オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第六十話 『狼狽』

 この日は、ヒカルの母がヒカルのマンションを訪れる日だ。約束していた通り、ヒカリを綾のところに送っていかなければならない。綾とは合コンで知り合い、何度かメールでやり取りしていた。ヒカリとは初対面となるが、綾は快くヒカルの頼みを受け入れてくれたのだ。

 ヒカリは出かける直前、何度も鏡を見て自分の容姿をチェックしていた。お気に入りの服を着、ヘアブラシで前髪を整えている。髪は上げ、ポニーテールにして下ろしている。そんなヒカリを見ていると、ヒカルもついほっこりとしてしまう。
 電話によると、母が来るのは夕方五時頃だった。それまでに、ここへ帰ってくれば良い。午前中、ヒカルは部屋を掃除し、見られても恥ずかしくない程度にはきれいにした。それから、ヒカリを綾のアパートに送っていく。これさえ達成出来れば、母に何の後ろめたさを察せられることはないだろう。

 間もなく十二時になる。綾のアパートまでは、記憶によれば往復で一時間ほどであったはずだ。今から出れば、余裕で時間に間に合うだろう。

「ヒカリ、準備はできたか?」
「待って、もう少し」

 彼女は、鏡に向かったまま答えた。そんなに完璧でないといけないのか、とヒカルは思ったが、彼女も初対面の人に会うのに恥ずかしい格好は見せられないのだろう。そこは、ヒカルと同じだった。ヒカルも、ちゃんとした場所へ行く時には身だしなみを入念に確認する癖があった。それを思うと、やはり彼女は自分の分身のような存在なのだと感じるのだった。

「ヒカ君、もういいよ」

 そう言いながらヒカリは、玄関のところで待っているヒカルのところに駆けてきた。

「忘れ物はないか」
「うん、大丈夫」

 彼女が笑って答える。ヒカルも自分の持ち物を確認し、ドアを開けた。外はここ一番の寒さだった。ヒカリはマフラーを巻き、暖かいコートを着ているが、それでも少し寒そうに見える。
 二人はそのまま、駅に向けて歩き始めた。その途中、ヒカリがヒカルに声をかけてきた。

「ねえ、その……。今日会う人って、どんな人?」
「あぁ……、優しい子だぞ。なんか、父親が有名な会社の社長かなんかで、本人もすごいプレッシャー感じてるみたいだ」

 合コンの際に綾から聞いたことを思い出しながら、ヒカルは彼女に伝えた。ヒカリも、その話を真剣に耳を傾けながら聞き入っている。綾に同情しているのだろうか。場の空気が重くなると危惧したヒカルは、話題を変えてみた。

「そういえば、今日は街を案内してくれるってさ。女の子同士、カフェとかでお喋りしてみたらどうだ? ガールズトークっていうやつ? 俺、よくわかんないからさ」

 ヒカルは口角を緩めながら言った。彼女も顔を少し赤く染め、頷いた。そうしている間に、駅が見えてくる。

 二人は電車に乗ると、三つ先の駅で降りた。年末ともなると、外はかなり混雑している。ヒカルはヒカリの手を握り、逸れないように歩いた。ヒカリも、黙ってヒカルの後をついてくる。そこからヒカルは携帯を取り出して、綾に電話をかけた。道が空覚えだったため、ナビをしてもらおうと思ったのだ。そうすると、綾から駅に迎えに来てくれるのだという。ヒカルは始め断ろうとしたが、綾が「すぐ近くだから」と言って電話を切ってしまった。仕方なく、二人は綾が来るまで駅の前で待つことにした。

 しばらく経って、一人の小柄な少女がこちらに走ってきた。綾だ。彼女はヒカルを見つけると、そこへ駆け寄ってきた。

「お久しぶりです!」

 綾がややテンション高めに言うので、ヒカルも戸惑いながら返答した。

「あ、あぁ……。久しぶり……」
「私、今日をすごく楽しみにしてたんです!」

 綾の目は、無垢な子供みたいに煌々と輝いている。

(こんなに明るかったか……?)

 ヒカルは若干の混迷を覚えたが、彼女の嬉しそうなその顔を見ていると、それは次第に安心へと変わっていった。

「よろしくな」
「はい」

 綾は、ヒカルの後ろに怯者の如く隠れているヒカリを見た。

「ところで、お二人はどんな関係でしたっけ」

 不意に、綾が話を掘り下げてくる。これをきかれたら、返答に困るのはヒカルだ。一瞬、ヒカルは全身に冷や汗を滲ませた。そして、またあの嘘をつくことを考えた。

「妹、なんだけど……」
「え、そうなんですか? あ、でも言われてみれば少し似ているような……」

 彼女も今の言葉で納得してくれたようだ。ヒカリがバイトをしている喫茶店の店員にも、同じことを言われたことがあった。そんなに似ているだろうかと思いつつも、ヒカルの中ではやはり嬉しいという気持ちが芽生えた。
 すると、綾が今度はヒカリに対して言葉をかける。

「今日は、よろしくお願いしますね」

 しかし、ヒカリは下を向いて何も答えない。またしても、ヒカリの人見知りが始まったとヒカルは思った。ヒカルも振り向き、彼女に小声で優しく話した。

「大丈夫だから。きっと仲良くなれるって」

 ヒカリが顔を上げると、ヒカルは笑顔で頷いた。それを見ると彼女も安心したのか、前に進み出る。

「よろしく……、お願いします……」

 ヒカリも、小声で綾に言った。それを聞くと綾も優しく頷き、

「はい、では行きましょう」

 と、笑った。
 綾に連れられて歩いていこうとするヒカリを、ヒカルは呼び止めた。

「用事が済んだら、電話するからな。その後、駅まで迎えに行くから。じゃ、楽しんこいよ」

 彼女は振り返ると、頷いてまた歩き出した。その後ろ姿には、何も不安をそそる要素は感じられなかった。何故か、大丈夫だという確信がヒカルの中にあったのだ。二人が見えなくなると、ヒカルは引き返した。あとは、綾に任せていれば心配いらない。ヒカルは逆方向へ向かう電車に乗り、マンションまで帰ることにした。

 ヒカルは電車の中で、三十日の構想を練った。その日、初めてヒカリとデートをする。どこの映画館が空いているか、どこの店で食事をしようか、携帯で検索していた。大体の予定が決まると、メモに書き込み、あとで彼女と相談出来るように、わかり易く箇条書きにした。
 少しずつだが、ヒカリとの距離が縮まってきているように、ヒカルは感じているのだ。今までは味わったことのない、そんな不思議な感覚だった。裏の世界線で女の体になっていた時にもデートは経験したが、それとは何もかもが違う。相手は男ではなく、ちゃんとした異性なのだから。

 ヒカルは電車を降りると、急いでマンションに帰った。デートの詳細を考えるためだ。帰宅すると、今度はどのルートで帰るのかなどもインターネットで調べたりした。夜景を見たりするのも良いかもしれない。真冬のイルミネーションは、さぞきれいだろう。予定が埋まると、早速カレンダーに書き入れた。気がついた時には、時計は五時を回っていた。
 インターホンが鳴る。ヒカルはハッと今日の予定を思い出し、予定帳を急いで鞄の中に仕舞った。そして玄関に行き、扉を開ける。

「おやまぁ、久しぶりだねえ。元気にやってる?」

 そこに立っていたのは、ヒカルの母親だった。

「元気だよ。で、今日は何しに来たの?」
「あら、今日様子見に来るって言ってたじゃない」
「まあ、そうだけど……」

 ヒカルは、母親を中に入れた。リビングに連れてくると、母親は少し驚いたような表情を見せる。部屋がきれいになっていることに、驚いているのだろう。

「まあ、家にいた頃は言っても全然掃除してなかったのに!」

 大袈裟な母の反応に、ヒカルは思わず吹き出しそうになる。いつもなら、部屋はもっと散らかっているのだ。しかし幸い、母が電話してきたのは一週間以上も前だったので、その間に掃除する時間は有り余るほどあった。母親はヒカルが自立していることに感動しているのか、部屋の中を見渡している。その時、母親の視界に予定の書き込まれたカレンダーが入ったことに、ヒカルはすぐには気づけなかった。
 母親は、十二月のカレンダーをまじまじと見つめた。三十日のところに、『映画』、『外食』、『夜景』などの文字が書き入れてある。

「あれ……、あんたもしかして彼女できたの?」

 それを聞いたヒカルは、自分のツメの甘さに打ちのめされた。ヒカルは、カレンダーを覆い隠すように母親の前に立った。

「ち、違うんだ! あれだよ、あれ! 友達と行くんだ!」
「えー、友達と映画見てお食事して夜景見るの? 彼女、いるんじゃないの?」
「いやいやいや、いないって!」
「でも、早くいい人見つけなさいよ。あんた、自分から人に話しかけないからモテないのよ?」
「あぁ、もう! またその話かよ」
「またって、そんなにしてたかしら?」

 戯ける母親を、ヒカルは圧制した。

「いいから。俺だって、ちゃんとやれてるってわかっただろ。もう帰ってくれよ」

 ヒカルは、母親を半ば押し返すようにして部屋の外へ連れ出した。昔から、母親はお節介気質だったのだ。頼んでもいないのに、ヒカルの成績について学校に電話したり、好みでない洋服を勝手に買ってきたりもした。今回も、きっと心配で寄ってくれたのだろう。だが、ヒカルにとって今はそっとしておいてほしかったのだ。

 母親が帰ると、ヒカルはがっくりとソファーに腰を下ろした。そして、また深い溜息をつく。最近はかなり減ったが、入学したばかりの頃は母親は一ヶ月に数回のペースで様子を見に来ていた。それを思うと、最近はかなり心に余裕が持てている。
 ヒカルはヒカリの携帯に電話し、「これから迎えに行く」とだけ告げて切った。ヒカリは、あれから大丈夫だっただろうか。ヒカルは立つのも怠く感じられたが、彼女を迎えにいくために立ち上がった。

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