オモテ男子とウラ彼女
第五十七話 『現状』
ヒカルとヒカリがつき合い始めてから、一ヶ月が経過した。
ヒカルは部屋の片付けをしながら、ふと思った。ヒカリは、これからどうするつもりなのだろう。あれから一切連絡がないが、黒岩も今解決策を探してくれているはずだ。今夜あたり、どんな状況なのか聞きに行こうかと考えた。
もう十二月も半ばとなり、今年も終わりを迎えようとしている。そう思うと、ヒカルは異世界の自分と二人きりで年を越すことに対し、不思議な気持ちになった。それも、あちらは異性だから尚更だ。ヒカリは今日、バイトに出かけているが、帰ってきたらこの先について二人でよく話し合おうと思った。
その時、ヒカルの携帯が鳴った。また良だろうかと画面を見ると、そこには母親の名前があった。下宿してから滅多に電話でやり取りしていなかったのだが、突然何の用だろうと思い、ヒカルは電話に出てみた。そして、懐かしい声が歯痒くヒカルの耳に流れ込んだ。
『あら、ヒカル? 母さん、年末にそっち行く用事ができたから、行ってもいい?』
これは予想していなかった、「下宿先に寄ってもいいか」という母からの電話だった。母曰く、近いうちに東京で同窓会があって、そのついでにヒカルの部屋を覗きに来たいのだという。ヒカルの母親は、東京の高校に通っていた。
もし来るとすれば、ヒカリのことが気がかりだ。見つかれば、色々と質問攻めにされることは明確だ。断ろうとも考えたが、母親が来られるのは昼間なのだという。それならば、ヒカリがバイトに行っている間に来て、見つかるということはないかもしれない。ヒカルはOKを出し、日付を聞いてから電話を切った。
その夜、帰ってきたヒカリにその日の予定を尋ねた。そうしたら、
「え? その日は、バイトないからここにいると思う」
と、答えるのだ。
「え……、マジ?」
ヒカルは、内心ひどく焦った。
「何かあるの?」
今度は、ヒカリが不思議そうに見つめてくる。もう一度母に電話して断ろうと思ったが、一度約束してしまっているから、今から取り消すのは間が悪い。
「あ、あのさ……。悪いんだけど、その日、出かけてくれると有り難いんだけど……」
「え、どこか連れていってくれるの?」
「いや、お前一人でさ……」
「なんで?」
ヒカリは、ヒカルの顔を覗き込むようにして尋ねてくる。それもそのはずだと、ヒカルも自分で納得してしまった。
ヒカルは、本気でどうしようか悩んだ。ヒカリに母親が来るからという事情を話せば、わかってもらえるかもしれない。それでも、ヒカリは首を縦に振らないだろう。何故ならば、その母のこともヒカリは知っているからだ。しかし、母はヒカリのことを知らない。ここはヒカルが生まれた世界、表の世界線なのだ。裏の世界線で生まれたヒカリを知っているのは、裏の世界線にいる母だけなのだ。この世界の母がヒカリを見ても、わかるはずがない。逆に、彼女か何かだと思われる可能性が高い。
実際、二人はつき合っているのだが、本当のことを言えるはずもないし、信じてくれる可能性は極めて低いだろう。
「ねぇ、どうして? 何かあるの?」
ヒカリは、ヒカルが出かけるように言った理由が気になるようだ。しかし、どうしてもヒカルには言えなかった。
「ごめん、何でもないんだ」
ヒカルは立ち上がると、リビングの戸を開けて自分の部屋に行った。彼女を、どうにかして外に連れ出す方法はないか、しばらく座り込んで考えてみた。しかし、なかなか良い案は出てこない。
ヒカルは、何気に携帯の連絡先一覧を眺めていた。その時、ある名前がふと目に止まった。それは合コンで知り合った女子、綾だった。彼女は年も近いので、ヒカリとも仲良くできるかもしれない。ヒカルは早速、綾に電話をかけてみることにした。
『もしもし。あ、真宮さんですか?』
相変わらず、綾の声は可愛い。それは置いておいて、ヒカルはヒカリのことを話した。関係についてはところどころ濁しながら、用事ができたからしばらく彼女を預かってくれないかということを説明した。そうしたら綾は理解し、快く承諾してくれた。そして彼女も、ヒカリに会うのが楽しみだと言って電話を切った。
ヒカルはリビングに戻ると、ヒカリにも綾について話をした。
「なぁ、ヒカリ。この間の合コンで知り合った女の子が、お前に会いたいんだってさ。俺、さっき言った日に急にバイト入っちゃってさ。夜遅くなりそうなんだよ。だからその日は、その子の家に遊びに行かないか?」
ヒカルは、自然な素振りでヒカリを誘った。それを聞くとヒカリは、笑顔で言った。
「え、そうなの? じゃあ、そうしよっかな……」
彼女もまた、楽しみそうに顔を赤く染める。それを見て、ヒカルは彼女の頭を撫でた。嘘をついてしまったことに対しては少し罪悪感があったが、ヒカリの嬉しそうな顔を見ていると、何故か安心できるのだった。
夕食をとりながら、ヒカルはヒカリに尋ねた。
「お前、明日もバイトだったっけ」
「うん。今、年末で人手が足りないんだって」
「ちょっと辛いと思ったら、俺に言うんだぞ」
「ありがとう……」
ヒカリは、恥ずかしそうに下を向いた。ヒカルにしてみたら、ヒカリが無理をしているのではないかと不安になってくる。ヒカリもまた、気遣ってくれるヒカルの存在が頼もしいのだろう。
その夜も、二人は手を繋いで寝た。一緒に暮らし始めてから一月半しか経っていないが、とても長い間、一緒にいるような気がする。魂が入れ替わっていた時期も数えると、半年以上が経過しているから、そう思えるのかもしれない。
それでもヒカルは、彼女を守らなければならないという気持ちが、自分の中で日に日に強くなっているのを感じていたのだった。
数日後、その日もヒカリは朝から一人でバイトに行ってしまった。最初のうちはヒカルが喫茶店まで送っていくということがよくあったが、今は普通に何でも一人で出来るようになっていた。それを見ていると、彼女も成長しているのだとヒカルは微笑ましくなる。
一方、ヒカルの方はバイトが休みの日が増えていた。年の瀬が迫り、ちょうど冬休みの期間で今がかき入れ時だというのに、オーナーは働きすぎていると感じた店員に対し、休みを提供してくれるのだ。ヒカルにとってもそれは有り難い話だが、店のことが気がかりになってくる。
来週の今日は、ちょうど母が訪ねて来る日だ。今のうちから、余計なものは少しずつ処分しておこうと、ヒカルは立ち上がって掃除を始めた。
その直後、部屋の呼び鈴が鳴った。それを聞いて、ヒカルは手を止めた。まさか、母が来る日を一週間も勘違いしていたというのだろうか。恐る恐る、玄関の方に行ってみる。そして覗き穴を覗くと、そこには想定外の人物の姿が見えた。
ヒカルは鍵を開け、そっとドアを開けた。目の前にいたのは、夢現法人ハピネスの会長、紅だったのだ。しかし、いつも一緒にいるはずの黒岩の姿が見えない。紅はヒカルを見てニッコリと笑い、
「お久しぶりです、真宮様。少し、お話させてもらって良いでしょうか」
と、丁寧な口調で話した。
「は、はぁ……」
ヒカルは、紅を部屋に上げることにした。もしかしたら、何かわかったのかもしれないと思ったからだ。
リビングに案内すると、紅はその部屋を見渡している。
「ほう、お片付け中だったのですか。これは失礼」
見ると、ビニール袋やら掃除機やらが床に転がっている。ヒカルはハッと気がつき、それらを慌てて片付け始めた。そうしていると今度は、紅は台所を覗き込んだ。
「ほほう。これは毎日磨いているのですか」
ピカピカの台所を、紅は興味津々な様子で眺めている。毎日ではないが、ヒカルはご飯を作った後、必ず台所とその付近を磨くようにしている。やはり、いつもきれいなところで料理したいからだ。
(ほんとに、何しに来たんだよ……!)
ヒカルは、プライベートを見られているようで、居心地が悪かった。
紅が一通り部屋の様子を見た後、ヒカルのところに戻ってきた。
「どうもすみません。では改めて、私、夢現法人ハピネスの紅一郎と申します」
紅が、ヒカルに名刺を手渡してきた。
(下の名前、一郎っていうのかよ。初めて知ったわ)
ヒカルは心の中でそう呟くと、紅をソファーに座らせた。一応、客としての接待はしなければならないため、ヒカルはティーカップに紅茶を入れ、紅の前のテーブルに置いた。
「ほう、これはどうも。私、紅茶が好きでね」
(紅だけに?)
ヒカルは、自分で思って寒気がした。ヒカルも、紅の前に腰を下ろした。ヒカルには、紅が何故来たのかまだよくわからなかった。紅は、悠々と紅茶を口に運んでいる。
(早く言えや!)
紅がティーカップを置くと、ようやく話し始める。
「君は、我社の被験者として、裏の世界線に行った。それは、わかっているね」
「わかってますよ……」
今更、何を言い出すのだと言わんばかりの視線を、ヒカルは紅に対して送った。それを相手も理解したらしく、申し訳なさそうな表情になる。
「我社は、その名の通り、今の人生を幸せだと感じられない人に、幸せを提供するために結成された組織なのです。契約した人を裏の世界に送り、そこで異性として生活するうちに、徐々に女心が身につく。最初は、我々はそう考えていました。ですが、それだけでは人は変われないのです。行動を起こさない限り、幸せはやってきません。それが、我社における唯一の欠陥点でした」
ヒカルも、それは知っていた。行動を起こさなければ、幸せはやってこない。しかし、起こしても幸せになるとは限らないのだ。その経験となったのが、高校生の時だった。
好きな女子に対して告白が遅れたせいで、友達に先に取られてしまったという過去が、今でも時折ヒカルの行動を邪魔をするのだ。それは誰のせいでもない、ただ自分の考えが甘かったからだと、ヒカルは思うことにした。結局、生まれた時から定まっている運命には抗えないのということだろうか。
紅は続けて、
「そのことを、予め君に伝えておくべきでした。そうすれば、もしかすると君は今頃……」
と言うが、ヒカルには確信が持てた。
「いや、言われなくてもわかってました。でも、俺はそれが出来なかった。わかってたんすよ、全部……」
ヒカルは、顔を上げなかった。目の前には、きっと同情した紅の顔が映るに違いない。四月から今日までの時間を、棒に振ったのは自分だ。それだけは、ヒカルは他人のせいにしたくなかったのだ。
ヒカルは部屋の片付けをしながら、ふと思った。ヒカリは、これからどうするつもりなのだろう。あれから一切連絡がないが、黒岩も今解決策を探してくれているはずだ。今夜あたり、どんな状況なのか聞きに行こうかと考えた。
もう十二月も半ばとなり、今年も終わりを迎えようとしている。そう思うと、ヒカルは異世界の自分と二人きりで年を越すことに対し、不思議な気持ちになった。それも、あちらは異性だから尚更だ。ヒカリは今日、バイトに出かけているが、帰ってきたらこの先について二人でよく話し合おうと思った。
その時、ヒカルの携帯が鳴った。また良だろうかと画面を見ると、そこには母親の名前があった。下宿してから滅多に電話でやり取りしていなかったのだが、突然何の用だろうと思い、ヒカルは電話に出てみた。そして、懐かしい声が歯痒くヒカルの耳に流れ込んだ。
『あら、ヒカル? 母さん、年末にそっち行く用事ができたから、行ってもいい?』
これは予想していなかった、「下宿先に寄ってもいいか」という母からの電話だった。母曰く、近いうちに東京で同窓会があって、そのついでにヒカルの部屋を覗きに来たいのだという。ヒカルの母親は、東京の高校に通っていた。
もし来るとすれば、ヒカリのことが気がかりだ。見つかれば、色々と質問攻めにされることは明確だ。断ろうとも考えたが、母親が来られるのは昼間なのだという。それならば、ヒカリがバイトに行っている間に来て、見つかるということはないかもしれない。ヒカルはOKを出し、日付を聞いてから電話を切った。
その夜、帰ってきたヒカリにその日の予定を尋ねた。そうしたら、
「え? その日は、バイトないからここにいると思う」
と、答えるのだ。
「え……、マジ?」
ヒカルは、内心ひどく焦った。
「何かあるの?」
今度は、ヒカリが不思議そうに見つめてくる。もう一度母に電話して断ろうと思ったが、一度約束してしまっているから、今から取り消すのは間が悪い。
「あ、あのさ……。悪いんだけど、その日、出かけてくれると有り難いんだけど……」
「え、どこか連れていってくれるの?」
「いや、お前一人でさ……」
「なんで?」
ヒカリは、ヒカルの顔を覗き込むようにして尋ねてくる。それもそのはずだと、ヒカルも自分で納得してしまった。
ヒカルは、本気でどうしようか悩んだ。ヒカリに母親が来るからという事情を話せば、わかってもらえるかもしれない。それでも、ヒカリは首を縦に振らないだろう。何故ならば、その母のこともヒカリは知っているからだ。しかし、母はヒカリのことを知らない。ここはヒカルが生まれた世界、表の世界線なのだ。裏の世界線で生まれたヒカリを知っているのは、裏の世界線にいる母だけなのだ。この世界の母がヒカリを見ても、わかるはずがない。逆に、彼女か何かだと思われる可能性が高い。
実際、二人はつき合っているのだが、本当のことを言えるはずもないし、信じてくれる可能性は極めて低いだろう。
「ねぇ、どうして? 何かあるの?」
ヒカリは、ヒカルが出かけるように言った理由が気になるようだ。しかし、どうしてもヒカルには言えなかった。
「ごめん、何でもないんだ」
ヒカルは立ち上がると、リビングの戸を開けて自分の部屋に行った。彼女を、どうにかして外に連れ出す方法はないか、しばらく座り込んで考えてみた。しかし、なかなか良い案は出てこない。
ヒカルは、何気に携帯の連絡先一覧を眺めていた。その時、ある名前がふと目に止まった。それは合コンで知り合った女子、綾だった。彼女は年も近いので、ヒカリとも仲良くできるかもしれない。ヒカルは早速、綾に電話をかけてみることにした。
『もしもし。あ、真宮さんですか?』
相変わらず、綾の声は可愛い。それは置いておいて、ヒカルはヒカリのことを話した。関係についてはところどころ濁しながら、用事ができたからしばらく彼女を預かってくれないかということを説明した。そうしたら綾は理解し、快く承諾してくれた。そして彼女も、ヒカリに会うのが楽しみだと言って電話を切った。
ヒカルはリビングに戻ると、ヒカリにも綾について話をした。
「なぁ、ヒカリ。この間の合コンで知り合った女の子が、お前に会いたいんだってさ。俺、さっき言った日に急にバイト入っちゃってさ。夜遅くなりそうなんだよ。だからその日は、その子の家に遊びに行かないか?」
ヒカルは、自然な素振りでヒカリを誘った。それを聞くとヒカリは、笑顔で言った。
「え、そうなの? じゃあ、そうしよっかな……」
彼女もまた、楽しみそうに顔を赤く染める。それを見て、ヒカルは彼女の頭を撫でた。嘘をついてしまったことに対しては少し罪悪感があったが、ヒカリの嬉しそうな顔を見ていると、何故か安心できるのだった。
夕食をとりながら、ヒカルはヒカリに尋ねた。
「お前、明日もバイトだったっけ」
「うん。今、年末で人手が足りないんだって」
「ちょっと辛いと思ったら、俺に言うんだぞ」
「ありがとう……」
ヒカリは、恥ずかしそうに下を向いた。ヒカルにしてみたら、ヒカリが無理をしているのではないかと不安になってくる。ヒカリもまた、気遣ってくれるヒカルの存在が頼もしいのだろう。
その夜も、二人は手を繋いで寝た。一緒に暮らし始めてから一月半しか経っていないが、とても長い間、一緒にいるような気がする。魂が入れ替わっていた時期も数えると、半年以上が経過しているから、そう思えるのかもしれない。
それでもヒカルは、彼女を守らなければならないという気持ちが、自分の中で日に日に強くなっているのを感じていたのだった。
数日後、その日もヒカリは朝から一人でバイトに行ってしまった。最初のうちはヒカルが喫茶店まで送っていくということがよくあったが、今は普通に何でも一人で出来るようになっていた。それを見ていると、彼女も成長しているのだとヒカルは微笑ましくなる。
一方、ヒカルの方はバイトが休みの日が増えていた。年の瀬が迫り、ちょうど冬休みの期間で今がかき入れ時だというのに、オーナーは働きすぎていると感じた店員に対し、休みを提供してくれるのだ。ヒカルにとってもそれは有り難い話だが、店のことが気がかりになってくる。
来週の今日は、ちょうど母が訪ねて来る日だ。今のうちから、余計なものは少しずつ処分しておこうと、ヒカルは立ち上がって掃除を始めた。
その直後、部屋の呼び鈴が鳴った。それを聞いて、ヒカルは手を止めた。まさか、母が来る日を一週間も勘違いしていたというのだろうか。恐る恐る、玄関の方に行ってみる。そして覗き穴を覗くと、そこには想定外の人物の姿が見えた。
ヒカルは鍵を開け、そっとドアを開けた。目の前にいたのは、夢現法人ハピネスの会長、紅だったのだ。しかし、いつも一緒にいるはずの黒岩の姿が見えない。紅はヒカルを見てニッコリと笑い、
「お久しぶりです、真宮様。少し、お話させてもらって良いでしょうか」
と、丁寧な口調で話した。
「は、はぁ……」
ヒカルは、紅を部屋に上げることにした。もしかしたら、何かわかったのかもしれないと思ったからだ。
リビングに案内すると、紅はその部屋を見渡している。
「ほう、お片付け中だったのですか。これは失礼」
見ると、ビニール袋やら掃除機やらが床に転がっている。ヒカルはハッと気がつき、それらを慌てて片付け始めた。そうしていると今度は、紅は台所を覗き込んだ。
「ほほう。これは毎日磨いているのですか」
ピカピカの台所を、紅は興味津々な様子で眺めている。毎日ではないが、ヒカルはご飯を作った後、必ず台所とその付近を磨くようにしている。やはり、いつもきれいなところで料理したいからだ。
(ほんとに、何しに来たんだよ……!)
ヒカルは、プライベートを見られているようで、居心地が悪かった。
紅が一通り部屋の様子を見た後、ヒカルのところに戻ってきた。
「どうもすみません。では改めて、私、夢現法人ハピネスの紅一郎と申します」
紅が、ヒカルに名刺を手渡してきた。
(下の名前、一郎っていうのかよ。初めて知ったわ)
ヒカルは心の中でそう呟くと、紅をソファーに座らせた。一応、客としての接待はしなければならないため、ヒカルはティーカップに紅茶を入れ、紅の前のテーブルに置いた。
「ほう、これはどうも。私、紅茶が好きでね」
(紅だけに?)
ヒカルは、自分で思って寒気がした。ヒカルも、紅の前に腰を下ろした。ヒカルには、紅が何故来たのかまだよくわからなかった。紅は、悠々と紅茶を口に運んでいる。
(早く言えや!)
紅がティーカップを置くと、ようやく話し始める。
「君は、我社の被験者として、裏の世界線に行った。それは、わかっているね」
「わかってますよ……」
今更、何を言い出すのだと言わんばかりの視線を、ヒカルは紅に対して送った。それを相手も理解したらしく、申し訳なさそうな表情になる。
「我社は、その名の通り、今の人生を幸せだと感じられない人に、幸せを提供するために結成された組織なのです。契約した人を裏の世界に送り、そこで異性として生活するうちに、徐々に女心が身につく。最初は、我々はそう考えていました。ですが、それだけでは人は変われないのです。行動を起こさない限り、幸せはやってきません。それが、我社における唯一の欠陥点でした」
ヒカルも、それは知っていた。行動を起こさなければ、幸せはやってこない。しかし、起こしても幸せになるとは限らないのだ。その経験となったのが、高校生の時だった。
好きな女子に対して告白が遅れたせいで、友達に先に取られてしまったという過去が、今でも時折ヒカルの行動を邪魔をするのだ。それは誰のせいでもない、ただ自分の考えが甘かったからだと、ヒカルは思うことにした。結局、生まれた時から定まっている運命には抗えないのということだろうか。
紅は続けて、
「そのことを、予め君に伝えておくべきでした。そうすれば、もしかすると君は今頃……」
と言うが、ヒカルには確信が持てた。
「いや、言われなくてもわかってました。でも、俺はそれが出来なかった。わかってたんすよ、全部……」
ヒカルは、顔を上げなかった。目の前には、きっと同情した紅の顔が映るに違いない。四月から今日までの時間を、棒に振ったのは自分だ。それだけは、ヒカルは他人のせいにしたくなかったのだ。
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