

 そんなソウザブを見て対面のエルミーヌはくすくすと笑っている。
 火の灯りに照らされた顔が美しい。かつては半ば成り行きではあったが今ではソウザブも花の姫君のことを深く愛している。

「ソウ様はあまり変わってはおりませんよ。出会った時からお優しいままです。でも悩むソウ様も可愛らしくてよろしいかと」
「優しい、という評は初めて頂きますな…」

 武で世を渡っている人間が優しいのだろうか?疑問に思うがそれはそれで打ち倒してきた敵の顔に泥を塗る傲慢な考えにも感じる。
 それにエルミーヌはソウザブの成すことを否定しないという一種の悪癖がある。花の姫はその蜜で男を蕩かすというわけで、彼女の愛が一人にだけ向けられているのは世にとっても喜ばしいことなのかもしれなかった。


 そんな二人から少し離れたところで女騎士と女戦士もまた交流を深めていた。サライネはソウザブとエルミーヌの二人を眺めており、サフィラは砂板に文字を書いている。
 砂の張られた額に文字を書くのは読み書きの練習でよく行われている。紙を消費することが無いために身分の上下を問わずに勉学においてはコレが普通である。裕福な家ではこの額に装飾を施すなどして差別化を図っていた。サフィラが使うのはごく簡素なものであった。
 意外と勉強熱心なのだな、とサライネは感心しながらも別の疑問を口にした。

「あのお二人は…高貴な家の生まれなのか?」
「そうみたいだね。特にエルミーヌは」
「…随分と曖昧な答えだが、付き合いは長いのだろう?それで良いのか?」

 サライネの疑問はすぐにはサフィラの頭に染み込まなかった。湖賊から解放されてからこちら、サフィラは変わった人物に会いすぎており身分差に対する感覚が麻痺していた。
 しばらくきょとんとした顔を見せていたが、「仲間のことにそんな無知で良いのか?」「礼儀を弁えなくてよいのか?」と問われていると気付いた。

「良いんじゃない?例えば…世界で一番偉くても、師匠は師匠だしエルミーヌはエルミーヌだよ。変わらず稽古を付けてくれるだろうし、オレの髪を梳かそうとしてくるに決まってるよ」
「そ、そういうものか?」
「さぁ?」

 簡単な答えだけに、本当に気にすることではないと信じていることが伝わってくる。
 サライネは何となくこの青の少女に敗北した気分を味わっていた。なぜかは自分にも分かってはいない。
 宴の夜は更けていく。


 ラッタノー砦からさらに西へ西へと進んだ山脈沿いに、その城はあった。辺境域唯一の城…こここそが魔人達の住処である。より正確に言えば高位とされる魔人の住処で低位の魔人はほとんどいない。
 黒い石材で造られた頑強な城である。その威圧感はいかにも魔に相応しいが、長い年月の果てに苔むしていた。
 城内も同じように一面の黒。だが人間種やエルフ種が想像するような禍々しさには満ちてはいない。驚くほどに質素な作りで実用性一辺倒なのが見て取れるだろう。…ここを訪れるような剛毅な者がいるとすればだが。

 最奥に近い区画にある部屋。玉座と思しき一段と高い一席の前に長机が置かれている。長机の周囲には椅子が幾つも置かれ、玉座とその椅子はこの城では珍しく飾り気がある。が座っている席を除けば。
 彼の席は玉座から最も遠く、そして対面の席もない。飾り気どころか背もたれもない。だがこの席こそが彼…魔人の長の席だった。
 辺境域に住まない者からは半ば伝説のように語られる魔人…その長が端に座るなど知らぬ者から見ればさぞ絵にならない光景だ。だが他の席はもはや帰っては来ない神々のための席であり、その文字通りの末席を汚すことを許されているのだから最上の栄誉なのだ。長を製造した神が如何に彼を愛でていたのかの証拠でもあった。
 白皙の面立ちはそのままエルフ種の里に持ち出しても通用するだろう。だが側頭部から角が生えている。眼も結膜まで真紅に染まっている。その紅玉のごとき輝きは魔に属する者の証。

 その魔人の長は黙考に耽っていた。つい先日、低位の魔人が倒された。管理用の個体である長はそのことを察している。それ自体は珍しいことではない。10年に一度くらいはあることだった。長が考えているのは「なぜ、それがこれほど気にかかるのか?」ということだった。

 他の種族は魔人を強さで位階分けしていた。それはかつてこの地を探索し、無事に大陸中央へと帰還した冒険者が広めたことだ。間違いではないが魔人から見れば少し異なっている。神が手ずから作り上げた者が高位でそうでないものは低位だ。中位は無い。
 高位魔人が戯れに作った子孫や製造者の真似事で作り上げた魔人を低位と認識しており、中位は無い。いわば低位は模造品でしか無く、性能も劣る。他の種族でも倒せない存在ではない。
 認識に従えば低位が一体消えただけのことは、魔人の長が気にかけるようなことではなかった。

 しかし、それが心を捕らえて離さない。神代が終焉してから淡々とここにあり続けただけの長の心に変化が生じた。感覚までもが違ってくる。ただ茫洋と開いていただけの目は景色を移し、ただ閉じていなかっただけの耳は音を捉えだす。
 己の席から腰を上げ、同胞の元へと足を運ぶ。同じ区画の別の部屋にいることを感知している。
 扉を開き、中に足を踏み入れると三人の魔人は驚きを隠せない様子だった。

「アイレス…貴様があの部屋から動くとは…何か変事か?」

 彼らの驚きは当然だ、と熱を取り戻した長の心が判断した。何せ魔人の長が動いたのは冗談ではなく、神代が終焉して以来だったのだから。
 三人は長とは違い人間種が辺境域と呼ぶ一帯を出たことこそ無いものの、ある程度は活動していた。研究の真似事をして低位を創り出す者、稀に現れては暴を振るう者、他種族とさえ関わろうと試みる者。三者三様ではあったが長過ぎる時の流れに対抗する…いわば趣味を見出そうとしていたのだ。

「イレバーケ、ウクイヌ、エタイロス。誰かここから東へ行けるか?」

 魔人をして気が遠くなる程の昔に聞いた声。三人は懐かしさを感じたものの、その言葉が長らしからぬ曖昧なものだったことに内心で首を傾げた。
 三人を代表してイレバーケが口を開いた。
 危険なスリットの入ったドレス姿の女魔人は艶やかな声を響かせた。

「行けるかどうかなら問題なく。でもどういうつもりかしら?随分と貴方らしくないわ…お父様達がいた時ですら今のようでは無かった」
紛い物・・・が消えたことが気にかかる。あの連中はお前たちと違い信号が弱い。正確な位置が分からぬ」

 長が口を開く度に高位魔人達の疑問が増えていく。

「雑魚共のことがなぜ気にかかる?奴らが倒れるなど珍しくはなかろう。少なくとも貴様が動くほどとはとても思えん」

 最初に長に疑問を発した黒緑の魔人が再び問う。
 黒緑の肌はむき出しで申し訳程度の腰巻きを身に付けている。部屋の天井にまで届く背丈に胴と同じ太さの手足…エタイロスは見た目通りに武人肌の魔人だった。

「じゃあ僕が行くよ」

 長の要請に応じたのは傍目には極普通に見える青年の姿をした魔人ウクイヌであった。

「アイレスが気になるのは低位魔人のことじゃなくて、倒した側なんだろう?なら、僕も気になる。見てみたい」

 低位と口にするのは彼が人間と関わったこともある存在だからだ。

「では頼む。大まかな位置を教える。何か掴めたのならば教えてくれ」

 イレバーケとエタイロスは動くのに理屈を必要とする魔人だ。ならばウクイヌが動くのは自然なことだった。
 長が部屋を去ってからウクイヌは二人の同胞に向かって言った。

「頼む。だってさ、珍しいこともあるもんだ」

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