オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第七十五話 『辞去』

 ヒカリに見られてしまい、ヒカルはしどろもどろになった。そんなヒカルの気を察したように、夏希はヒカルから離れた。それから、何も言わずに厨房の方へと引っ込んでしまった。ヒカルはヒカリの方を見ると、彼女が視線を逸らしてきた。ヒカルは、ヒカリに声をかけようか迷った。そうしているうちに、ヒカリもまた、黙って向こうへ行ってしまった。ヒカリが自分と夏希を見てどう思ったのか、それはヒカルにも簡単に想像出来る範囲であった。
 ヒカルは、ヒカリを追っていった。彼女は、テーブルの席に戻って座っていた。ヒカルは彼女の前の席に腰を下ろし、こう言った。

「なあ……。ちょっと話があるんだけど」
「何?」

 ヒカリの反応は、やはり素っ気がなかった。この状況下において何を考えているのか、と責められる覚悟はしていたが、冷たい反応をされる方がヒカルには精神的に堪えるものがあった。それでも、ヒカルは話を続けた。

「あいつ、高校の時の同級生だったんだけど、お前も知ってるだろ?」

 そう尋ねてみても、ヒカリは何の反応も示さなかった。ヒカリの世界の夏希は、雪也のことが好きだというヒカリの気持ちを知っていながら、雪也とつき合い始めたのだ。そう、裏の世界線で彼女の身体の中に入っていた時、ヒカルは夏希から聞いた。ヒカリは、そのことでも夏希を恨んでいるのだろう。ヒカルまで盗られてしまったと、拗ねているのかもしれない。ヒカルはそんなことも想像しつつ、立ち上がってヒカリの背後に回ると、彼女の背中を撫でた。これが、今の自分に出来る唯一のことだと思いながら。

「あいつも……色々と大変だったみたいでさ。だから、仕方なかったんだ」
「仕方なかったって何? というかあれ、ただの当てつけだよね? 私、向こうの世界であの子に裏切られたから。……抜け駆けされたの」

 やはり、ヒカリは夏希のことを恨んでいた。しかし、この世界の夏希はヒカリが暮らしていた世界の夏希とは別人である。よって、それをこの世界線にいる夏希に言ったとして、わかってもらえるはずなどない。寧ろ、ヒカリを見ても誰だかわからないだろう。

 ヒカルがヒカリの背中を撫で続けていると、急に彼女はふり向いて言った。

「ありがとう。だいぶ落ち着いたみたい。考えてみると、この世界のあの子は、私のことなんて知らないんだよね。それなのに取り乱したりして、ごめんね」

 ヒカリはそう言うと、ヒカルを見上げながら微笑んできた。それを見て、ヒカルが首を横に振る。ヒカルも、今はこうしているだけで良かった。ずっと彼女と一緒にいたい――そう思うことにより、自分自身を保ち続けているのだ。気がつけば、ヒカリに笑顔が戻っていたので、ヒカルは安堵した。そして、夏希にしばらくここにいさせてもらえるように頼もうとしていたことを、また思い出した。

「ごめん、ヒカリ。少し、待っててくれるか? 大丈夫、今度はすぐ戻るから」

 ヒカルはヒカリに言うと、彼女の頭を数回撫でて厨房にいる夏希のところに向かった。その途中、窓から三人の男が店の前で何かを探しているのが目についた。街灯にその顔が照らされると、ヒカルは反射的にテーブルの陰に身を潜めた。
 ――あれは、間違いない。ヒカルは思った。店の周りにいたのは――あの時、河川敷で二人を追ってきた、夢現法人ハピネスに雇われた男たちであった。男たちはまだ、ヒカルとヒカリを探し続けているのだろう。幸い、向こうはまだ中に二人がいることに気づいていないようで、そのまま店の前から去っていった。ヒカルは恐る恐る立ち上がり、夏希のところへ行こうとした時だった。

「探しましたよ、ここにいたのですか」

 背後から唐突に声をかけられたので、ヒカルは心臓が止まりそうなほど驚いた。それは聞き覚えのある低い声で、ヒカルは急いで後ろをふり返った。案の定、硝子戸の前に黒岩が立っている。

「なんで……ここに……」

 ヒカルはしばらく言葉が出ずに、ただ固まっていた。

「探しましたよ。というより、発信情報を追いかけてここへ来たのですけど。幸い、現在は磁気の乱れの影響により、電波は一時的に停止しておりますが」

 淡々と話す黒岩の話に、ヒカルはついていけず困惑の色を浮かべた。

「何の話だよ。お前、いつも相手を置いて先に話進めるだろ」

 ヒカルに指摘され、黒岩は苦笑した。そして、こう言うのだ。

「実は……、ヒカリさんの着ているコートの中に発信機が忍ばされてあるのですよ」
「は?」
「恐らく、貴方がたが階段を使って逃げる際、誰かが投げ入れたのでしょう。貴方がたはそれに気づかずにここまで来てしまった。わたくし以外の内部の人間に見つけられるのは、時間の問題かと……」

 ヒカルは、河川敷で聞いた男たちの会話を思い出してみた。確かにあの時、一人の男が「発信機」がどうと言っていた。あれはそのことだったのかと、ヒカルは妙に納得した。更に黒岩が現れる前、店の外を黒いスーツに身を包んだ男が三人ほどうろついているのが見えた。運良く、男たちは二人に気づくことのないまま、どこかへ去っていった。しかし、このままここにいては、いつまた男たちが現れるかわからない。
 すると、黒岩が言った。

「取り敢えず、その発信機を持って来てくれませんか」

 ヒカルはそれを聞き、黒岩が何をしようとしているのかわかった。ヒカルはまだ黒岩という人間を完全に信じるまでには至らないが、今は信じるしかなかった。この男は、自分たちを守ってくれようとしているのだと。
 ヒカルはヒカリがいる席に戻っていき、彼女が椅子に掛けていたコートのポケットに手を突っ込んだ。ヒカリは最初、戸惑っていたが構わずに中を探った。すると、ヒカルの手に何か硬いものが触れた。手の平で握れるほどの大きさで、機械のような感触。ヒカルは、それをポケットから引き出した。ゆっくりと手の平を広げてみると、直径三センチほどの小さな機械があった。これが、黒岩の話していた発信機だろうか。河川敷を彼女と歩いていた時、男たちはこれを頼りに追ってきたのだろうか。ヒカルはそう思うと、途端に怖くなった。
 ヒカルは、その発信機を握りしめ、走って黒岩のところに持っていった。それを黒岩に渡すと、黒岩は発信機を自分の足元に置いた。それを踏みつけ、発信機を破壊した。

「これで、貴方がたの位置情報は完全に隠れました」
「お前……それを俺たちに伝えるために……」
「ええ。わたくしとしても、可能ならば、お二人を引き裂くような真似はしたくはないのです。お二人が愛し合った結晶を、守るためにも」
「……気づいてたんだな」

 ヒカルは、黒岩を真剣に見つめながらそう言った。すると、黒岩も微笑しながら頷いた。ヒカリの中には今、胎児が眠っている。そのことを、黒岩はすでに感知していたのだ。

「で、いつから知ってたんだよ?」

 ヒカルが尋ねると、黒岩はこう答えるのだった。

「わたくしの使命は、被験者の管理。ですから、四六時中というわけにはいきませんが、可能な時にお二人の住むマンションに張り込んで、生活を見させていただいていたのです。ヒカリさんの様子が変わったのが気になり、気づかれない程度に調べてみたところ、妊娠されていることがわかりました」

 やはり、黒岩には初めからすべてお見通しだったのだ。ヒカルは深く溜息を吐き、下を見つめた。黒岩の足元に、砕けて粉々になった発信機が散乱している。
 黒岩が身を百八十度翻して出ていこうとすると、ヒカルはそれを呼び止めた。

「……待てよ!」
「何でしょう?」

 黒岩は、ヒカルの方をふり向かずにきき返してきた。

「これから、どこに行くつもりなんだよ」
「会長のところですよ。お二人を逃がすのに加担したお咎めを受けに行くのです。それでわたくしは、恐らく完全に解雇されてしまうでしょう」

 思いのほか、黒岩は落ち着き払っている様子だ。彼自身、もうすでに覚悟を決めているのだろう。ヒカルにも、それのことがわかった。最後に、ヒカルにはどうしても確かめておきたいことがあった。

「その……会長っていう人のことなんだけど……」

 黒岩の言う「会長」という人物は、ヒカルも以前会ったことがある夢現法人ハピネスの社長、紅一郎のことだろうとヒカルは思った。

「そいつが、俺かヒカリのどちらかを殺すように命令したのか?」

 黒岩は、しばらくは黙っていた。何も答えない黒岩に、ヒカルは激しい苛立ちを覚えた。ヒカルは数歩進み出ると、両手で黒岩の両肩をつかみ、黒岩の身体を自分の方へ向けた。

「お願いだ、俺をその会長ってやつに会わせてくれ!」
「……会ってどうするのです?」
「話があるんだ。……お願いだ、俺も、一緒にそこへ連れていってくれ!」

 しかし、黒岩はヒカルの両手をそっと握ると、それをゆっくり下に下ろした。

「貴方の怒りはよくわかります。……しかし、貴方は今、命を狙われているということを忘れてはいけません。自ら敵陣に乗り込めば、袋の鼠にも同然。貴方にとっても、それは危険な行為です」

 黒岩は、叱咤するような視線をヒカルに送った。

「……じゃあ、どうすればいいんだよ」
「お友達に言われたように、遠くへ避難してください。貴方がたは、わたくしが殺したということにしておきますので」

 黒岩は一歩下がり、ヒカルに対して深く頭を下げた。そしてまた微笑を浮かべると、店を後にした。硝子戸の向こうに、黒岩の背中があった。高身長で足が長く、頭からつま先まで全身黒尽くめの男。見るからにギャング映画に出てきそうな、そんな風貌の男性だ。初めて会った時は恐怖を覚えたその男も、ヒカルにとって今ではとても弱々しく見えた。ヒカルも、背を向けてヒカリのいるテーブルまで戻った。
 彼女の前に座ると、ヒカルは言った。

「明日、ここを出発して空港に向かう。そして、朝一の熊本行の便に乗る。――今俺たちに出来ることは、それしかない。俺を信じて、ついて来てくれ」

 それは、彼女に対するヒカルの心からの願いであった。ヒカルの真剣な眼差しを受け、ヒカリも頷いた。そこを、また夏希が通りかかる。それを見たヒカルはまた立ち上がって、夏希に声をかけた。

「……あ、あのさ、朝までこの店にいてもいいか? 理由は言えないけど、認めてくれると有り難い」

 すると夏希は、

「いいよ」

 と、あっさり承諾してくれたのでヒカルは安堵する。

 朝まで、ここに身を潜めていれば大丈夫だ、とヒカルは信じたかった。朝になったら、遠くへ逃げられる。国内なのが覚束ないが、それでも東京にいるよりは良いはずだ。夏希が奥に下がっていくと、ヒカルはまた席に着いて明日以降のことを考えた。良の祖父の家が熊本のどこにあるのかまでは聞かされていないが、それは着いてから電話で良にきけば良いだろう。しかし、それをしたら敵に電波を捉えられ、居場所を特定されてしまうのではないだろうか。――いや、いくら何でも相手もそこまで徹底して探してはこないだろう。そんなことを考えているうちに、昨日から寝ていないせいか、ヒカルは睡魔に襲われ、そして段々と意識が遠のいていった。

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