東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-
辺境域
つい先日、神が降臨した地に小さな鼓動があった。
生命の物ではなく、剣という人が扱う武器から発せられていた。
それは神の憑代となった哀れな冒険者が使っていた大剣。年若い未熟な戦士が用いていた見栄に塗れた一本の剣。かつての主の亡骸の近くにそれは突き立てられていた。
神と戦った戦士たちはこの哀れな冒険者の墓標代わりとして剣を突き立てたのだが…なぜ、誰もこれを想像していなかったのか?大剣からは黒い瘴気が漏れ出している。そう、神が手に取った得物が変質していた。
憑代を介していたため、伝説に謳われるような山をも砕く…とは行かないが、それは確実に神秘を宿していた。
神の置き土産はじっと担い手を待ち続けた。その忍耐が報われる日は近い。
地曳惣三は選ばれた人間である――。それは彼を知るものならば誰にも否定できまい。高貴な生まれ、武術の才、良き出会い…尊敬できる相棒に美しい連れ合い。そして何よりも先祖返りの発露。これほどの恵みを指して彼が只人であると思えるはずもない。
だが忘れてはならない。凡俗や落伍者が腐るほどいるのと同じように“選ばれた者”というのもまた掃いて捨てるほどにいるのだ。繁栄という加護を選び取った上古の人類種…はるか遠い時代の祖先はこれを予期していたのだろうか?いいやしてはいまい。繁栄の結果、齎されたのは同士討ちという末路ではあったものの、母数が増えれば当然の帰結として高みに至る者が増えていくのは自然なこと。
代を重ねるごとに神から遠ざかり劣化していく生命達。しかし衰退が必定ならば中興という時期が訪れるのもまた歴史の流れ。そう…今こそあらゆる種族が輝きを取り戻す時代の渦中だ。なればこそ数が多い人類種が栄光に至る確率は最も高い。
ジュリオスは先の無垢神との戦いに参加し、一種の覚醒を果たしたソウザブを目の当たりにしたことで、それを確信した。
華麗な城の一室で誰憚ることもない笑い声が響く。聞き咎める者はいるだろうが構うものではない。これほどの歓喜を得て笑わぬ者がいるならばそれこそ愚かだとジュリオスは笑う。
「くふっ。クックック…ハハハ…!」
おかしい。笑えて仕方がない!ソウザブでもなければ、あの場にいた先祖返りたちでもない。これから更なる零落を味わうおぞましい亜人間や精霊達ですらない。自分自身の過去が滑稽で堪らない!
霊剣?気剣?文字通りの剣術。そんなものを身につけようと足掻いていた自分はなんと愚かだったのかとおかしくておかしくてジュリオスは笑い続けた。近道は正に近くにあったというのに!灯台下暗し、と東方の諺に言う。なんと上手い言葉だろうか!まさか自分自身に隠れているとは流石に思いもよらないことだった。
いついかなる時でも苦心するのは一番槍を取る者だ。後に続く存在には分かりやすい前例があり、場合によっては論が確立していることすらある。ソウザブの変化はあの場に居合わせた者たちに分かりやすい教科書を与えてしまったようなものである。
付け加えるならばジュリオスにはもう一つ身近な教材がある。同じ王を頂く同士ではあるが同胞ではない。炎弓騎士団の団長。炎を操るあの者の能力を不可思議に思っていたが、なるほどこういうことかと思い当たる。あの女は“権能”に振り回されているのだ。
亜人種であるはずの彼女がなぜ帝国に付き従っているかもついでのように想像がついたが、そんなことはどうでもいい。大事なのは自分にも可能であるということだ。
あの男は選ばれた存在からさらに選び抜かれたというわけではない。自身に秘められた力をはっきりと認識し行使できるようになったのだと、同じ先祖返りであるジュリオスには分かる。勿論自分という存在の原点…神としての権能がいかなるモノであるかを認識せねばなるまいし、あっさりと習得できるようになれるような簡単なものではあるまい。しかし可能なのだ。異国の言葉を話せるようになるように。訓練と知識で達成が可能なのだ。できると分かっていれば目指すことができる。
焦るまいと自分を制御しようとするが、同時に急がなければならないとも思う。他者が自分より愚かだと信じられる程、ジュリオスは子供ではない。恐らくはあの場にいた先祖返り達も更なる高みに上れることに気付いた筈だ。
一歩抜きん出ているからこそ有利なのだ。他にも同等の存在が現れだしては現状と何も変わらない。先を示したソウザブはもはや致し方ないとしても他の芽は潰すことを考えなければならない。高みを、栄達を目指してさらに飛翔する自身の未来を夢見てジュリオスは更に高く笑った。
アデルウ大陸西域、俗に言う辺境地帯…そこは地獄であった。
住まうのは行き場を無くした人々。繁殖力の強いカラス麦などの作物を育てながら人々は懸命に生きていた。国家という枠組みさえここでは曖昧だ。時折王を名乗る者達が現れはするものの、長続きはしない。
なぜならこの地には正真の魔が住まう。魔獣、魔人、そして“先祖返り”の獣達。強者が弱者を食らうという当たり前は勿論、強者同士が争っている始末だ。弱者はむしろ意味無き蹂躙の対象である、とも言えるかもしれない。
しかし、それでもこの地の住人達は根強く残る。大陸中央でも東方でも同じことだ。強者が個人ではなく、勢力になるだけであることを理解していた。どちらに行っても自分達は狩られる側だと信じている。彼らもまた、この地に惹かれているのかもしれない。
女はとうとう全てを奪われた。かつては夫を失った。そして今また隣人たちと作り上げたささやかな家が燃えているのを眺めている。
全てを失った心は既に悲嘆さえ覚えない。ぼうっと夜闇に輝く炎を写すだけだ。それは壊れてしないようにという精神の働きかもしれなかった。だがこの場合は注意を喚起するべきだっただろう。襲撃者はまだここにいるのだから。
小型の魔獣を引き連れた魔人。それは残ったただ一人の生存者を毒牙にかけようと暗い喜びに耽っている。ゆっくりと、ゆっくりと。女は逃げないのだから焦る必要は無かった。恐怖に竦み、怯え、あらゆる体液を垂れ流す様を見せないのが残念でならないと思いながら。触腕を伸ばした。
次の瞬間、魔人の首は胴体から切り離されていた。
「え…?」
女は自分の命が奪われるという未来よりも驚いて心を取り戻した。この地で助けが来ることなどないはずであったのに…救いは天より舞い降りた。
救い主は粗末な革鎧に地味な外套。片手には短槍と剣を携えている。どれも粗末な作りの物ばかりで、腕にはめた金の腕輪だけが浮いている。日焼けした肌に異邦人であることを示す黒髪黒瞳。
人界の新たなる英雄にして神殺し…“敏捷神”ソウザブであった。
生命の物ではなく、剣という人が扱う武器から発せられていた。
それは神の憑代となった哀れな冒険者が使っていた大剣。年若い未熟な戦士が用いていた見栄に塗れた一本の剣。かつての主の亡骸の近くにそれは突き立てられていた。
神と戦った戦士たちはこの哀れな冒険者の墓標代わりとして剣を突き立てたのだが…なぜ、誰もこれを想像していなかったのか?大剣からは黒い瘴気が漏れ出している。そう、神が手に取った得物が変質していた。
憑代を介していたため、伝説に謳われるような山をも砕く…とは行かないが、それは確実に神秘を宿していた。
神の置き土産はじっと担い手を待ち続けた。その忍耐が報われる日は近い。
地曳惣三は選ばれた人間である――。それは彼を知るものならば誰にも否定できまい。高貴な生まれ、武術の才、良き出会い…尊敬できる相棒に美しい連れ合い。そして何よりも先祖返りの発露。これほどの恵みを指して彼が只人であると思えるはずもない。
だが忘れてはならない。凡俗や落伍者が腐るほどいるのと同じように“選ばれた者”というのもまた掃いて捨てるほどにいるのだ。繁栄という加護を選び取った上古の人類種…はるか遠い時代の祖先はこれを予期していたのだろうか?いいやしてはいまい。繁栄の結果、齎されたのは同士討ちという末路ではあったものの、母数が増えれば当然の帰結として高みに至る者が増えていくのは自然なこと。
代を重ねるごとに神から遠ざかり劣化していく生命達。しかし衰退が必定ならば中興という時期が訪れるのもまた歴史の流れ。そう…今こそあらゆる種族が輝きを取り戻す時代の渦中だ。なればこそ数が多い人類種が栄光に至る確率は最も高い。
ジュリオスは先の無垢神との戦いに参加し、一種の覚醒を果たしたソウザブを目の当たりにしたことで、それを確信した。
華麗な城の一室で誰憚ることもない笑い声が響く。聞き咎める者はいるだろうが構うものではない。これほどの歓喜を得て笑わぬ者がいるならばそれこそ愚かだとジュリオスは笑う。
「くふっ。クックック…ハハハ…!」
おかしい。笑えて仕方がない!ソウザブでもなければ、あの場にいた先祖返りたちでもない。これから更なる零落を味わうおぞましい亜人間や精霊達ですらない。自分自身の過去が滑稽で堪らない!
霊剣?気剣?文字通りの剣術。そんなものを身につけようと足掻いていた自分はなんと愚かだったのかとおかしくておかしくてジュリオスは笑い続けた。近道は正に近くにあったというのに!灯台下暗し、と東方の諺に言う。なんと上手い言葉だろうか!まさか自分自身に隠れているとは流石に思いもよらないことだった。
いついかなる時でも苦心するのは一番槍を取る者だ。後に続く存在には分かりやすい前例があり、場合によっては論が確立していることすらある。ソウザブの変化はあの場に居合わせた者たちに分かりやすい教科書を与えてしまったようなものである。
付け加えるならばジュリオスにはもう一つ身近な教材がある。同じ王を頂く同士ではあるが同胞ではない。炎弓騎士団の団長。炎を操るあの者の能力を不可思議に思っていたが、なるほどこういうことかと思い当たる。あの女は“権能”に振り回されているのだ。
亜人種であるはずの彼女がなぜ帝国に付き従っているかもついでのように想像がついたが、そんなことはどうでもいい。大事なのは自分にも可能であるということだ。
あの男は選ばれた存在からさらに選び抜かれたというわけではない。自身に秘められた力をはっきりと認識し行使できるようになったのだと、同じ先祖返りであるジュリオスには分かる。勿論自分という存在の原点…神としての権能がいかなるモノであるかを認識せねばなるまいし、あっさりと習得できるようになれるような簡単なものではあるまい。しかし可能なのだ。異国の言葉を話せるようになるように。訓練と知識で達成が可能なのだ。できると分かっていれば目指すことができる。
焦るまいと自分を制御しようとするが、同時に急がなければならないとも思う。他者が自分より愚かだと信じられる程、ジュリオスは子供ではない。恐らくはあの場にいた先祖返り達も更なる高みに上れることに気付いた筈だ。
一歩抜きん出ているからこそ有利なのだ。他にも同等の存在が現れだしては現状と何も変わらない。先を示したソウザブはもはや致し方ないとしても他の芽は潰すことを考えなければならない。高みを、栄達を目指してさらに飛翔する自身の未来を夢見てジュリオスは更に高く笑った。
アデルウ大陸西域、俗に言う辺境地帯…そこは地獄であった。
住まうのは行き場を無くした人々。繁殖力の強いカラス麦などの作物を育てながら人々は懸命に生きていた。国家という枠組みさえここでは曖昧だ。時折王を名乗る者達が現れはするものの、長続きはしない。
なぜならこの地には正真の魔が住まう。魔獣、魔人、そして“先祖返り”の獣達。強者が弱者を食らうという当たり前は勿論、強者同士が争っている始末だ。弱者はむしろ意味無き蹂躙の対象である、とも言えるかもしれない。
しかし、それでもこの地の住人達は根強く残る。大陸中央でも東方でも同じことだ。強者が個人ではなく、勢力になるだけであることを理解していた。どちらに行っても自分達は狩られる側だと信じている。彼らもまた、この地に惹かれているのかもしれない。
女はとうとう全てを奪われた。かつては夫を失った。そして今また隣人たちと作り上げたささやかな家が燃えているのを眺めている。
全てを失った心は既に悲嘆さえ覚えない。ぼうっと夜闇に輝く炎を写すだけだ。それは壊れてしないようにという精神の働きかもしれなかった。だがこの場合は注意を喚起するべきだっただろう。襲撃者はまだここにいるのだから。
小型の魔獣を引き連れた魔人。それは残ったただ一人の生存者を毒牙にかけようと暗い喜びに耽っている。ゆっくりと、ゆっくりと。女は逃げないのだから焦る必要は無かった。恐怖に竦み、怯え、あらゆる体液を垂れ流す様を見せないのが残念でならないと思いながら。触腕を伸ばした。
次の瞬間、魔人の首は胴体から切り離されていた。
「え…?」
女は自分の命が奪われるという未来よりも驚いて心を取り戻した。この地で助けが来ることなどないはずであったのに…救いは天より舞い降りた。
救い主は粗末な革鎧に地味な外套。片手には短槍と剣を携えている。どれも粗末な作りの物ばかりで、腕にはめた金の腕輪だけが浮いている。日焼けした肌に異邦人であることを示す黒髪黒瞳。
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