東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

緊急招集

 急速に発展しつつあるガザル帝国…その首都。いかなる神の血を引くかを問わない、と謳う国であるためここでは多くの宗教の神殿が拠点を置いていた。この世界に生きる数多の種族でよくある悩みとして自身の先祖と宗教が一致しない、あるいは先祖がどのような神かを知らないということがあげられる。そうした煩悶を持つ者にとってもこの国は福音になっているのかもしれなかった。
 それを象徴するのが光神と冥神の共同大聖堂だった。左右対称の神殿で片方が輝きを示す白、もう片方が冥神の懐がごとき黒。これほど奇妙な聖堂を他の国では見ることはできまい。可能としているのは光神の教えと冥神の教えが絶妙に噛み合わなさすぎるためだが、ここではまだ触れない。
 この時、この場所で重要となるのは聖堂の中心。黒と白に挟まれた尖塔。そこに住まう者。ガザル帝国の人々は畏敬を込めて彼女を“星読様”と呼んでいた。

 星読は別に光神と冥神、いずれかの信徒というわけでもない。彼女がここにいるのは単にこの尖塔が街で一番高い所だからという単純な理由による。無論のことそれを気に入らない勢力もいるのだがそんなことは彼女には関係の無いことだ。
 星読の格好も権威を示すようなものではない。修道女のような髪まで隠すような出で立ちだが、色は地味な灰色である。星読の自称信者達も好んでこの色の衣類を着るようになっていた。
 その星読の様子は尋常ではない。常に物憂げな彼女が髪を振り乱して叫んでいた。後ろに控える自称側近達も初めて見る崇拝対象の様子に狼狽えるばかりだ。
 彼女が叫んでいるのは先程から一つのことばかりだ。

「凶星が降り来る!東の地に!」


 ソウザブ達は老夫婦を無事にグルズの町まで送り届けることができた。道中、確かに山賊達は出没したのだが先頭を切って現れた賊が肉片に変わるとそれ以降は現れなくなった。山賊達には山賊なりの情報網でもあるのだろう。
 老夫婦は素直に感謝していた。人死を見た程度で腰を抜かすようでは旅などできない。老夫婦とロバの今後に幸福があることを願いつつ、ソウザブ達はささやかな報酬だけ貰い、そして別れた。流石に旅路の果てまで護衛することはできないのだ。
 いつも通りに酒場へと足を運ぶ。ここも冒険者への依頼窓口と併設だ。酒場内は喧騒に包まれているが、少々騒がし過ぎた。どうにもこのタユイ国は治安が良いとはいえないようだ。ソウザブ達とて本当ならば北にあるララタイ国へと足を運んだのだろうが、既にガザル帝国の支配下となっているために冒険者は立ち入ることができない。

「ガザル帝国との戦争で一儲け狙う傭兵たち。逆に北から逃げてきた冒険者達。治安が悪くなるのも道理…というわけですな」
「傭兵共の中には今や大国の争いに巻き込まれちゃたまらんという連中もいるだろうがな。あそこ…帝国は傭兵なんざ矢避け程度にしか考えてねぇ」
「随分詳しいんだなおっさん」

 サフィラの言葉に返事は無かった。ホレスと帝国の間の確執はソウザブにも立ち入ることができない領域のようで、それが歯がゆい。ソウザブの面倒を見てくれたホレスに力を貸すこともできないのだから。

「よう嬢ちゃん達。そんな連中といないで俺達の酌をしてくれや…げぅ!」

 絡んできた赤ら顔の男はホレスの肘打ちで壁に飛んでいった。ホレスの怪力に酒場が静まり返る。
 これでようやく落ち着いて食事を楽しめそうだった。ソウザブとしても彼女たちに手を出そうとする者に容赦をしてやる気にはならなかった。


「ここの飯マズいな…。このエール何日前のだよ…」
「ワインもほとんど酢じみてますな。肉も干し肉の方がマシというもの」

 酒場の飯は安い値段よりさらに粗末なもので閉口する。修行時代から粗食には慣れているつもりだったが、旅の最中にそれなりに舌は肥えていたらしい。

「うーん。オレもこれはちょっと…湖賊の出してた餌と良い勝負で嫌だ」

 貧民の生まれだと語っていたサフィラからしてもイマイチのようだ。エルミーヌは上品に口元を抑えているが彼女にはさらに辛いだろう。
 どこかで食べ直すか…と一同の意見が一致したその時、冒険者組合の窓口係が声をかけてきた。初老の域にある係員でホレスの逞しい姿にも物怖じしていない。

「失礼…その大きな包みは“竜殺し”のホレス殿ですかな?」
「ああ?なんだお貴族様の依頼とかならクソ食らえだぞ」
「それにその相棒であるソウザブ殿」
「…?」

 妙だ。ホレスだけなら名指しで依頼を持ち込んでくるのは珍しいことではないがソウザブにまで声をかけてくるとは。ソウザブは戦闘能力においては最上級の装飾付き金にも見劣りしないが狼王国以外では高名とはいえない。良くも悪くもホレスの影に隠れていると言っていい。それを知っているとは…。

「ああ、そう睨まんで下さい。腰が抜けそうです。私は手紙を渡すよう言われているだけですので。ここでは何ですから上の部屋で読まれた方が良かろうかと思われますね。なにせそれを見るのは私も初めてのことですので」

 渡された手紙は黒緑の紙で封がしてある。封蝋は冒険者組合を示す山羊の紋章。初代冒険者の家紋であったともいわれる紋章だ。
 ホレスが無言で階段を登り始める。彼が素直に従うとは珍しいことだ、と表層的な感想を抱きながらソウザブは後に続いた。


 宿屋としても使われているのだろう一室でホレスが熱っぽくつぶやき出す。こんな彼を見るのは初めてのことである。

「マジかよ…これ、まさか…“緊急招集状”だ」
「聞き慣れない言葉にござるが」

 ホレスの様子だけでなくソウザブが知らないことも珍しい。冒険者の常識についてはソウザブとホレスはほぼ全て共有していると言ってよかった。冒険者としてのソウザブの師はホレスなのだから。

「ああ、お前には教えていない。必要ねぇと思ってたからだ。見るのは俺も初めてなんだよ…俺が知っているのは師匠のそのまた師匠がこれを受けたことがあるって聞いてたからだ。実際に使われるのは多分、100年ぶりぐらいじゃねぇか?」

 ホレスが封を解いたのを見てソウザブもそうした。書かれていた内容は確かに驚くべきものだった。

「ソウ様?どのようなことが書かれているのですか?」
「オレにも見せてよー、師匠」

 身を寄せてくる二人の柔らかさもそれほど気にはならない。奇妙な依頼が書かれていた。サフィラが見を眇めた後、呟いた。

「俺には読めないよコレ。難しい」
「字体も普通は使わないものですから無理もないですよサフィラさん。でも、もう少しお勉強の時間を増やしましょうね」
「うぇー。で、なんて書いてあるの師匠?」

 ホレスは興奮して繰り返し見ているので、ソウザブは外に何の気配も感じないことを確認してから内容を読み上げた。

「依頼内容は正体不明の脅威に対する調査、可能ならば討伐あるいは排除」
「…なんだよ正体不明って」

 依頼主…この場合は冒険者組合自身だが…にも分かっていないということになる。ソウザブは続けた。

「冒険者以外の協力者と協同してこれに当たることになる」
「協力者?どのような方たちなのでしょうか?」
「さぁ…“戦士ギルド”とか傭兵とか…後は“神秘の学び舎”とかですかな?騎士連盟はまさかこないでしょうしね」

 戦士ギルドは高名な戦士の集まりであり、生半な戦士では入会を許されない。頼りにはなるだろうがそう気安く呼べるものではない。
 神秘の学び舎は魔術師達の集まりだが冒険者となっているような術士に比べて研究者肌の者が入学する傾向にある。実態は内部の者にしか分からないが争いに向くという噂も聞かない。
 騎士連盟は文字通りの騎士の集まりだが所属が皆バラバラなために単なるサロンのような存在だ。
 可能性を考えてもどれもピンと来ない。脅威とやらと同じくらい内容が正体不明だ。

「報酬は前金で大金貨5000…成功すれば倍額?新しい詐欺にしか見えませぬな…」
「額が大きすぎて良くわかんないんだけど…」
「城が買えますわね。王室でも一年は保つ額です。…さすがに私にも怪しく見えてきたのですがソウ様…」

 ここまで来ると胡散臭いどころではない。詐欺か罠かのどちらかにしか思えない。先祖返りを捕らえたいという者や旅の最中にソウザブ達に恨みを持った人間もまた多いだろう。エルミーヌの大叔父あたりが考えられるが、そうした連中でももう少しまともな嘘をつきそうなものだが…。ソウザブが考えていた時ホレスがようやく話に加わった。

「額自体はありえない話じゃねぇがな。俺も今までの稼ぎをまとめればそんぐらいにはなるし、記録に残ってる限りの最高額でもこれよりちっとばかし上の物もあった。問題は場所だな。場所」

 ホレスの竜退治は依頼ではなかったが、正式な依頼ならばコレに近い額になるのだ。
 そんな事実を知らないソウザブはそんなものか、と思いつつ目を先に進めた。

「集合地点…ララタイ国にあるカアオの町?ガザル帝国の勢力圏ではござらんか…ホレス殿、これは何かの罠では?かの帝国が冒険者に協力を仰ぐなどと」

 ホレスの過去に関係しているのではないか?そう目で問う。
 だが、ホレスは頭を横に振った。

「お前の想像通り、帝国っていうかあそこの連中と因縁があるのは確かだがあいつ・・・は回りくどい罠は仕掛けない。俺とお前の命を狙うなら正面から潰そうとするさ…よし行くか!」
「行くのかよ!?おっさん!」

 ホレスの冒険心に火が点いてしまった。経験豊富な面が出ることが多いのでソウザブもつい忘れがちになるがホレスは初代冒険者に憧れている少年心が根にあるのだ。既に人類の英雄とさえ見られる先祖返りの男にとっては師さえ経験したことのない招集は逃せない機会らしい。

「…サク殿は?道を急がなくともよろしいので?」
「う…」

 一応は止めようとソウザブは彼にとってもっとも効果のある名前を出した。しばらくホレスは悶ていた。筋肉の塊がするので率直に言えば気色が悪い。かなり長い間、それを続けていたが…

「ええいままよ!俺は行く!」

 欲望の方が勝ったらしい相棒をソウザブは内心で賞賛することにした。なにせ今から北に一旦進路を変え、さらにそこで依頼をこなしてから元の旅路に戻るのだ。これで鉄拳制裁は確実なものとなっただろう。

「今回は俺とソウが名指しだから嬢ちゃん達は留守番だ!罠の可能性も残ってるしな!」

 興奮して勢いがついてはいるが理性は残っているらしい。あまり治安が良くない国ではあるが、こうした場所は金次第で安全も買えるのだ。ソウザブは念入りに女二人の安全策を練ることにした。

 むくれてしまった二人をどうなだめるかは正体不明の脅威よりも今のソウザブには厄介だった。

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