オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第五十話 『進歩』

「ただいま」
「どこ行ってたの?」

 ヒカルが帰宅すると、ヒカリが心配そうに尋ねてきた。ヒカルは返答に困ってしまい、

「あぁ。近くのコンビニに牛乳が置いてなくてさ、向こうの方まで買いに行ってたんだよ」

 と、適当に誤魔化した。事実だと、ヒカルは今まで黒岩と話をしていた。しかしそれを彼女に話してしまうと、余計に心配をかけてしまうと思って、出まかせを言った。彼女はヒカルの話を聞いて、ホッとしたような穏やかな表情を見せる。
 それにしても、牛乳が一つも置いていないコンビニなどあるのだろうか。こんな下手な嘘に引っかかるなど、逆にヒカルが心配してしまった。それでも、なるべく怪しまれないようにしながら、

「ヒカリ、明日からバイトだったよな? 今日はもう早く寝ろ」

 と、彼女に声をかけた。彼女も素直に返事をすると、シャワーを浴びにいった。

 彼女がいなくなった部屋で、ヒカルは一人溜息をついた。これから、何をすれば良いか、またわからなくなった。親が様子を見に来ないとも限らない。そんな時、彼女と鉢合わせになってしまったら、何を言われるか知れたものではない。早いうち、彼女を元の世界線に帰さなければならない。しかし、システム自体を把握出来ていないヒカルにとっては、今はどうすることも出来ないのが現状だった。大人しく、黒岩が解決法を提示してくるのを待つしかない。

 ヒカルは、ふとカレンダーを見ると、あることを思い出す。もうすぐ二十歳の誕生日だ。そしてまた、頭が痛くなる。結局、「彼女を作る」という目標は達成出来なかった。それを思うと、余計に気が重くなるのだった。逃げ出したい、そんな気持ちばかりが、ヒカルの脳裏を駆け巡る。
 そうしていると、ヒカリが戻って来た。彼女はヒカルの様子に気がつき、

「どうしたの?」

 と、不思議そうにきいてくる。

「何でもない。俺も明日バイトだから、帰りはちょっと遅くなるかも。腹減ったら、何か適当に食ってくれ」

 ヒカルは、ポンとヒカリの頭に手の平を置いた。そして、自分もシャワーを浴びて寝ることにした。詳しい話は、明日彼女と相談すれば良い。今は何より、早く寝たかったのだ。
 シャワールームに着いた時、ヒカルの携帯が鳴った。こんな時間に誰だと画面を見ると、「高塚良」とある。考えてみれば、こんな時間に電話をかけてくるのは良しかいない。何事かと思い、ヒカルはその電話に出た。

「何の用だよ、こんな時間に」
『あぁ、ヒカル? 起きてたか? 実は今日、合コン行ってきたんだけどさー』
「は? お前、彼女作らないんじゃ……」
『いや、この前言っただろ? 俺、リア充目指すことにしたんだ。でさ、今日そこで次の合コンの約束してさぁ』

 これはこれは、お目出度い話だ。あの良が今、婚活ならぬ恋活をしているのだという。あの発言は本気だったのかと、その時ヒカルは初めて知った。そして、次に聞こえてきたのは、全く予想していなかった言葉だった。

『それよりさ、その合コン、お前も来ねえ?』
「……はっ?」
『お前だって、恋愛とかしたいだろ? だからさ、一緒に行こうや、合コン』

 合コンなど、初めてのことだ。ヒカルの頭の中は、すでに混乱してしまっている。一体、どんな子が来るのだろう。合コンでは、どんな話をすれば良いのだろう。そんな疑問が、霰のように降ってくる。良が言うには、全員がネットで知り合った子のようだ。それなら尚更、ヒカルは恐怖心に襲われる。

『ヒカル、大丈夫か? まだ言ってないから、来るなら早く教えてくれよな』
「……わかった。明日、また連絡する」

 ヒカルは良に伝えると、電話を切った。良の行動は、やはり突発的すぎる。ただの気分屋かもしれないが、それにしても、また嫌なことに巻き込まれそうな予感がした。
 ひとまずシャワーを浴びて、寝る前に考えることにした。リビングに戻ると、ヒカリがまだ起きていた。すると、こんなことをきいてきたのだ。

「さっき、誰と話してたの?」
「……えっ?」

 聞こえていたらしい。本当のことを教えようか。いや、どう思われるかと思うと怖くて言えない。しかし考えてみれば、ヒカルはまだ良に行くとは言っていないのだ。

「あぁ、俺の友達。この間、会っただろ?」

 ヒカリも、思い出したように頷く。しかし、予想外にも彼女は会話の内容までは求めてこなかった。良かったと、ヒカルも胸を撫で下ろした。
 そして、二人は寝ることにした。ヒカリ曰く、一人だと不安で眠れそうになかったから、ヒカルが戻ってくるまで待っていたのだという。ヒカルはそんな彼女を見て、やはり可愛いと思った。


 次の日、ヒカルは鍵をヒカリに渡すと、バイト先に向かった。レストランと喫茶店は、やはり違った。出す料理が異なるということもあるが、まず客層が全然違うのだ。向こうの世界で働いていたのは、メイド喫茶だ。いわば、オタクの溜まり場のような空間だった。年齢層は二十代から中年までの男性客がほとんどだったが、ヒカルが今度働くことになったのはファミレスだったため、子供から年寄りまで様々だ。それでも、接客は裏の世界線で学んでいたため、バイト初日とは思えないほどスムーズにこなし、オーナーを驚かせた。
 上がる前、店のオーナーに、

「いやぁ、ほんとに初めてか? 今日は助かったよ。また明日からも、よろしく頼む」

 と、声をかけられた。少し恥ずかしかったが、ヒカルは元気良く返事をし、店を出た。
 そう言えば、ヒカリは大丈夫だったのだろうか。大丈夫だと信じたかったが、それでもやはり心配なのは変わらなかった。ヒカルは、また様子を見に行くことに決めた。

 ヒカリが働いている喫茶店に来ると、扉を開けた。店員から声をかけられ、彼女のことを尋ねた。

「あの……。真宮ヒカリの兄なんですが、様子はどうですか?」

 すると、店員は言った。

「あぁ、真宮さんの。それが、やるべきことはちゃんとしてくれるんですけど、お客様には笑顔でって言っても、なかなか笑ってくれないんですよ~」
「そうですか……。なんか、すみません」
「いえいえ、いいんですよ。まだ始めたばかりなんですし」

 店員は、そう言って笑った。それを聞いて、ヒカルは安心できた。次に、店員がヒカルを見つめながら言った。

「それにしても、似ていますね! いくつ違いですか?」
「あ、いや……」

 怪しまれないように「兄」と嘘をついたのが、裏目に出たらしい。ヒカリは裏の世界線のヒカルだから、「似ている」と言われて悪い気はしない。
 しばらくすると、ヒカリが出てきた。もう上がっても良いと店長から言われたらしく、一緒に帰ることにした。それからはいつも通り、マンションに帰ってくると夕食の用意をして、一緒に食べた。

「今日、どうだった?」

 ヒカルは知らないふりをして、ヒカリにバイトのことを尋ねてみた。しかし、また彼女は俯いてしまい、答えそうになかった。

「まあ、あんま気にすんなよ。まだ初日だし、そのうち慣れてくるだろ。そういやお前、俺と入れ替わってる時、バイトとかしてなかったの?」

 彼女は、小さく首を横に振った。それなら、何をしていたのだろう。ヒカルは気になり、ヒカリにきいてみた。

「大学以外に、何かやってたのか? まさか、大学にも行ってなかったんじゃねーだろうな? じゃなきゃ俺、今年全然単位取れないぞ?」
「それは大丈夫」
「あ、あぁ、良かった……」
「ヒカ君……」

 彼女が、まじまじとヒカルのことを見つめてくる。相手が異世界線の自分だとしても、やはり女子から見つめられると緊張する。

「な……、何だ?」
「私……、これからどうすればいいかな」

 彼女もまた、悩んでいたのだ。それもそのはず、ここは本来、彼女の生まれた世界ではないのだから。いつか元の世界に戻れる日が来るのを、彼女も望んでいるのだろう。

「それだったら、今あいつが解決法を探してくれてる。だから、もう少し待ってくれ。俺も、早くお前を自由にしたい。大丈夫、いつか帰れるから。約束する」

 確信はないが、思わずそう言ってしまった。彼女を少しでも安心させたい、その気持ちが先に出てきてしまったのだろう。しかし彼女は、先程よりも少し笑顔になった。そして、

「ありがとう」

 と言ってくるので、ヒカルの鼓動は更に高鳴った。今度はヒカルが、彼女から視線を逸らしてしまった。それでも、彼女の穏やかな視線をいつまでも感じられた。

 彼女が寝た後、ヒカルは良に電話をかけることにした。あの件について、まだ答えられていなかったのだ。合コンに行っている間、ヒカリを一人にしても大丈夫かと不安だったが、今日店で話を聞いて安心した。ヒカリは、ちゃんと働けていた。それなら、行っても大丈夫だろう。ヒカルは、良から誘われた合コンへ行くことにした。まだ見ぬ世界だが、いつか行ってみたいという願望は抱いていたのだ。
 ヒカルは脱衣所へ行くと、良の番号へ電話をかける。この時間帯なら、良も起きているはずだ。案の定、良はスリーコールほどで出た。

『もしもし。あ、ヒカル?』
「良、今大丈夫だったか?」
『あ、うん。大丈夫だけど。あ、もしかしてあれか?』
「あぁ。俺、行こうと思ってさ」
『彼女は大丈夫なのか?』

 良も、ヒカリのことを気にしてくれているようだ。良のくせにと思いながら、ヒカルは答える。

「大丈夫だよ。あいつも、ちゃんとやれてるから」
『まぁ、お前が言うなら間違いないよな。それに、俺は信じてたぜ。お前なら、行くって答えてくれるってな』
「どんな確信だよ……。じゃあ、そういうことだから。予定が決まったら、教えてくれよ」
『あいよ』

 ヒカルは、良の返事を聞いて電話を切った。部屋に戻ると、ヒカリが寝息を立てながら眠っている。その寝顔は、幸せそうにも見えた。しばらく見とれていたが、起こしてしまうと申し訳ないと思い、ヒカルも隣の布団に入って寝ることにした。明日は、朝から大学で授業があるのだ。
 その日は、バイトなどで疲れが溜まっていたせいか、すぐに夢の世界に入り込めた。それにしても、緊張しすぎて眠れないとは何だったのか。

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