ぼっちの俺、居候の彼女

川島晴斗

act.2/1日目

 放課後になると、プシューっと溜まったガスを体から口から吐き出し、俺は静かに帰り支度を始めた。

「やぁっ」
「……あん?」

 俺にかかる女の声があり、顔を上げる。
 すると、昼休みに見た、スーパーで見る死んだ魚の眼よりも黒い瞳を持った女が、ケツまで紐の伸びたリュックを背負って立っていた。
 彼女の黒髪と冷めた表情を見て、昼休みのやり取りを思い出す。

「あー、そういや約束したな!」
「……忘れないで欲しいんだけど」
「スマンスマン、どうでも良い事は6割の確率で忘れるんだ。まぁあれだ、こっから歩いて5分の所だし、ゆっくり歩いてこーぜ」
「うん……」

 彼女の暗い声と共に俺は立ち上がり、彼女の持つよりも一回り大きいリュックを背負った。
 そこで、俺は気付く。

「お前、家出なんだろ? 荷物それだけ?」

 そう、彼女のリュックは家での割に小さ過ぎた。
 俺のリュックはPCやキーボードが入ってるのでどうしても大きくなるのだが、彼女のはパジャマともう2〜3着ぐらいしか服が入りそうにない。
 いや、これから夏だから衣類も詰めれば小さいし、置き勉して入ればもう少し入るが……。

「……また買えば良いから」

 ポツリと呟かれた一言に、俺は妙に納得してしまった。
 俺も、高校で一人暮らしを始めた時は、そんなもんだったから。
 と言っても、さすがにパソコン類やキーボードはわざわざ新しいのを買ったりしなかったが。

「じゃ、行くか」

 俺が歩き始めると、少女――名前は忘れた――が付いてきた。
 昇降口までずっと無言で、一応ヘッドホンは外していたのだが、付けることにする。
 mp3プレーヤーを弄り、お互い無言で校門を出た。

 まだまだ青い空の下を2人で歩いて行く。
 俺は自転車に自分の荷物だけを乗せて押し歩く。
 少女はじっと俺のことを見ているだけだった。

「着いたぞ」

 俺は目の前の建造物を見てそう言うと、少女は少し驚いたように目を丸くした。
 普通のマンションだ、なんら驚く事はないだろう。

「自転車止めてくる、エントランスで待ってろ」
「え、えぇ……」

 俺は自転車をカラカラ言わせながら少女の返答を待たずに歩き、駐輪場に自転車を止めた。
 そして程なくしてエントランスに入り、エレベーターのボタンを押す。

「……明星くん、このマンションは一室、月何万なの?」
「5万5千。大家さんが良い人でさー、5千円マけてくれてんだよね」
「月に、5万5千円……? 学生の一人暮らしにしては、金額が……」
「仕事してるからな。株もちょっとやってるし」

 短い会話を終えると、チーンという間抜けな音を立ててエレベーターが開く。
 俺と少女が乗り、3階のボタンを押すとドアが閉まる。
 程なくして再度エレベーターが開き、短い廊下を歩いて家の鍵を取り出し、自宅の鍵穴に刺した。
 鍵を半回転させてノブを引き、暗い室内に入った。

「帰宅〜」
「……お邪魔します」

 俺に続いて少女も部屋に入ってくる。
 名前も知らない子を家に入れるのは、きっと俺ぐらいじゃなかろうか。
 クラスメイト――それしか接点がないのに、よく俺はこんな奇行に走ることができたもんだ。

 そんなどうでも良いことを考えつつリビングに入って灯りをつけた。
 スイッチを切り替えただけでリビングにあるシーリングライトが点灯する。

 リビングは味気ない場所だった。
 フローリングの上にローテーブルがあり、端の方に冷蔵庫、食器棚、台所があるだけで、テレビも何もない。
 とても殺風景な6畳のリビングを見て、少女はこう呟いた。

「……寂しい場所」
「悪かったな。リビングなんて食いもんが作れればそれで良いだろ」
「…………」
「そこの扉が閉まってる方は好きに使ってくれて良い。この黒いお札が貼ってある方が俺の部屋。家の中のものは金以外なら好きに使え。以上」

 短く告げると俺は自分の部屋の扉を開き、素早く中に入った。
 またスイッチを変えて灯りを付けると、呪いにでもかかったように気持ち悪い部屋が目に入る。
 部屋中にお札や死神とか幽霊とかそういうキモいものが載っているポスターなんかが貼られ、見るのも嫌になるような部屋だった。
 俺はハンガーラックにブレザーを掛け、手早く着替えを済ませてからリュックを開き、机にあるデスクトップPCとノートPCの電源を入れた。

「あの依頼明後日までか……。納期延ばしてくんねーかな〜」

 起動待ちの間、そんなことを呟いた。
 俺はDTMで音楽を作りそれを売っている。
 一昨日届いた依頼は1曲8万円というものだったが、3日で歌メロを4曲作れという高校生には無理なもので、まだ終わっていなかった。
 なんとか期限に間に合うよう努力するが、学校などというなんの意味もない場所にいるせいで時間が足りなさそうだった。

 高校生作曲家というのはポツポツと芽が出ているけれど、まだまだ全体で見たら人口が少なく、若き才能だとかマヌケを抜かす大人からの作曲依頼は絶えない。
 こっちは金さえもらえれば良いし、同人サークルでの作曲っていうのにも手を出して、それなりに金が入ってくる。
 まぁ、入ったサークルが良かったんだろう。
 大半のサークルはCDが完売にすらならないんだから。

 PC2台で作曲を進めて行く。
 2台あると見やすくて便利だが、たまに寝ぼけると片方しか見なくなるから怖い。
 キーボードを押したり、マウスで入力したり。
 かれこれ1時間が経っただろうか、そこで一度ヘッドホンを外す。

「そういや、居候が居たんだっけ」

 集中が切れると思い出すように呟いた。
 名前も知らぬ女生徒は作業中一度も部屋に来なかった。
 普通なら、初めて来た家に放置されれば帰ったり、色々俺に聞いて来たりするだろうに。
 聞いて来ないってことは帰ったか――なんて希望を抱きながら、俺は部屋を出た。

 少女はリビングに居た。
 長い黒髪をフローリングに垂らして座り、ローテーブルに教科書やノートを広げて勉強している。
 真面目な奴だ、と思った。
 死んだ目をしている奴は大体勉強しかやる事も無いって音楽関係の友人が言ってたが、コイツもその類なんだろう。

「おい、頭のネジが2、3本外れた女」

 とりあえず罵倒を交えて呼んでみる。
 すると彼女はペンを置き、少し目を細めて俺を見た。

「……何?」
「Unfortunately(残念な事に)、俺は忙しい。今晩はカップ麺で乗り切るか、金を出すから外食してこい。出前の紙は電話横のファイルにあるから、それも可」
「……りょーかい」

 少女は消え入る声で返事をすると、またペンを手に取った。
 背筋を伸ばして勉強する姿は美しく見えなくもない。
 しかし、それでいいのかコイツ。

「お前、俺に質問とかねぇの。質疑応答の時間を5分くれてやる」
「……別に。こっちの部屋の押入れに布団が入ってたし、食にも困らない。一応衣食住は揃ってるわけだから、暮らしていけるし」
「そうかよ。風呂は後で沸かすから先に入りたかったら言え、じゃなきゃ俺は勝手に入るから」
「…………」

 華麗に無視を決め込まれ、話したくないならいいやと、俺はまた部屋に篭るのだった。



 ×



 20時ぐらいに風呂を沸かして入って、少女が風呂に入ると、俺は携帯と通帳をポケットに突っ込み、コンビニに向かった。
 遅い夕飯を買うのだ、家にカップ麺あるけど。
 ラーメンや焼きそばの気分じゃなくなり、新発売とか書いてあったはずの焼肉弁当を買おう、そんなどうでもいい魂胆である。
 通帳を持って来たのは、家に名も知らない奴が居るのだから当然だろう。

 闇夜の中、白く光りの灯ったコンビニに足を踏み入れた。
 店員のかったるそうな、らっしゃっせーという言葉を掛けられる。
 その声を気に止める人は多分居ないだろう、俺も気にしない。
 お弁当コーナーまで行くと、俺は絶望的な光景を目にした。

「……マジで?」

 壁に向かって問い掛ける、当然答えは帰って来ない。
 弁当コーナーには、納豆巻きと、小さいくせに380円もする謎の贅沢弁当のみが残されていた。

 夜9時だし、これも仕方ないとは思う。
 ここのコンビニの廃棄は20時だったはずだ、そこで残った弁当も減る。
 次の弁当がトラックで運ばれてくるのは偶然居合わせたから1時半だとわかっていた。
 それまでこの棚に弁当を見ることはない。

 渋々隣の列にあるパスタをを1つ、手に取った。
 居候は金も気にせず鰻重を食ってたのに、なんとなく負けた気がする……。

 だが無い物は無いし、渋々レジの前に立った。

「らっしゃっせ〜、って、なんだお前か」
「お前か、じゃねーよ」

 店員にガッカリされるなど失礼千万だが、目の前に立っている奴は中学の同級生だった。
 190センチ近くの長身にがっしりとした男で黒い短髪。
 爽やかな顔の店員は胸元に津久茂つくも一弥かずやと書かれた名札をつけていた。

「こちら498円になりまーす。温めますか?」
「客を馬鹿にするなよ、電子レンジぐらい家にあるわ!」
「いや、そんなこと聞いてない」
「温めで」
「何事もなかったかのようにスルーすんなよ」

 ぶつくさ言いながら津久茂は電子レンジにパスタを入れた。
 そしてすぐ戻ってくる。

「コンビニバイトとは御苦労なこった。もっと効率よく金稼げるだろうに」
「俺には下地ベースが無かったから、金を稼ぐ技能がねーんだよ。お前は小1までピアノやって、音楽作り始めて……才能っていいよなぁ」

 淡々と俺の過去を喋り出す津久茂。
 才能――無くはないだろう。
 そうじゃなきゃ、作曲依頼は来ないから。
 でも、そんなこと言う津久茂だって……

「うわー、資格10個以上持ってる奴が言うと超ウゼェ」

 げんなりして言うと、津久茂は苦笑した。
 この男は英検や漢検以外に、書写技能、電卓技能、相談アドバイザーみたいな資格を持っている。
 なんでもやるし、なんでもできる。
 それがこの男の長所だった。

「うるせぇですよお客様。さっさと金出しやがってください」
「金は出さん。Tuicaで」
「ほい」
「ポイントカード聞けやボケ。持ってないけど」
「知ってるから聞かねーんだよ……」

 カードを押し当てていると、ピピッと音が鳴る。
 すると津久茂はレジを打ち、レシートを渡してきた。

 一応カードの残高を確認してから捨てると、続いてパスタの入った袋を渡される。

「お待たせいたしました」
「フォークの代わりにアイスのスプーンとか入れてねぇだろうな?」
「そんな事したらクビになるわ」
「だよね」

 なんて、しょーもない会話を最後に俺は店を出る。
 津久茂は中学で唯一の友人だった。
 俺とアイツは、他の学生とは質が違ったから。
 学校に来ても遊んでる奴ら、勉強もせずに時間だけを浪費する同級生、部活なんていう殆ど将来の役に立たない活動。
 そのどれにも属さず過ごした俺と津久茂は自然と話すようになった。
 周りの人間が全員猿に見える、そう思えたから。
 人間同士で会話して、初めて生きてると感じられた。
 だからだろうか、こんな時間にコンビニへ行こうと思えたのは。

 などと思考している合間に、俺は家の前に着いた。
 鍵は多分掛かってない、俺はドアノブを回し、家の中に入った。

「……あ、お帰りなさい」

 昼頃よりは少し潤った少女の声が、玄関に聴こえる。
 この家の洗面所は隣接する風呂とトイレとは違い扉が無く、鏡の前で水色のパジャマに着替えた少女を見つける事ができた。
 鏡を見ながら、ドライヤーで美しい黒髪をブローしている。
 昼間には見えなかった少女の笑顔が鏡から見える。
 にこやかに笑い、風呂上がりだからか、白い頬は桃みたいに熟れていた。

「…………」

 少しだけ、彼女の姿に見惚れた。
 女の子と同棲――わかっていたはずの言葉の意味を、俺はようやく実感した。

「……どうしたの?」

 ドライヤーの電源を切り、少女は止まったままの俺に振り向く。
 ハラリと揺れるロングヘアがフローラルな香りを撒き散らす。

「いや、なんつーか……」

 言葉が出なかった。
 女と過ごすってこういう事――妹が居るから知っていたはずなのに、初対面の女だとギクシャクする。

「……フフッ。私に見惚れてた、とか?」
「思い上がるな居候。黒髪ロングのストレートなんて幽霊と見分けがつかないからビックリしたわ」
「ちょっ……酷いなぁ……」

 シュンとしてしまい、少女は鏡に向き直ってドライヤーを頭上に持っていく。
 とっさに口が回って助かった……いや、助かってないのか?
 わからないが、心を落ち着かせるためにパソコンの前に帰るとしよう。

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