オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

最終話 『希望』

「それで、どうします?」

 黒岩が尋ねた。
 ヒカルは、黒岩を見つめながら言った。

「もう……見出せてんだろ、世界線を元に戻す方法」
「はい。ですがそれには、やはりお二方のどちらかが消えていただかなければならいようです。本来、同じ世界線には同じ人物が二人も存在出来ませんから」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「はあ……こちらに……」

 黒岩が右にずれると、ヒカルから見て部屋の右側に、機械でできた椅子のようなものが用意されている。それは、ヒカルがこの世界線に戻ってくる時、用いた椅子に似ていた。ヒカルは、それを見ると黒岩が言おうとしていることを察した。

「これで……俺が消えれば、この事態は収束するんだな?」
「はい、その通りです。ところで、貴方はご自分が消える覚悟が出来ているのですね」
「あぁ。だから……そのために来た」

 ヒカルは、黒岩の顔を真剣に見つめている。黒岩も、そんなヒカルを見つめ返し、また微笑を見せてきた。

「……わかりました。では……こちらに」

 黒岩が、そう言ってヒカルを椅子の方へ案内するように自らの手を動かした。ヒカルもそこに行こうとすると、右腕に少し違和感を覚えた。ふり返ってみると、ヒカリがヒカルの腕を引っ張っている。

「ごめんな、ヒカリ。いつか必ず、迎えに行くから。……だから少しの間、待っててくれよ」

 ヒカリは何も言わず、ただヒカルの足元だけを見つめている。ヒカルは仕方なく、彼女の頭を撫でる。すると、彼女は顔を上げた。やはり、ヒカリの目には涙が溜まっている。やがて、彼女の口が小さく動いた。

「行かないで……」

 その声は、怪しい機械音が響く中で、はっきりとヒカルの耳に響いてきた。ヒカリは、ヒカルの腕をつかんでいる手を強めた。彼女の気持ちを思うと、先ほどまで膨れ上がっていたヒカルの決心は急に委縮し始めた。

「やっぱり……私、ヒカ君がいないとどうしていいかわからなくなる。今の私には……、ヒカ君のいない世界なんて、とても考えられない。……考えたくもないの」

 そんなことを言われたのは、ヒカルの人生では初めてのことであった。これがリア充というものなのだろうか……と、ヒカルは一人考えた。

 ふと、後ろから視線を感じる。……黒岩だろう。しかしヒカルはこの時、ふり向く気になどなれなかった。そして、ヒカルの脳にある疑問が浮かんでくる。
 ヒカルはふり返り、黒岩に尋ねた。

「なあ、もしも俺がいなくなったら……またこいつのところに帰ってこられるのか?」
「ええ、はい……」

 黒岩は、気まずそうに答えるのだった。そしてヒカルはヒカリの方に向き直ると、彼女に伝えた。

「大丈夫だ、戻ってこれるんだってさ。だからしばらくの間、辛抱してくれよな」

 ヒカルは、彼女を安心させるように言った。その話を聞いて、ヒカリは少し笑顔を取り戻したように笑ってくれた。それを見ると、ヒカルも安堵した。そして、

「そうだ。俺、今からこの人と二人だけで話がしたいから、ヒカリはしばらく外に出ててくれないか? 大丈夫、すぐに終わるから。少しの間、我慢してくれるか?」

 とヒカリにきくと、彼女はこくりと頷いた。そしてヒカルの腕から手を離し、ヒカルの後ろにいる黒岩を不思議そうにちらと見た後、ドアを開けて出ていった。
 ドアが閉まると、ヒカルは黒岩の方に向き直った。この時、ヒカルには確信があったのだ。あの時――黒岩が嘘を吐いたと。

「彼女がいない間に、ほんとのことを教えてくるか?」
「はい……。しかしながら、本当に良いのですね?」
「……何がだよ」
「わたくしが所持している回答は、貴方が期待しているものとは違うと思うのですが……」
「それは俺も知ってる。それなりの覚悟が出来てる。だから……あいつを追い出したんだ。あいつは、俺が帰って来るものだと信じてる。あいつを――ヒカリを、これ以上がっかりさせたくない。それだけなんだ、俺の願いは――」

 ヒカルは俯いた。再び、涙が頬を伝うのがわかった。そんなヒカルに、黒岩が話した。

「貴方も、相当な覚悟をなさっていることでしょう。この世界からいなくなるということは、死ぬのと同じことですからね。では、お答えしましょう。貴方は一回消えてしまうと、もう二度とどこの世界にも帰ってこられなくなります。それだけではなく、この世界で暮らしている人々からは、貴方との記憶が消えてしまいます。勿論――彼女からも。ヒカリさんは初めから、この世界線の貴方として生きていたことになります。ですから、性が逆で違う世界線の貴方は、初めからいなかったということになるのです」

 ――それはヒカルも気づいていた。それなのに、何故か悲しくなるのだった。ヒカリは今頃、部屋の外でどのような心境でいるだろうか。

「あまり時間がありませんので、そろそろ始めましょうか」

 不意に、黒岩が言った。ヒカルも、再び覚悟を決めた。ヒカリに幸せを与えるために、自分はいなくなるしかないのだ。

 ヒカルには、少しの後悔があった。約一年前の春、あの時間にあの道を通らなければ、この怪しい男に出会うことはなかったかもしれないと。もしも、あの薬を飲まなかったら……互いにこのような思いをしなくて済んだのではないかと……。ただ、見方を変えればヒカリと恋が出来たのは、黒岩のおかげかもしれない。だから、いなくなることに対して、ヒカルはあまり後悔してはいなかった。

 ヒカリが扉を開け、中に入るとすでにヒカルは機械の椅子に腰かけていた。ヒカリは、ゆっくりとヒカルに近寄った。

「起動に少し時間がかかりますので、話くらいなら出来ると思いますよ」

 椅子のすぐ近くに、本体のような機械があり、その横で黒岩が言った。台のようなものにコンピュータが置いてあり、中にはぎっしり複雑なプログラムのようなものが書かれている。ヒカリはそんなものには目もくれず、しゃがみ込んでヒカルの手をそっと握った。

「ヒカ君……ほんとにこれで良かったのかな……」

 この期に及んで、ヒカリはまだヒカルのことを心配しているようだ。ヒカルも、最後に彼女に辛そうな顔は見せまいと、笑って見せた。

「あぁ、自分で決めたことだからな!」

 そして、ヒカリの手を優しく握り返した。彼女の手は、すっかり冷えてしまっており、いつものような温かさはなく、ただ冷たいばかりであった。それでも尚、ヒカルは最後に自分の手の温もりを彼女に分け与えようと、力一杯握った。
 すると突然、椅子が音を立てて震動し始め、椅子とヒカルは青い光に包まれる。ヒカリは咄嗟に、逆の手でヒカルの肩をつかんだ。彼女から、今度は涙が滝のように溢れ出す。しかし、ヒカルは泣かなかった。泣けなかったのだ。笑顔で別れよう、初めからそう決めていたからだ。

「……じゃあな、ヒカリ。お腹の子、よろしくな」

 ヒカルのその優しい声も、徐々に小さくなっていくのがわかった。ヒカリは必死にそれを止めようと、ヒカルの膝に自分の膝を乗せた。次の瞬間、二人の唇は重なった。あの日のことが、不意に二人の間で蘇った。布団の上で、初めて互いの唇を重ねたあの夜。あの出来事があったから、ヒカルはヒカリを異世界線の自分ではなく、異性として見始めたのかもしれなかった。

 ヒカリがヒカルから唇を離すと、ヒカルを見つめてこう言った。

「大好きだよ……、絶対に帰ってきてね……!」

 最後は笑顔であった。ヒカルもそんな彼女の顔を見て嬉しくなり、

「……ありがとう」

 と言って手を伸ばそうとした瞬間、強い光が二人を――部屋中を包み込んだ。やがて光が消え、再び暗くなる頃にはヒカルはもうどこにもいなかった。ヒカリは椅子の前に膝を落とし、泣き崩れた。その声は、薄暗い部屋の中に轟き続けた。

 ヒカリは泣き叫んでいる間、何かが自分の心から離れていくような、そんな気分を味わった。ヒカルという人物が、自分の記憶からどこか遠くへ飛び立っていってしまうような――そんな不思議な感覚だった。
 ヒカリは、それを絶対に離すまいと両手を強く胸に当て、何かを抱きしめるような仕草をした。その涙は、確かに彼女の膝元を濡らし続けた。それは時折、俄雨のように儚くも見えた。ヒカルとの思い出――ともに過ごした日々――それがたとえどんなに儚く、束の間の夢であったとしても、それを忘れるわけにはいかない、とヒカリは強く思った。

 誰かの視線を感じ、ヒカリは顔を上げると、彼女は一筋の光が見えたような気がした。それは悪戯に一瞬だけ光を放った後、切れた蛍光灯のように消えていった。しかしヒカリは、それは何故か、世界を飛び回って世界中の人々を照らし続けているような気がした。
 リア充、非リア充……。そんなものは関係なく、誰もが幸せを手に入れることが出来る。そのことを、以前のヒカルやヒカリと同じ悩みを抱えた世界中の人々に示すために――。

 人間は、生まれながらにして皆平等である――――。

 その言葉は、恋愛に置き換えたとしても、考え方によっては通じるのである。ヒカリは、それをヒカルから学んだのだ。そして、これからも――。

 「希望」、それは時に光に変換されるのである。輝きがあるからこそ、人に生きる望みを与えられるのだ。人を照らし、そして夢を描かせる。ヒカルは、そんな光になったのかもしれない。


 ――真宮希望ひかる、二十歳。その光は、何十年経っても、何百年経っても色褪せることなく、誰かを照らし続け、決して消えることはないだろう。

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