東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-
戦い終わって
神を打倒してから少しばかりの時間が流れた。その間にも多くの出来事と別れを経験した。
共に戦ったサイーネの葬儀が最たるもので、高名な女傑の死は余りにも早かった。事実上のトップの死に戦士ギルドの面々は悲嘆に暮れる。第一位は既に老境でありその地位は装飾品であると誰もが知っていたから尚更だ。親しい人の死に、尊敬していた人物の喪失に、これから訪れる組織としての落陽に。涙は純粋なものではなかったが、それこそが彼女の偉大さを示していたのだ。
「手合わせの約束は果たせませんでしたな…惜しい、余りにも…」
ソウザブは花の代わりに短剣を返した。小さな助力ではあったが、この武器があったからこそ神とも戦えたと思えば何を手向けようとも足りはしない。ホレスもこの時ばかりは黙って、酒を墓前に供えていた。
ゼワは玩弄されただけの戦いに思うところがあるのか、鬱陶しさも見せずに戻っていった。嫌いな男ではあるが、あの神を相手にしては致し方ないと思うのだが…。良くも悪くも上昇志向の塊じみたところがある戦士であった。
「冒険者など辞めて、さっさと帝国騎士になるのだな」
その言葉はジュリオスなりの賛辞なのだろう。瞳に宿った炎が些か気になりはしたが、ソウザブはそれを黙って受け止めた。
帝国騎士…考えたこともない選択肢であった。自分一人ならばそれも良いかも知れないが…。
白騎士は戦姿と同じように颯爽と帰途に付いた。
ラクサスは一行を代表してしばらくは事後処理に当たるという。生命を魔力に変える術具などの入手経路などを調べるのも“神秘の学び舎”の役割だと語った賢者は幾らかの巻物を餞別に渡してきた。…市場価格で幾らするのかは考えたくはない。
「ソウ様!ソウ様!エルはもう心配で心配で…!」
「あーエルミーヌはずっとこうだったよ、実際師匠は杖なんて突いてるしさ」
旅立った恋人がボロボロになって帰ってくれば、それは確かに驚くだろう。
町に戻ってからエルミーヌは寝台の近くから離れなかった。
ソウザブは“権能”の影響で体を痛めていた。過剰行使なのか、あるいは単に使いこなせていないのかは不明だが、得られる力に比すれば大した犠牲とは言えないだろう。
とはいえ、“無垢神”のような次元が違う相手でなければ、あれほどの速さは無駄に過ぎる。符を使い切ってしまったからにはこちらを切り札とするべく鍛錬に励む他はない。
冥神の使徒が図ったように治癒術士を送り込んでくれたために旅を再開するまでに一月ほどで済んだのは幸いだった。
「と、いう次第にて。そろそろ許してやってはくれませぬかサク殿」
「ふぅん、そんなことがあったんだねぇ。神と戦ってたら遅れた、なんていうからとんだ言い訳もあったもんだ…って思ってたんだけど。ソウ坊が言うなら納得さね」
なぜ、俺が言った時は信じてくれなかったのだ妻よ、そう言いたげなホレスの顔は半ば陥没しており、流石に哀れだった。
アデルウ大陸の東…辺境の小さな漁村。ここがホレスの家にして愛する妻サクのいる場所だった。
「まぁ神云々よりもソウ坊がお嫁さん連れてきたことの方が驚きさね」
からからと笑う。束ねた髪に日焼けた肌。見た目通りにきっぷの良い女性だった。
彼女も本来は“竜殺し”の一人なのだが世間的にはむしろこの漁村の守護者として知られている。争い絶えないこの世界で、弱者を食い物にせんとする賊は多い。だが、この村にはサクがいる。
素手で海賊紛いの敵を鏖殺してのける女傑だった。
「エルちゃんとサフィラちゃんかぁ。うんうん、どっちもべっぴんさんじゃないの。幸せものだねソウ坊は」
「幸せ…。ホレス殿は十人ぐらい作れと言っており申したが」
「あっはっは。後でもういっちょしばいておくよ」
穏やかな時…ホレス以外にとっては…が過ぎていく。サクも義母と呼ばれる事が嬉しいのか、エルミーヌやサフィラに家事を教えていく。
「お義母様。お魚はこれぐらいで?」
「ああ、違う違う。良いかい?見といで…、こうした方が味がよく染み込む。…サフィラは案外筋が良いね。いい嫁さんになれるよ」
「なんかもう最近は本当にそれで良いかなって気がしてきたよオレ…」
乱世に咲いた笑顔の花を背にソウザブはそっと家を離れた。幸福を求めて旅を続けて、冒険者となって、多くの人に出会ったが、この時間を噛みしめるというのは中々難しいことだった。
磯の香りを鼻孔に満たしながら砂浜を歩き…桟橋に腰掛ける。しばらく天に輝く星を眺めていると、ホレスもまたやってきた。サクの折檻を受けた跡はもう治ったようだった。
「いちち…サクめ、滅茶苦茶やりやがって…」
「ちゃんと手加減してくれたようでは御座らんか。結局半年近く過ぎていたのです。それで済んで重畳、というものでは?」
「…ソウ。ちゃんと笑うようになったな」
ソウザブは微笑んでいる自分に気付く。以前は余程親しい人間にしか分からないような表情の変化であったが、今では誰もがはっきりと分かるように…。
「で?いつまで冒険者でいるつもりなんだ?」
気付かれていたのか、とソウザブは内心で苦笑した。人生経験豊富でありながら己を貫く“竜殺し”の英雄には人に成りつつある程度の男の胸中などお見通しのようだった。
そう、いつまでも冒険者ではいられない。エルミーヌの故国を取り戻すという婚約者の願いがある以上は、冒険者のままでは国家の騒乱には深く関われない。だが出来るだろうか?ソウザブはただの元人斬り包丁だ。兄達のように人を統べる技量など無い。
個人としては異常なまでの器用さを誇っても、所詮はそこまで。仮にソウザブが旧アークラに腰を据えた勢力を一人で駆逐したとしても、それだけでは国を維持することは不可能だ。
「さて…金が貯まるまでですかな?」
ソウザブは腕に嵌った金の腕輪を見つめた。ホレスと同じ色、英雄との繋がりを示すかのような、これを捨てることが出来るだろうか?
「まぁ何にせよ帝国騎士だけは勘弁して欲しいがな、お前さんとやり合ったりいがみ合ったりはごめんだ。…ソウ。俺はサクとの埋め合わせでしばらくはここに残る。お前さんふうに言うなら夫婦水入らずってやつだ。お前もそうしな」
「やはり、そうなり申すか…」
不安だった。ホレスはソウザブの独り立ちを勧めてくれているのだが、自分で行き先を決定することなど出来る気がしない。
出来ないかもしれない、分からない、不安だ…。人間というものは全くままならない。道具であった頃はこんな悩みとは無縁だったのだ。
強いて不安を他所に置き、相棒とのしばしの別れに備えて会話を楽しむ。細かな景色まで忘れられそうにない光景だった。
息子は旅立った。名残惜しそうにしているのが、嬉しくて言葉が詰まりそうになる。ただ頷くだけで送り出してしまったのは我ながらどうかと思う。
英雄は新しい英雄の巣立ちを祝福していた。
「…なんて、感慨に耽ってる顔だけど…。実のところソウ坊に強さで抜かれたのがみっともなくて鍛えなおそうと思ってるんだろ、あんた」
「う…」
「まぁいいさね。ここらも最近は何かと物騒だ。家を空けてた間の分をきっちり働いてもらうよ!」
背中を張られて咳き込む。息子分より強くなる前に妻より強くなる方が先の方が良いだろうか…と思うホレスだった。
共に戦ったサイーネの葬儀が最たるもので、高名な女傑の死は余りにも早かった。事実上のトップの死に戦士ギルドの面々は悲嘆に暮れる。第一位は既に老境でありその地位は装飾品であると誰もが知っていたから尚更だ。親しい人の死に、尊敬していた人物の喪失に、これから訪れる組織としての落陽に。涙は純粋なものではなかったが、それこそが彼女の偉大さを示していたのだ。
「手合わせの約束は果たせませんでしたな…惜しい、余りにも…」
ソウザブは花の代わりに短剣を返した。小さな助力ではあったが、この武器があったからこそ神とも戦えたと思えば何を手向けようとも足りはしない。ホレスもこの時ばかりは黙って、酒を墓前に供えていた。
ゼワは玩弄されただけの戦いに思うところがあるのか、鬱陶しさも見せずに戻っていった。嫌いな男ではあるが、あの神を相手にしては致し方ないと思うのだが…。良くも悪くも上昇志向の塊じみたところがある戦士であった。
「冒険者など辞めて、さっさと帝国騎士になるのだな」
その言葉はジュリオスなりの賛辞なのだろう。瞳に宿った炎が些か気になりはしたが、ソウザブはそれを黙って受け止めた。
帝国騎士…考えたこともない選択肢であった。自分一人ならばそれも良いかも知れないが…。
白騎士は戦姿と同じように颯爽と帰途に付いた。
ラクサスは一行を代表してしばらくは事後処理に当たるという。生命を魔力に変える術具などの入手経路などを調べるのも“神秘の学び舎”の役割だと語った賢者は幾らかの巻物を餞別に渡してきた。…市場価格で幾らするのかは考えたくはない。
「ソウ様!ソウ様!エルはもう心配で心配で…!」
「あーエルミーヌはずっとこうだったよ、実際師匠は杖なんて突いてるしさ」
旅立った恋人がボロボロになって帰ってくれば、それは確かに驚くだろう。
町に戻ってからエルミーヌは寝台の近くから離れなかった。
ソウザブは“権能”の影響で体を痛めていた。過剰行使なのか、あるいは単に使いこなせていないのかは不明だが、得られる力に比すれば大した犠牲とは言えないだろう。
とはいえ、“無垢神”のような次元が違う相手でなければ、あれほどの速さは無駄に過ぎる。符を使い切ってしまったからにはこちらを切り札とするべく鍛錬に励む他はない。
冥神の使徒が図ったように治癒術士を送り込んでくれたために旅を再開するまでに一月ほどで済んだのは幸いだった。
「と、いう次第にて。そろそろ許してやってはくれませぬかサク殿」
「ふぅん、そんなことがあったんだねぇ。神と戦ってたら遅れた、なんていうからとんだ言い訳もあったもんだ…って思ってたんだけど。ソウ坊が言うなら納得さね」
なぜ、俺が言った時は信じてくれなかったのだ妻よ、そう言いたげなホレスの顔は半ば陥没しており、流石に哀れだった。
アデルウ大陸の東…辺境の小さな漁村。ここがホレスの家にして愛する妻サクのいる場所だった。
「まぁ神云々よりもソウ坊がお嫁さん連れてきたことの方が驚きさね」
からからと笑う。束ねた髪に日焼けた肌。見た目通りにきっぷの良い女性だった。
彼女も本来は“竜殺し”の一人なのだが世間的にはむしろこの漁村の守護者として知られている。争い絶えないこの世界で、弱者を食い物にせんとする賊は多い。だが、この村にはサクがいる。
素手で海賊紛いの敵を鏖殺してのける女傑だった。
「エルちゃんとサフィラちゃんかぁ。うんうん、どっちもべっぴんさんじゃないの。幸せものだねソウ坊は」
「幸せ…。ホレス殿は十人ぐらい作れと言っており申したが」
「あっはっは。後でもういっちょしばいておくよ」
穏やかな時…ホレス以外にとっては…が過ぎていく。サクも義母と呼ばれる事が嬉しいのか、エルミーヌやサフィラに家事を教えていく。
「お義母様。お魚はこれぐらいで?」
「ああ、違う違う。良いかい?見といで…、こうした方が味がよく染み込む。…サフィラは案外筋が良いね。いい嫁さんになれるよ」
「なんかもう最近は本当にそれで良いかなって気がしてきたよオレ…」
乱世に咲いた笑顔の花を背にソウザブはそっと家を離れた。幸福を求めて旅を続けて、冒険者となって、多くの人に出会ったが、この時間を噛みしめるというのは中々難しいことだった。
磯の香りを鼻孔に満たしながら砂浜を歩き…桟橋に腰掛ける。しばらく天に輝く星を眺めていると、ホレスもまたやってきた。サクの折檻を受けた跡はもう治ったようだった。
「いちち…サクめ、滅茶苦茶やりやがって…」
「ちゃんと手加減してくれたようでは御座らんか。結局半年近く過ぎていたのです。それで済んで重畳、というものでは?」
「…ソウ。ちゃんと笑うようになったな」
ソウザブは微笑んでいる自分に気付く。以前は余程親しい人間にしか分からないような表情の変化であったが、今では誰もがはっきりと分かるように…。
「で?いつまで冒険者でいるつもりなんだ?」
気付かれていたのか、とソウザブは内心で苦笑した。人生経験豊富でありながら己を貫く“竜殺し”の英雄には人に成りつつある程度の男の胸中などお見通しのようだった。
そう、いつまでも冒険者ではいられない。エルミーヌの故国を取り戻すという婚約者の願いがある以上は、冒険者のままでは国家の騒乱には深く関われない。だが出来るだろうか?ソウザブはただの元人斬り包丁だ。兄達のように人を統べる技量など無い。
個人としては異常なまでの器用さを誇っても、所詮はそこまで。仮にソウザブが旧アークラに腰を据えた勢力を一人で駆逐したとしても、それだけでは国を維持することは不可能だ。
「さて…金が貯まるまでですかな?」
ソウザブは腕に嵌った金の腕輪を見つめた。ホレスと同じ色、英雄との繋がりを示すかのような、これを捨てることが出来るだろうか?
「まぁ何にせよ帝国騎士だけは勘弁して欲しいがな、お前さんとやり合ったりいがみ合ったりはごめんだ。…ソウ。俺はサクとの埋め合わせでしばらくはここに残る。お前さんふうに言うなら夫婦水入らずってやつだ。お前もそうしな」
「やはり、そうなり申すか…」
不安だった。ホレスはソウザブの独り立ちを勧めてくれているのだが、自分で行き先を決定することなど出来る気がしない。
出来ないかもしれない、分からない、不安だ…。人間というものは全くままならない。道具であった頃はこんな悩みとは無縁だったのだ。
強いて不安を他所に置き、相棒とのしばしの別れに備えて会話を楽しむ。細かな景色まで忘れられそうにない光景だった。
息子は旅立った。名残惜しそうにしているのが、嬉しくて言葉が詰まりそうになる。ただ頷くだけで送り出してしまったのは我ながらどうかと思う。
英雄は新しい英雄の巣立ちを祝福していた。
「…なんて、感慨に耽ってる顔だけど…。実のところソウ坊に強さで抜かれたのがみっともなくて鍛えなおそうと思ってるんだろ、あんた」
「う…」
「まぁいいさね。ここらも最近は何かと物騒だ。家を空けてた間の分をきっちり働いてもらうよ!」
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