東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

地下の反攻

「…農奴が消える?」
「ええ…まぁ脱走か何か何でしょうが。どうにも気味が悪いのですよ。あいつらと来たら哀れを装う影で何を企んでいるか知れたものでは無いですからな」

 温和そうな老人が背中を気にするように話す。
 旅は順調だったと言っていい。
 ベネシュ国は数多ある人間種が統べる国家の1つに過ぎないが、徒歩で回るとなると流石に広い。その中でソウザブ達は多くの依頼をこなしていた。家畜を狙う小鬼を倒し、亜人達と刃を交わし、脱走した犬を探しもした。そうした旅路の最中で訪れた農場の主から聞いた話が後々まで後を引くことになる。

「まぁ…農奴ですの…」

 農奴と聞いて、エルミーヌの微笑みがそのまま固まった。農奴は牧歌的な光景が広がるベネシュ国の闇の1つだった。この広い世界では別に珍しくない存在ではあったが、深窓の姫君であったエルミーヌからすれば世界を揺るがしかねない衝撃だった。彼女の生国であるアークラにも似た存在はいたはずで、それもまた波打つ髪の美女を悩ませる。
 話をした農場主が善人であるのも困惑の原因だ。得体が知れないと言っていい冒険者達にも礼儀正しくもてなしをしてくれたというのに、農奴に鞭打った話などを世間話のようにしてくる。
 自身も未来の夫であるソウザブとともに有るため、なろうことなら祖国アークラを再興するため、他の生命を殺めてきたという事実もあって農場主を非難する資格は既に無い。

 血筋によるものかそれなりに才能豊かであったエルミーヌは順当に力を付け、旅を開始して僅か数ヶ月で下位魔術を使用できる水準に達していた。共にあるソウザブとホレスからすればあまりにか弱い力ではあるものの、最下位の冒険者としては標準を少し超える。このまま行けば1年ほどで鉄の手枷を獲得できるかもしれない、長足の進歩である。

「ソウ様…少し探して見てはいけないでしょうか?」

 農場主に礼を言ってから屋敷を後にしたエルミーヌが切り出した。内心は穏やかでなくとも微笑みは崩れていない。

「おいおい嬢ちゃんよ。同情してたらきり無いぜ。しばらく旅してそりゃ十分に分かってるだろう?」

 横から口を挟んだホレスの口調は今ひとつキレが無い。彼にしてからが高名な戦士でありながら時折こうして慈善のような報酬で問題を解決して回っているのだ。説得力に欠けるとホレス自身も理解していたが、言わずにはいられない。
 こいつには優しくするがあいつには無理だ。そうした矛盾は全ての生命が抱えるが故にどうしようもない問題だった。

 ソウザブは恋人の微笑みを見つめた。エルミーヌの心は強い。強いが故に内に煩悶を押し込めてしまえる。ここに至るまでの道中での戦いにも思う所はあったのだろうが、口には出さなかった。農奴に関しては思わず口に出してしまったのだろう。ならばソウザブのやることは1つだ。成り行きとは言え愛し合う間柄になった姫が願い事を口にしたのは初めてだった。矛盾に満ちていようともそれを聞き届けることがソウザブの責任だ。

「確かに…何かしらの事件に巻き込まれている可能性もありますな。少しばかりそれがしが嗅ぎ回ってみるといたしましょう」
「おいおい」

 呆れたように首を振るホレスに頭を下げ、しばらくの不在を詫びる。強硬に止めようとはしないのはやはりホレスにも思うところがあるためだろう。

「ソウ様…言い出したわたくしがお傍を離れるのは…お一人でなんて」
「エル殿は単純に力不足です。ホレス殿は捜索には向いていません。第一、妻のたまの願いを叶えるは夫の務めだとか。ただし結果がどう転んでも調査が済み次第、次へ向かいます。よろしいか?」

 農場主から依頼が会ったわけでも、請け合ったわけでもないため報酬もない。ただ恋人の胸中を軽くするため、ソウザブは出立した。
 ソウザブは自身でも気づいてはいないが、この行動は彼もまた矛盾の徒であるためだった。汚れ仕事から引き上げられ自由を得てもまだ武で口を糊している。その事実はソウザブの中枢に澱のように溜まっており、噴出孔を求めていたのだ。


「なんとまぁ露骨なことで…」

 探索は本当に呆気なく終わりを告げた。聞き込みに加えて足跡を獣のように追った結果、元は何かの遺構らしき洞窟をソウザブは発見していた。もっともソウザブの手腕によるところではない。農奴を連れている人物に隠す気が無いためだ。もっと言えば誘ってさえいた。
 この場所に気付いた者もまたソウザブだけではないようで、足跡の中には簡素なサンダルや靴跡の他にもサバトンのものもあった。討伐に向かった兵士や騎士のものだろう。
 事件は農奴の誘拐だとか殺害などではない。農奴を解放して回っている者がいるのだ。領主たちも手をこまねいているわけでは当然無く、一度ならず秘密裏に討伐隊を送り込んでいる。解放者の存在は公然の秘密なのだった。
 体制側からすれば事態を収拾できないという事実を晒したくない。身分の低い者達からすれば義賊めいた行動には快哉をあげたいほど痛快な出来事であるため、声を潜めて賞賛する。あの農場主も恐らくはソウザブのような冒険者を利用するためにそれとなく伝えたに違いなかった。
 それでも解放者のねぐらに踏み込むことにしたのは、真面目に心配していたエルミーヌを馬鹿にされた気分になったからだ。もう一つ言えば解放されたからといって虐げられていないとも限らないためである。

 古びた石の壁。階段めいたなだらかな斜面は底へ底へと続いていく。ソウザブはこうした作りに覚えがあった。遥か昔にアデルウ大陸に君臨していた一大王朝の地下都市…なぜ地下に住んでいたのかは明らかになってはいなかったが、その文明群の遺跡に共通した作りだった。周囲の地形から観光名所になっているような巨大都市ではなく、集落規模だと思われた。この斜面を下っていけば広間に出るのが常だ。
 この旧文明の遺跡が賊の住処となることは珍しくない。宝はとうに奪われ尽くしており、訪ねるものは物好きな学者ぐらいのものであるため格好の隠れ蓑というわけだ。

「…歓声?」

 ソウザブの鋭敏な感覚は地下から湧き上がる熱気を感じている。自然によるものではなく、人から放たれるものだ。件の賊達は随分とお楽しみのようだった。
 斜面が終わる。予想したとおり広けた場所に出たソウザブは一瞬息を呑んだ。円形の壁にさらに下の段があり長い鎖に繋がれた騎士と粗末な革鎧の戦士が死闘を演じている。決闘の熱狂に耽る観客たちの身なりは様々だが、入ってきたソウザブに目もくれない。

「これは…闘技場か」
「そうさ。ここは俺のような連中が明日を夢見、神を目指して研鑽する場所ってわけだ。今上演されているのは騎士様と元農奴の試合だが…気が向きゃぁ仲間同士でやりあうときもある」

 入り口横の暗がりからの声にソウザブは驚かない。自分を注視している者がいることは最初から分かっていた。
 この光景を虐待とよんで良いのかどうか判断がつかない。素直に問いかけることにした。

「彼らは自ら望んで?」
「騎士様の方は自業自得だがな。勝てば解放してやるって約束になってる。うちの連中は見ての通り乗り気さ。皆が同じ夢を見て歩む…心躍る光景だとは思わねぇか?」
「さぁ…。戦いを楽しんだことは無いので何とも。農作業と大した違いは無いでしょうに」

 思わず吹き出したような音に男の方にソウザブは初めて目を向けた。赤銅色の髪をしたまだ年若い男…服は胸元をはだけ、奇妙な鉤爪を手にはめている。見た目からして奇抜だったが、ソウザブとしてはこの男が纏う気配の方が気にかかった。同じ戦闘を生業にするものでもここまで濃密な気は放たない。

「“先祖返り”にござるか。神を目指す…この催しは部下から同じ神域に到達する者が出ることを期待して行っているわけですな」
「おうよ。俺が成れたんだ。他の連中だって成れるはずだ…まぁ単純に鍛えるためでもあるがな」

 それ自体は珍しい話ではない。国家ならばどこでも行っている試みであった。成功したという話も聞かない上に、効率が悪いとしか思えないが。
 とはいえ軍事力を持たない一個人がそれを主導するというのは聞いたことが無い。真っ当な神経をしているならば部下が自分と同等の力を持つなど歓迎できることではない。
 一際大きな歓声が上がった。勝ったのは騎士の方のようだ。正式な訓練を経た者が勝利するのは当然の帰結であり、元農奴に奇跡は起こらなかった。敵であるはずの騎士に観客は万雷の喝采を送る。この集団に約束を違える気はなく、騎士の鎖は断ち切られ自由を与えられていた。

「ああして自由になった騎士様の中にもまた来てくれるやつもいるぜ。純粋な死闘は癖になる。拍手も声援も混じりっけなしで病みつきってやつさ。ここでは賭け事禁止でな…ただひたすらに成長のために武を競ってるってわけだ」
「成長のために。それがそれがし…いえ、ホレス殿を誘った理由で?あの農場主はてっきり依頼代を渋って送り込むために農奴脱走の話をしていたのかと思っていたのですが…最初から共犯だったのですな」

 ソウザブの咎めるような視線にも解放者は全く怯まない。むしろ笑みを深めた。

「共犯ってのはいただけないな。あの爺さんはここの熱心な観客さ。本来決闘は望んだ者同士がやるべきだが、誘い込んだのはすまねぇな。だが他ならぬ俺自身の成長のためにはあんたらが必要だったんだ」

 解放者はやおら観客席の壁に立ち昇り、大声を張り上げた。いかにも育ちの良くないしわがれ声だが、不思議と会場に染み通った。あれだけ熱狂していた観客達も熱を内に秘めながら静まった。

「野郎ども!勝者を讃えたなら次の演目だ!この俺様と!“先祖返り”の冒険者!神同士の戦いだ!」

 声が途切れると客席からは外まで届きそうな盛り上がりを見せる。“先祖返り”同士の対決は本来ならば国の威信をかけたような場でしか見ることはできない。それが見られるというのだ。身なりの良い者たちほど熱狂しているのは皮肉だろうか?ある程度学が無ければどれほど貴重な一幕か理解することができないのだった。
 客席に戻ってきた解放者はソウザブに告げた。

「あんたら冒険者は面子も大事なはずだ。断りはしねぇよな?ああ、本当は俺だってこんなやり方は趣味じゃねぇんだよ。だが世界を知っているあんたなら分かるだろう?同格の者同士の戦いがいかに貴重かってよ」

 母数が多いため人間種の“先祖返り”はそれなりの数がいるが、出会い、そして戦うなどそうそうあることではなかった。銀の冒険者が戦わずに逃げたというのは悪評とまではいかなくとも外聞は悪い。ソウザブとてこの場に集った観客たちを皆殺しにして口を封じようとまでは思わない。もはや解放者との決闘に挑むしか無かった。

「それがしの名はソウザブ。最初に貴殿の名を聞いておきましょうか。手加減する必要はなかろうな?」
「きでんと来たか。意外と良い家の坊ちゃん育ちか?まぁいい、俺の名はゼワだ!加減なんかしやがったらぶち殺すぞ!」
「…どっちにしろ殺す気ではないか」

 円形の闘技場。その中央で二人は睨み合う。

「成長。貴殿は既にどこででも名を上げられるだけの力を手に入れているだろうに、一体何を求めている?」
「ああ…?意外と察しが悪いな。まぁいい、俺の考えってやつを聞かせてやるよ。」

 いいか?と前置きをして解放者ゼワが語りだす。

「俺は元農奴だ。脱走して領主の兵に追われている時に“先祖返り”した。突然にだ。ならば同じように本当の危機ってやつに直面すれば更に上に上がれるかもしれねぇ」
「…は?」
「“先祖返り”が頂点だって誰が決めたんだよ。いや頂点ではあるのかもしれねぇが、その中でも優越はあるはずだ。聞けば生き物を産んだ神々は俺達とは比較にならんぐらいつえぇって話だ。ならよ“先祖返り”は入り口に過ぎねぇんじゃねぇのか?そんでもって上に行くにはもう一回覚醒しなけりゃならんのじゃないか?」

 思わぬ話にソウザブは目を丸くした。基本的に表情が動かない男としては珍しいことであった。「“先祖返り”には更に上の段階がある」…考えてもみなかったことだった。
 神の力を強いか弱いかでしか測っていないところはあったが、ゼワという男は頭も回るらしい。思えば農奴出身者だというのに語彙も中々に豊富だ。ただ力を振り回すだけではなく学も同様に練り上げてきたのだろう。それだけ真剣に神域を登りつめることを願っているのだ。さらに恐ろしいことに部下もそうなることを信じている。ソウザブはそう感じた。

「…理屈は理解しもうした。が…貴殿はやはりどこか気に入らない。夢を途中で覚まさせるとしましょう」
「良いじゃねぇか!気に入られないのは大歓迎だ!やっぱり戦いには熱が乗らねぇとな!」

 当人は意識していないが、ソウザブが他者への好悪で戦いに望むのは初めてのことだった。

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