Milk Puzzle

巫夏希

10: Day after tomorrow (3)

「……覚えているかい。君と僕が出会った頃の話だ。君は突然声を掛けてきたよね」


優しく、語りかけた。
それから語ったのは、色んなことだ。
ミルクパズル症候群について。
彼女と僕の『会話』について。
それからの話について。
今まであったことを、包み隠さずに話していた。
看護師や医師は気がつけば部屋を出ていたので、いつまでも時間の許す限り話を続けた。



話を終えたところで、医師が入ってくる。


「……やっと親御さんと連絡が取れました。さすがに娘が危ない状況でやってこないとはどういうことだ、と言ってしまいました。いやはや、私もまだまだですね。冷静に話をしないといけないのに、つい熱くなってしまった……」
「お疲れ様です」


つい、お疲れ様ですと言ってしまった。職業病の一つととってもらえればいいだろう。というか、そうとってくれ。
彼女が目を開けたのは、ちょうどそのときだった。


「――さん? 大丈夫ですか!」


医師は彼女に声を掛ける。
それに対して彼女はゆっくりと呼吸器に手を伸ばす。呼吸器を外してくれ、ということなのだろうか。


「何か話したいことがあるのかい?」


こくり――とゆっくり頷いた。
分かった、と言って医師は呼吸器を外した。
彼女は、ゆっくりと何かを口にした。
それは大きい声じゃなくて、かすかな声だったから――聞き取りにくい声だったかもしれないけれど、それでも覚えている。それでも、鮮明に覚えている。



――ありがとう。



そうして、彼女はゆっくりと目を瞑った。
それから彼女が目を覚ますことは、なかった。




あれから、僕は二年前の記憶を定期的に自分の脳にインプットしている。
どういうバグが発生するか分からないから、脳にインストールする記憶は事前に調査する必要があり、保証がついていないとインストールは禁止されているのだが、そんなことは知ったことではない。
保証なんかで、彼女との記憶が失われるくらいなら、保証なんてないほうがいい。



最初は、彼女との会話を続けていくことは、ほんとうに正しいことなのか――そんなことを思っていた。
ウェイト=ダグラス宣言に違反することは間違っている、そう思っていたからだ。
でも、彼女と話す内に、そんなことはどうでも良くなった。
記憶を失うことは間違っている。そう思うようになったからだ。
十二年が経過しても、あれから科学技術は思ったように進歩していない。それどころかミルクパズル症候群に関しては足踏み状態と言っても過言では無いだろう。
きっとミルクパズル症候群は永遠に治療法が分からないまま、続いていくのかもしれない。
それも悪くないだろう。
結局の所、僕は記憶を忘れることは悪くないと思っている。
けれど、忘れたくない記憶だって――きっと誰もが持っているはずだし、それは人によって良い記憶だったり悪い記憶だったりするかもしれない。
でも、その基準は一定じゃない。人それぞれの基準があり、人それぞれの記憶がある。
それを僕は――忘れることはないだろう。



End.

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