東方戦士の冒険譚-顕現するは敏捷神-

松脂松明

お姫様救出へ

 クタレの町から少し離れた地に依頼人の居城はあった。驚いたことに依頼人は一帯を治める公爵閣下だった。爵位と領地は一致しないとは言え、城の大きさを見れば身代が少ないということも無さそうだった。見栄があるため、この域にある貴族ならば報酬を出し渋るということはまずない。「公爵様は冒険者への報酬も出し惜しみした」などと囁かれれば沽券に関わるし、後々にも差し支える。冒険者であるソウザブたちにとっては上客だと言える。

「…受けてきたぞソウ」
「それは善きかな。人助けだったようですね…気に入りませんでしたか公爵様は」

 とは言え既に英雄の名声著しいホレスにとっては多少の報酬など魅力的に映らない。その基準は完全に彼の趣味に合うかどうかだ。ソウザブに対してそうであるように、この厳つい冒険者は根が善人なのだ。冒険者らしく敵や気に入らない者に対しては鬼ともなり得るが。

「何が気に入らねぇって俺だけ歓待してお前は外ってところだ。しかもそれで俺の気分が良くなると思ってやがった。依頼は受けたが、出されたもんには手なんざつけてやらなかったぜ!ざまぁみろってんだ」
「ははぁ…毎度のことですが銀と金には差がありますからな。しかしそれで良く受ける気になりましたな。ホレス殿なら公爵閣下の顔に蹴りをいれるぐらいしそうなものですが」
「お前、俺を何だと思ってやがるんだ…いやいつもならするんだけどよ」

 依頼内容を聞いてソウザブは納得した。この地の隣に位置する小国。その国で政変が起きたため、一族の血が流れる姫君を救出して欲しいという依頼だったのだ。当然件の姫には追手がかかっており、ソレと刃を交える可能性を考慮すれば、なるほどホレス以外に務まりそうな人間はそうはいまい。関わりのある国とは言え国境を超えることにもなるので高位冒険者にしか依頼できないことでもある。

「公爵閣下は身内にはお優しい方のようで」
「どうだかな?助けて欲しいのはお姫様だけって話だ。まぁ政変ってんなら王様は既にお空の上か地面の下だろうが…他にも王族は多い筈だろ」

 王族というものも結局は国のための駒に過ぎない。政略結婚を筆頭に使える用途には事欠かないので予備の予備の予備ぐらいまではいるのが普通だ。
 そもそも件の姫君がまだ生きているとなぜ公爵が知っているのか?疑問は尽きない。

「何れにせよ時間との勝負…急ぎましょうか」
「だな。…ったく、お偉いさんに関わる依頼は面倒で仕方がねぇ。こんな依頼を受ける羽目になったのも全部組合のせいだ!金の手枷も考えものだな」

 ホレスは毒づく。国の垣根を越えた組織を作った初代“冒険者”が偉大であることに疑いはない。しかし後に続いて仕切るようになった連中は初代様の屍肉を漁る連中だとホレスは思っているのだ。この点について言えばむしろ狭量なのはホレスの方とも言える。初代冒険者への尊敬の念が強いがために実情以上に評価が辛くなってしまっていた。
 二人は足早に移動を開始した。目指すはここより西の国アークラ王国。政変が起きたとなればその名で呼ばれることはもう無いかもしれない国へと。


 国境を抜け、道は森の中へ続いていた。分厚い常緑の葉が冬の枯れ木を見飽きた目に嬉しい。ここに来るまでの“速い”足取りを止め、冒険者二人はわざとゆっくりと歩いていた。

「いや美しいですな。この時期にこんな緑が見れようとは…ねぇホレス・・・殿」
「全くだな!酒でも持ってくるんだったぜ…“ちょっと小便してくらぁ”」

 ソウザブはここで待っているとばかりに木にもたれ掛かる。ホレスは一人でソウザブが見えなくなるほど離れる。
 ソウザブから離れたホレスが立ち止まったその時…一本の矢が飛来した。

「っと!男の小便覗くのが趣味なのか?」

 声に答えてかなりの人数が現れる。装備に統一性は無く、武器は手入れもされていないのか錆が浮き刃も欠けている。浮かべた酷薄な顔はおよそ真っ当な戦士であるように見えない。正規兵どころか、真っ当な傭兵団に所属しているとすら思えない。どちらかと言えばならず者の集団といった手合いだ。

「コイツをやれば遊んで暮らせる。ボロい仕事だぜ全く。へっへっへ覚悟しなおっさんよぅ」
「そんな笑い方するやつ本当にいたんだな。俺は珍獣には優しいんだ。今なら見逃してやるが?」

 人数差が見えていないとしか思えないホレスの言葉に男達は下卑た笑い声を上げる。それを聞いたホレスは敵の戦力評価を内心でさらに下げた。例え技量や肉体面で劣っていようともそれを自覚している者はそれなりに手強い。だが眼前の男達にはそれすら無いのだ。

「外れか」
「あ?」
「少しは期待したんだがな…つまらねぇよお前ら。全員まとめて潰れろ!」

 背中の斧に手をかける。覆いを外すとその威容が露わになり、ならず者達は思わず息を呑んだ。巨漢の身の丈を超える両手斧。それには僅かの金属も使われてはいない。これこそが人間の英雄“竜殺し”ホレスの代名詞、かつて打ち倒した竜種の骨と鱗で造られた世に2つと無い武器。後の世にはなにがしかの名が付けられ、謳われることになることが約束された至宝だった。
 ホレスが斧を腰だめに構え、うちわのごとく斧刃の平で虚空を叩いた。旋風が巻き起こり、十人ほどのならず者が弾かれ木と地面に叩きつけられ息絶えた。のみならず木々さえ風圧で引き抜かれ地に伏せる。
 夢かと疑うような出来事に一人の男から畏怖の呟きが漏れ出た。

「せ…“先祖返り”…」

 “先祖返り”――この世界に生きとし生けるものは全ていずれかの神の血を引く。遥かな時が流れる内に、その偉大な能力も上古の時代に選び取った加護以外は既に消え失せていた。だが極稀に生まれつきや惨憺たる鍛錬、あるいは修羅場の果てにその異能を僅かなりとも取り戻す者が現れる。それこそが“先祖返り”。歴史に名を残す数多の英雄たちの多くが“先祖返り”だったと言われているのだ。
 森のような場所で長柄の武器を使うなど馬鹿がすること。そんな常識をあざ笑うかのようにホレスが斧を振り回す。直接刃に触れたものなどいないにも関わらず、それだけでならず者達は壊滅した。わざと生かされた頭目らしき男を除いて。

「くそっ!ソウの方が当たりだったか!…まぁいい、お前にゃ聞きたいことがたっぷりあるんだ」
「ひぃ!寄るな化け物!」
「おうよ化け物さ。今時珍しくも無かろうがよ?」


 ゴロツキ共が全滅した。その事実を外套を着た男は少し離れた場所で知覚していた。男はならず者同様に政変の首謀者から雇われた身ではあったが、役割が異なる。彼は諜報を生業としていた。世に名を知られてはいないことこそ彼が一流であることの証左だった。
 “仲間”達が死んだというのに男は驚いてもいない。始まる前に決まりきっていたからだ。長年の訓練による成果で顔には出ないが男は雇い主の愚かさを笑っていた。
 謀略家を気取っているつもりらしいが、高々100や200の雑魚で“竜殺し”を相手にできると思っているのだから自身が世を知らぬと宣伝しているようなものだ。竜を一体相手取るのに兵が一体何人必要だと思っているのだ?魔術師がいなければ万でも足りはすまい。それを実際に倒した男が相手だと言うのに!
 雇われたとは言え金銭による契約で敬意を持ってやる義理は無い。雇い主に褒めるべき点など自分を雇ったということぐらいだろう。それについても使い方を誤っている。そもそも目的の姫を追う役目を自分にやらせてしまえばいいのだ。

「それで?あなたが本命ですか?」
「…っ!?」

 突然投げられかけた疑問の方角に外套の男は咄嗟に攻撃を加える。男は己の感覚に絶対の自信があり、たとえ気配だけを目当てにしても距離を図り違えた事は無かった。だが手応えは無く、声の持ち主が立っていたはずの地面が抉られただけだった。
 声をかけたのは英雄の相棒たるソウザブ。粗末な剣を携えて密偵を仮面のごとき無表情で見据えていた。

 男は任務を真っ当すべく万全な状態を整えていたつもりだった。風下に立ち、気配も絶っていた。身に纏う外套はこの地の風景に溶け込む模様を選び、目と鼻の先にでも立たない限り見つかることすらない筈だった。それを見つけたということは――

「…同業者か」
「元が付きますがね。役割も異なるでしょうが闇に生きてきたという意味では同じでした」

 男が声を発したのは既に逃げることも叶わないと知ったからだ。かなりの距離を取って感知に努めていたにも関わらず短時間で到達してきた。感知もできなかったとなれば気配を消してきたのだろうが、それでも尚その速さということは恐らくはこの相手もまた…。
 愚かなのは自分の方だったと男は悔いた。最上位の冒険者が連れ歩いている男が常人である筈もない。鉄や木の冒険者ならば弟子と見ただろうが、眼前の人物は銀の腕輪。そこまで位階が上がれば単身で独立するのが常だというのに共にいたとなれば、英雄にとっても有能な人物だと見るべきだったのだ。だとすれば分からないことが1つ。

「なぜ声をかけた。貴様であれば察知すらされずに俺を殺せた筈だ」
「名誉ある敵の名前ぐらい知りたかった…なんですその顔は。そんなに不思議ですかね?戦士ならば普通のことでは?」

 男は虚を突かれて長年の習慣すら捨ててしまっていた。表情を変えるなどいつ以来のことか、もはや男にも思い出せない。闇に生きてきた男にとって敬意や名誉など無縁のモノだった。有能な雇われ密偵など好かれる筈もない。事実、依頼を達成した後に命を狙われるなど何度経験したことか。
 男は困惑に耐えかね重ねて質問を口にした。

「なぜ名誉あると?」
「あなたの隠形は素晴らしかった。そしてそれほどの腕前がありながら、あなたは職分を侵さなかった」
「…」
「あなた自身が姫を追うか殺すかしていれば既に我々は敗北していたでしょう。雇用者の間違いに気付きながらも、功績に飛びつかなかったのはあなたに誇りがあるからだ」

 確かに誇りはある。あくまで依頼されたことのみ行うのもそこから来ているのだ。例えどう思われようと鍛錬の末に得た仕事だ。
 男は胸に湧き上がる感情が何なのか思い出せない。例え命を奪われようと口を割ることなど無いと言うのに、彼の顧客達は決まって口封じを試みてきた。それでも密偵を辞めずに生きてきて、よりによって敵が彼を誇り高い男だと讃えていた。
 どの道もはや逃げることは不可能。敵の速度は自分を上回り、恐らくは武技においても同様。ならば…

「俺の名はフィンレイ村のセリグ!貴様と戦う男の名だ!」
「ジビキ家のソウザブ。あなたを倒す男の名です。行きますよセリグ殿」


 セリグの手元が動く度に土が抉られる。ソウザブの目にも僅かな影としか写らない武器。ソウザブであればこそ物理的な攻撃と見切って、手の動きから軌跡を予測して回避が可能なのだ。余人であれば魔法の類と誤認するだろう。

「暗器…では無い。鞭ですか…よくもここまで自在に操れるものです」
「その動き!貴様もやはり“先祖返り”か!」
「それがしの故郷では“神成り”とか“祖霊降ろし”とか呼ばれていたものですが」

 ソウザブの動きは残像すら見える程の速さだった。ホレスが膂力ならばソウザブに現れた恩恵は俊敏さと言える。一方のセリグは先祖返りではない。誰しも到達し得るなら苦労は無いのだ。
 しかし常人と“先祖返り”で戦いが成立するなど常識では考えられない。セリグは勝利したことこそ無いが、“先祖返り”相手に逃げ切ったという快挙を成し遂げた経験があるのだ。もっとも…かつて戦った“先祖返り”は速さにおいては人間の範疇だった。だから逃げられたに過ぎない。それはセリグも理解している。

「だが!この技はお前たちのような奴を相手にするためにあるのだ!」

 その時の経験を活かしたのがこの特殊な金属で造られた鞭とそれを繰る技法だった。いかに鋼の肌を持とうとも打ち据えられれば怯む、いかに速かろうが熟練者の鞭は音の速さを超える。軽く硬いミスリルで外殻を覆い、魔水銀を内側に納めた鞭ならば“先祖返り”すら打倒し得る。
 そして軌道を読まれないための戦法。外套で補っているとは言え、どれだけの鍛錬を積めばこれほどの域に至るのか?しかし、そこまでの努力もセリグの身を神域に至らせることはできなかったのだ。

 何を戦士の真似事のようなことを自分はしているのか?セリグは自嘲する。目の前の敵から逃げられないというのは自慢の鞭が掠りもしない事実から正解だったと分かる。だがそれなら自害してしまえば良かったのだ。謝って降伏してしまえば良かったのだ。敵の賛辞に気を良くし、わざわざ正面から怪物に立ち向かうなど…これではまるで自分が戦士に成りたかったようではないか!?分からない。分からない。分からないが…奇妙に心躍る。
 繰り出す攻撃は全てが渾身。対するソウザブは軽快に左右に飛び躱しながら、徐々に距離を詰めていっていた。約束された結末が訪れようとしている。
 それでもなお攻撃を止めないセリグは対手の動きに感嘆する。何気なく飛び跳ねているようで、舞踏のような洗練された技法が見え隠れしている。なるほど、これは自分などでは至れないはずだ。そう思った時にはソウザブの顔が近くにあった。

「たまには…愚かになるのも悪くないな?」
「ええ。それがしもそう思います」

 最後の相手が生まれつきの“先祖返り”などで無くて本当に良かった。道半ばで諦めてしまっていたが自分が歩んでいた鍛錬の道。その先に神域は確かにあったのだ。
 予想もしていなかった満足を得ながらセリグの首は胴体に別れを告げた。

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