オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第四十六話 『夜』

 ヒカルはヒカリと朝食をとった後、彼女をハローワークに連れていった。名前を呼ばれると、若くて優しそうな女性が待っていた。ヒカルは、ヒカリを女性の前の椅子に座らせた。

「では、まずどんな職業をご希望ですか?」

 女性に質問されても、ヒカリは黙っているので、ヒカルが代わりに答える。

「あの、まだ学生なので、バイトを募集しているところを紹介していただけたら嬉しいんですけど」
「わかりました。では、どんな仕事がいいかを教えてください」

 こればかりは、ヒカリの意見を聞かないといけない。

「ヒカリ、どんなのだったらやれそうだ?」

 しかしヒカリは俯いたまま、一向に答えようとしない。担当の女性も入って間もないのか、困ったような顔をする。

「えっと……、お勧めはですね……」

 気を利かせてか、女性は冊子のページをめくる。その時、ヒカルは手を挙げた。

「あ、あの。じゃあ、先に俺の方お願いしてもらっていいですか?」
「えっ? えぇ、構いませんけど」

 女性も了承してくれ、今度はヒカルが椅子に腰かけた。ヒカリに、どうするのか手本を見せてやろうと思ったのだ。

「じゃあ、ご希望の職種を教えていただけますか」
「はい。前に、飲食店でバイトやってたんことがあるんで、今度もそっち本面にしようかなって思ってまして」
「では、レストランとかが良いですね」
「はい。それでお勧めの店とかあったら、紹介してほしいんですけど」
「わかりました。そうですね、お勧めはですと……、ここなんか良いかと思いますよ」

 女性は、冊子に紹介されているレストランのページを指しながら言った。ヒカルは異性になっている時、メイドカフェでバイトをやった経験がある。当時は接客業などもってのほかだと思っていたが、そこに様々な出会いがあるのだと知って、次第に楽しみになっていた。だから今回も、接客業メインの仕事をしようと考えていたのだ。

 その後、ヒカルは女性から、その店の特徴やオーナーなど、詳しい話を聞いた。その横で、ヒカリもその様子を見ていた。ヒカルはそこを受けることに決め、早速電話をかけた。面接の日程が決まると、ヒカルは電話を切った。

 そして、今度はヒカリの番になった。ヒカルは立ち上がり、再びヒカリを椅子に座らせた。今のを見て、ヒカリも大体のことは理解出来ただろう。

「で、では、あなたはどんな仕事をしてみたいですか?」

 女性は、ヒカリに対して優しく質問する。それでも、ヒカリは目線を下に落としたまま何も答えない。ヒカルも、徐々に気まずくなってきた。

「ヒカリ、どんな仕事がいいんだ?」

 ヒカリの耳元で、ヒカルは尋ねる。すると数秒後、僅かながらヒカリの声がヒカルの耳に、迷い子のように流れてきた。

「私も……、色んな人と話せる仕事がしたい……」

 その声は、その担当の女性にも聞こえていたようだ。女性は笑顔で、

「では、喫茶店とか興味ありますか」
「はい」

 こうして、ヒカリは様々な喫茶店を紹介してもらった。数ある候補のうち、マンションから一番近い店を選んだ。ここでは他の客もいて、騒がしいのでヒカリの声が通らないと判断し、ヒカルは彼女を外に連れ出した。そこで、自分の携帯を渡す。ヒカリは、先程の女性からもらった冊子に書かれてある電話番号を見ながら、その店に電話をかける。それを、ヒカルも黙って見守ることにした。

「もしもし……? あの、お仕事中すみません。バイト希望なんですが……」

 ヒカリは顔を赤く染めながら、用件を話した。こんな調子で本当に受かるのかヒカルは不安に思ったが、それでも今は彼女を信じることにした。面接の日程を聞きながら彼女はメモを取り、そして終了すると電話を切った。
 ヒカルは彼女の書いたメモを見ると、なんと自分の面接と同じ日だったのだ。しかし、それを見てヒカルは何故か安心できた。日程が被っていなかったら、心配で彼女についていっていたかもしれない。そうなれば、彼女のためにならないだろう。

 それにしても、異世界線の自分がこんなにも臆病だったとは思わなかった。ヒカル自身、ずっとあの世界で暮らしてきた周りが何も言ってくれないものだから、あれで普通なのだろうと決めつけていた。そんなことを考えながら、ヒカルはヒカリをマンションに連れて帰った。


 その日はそれから、適当に過ごした。ヒカルは、久々に携帯用のゲームをした。一方、ヒカリはテレビを見ていた。この世界では、することがないのだろう。やがて夜になり、二人は食卓に向かい合った。ご飯は炊いたが、あとは適当にスーパーで買って来たものだ。無論、すべてヒカルが用意した。
 黙って食べているヒカリに、ヒカルは声をかけた。

「なぁ、ヒカリ」

 返事は、もちろんない。それでも構わず、ヒカルは続ける。

「明日、服買いに行かないか?」

 それを聞くと、ヒカリが手を止め、ヒカルを見つめた。誤解でもさせてしまっただろうかと、ヒカルは焦って弁解する。

「あ、いや……。そういう意味じゃなくて、ほら、この部屋には俺の着る服以外ないだろ? だったら明日、女もんの服買いにいこうと思ってさ。俺一人じゃ周りから変な目で見られそうだからさ、君も一緒に来てくれよ。いいだろ?」

 ヒカリはまた、無言で頷くのだった。それを見て、ヒカルもホッと胸を撫で下ろした。こんな生活は、いつまで続くのだろうか。出来れば、早くに彼女を元の世界に帰してやりたいと思った。


 食後、順番にシャワーを浴びることになった。先に、ヒカリがシャワールームに入る。ヒカルも、女になったばかりの頃は大変だった。裸になるごとに、いくつ罪悪感を覚えたか知れない。そんな思いをもうしなくて良いと思うと、嬉しかったが少し寂しくもあった。

 そんな時、前の世界での出来事を思い出す。ヒカルは女の体になって、異なる世界線で日々を送った。その時、部屋の中で一枚の紙きれを見つけた。それにはいくつもの目標が書かれ、その中に「彼氏がほしい」とあった。その横には、大きくバッテンがつけられていた。あれは、ヒカリが高校時代に書いたものだ。ヒカリも、彼氏が欲しかったのだろう。
 その目標は、叶うことはなかった。ヒカルと同じだ。好きな女子はいたが、自分が告白する前に、友達に先を越されてしまった。ヒカリも、恐らく同じ経験をしたに違いない。いや実際、向こうの世界の夏希からそうだと聞かされている。
 つまり、待っているだけでは幸せはやって来ないということだ。自ら行動し、チャンスを掴み取らない限り、決して幸せを掴むことなど出来ない。それは嫌というほど学んだ、はずなのに……。

 ヒカリがシャワーから帰ってくると、今度はヒカルがシャワーを浴び、そして寝ることになった。ヒカリが、部屋で一人で寝るのは嫌だというので、リビングで布団を二つ並べて寝ることになった。本音を言うと、ヒカルはソファーの上で一人で寝たかったのだが。しかし、ヒカリもまだ色々と混乱しているのだろう。なので、今はヒカリの気持ちを優先することにした。

 部屋の電気を消し、ヒカルは布団に入った。しかし、当然ながら寝つけない。別世界の自分とはいえ、女性と布団を並べて眠るなど、初めての経験だったからだ。心臓が破裂しそうなくらい、バクバクと音を立てている。
 女性と一緒に暮らしたいという願望は昔からあったが、急に行き過ぎた感じがする。横を見ると、ヒカリもまた、目を開けている。気を紛らわすため、ヒカルは彼女に話しかけることにした。

「なぁ、ヒカリ。君、彼氏欲しいの?」

 思わず、そんな質問をしてしまったヒカル。自分でも、何故そんなことをきいたのか、よく理解出来なかった。

(えっ、違う違う! 何きいてんだ、俺!)

 ヒカリが何も答えないから、余計に気まずい。この空気を打破するためには、他の全く関係ない話題を振らなければならない。何とかして、軌道変更しなければ。

「あ……。服、買うとしたらさ、どんなのがいい?」

 これも、微妙な内容だ。先の話と直結するかと考えた時に、全然関係ないとは言いきれない。依然として、彼女からの返事は返ってこない。

(頼む! 何でもいいから答えてくれ!)

 ヒカルは、心の中で必死に懇願した。その時、突然ヒカリがヒカルの手を握ってきたのだ。それを感じた時に、ヒカルは胸の動悸が急に治まったような気がした。

「しばらく……、こうしてていい?」

 ヒカリに尋ねられ、今度は逆にヒカルの方が困惑した。異性に、手を握られている。

「あ。あぁ……」

 ヒカルも答えるが、どうも落ち着かない。鼓動がまた、音を立て始める。緊張とはまた違う、まるで誰かに心臓を握られているかのような感覚を味わった。ヒカルが思いきって横を見ると、ヒカリの寝顔が目に飛び込んでくる。それを見ていると、欲求を抑えられなくなった。
 ヒカルは握っている手と逆の手を伸ばし、彼女の頬に触れた。それはとても柔らかく、少しの衝撃で弾けて消えてしまいそうだった。起きている時とは違って、幸せそうな寝顔だ。ヒカルは、それを見ると安心した。そして心の中で「おやすみ」と呟くと、ヒカルもそのまま目を閉じる。この時間が、いつまでも続けば良いのにとさえ思えた。

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