東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

ソウザブ

 ダグラルの造った廻船の竣工式は無事に終わった。ソウザブ達はそれを見守るどころか、最初の客となっていた。船出を祝福するかのごとくこの日は霧も無い。
 タイザの町は無事発展の兆しを見せつつあった。一行が離れることを決めた時期に合わせるかのように物資の流れが活発になっただけでなく、冒険者や傭兵の出入りも表れ始めた。おそらくはあの胡散臭い男の手引によるものなのではあろうが、ソウザブは黙っていた。陰ながら発展を援助するというのならわざわざ口に出して波風を立てる必要はない。

「結構いい乗り心地じゃねぇか…まぁ湖の臭いだけは微妙だが」

 ホレスは濁った水の匂いを追い払うためにまた酒を口にしていた。タローラが湖の国と言っても、湖が近くに無い町もある。ホレスのためにもしばらくはそちらで活動をした方が良いのかもしれない。
 どこぞの特産品が詰まった樽や木箱に囲まれて、ソウザブ達は久方ぶりの無為な時間を楽しんでいた。それぞれが思い思いの姿勢で適当に時間を潰している。ソウザブは景色を楽しみ、ホレスは酒を楽しむ。エルミーヌは最近つけ始めたという帳面と微笑みながらにらみ合いをしており、少し不気味だ。サフィラは慣れない革鎧を身体に合わせようと四苦八苦していた。実力がある故だがソウザブやホレスは揉め事に首を突っ込んだり巻き込まれたりすることが多いためにこうした時間は貴重なのだ。
 ソウザブ達一行はかなり目立つ集団となっていた。見目麗しく胸部も豊かなエルミーヌは水夫達の注目の的だったし、細身に合わせた革鎧姿のサフィラも中性的な魅力を放っている。ソウザブとホレスは武を嗜む者からすれば、その手練のほどは常人とは隔絶したものがある。人々の好奇の目に晒されながら、それでも本人たちはどこ吹く風でタイザの町を離れていった。


 そして現在――ソウザブは高台から二人の弟子の戦いを見守っていた。
 エルミーヌとサフィラが相手取っているのは泥人間マッドマンの群れだ。泥人間は水の多い地域に稀に出現する怪物…というよりは精霊の類だ。足を踏み入れた者を取り込み、それを真似た姿を再現して犠牲者を探し回る厄介な存在である。
 泥人間とは言うが本体は沼地にも似た泥溜まりであり、完全に退治しようとするならば戦うよりもむしろ埋め立てたり、大量の油で火を放ったりした方が楽な相手である。直接的な戦闘でどうこうできるのはそれこそ地面をめくり返すことすら可能なホレスぐらいのものだろう。ソウザブがやろうとすれば符術による攻撃で行うしか無く、大量の符を用意する莫大な費用がかかるため現実的には試そうとも思わない。
 だが、泥人間が繰り出す人間もどきや動物もどきは弱い。そもそもが泥なので耐久力に欠け、武器も泥で再現した見てくれだけか腐った木程度だ。そのため泥人間との戦いは模擬戦闘としては有益なのだ。相手が人型なので慣れるのにも最適だ。
 ホレスは近隣の村に酒を飲みに言ってしまったのでソウザブは一人で二人の戦いを見守っていた。終了するか、死亡の可能性が出るならば連れ帰るためだった。

「おらぁっ!この泥野郎!見たか!」

 サフィラがショートソードで泥人間の首を切断する。言葉は荒々しいが涼やかな声なので聞くものに与える印象がホレスとは全く異なる。
 ほぼ初の実戦で泥とは言え首を狙えるのだから大した度胸である。しかし強者を目指す焦り故か、周囲への軽快が甘い。横からゆったりと走ってきた犬型の泥に飛び掛かられ慌てて転がって回避していた。文字通りの泥まみれである。
 泥人間を相手にすれば必然的に足場が悪くなるため、そのあたりの稽古にもなるのだが身軽な少女はその点に関して言えば及第点だ。速いというよりはすばしっこい。

「サフィラさん、一人で飛び込まないで!…きゃっ!?〈火球〉!」

 エルミーヌの戦闘を見たソウザブは内心であー、と声をあげた。仲間と連携を取ろうとするのは良いが、自身も注意力散漫である。横に現れた泥人間に驚き、炎を放ち撃退したのだ。咄嗟に詠唱を成功させたのは素晴らしいといえるが、泥人間相手なら短杖で殴りつけても十分に効果があるのだ。
 〈火球〉は初歩にして奥義と言われるほどの攻撃魔法だが、魔力の消費は決して少なくない。相手の方が数において勝る場合はできるだけ温存するのが基本だ。前回の戦闘では〈火花〉を有効に使っていたので安心していたが、どうにも魔術に頼りすぎる癖がエルミーヌにはあるようだった。

「対照的なお二人ですなぁ…」

 あぐらをかきつつ見守るソウザブは一人呟いた。
 サフィラは才は平凡だが機転が効く。周囲への警戒が甘いのは経験の少なさを考えれば仕方ないだろう。生き残ればいいのだ。ここに来るまでの間に教えた剣術もこの地の剣術と異なるため有利に働く。
 エルミーヌは魔術の才に天賦のものがあった。反面、戦闘という行為自体に対する才能には欠ける。我慢強いため、足手まといというほどにはならないが単独になれば弱さが露呈する。

「現時点でも互いを信頼できれば、二人で一人前と言えなくはないでしょうが…」

 実際にはそれ以下だろう。自身の戦闘力に対する理解を深め、役割の分担ができればソウザブとホレスが居らずとも雑魚には引けを取らなくなるのだが先は長そうだ。

『まず戦うべきは己自身とです。お父上の名を辱めぬよう――』

 誰の言葉だったか覚えていない声が脳裏によぎった。
 ともすれば手を差し伸べたくなる光景を眺めながら、ソウザブは自身を押さえつけて見守る。すると以前のソウザブからすると考えられないことだったが、思考が過去に飛んだりすることが最近は度々あった。

『常に精進。常在戦場の心得です。行住坐臥、全てにおいて気を抜くことなきよう――』

 思い出した。このくどい声は師のものだ。槍、剣、弓において高い技量を誇る、くどくどしい喋り方で家中で煙たがられていた老武士の声だ。
 ソウザブは次第に自己の過去に埋没していった。ホレスはソウザブを更生中だと言った。人間らしくなるにつれてソウザブには雑念が生まれ、過去によりとらわれるようになった。ソウザブもまた修行中なのだ。
 相手に目など無いのに〈火花〉を使ってしまったエルミーヌを視界に入れながらも、ソウザブはどこか別の光景を眺めていた。


 黒髪の無表情な少年がひとりきりで、姿勢を崩さずに座っている。衣服は黒一色だが仕立ての良い物だ。それは幼い頃のソウザブだった。
 隣の部屋から声が聞こえる。少年が正座しているのは控えの間なのだ。

『どうだ。あれの才は――』
『優れておいでです。特に自己を律すること、とてもあの齢の童とも思えませぬ。隠形の技と、早駆けには今においても目を見張ることがございます』

 違うのです師よ。その子供はただ何も考えていないのです――。
 ソウザブは幻影に声をかけた。子供の目は澄んだ硝子玉のようで、見る人によっては美しいかもしれないがそこには何も宿ってはいない。ただ景色を写しているだけだ。

『隠形とな。それは良いかも知れぬ。一も二も無事に成人の儀を終えた。跡目の心配は要るまい、三には裏から我が家を支えて貰うとするか』
『はっ。三様もお家のために尽くされることお喜びになられることでしょう』

 違うのです。その子供は他者のことも、自分のことも何一つ分かっていないから、軽々に命を差し出せるのです。
 今なら分かる。父上は優しい主君でもあったのだ。汚れ仕事を他者に任せるのを不憫に思い、身内から贄を差し出した。私人としては優しくなかっただけで。
 景色が変わる。優しい歳の離れた兄と成長したソウザブが並んで歩いている。これは父が死に、兄が跡目を継いだ式典の夜だ。

『思えば、お前には随分と苦労をかけたな三よ。父もむごいことを…』

 いいえ、兄上。それは、それがしが何も決めなかったからです。兄上も父上も悪いことなど何一つとしてしておりませぬ。
 戦場で雑兵に混ざり、敵の名高いものや小さな集団のまとめ役を切り倒した。その時の名は別にあるため、富も名誉も与えられぬことを兄達は憐れに思っていたのだ。

『お前にも惣の字を与える。その名を持ってこれからは自由に生きて欲しい…家中には何とでも説明しよう。ツグも喜んでいた』
『兄上様方のお望みのままに』

 少し前のソウザブが無機質に答えた。ソウサネは寂しそうに苦笑した。
 兄上様、その名を今ようやく嬉しく思っております。仲間たちがその名で呼んでくれることを伝えられないのが残念です。


 ソウザブは幻影から目を離した。
 下の光景が戻ってくると、エルミーヌとサフィラは今まさに成長する段だった。エルミーヌが時に氷で、時に短杖で泥人間の足を掬う。サフィラがそこに一撃を加える。泥で出来た人間はかつての残滓を失ったことで形を保てなくなっていく。

「そうか…それがしには眩しかったのか」

 なぜいまさらこんなことに気付いたのか?思い至ってソウザブはまた呟いた。原因は眼前の光景だ。
 エルミーヌやサフィラには劇的な成長の機会が必要だった。崩れた泥にまみれた地面で行われる戦場はソウザブからするとあくびが出そうな遅い展開だが彼女たちにとってはまさに死地だ。生き残るためにあらん限りの手を試している。
 対して、ソウザブには落ち着いて考えることが成長の契機だったのだ。変化はゆっくりで、ホレス達と過ごした日々が花開くのを見つめる機会がソウザブには必要だったというだけのこと。
 ソウザブと違い彼女たちは自身で変わることを選択した。ソウザブは国を出たことさえ兄の意向任せで、なにもしてこなかった。精神的にはソウザブの方がよほど子供だったのだろう。

 ホレスの言ったことは正しかった。女の1つも作れ。武士たるもの万事に優れることを求める国で特別な教育を施されたソウザブはその通り万能になった。だがその過程での精神的な成長は置き去りになったままだった。だが人と人との関わりにならまだ成長の機会は残っている。
 富もまた栄誉の形で、兄達が与えたいと願っていたものの1つだ。

「我に返ると、何やらむず痒くなって参りますよ兄上」

 エルミーヌとサフィラは成長した。ホレスがいなければ泥人間の根本は破壊できない。ソウザブは先祖返りに相応しい速さで弟子達の元に飛んだ。
 泥人間が気づく間もなくソウザブは二人を小脇に抱えて離脱した。

「ええっと…?ソウ様?」

 死闘から突然解放されてエルミーヌは困惑している。二人にソウザブは柔らかく微笑んだ。今までに無い印象の笑みにエルミーヌの頬は朱に染まった。

「…合格です。ふたりとも良くやりましたな」
「よっし!師匠から褒められたのってオレ初めてじゃないか!?」

 そうだっただろうか、とソウザブは首を傾げた。自分では人当たりが良くなったと思っていたのだが、随分とむごいことをしていたらしい。
 二人の感触は泥特有の土のような砂のような手触りと湿った感覚があった。降ろしてみれば二人共美しい髪まで茶に塗れていた。

「宿に戻ったらお二人の活躍をホレス殿に伝えましょう。…まぁその前に風呂を借りることになるでしょうが」

 余程必死だったのだろう。二人は今更泥がこびり付いた格好に気付いたらしく、苦笑いした。ころころ表情が変化する二人をソウザブは初めて可愛らしいと思った。美しいではなく。

「あー、晩飯なにかな?もう魚は飽きたから肉が良いんだけど」
「サフィラさん…お野菜もちゃんととりませんと…」
「今日はそれがしが奢りますから、二人共好きな物を頼むがよろしかろうかと」
「やった!師匠、愛してる!」

 抱きついてくるサフィラを妹のように温かい目で見守るエルミーヌの耳朶に、ソウザブの声が入った。

「ああ、そうだ。一緒に入りますか?風呂」
「ぶっ!?」

 サフィラが驚きで吹き出した。

 世間ずれしたソウザブは静かに己を見つめ直し、妙な方向に成長しだしたようだった。

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