オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第二十四話 『特権』

 後期授業が始まり、しばらくが過ぎた。夏はバイトが済んだ後、一人二次会的なことをやった。その生活が抜けきっていないせいか、頭が痛い。

 結局あの後、他のことに時間をとられ、やるべきことが出来なかった。「女」という立場がどのようなものか詳しく知るためには、まずはこの世界で男とつき合ってみるのが一番良い方法なのかもしれない。でも、ヒカルはあまり気が進まなかった。もしもそれで、男だということがわかってしまうと、この世界にいられなくなる。

 ヒカルは大きく溜息をつくと、マンションを出た。真理子からの呼び出しがあったのだ。今日は休みだと聞いていたのに、バイトのシフトを無理矢理入れられてしまった。もともと、今日入る予定だったメイドに急用が出来たため、ヒカルのところに連絡が来たのだ。

 そういえば、あれから真理子の態度がガラリと変わった。「喫茶連合」という組織の役員達から店を守った後、真理子はヒカルにどうしても店を辞めないでほしいと言って聞かなかった。出来れば、バイトではなく、正の従業員として入り直すよう勧められたが、ヒカルは断った。大学の授業もあり、何しろそのようなことに時間を割く方がバカバカしい。

 本音を言えば今日もあまり来たくはなかったが、少しでも現実を忘れたかった。焦りと不安がごちゃ混ぜになって、毎日が楽しめない。このままでは、目標を達成できないまま二十歳を迎えてしまう。そうなる前に、何としてでも、突破口を見つけ出さなくてはならない。逃げているだけでは何も掴めない、それはわかってはいるが、どうしてもつい逃げたくなってしまう。

 ドアを開けると、真理子が声をかけてくれた。あの件以前は、ヒカルが出勤してきても素通りだったが、今では必ず挨拶してくれる。どこを気に入ったのか、ヒカルにはわからないが、それでも前より働きやすくなったのは事実だ。一時、従業員の半減して往生したが、また徐々に数が増え始め、一度は辞めた者の中には、また店に戻ってくる者もいた。

 客はといえば、あまり大差はない。あの日は、良の手助けのおかげで、いつもの数倍もの客数を獲得できたのだ。しかし、人は単純な生き物であるということを、ヒカルは改めて知った。あの日に来てくれた大半の客が、あの日以来店に姿を見せなかった。あれは、あくまで店を存続させるために来たということだろう。

(何が非リア充なめんなよだ……)

 ヒカルはがっくりと肩を落としながら、テーブルを拭いていた。この日も、いつもと変わらない客足だったため、それほど慌ただしいものでもなかった。

 夜の十時を過ぎ、ヒカルは帰ろうとしていると、真理子が来て言った。

「真宮さん。今日、ちょっとつき合ってくれない?」
「何をですか?」
「同じ姿勢ばっかりで、背骨とか痛いでしょ? だから、伸ばしてもらおうかなって」

 真理子はそう言うと、ニッコリした。ヒカルは可愛いと思ったが、何か裏のありそうな顔にも見えた。しかし、今は気にしないことにした。

 店を出ると、ヒカルは真理子に連れられ、整骨院に行った。出迎えてくれたのは、優しそうな女性の療法士だった。

「いらっしゃいませ」
「あ、今日は同僚を連れてきました」

 真理子も、その女性に挨拶をする。ヒカルは、このようなところへ来るのは初めてで、少し落ち着かなった。それを察したのか、

「どうぞ、リラックスしてお待ちください」

 と、女性は言った。見ると、マッサージ用の椅子が並んでいるのが見える。ヒカルは、真理子に尋ねた。

「毎日、ここ来てるんですか?」
「ううん。週に一回だけ。ここの先生とても優しいから、好きなの」

 真理子は、笑いながら答えるのだった。それは、何かを秘密にしているような顔だった。そして、二人は呼ばれた。奥の方に小部屋があり、ベッドが一つ置いてある。真理子が中に入ると、ヒカルは外で待とうと思った。

「あなたも入って」

 真理子が言うので、ヒカルは戸惑った。女性の裸が見られる、しかし罪悪感もあった。どうしようかと迷っていると、療法士の女性が言った。

「大丈夫ですよ。良かったら、見学していってください」

 それを聞いてヒカルは、思いきって中に入ることにした。中では、真理子がマッサージを受けている。女性は、カーテンを閉めた。ヒカルは、表に出さないように細心の注意を払いつつ、ドキドキしながらそれを眺めた。そうすると急に真理子が、

「あなたも触ってみる?」

 と言うので、ヒカルは断った。ここでもし、調子に乗って触ってしまったら、自分の心をコントロール出来ずに、興奮が治らなくなるかもしれない。ヒカルは風呂に入る時も、なるべく体は素手で触らないようにしている。やはり、自分が女になっていたとしても、男としての本能が芽生えてきそうなのだ。

 ヒカルはとうとう我慢できずに、部屋を飛び出してきてしまった。荒くなった息を整え、気持ちを落ち着かせる。真理子から、変に思われなかっただろうか。ヒカルはまた、恐る恐る真理子のいる部屋に戻ってみた。真理子は、目を閉じて気持ち良さそうにしている。それを見て、ヒカルはホッと胸を撫で下ろした。

 マッサージが終了すると、真理子が部屋から出てきた。

「気持ち良かったわよ。あなたも受けたら良かったのに」

 そう言うので、ヒカルは自分が受けたら大変なことになるから、受けないで良かったと思った。真理子はマッサージしてくれた女性に礼を言うと、ヒカルと一緒に整骨院を出た。そして真理子と別れ、ヒカルも自分のマンションへと帰った。

 貴重な体験をしてしまった。ヒカルは部屋に入るなり、また興奮しそうになるのを必死に抑えた。あれは、ヒカルが女になっていたから出来たことだ。言わば、ヒカルだけに与えられた特権だった。男の世界において、あのような体験をすることは、まずないだろう。自分がマッサージを受けたわけではないが、思い出すだけで嬉しくなるのだった。

 しばらく妄想に耽っていると、男の声がした。

「おやおや、これは楽しそうですね。目標のことは、もう良いのですか?」

 その声を聞き、ヒカルは我を取り戻した。前を向くと、黒岩が怪しい笑みを浮かべながら、部屋の中央に立っている。それを見たヒカルは、急いで飛び上がった。

「わっ! お前、どうしているんだよ!」
「前にも申し上げたように、私には貴方を管理する義務があるのですよ」
「だからって、全然気づかなかったぞ! ……何しに来たんだよ?」
「様子を見に来たのです。妄想をしているだけでは、前に進めませんよ」
「余計なお世話だよ! 俺はもう、今度こそはうまくやるって決めたんだから」
「ほほう、それはそれは。期待していますよ。貴方には是非、幸せになってもらわないとこちらにとっても困りますので」

 そう言った黒岩は、またいつものように笑いながら、ヒカルの前から姿を消した。本当に、それを言うためだけに目の前に現れたのだろうか。ヒカルはその場に座り込んだまま、これまでのことを反省した。

 黒岩の言う通り、妄想しているだけでは幸せにはなれない。何とか、きっかけだけでも作っておきたい。でも、恋愛経験のない過去は変えられない。いっその事、恋愛小説でも読んでみたらどうだろうか。どのようなシチュエーションで、どのような行動をとれば良いのか、参考程度にはなるかもしれない。

 考えていると、カーテンの閉め忘れに気づく。ヒカルは立ち上がり、カーテンを閉めようと窓辺に立った。すると相も変わらず、遠くの街明かりが非常に眩しい。まるでヒカルを煽るように、夜の街で輝き続けている。ヒカルは都会の大学に通っているため、それは仕方のないことかもしれないが、ヒカルはそれを見る度に焦るのだ。今頃、街では夜景を楽しんでいるであろうカップルが、瞳孔の裏に浮かぶ。

 もう時間がない、何か行動を起こさねばならない。あの雪也でさえも、決意をして行動を起こしたのだ。そのおかげで、夏希と男女の関係になることが出来た。そうなるためには、まず自分の殻を打ち破らなければならないだろう。初めて、夏希に告白したあの日のように……。

 ヒカルは都会の空を見上げながら、また決心をするのだった。今回は、必ずそれを現実にしてみせると。

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