オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第十三話 『なめんな』

 真理子は早朝から従業員を集め、対策会議を開いた。喫茶連合の男たちから出された、「三日以内に三百人を収容すること」という条件をクリアしなければならない。これを達成しないことには、この店は存続できなくなる。無論、あの男たちが無理な難題を押しつけたのは目に見えている。真理子は諦めないと言ったが、これによって結果が変わるとはとても思えなかった。だが、店の従業員たちは皆、真理子に従った。店の責任は店長ではなく、実質真理子にある。皆、少しでも客を増やそうと昨晩、ヒカルと同じく眠らずに友達一人ひとりに電話で声をかけていたようだ。しかし、それだけでは到底目標人数には届くはずもなく、皆頭を悩ませた。それでも何もしないよりはましだと自分に言い聞かせ、昨日から電話をかけまくっていたらしい。それは、皆がこの店を守りたい、真理子の気持ちを無駄にはしたくないという、一心だったのかもしれない。

 時に真理子は今朝、店の前を掃除していたら一人の子供が近づいてきて、飴玉を渡してそのまま去っていったのだという。その子供は、真理子が声をかける前に向こうへ駆けていってしまったそうだ。近頃、店の周りで遊んでいる子供だったと、真理子が嬉しそうに話しているのをヒカルも聞いていた。このような大一番に、よくそのように平然としていられるなと、ヒカルは半ば呆れながら話を聞き、それでもこれが真理子の良心というものかと、微笑ましくもあった。

 開店時間になり、店の中はいつもに増して慌ただしくなった。店は一瞬にして緊迫感に包まれ、客はまだかと皆そわそわとし始めた。十分程が経ち、客がぽつぽつと入りだした。中には、従業員の友達もいた。願いを聞き入れ、彼氏を連れて入ってきたのだ。それを見て、大喜びしている同僚がヒカルの目には新鮮に映った。昨日やったことが無駄にはならなかったのだということが、何よりの救いだったのかもしれない。

 それより、良は今頃何をしているのだろうか。店が開いて三十分近くも経つというのに、一向に来る気配がない。電話をかけた時、用事が済んだら来ると言っていたので、まだ気にすることではないと、ヒカルは思った。

 その後も従業員関連の来客が目立ち、その日の合計来客数は八十人ほどになった。売り上げも、いつもの倍以上となった。これには皆、声を揃えて喜び合った。しかしあと二百二十人もの客を、残り二日で迎えなくてはならなかった。いつもよりは多かったものの、一日目の人数が百人を下回ったということは、目標へのリスクがさらに大きくなったということでもある。真理子は、どうしたものかと頭を悩ませていた。

 ヒカルも部屋に戻り、これからのことを考えた。結局、ついに良は現れなかった。所詮、そんな奴だったとヒカルは落胆した。前の世界でも、イベントなどの際に自分が行こうと言い出した相手がドタキャンということはよくあった。ヒカルは、少しでも期待した自分を恥ずかしく思った。
 良が頼りにならないなら、他に頼るしかない。しかし、他に誰がいるだろうか。ヒカルは、当てはないかと自身のスマホを見た。無論、サークル以外にはあまり友達はいない。昼休みも、大概は一人で過ごすことが多かった。その時、不意に崇大の名前が目に入る。その名前を見て、しばらく考えた。

 「思うように生きればいい」と言ってくれたが、それ以外はかなり図々しくて良い印象が見当たらない。ヒカルは結局、無視することにした。そもそも、メイドカフェでバイトをしているところを知り合いに見られるなど、絶対に嫌だった。これは、真理子や他の従業員の人脈にかけるしかない。ふと時計を見ると、すでに深夜を回っていた。

 そして翌朝、店ではまた会議を開かれた。他に客を増やす手段はないか、と真理子が質問したところ、これといった良い案は出てこなかった。そして誰も何も思いつかないまま、営業スタートとなった。この日も、いつもより客足は良かった。しかしその日もまた、良は来てくれなかった。期待するだけ無駄だったと、ヒカルはまた落胆する。

 二日間の客数は百五十人、今までの最高だった。明日、少なくともあと百五十人は店に入れないと、この店はなくなってしまう。そのせいか、その日は誰も笑っていなかった。皆のその表情を見ていると、ヒカルも遣る瀬なくなってくる。そして、皆を励まそうと声をかけた。

「諦めるのはまだ早いですよ」

 しかし、誰も答える者はいない。普段なら、「新入りが生意気なことを言うな」などと、ハナたちから言われるだろう。しかしほぼ全員が下を向き、無表情を貫いていた。それは時に、恐ろしいほどだった。

「ありがとう。やっぱり無理だった。ごめんなさいね」

 唯一、ヒカルの声に答えた真理子ですらも、そう言うと奥の部屋へ入っていった。やはり、無謀な選択だった。それは、店にいる誰もが認めざるを得ないだろう。真理子は、男たちと無理な約束をしてしまった自分を責めているのだとヒカルは思った。しかし、先に挑発を買ったのは、他でもないヒカルだ。そしてヒカルもまた、自分を責めていた。どうしてこんなことになってしまったのだろう、そればかりが無限ループのように、頭の中に現れては消えていくのだった。

 思えば、ヒカルはこれまでに誰かのためになりたいと思ったことがない。だから今回は、誰かの助けになりたいと思っていた。しかし、それも叶わなかった。結局、どこの世界に行っても、残酷や理不尽という言葉は生き続けるのだろう。まるで思い通り、望み通りになる世界は存在しないのだということを、無理やり悟らされたような気分になった。

 翌日、ヒカルが店に来ると中は静まり返っていた。真理子から聞かされたことは、多数の従業員が昨日で辞めてしまって、今は数人しか残されていないという事実だった。それを聞くと、ヒカルは何も返す言葉を見つけられなかった。多少は予想していたが、現実になると心が苦しくなった。そしてその日も、何もしないまま開店時間が来る。

 その日は昨日までとは打って変わって、なかなか客が入ってこない。午前中に来た客は、たった十人だけだった。昼、店にいるのはヒカルと真理子、そしてたった数名のメイドと一人の客だけだった。無言が続き、客が気まずそうにコーヒー注文する。真理子は無言でコーヒーを落とすと、テーブルにそれを運んだ。そしてその客も、会計を済ませると帰ってしまった。とうとう、店には客が一人もいなくなった。

 夕方、ヒカルは床を掃除していた。すると、店の戸が開く。そこには、喫茶連合の男がいた。店を残すための条件を提示した男だ。

「おやおや、もう店仕舞いですか」

 男はニヤリとしながら、そう言った。知っているくせにと、ヒカルは気にも留めずただ手を動かしていた。そして、その男は続ける。

「まぁ、初めから結果は見えていましたけどね。色々とやっていたみたいですが、残念でしたね。明日からは、皆さん、新しいバイト探しですか。大変ですね~」

 真理子は、初めのうちは無視して手を動かしていたが、次第に悔しくなったのか、いつの間にかその手が止まっていた。ヒカルはそれを見て、真理子の気持ちを察した。

「……帰れよ」

 ヒカルは男に言った。すると、男がこう言ってきた。

「ハハハ、わかりました。でも、約束は守ってもらいますよ。約束を果たせなかったのは、そっちなんですから」

 ヒカルも悔しくなり、モップを手が痛くなるまで握りしめた。その時だった。店の扉が開くと同時に、人が流れ込んできたのだ。それが何なのか、すぐにはわからなかったが、その中に良がいるのを見て、ヒカルはあることを確信した。

「遅くなってごめん」

 良がそう言いながら、ヒカルに近寄ってきた。

「遅いぞ」
「ごめんごめん、実はSNSで人集めるの時間かかっちゃってさ」

 良はヒカルに言われた日から、ずっとネットを通して来てくれそうな人を探してくれていたのだ。恋人がいない人の多くは、喜んでその話に乗ってくれたのだという。ギリギリになってしまったのは、一人でも多くの人に声かけを行っていたからだ。

「これは、何かの間違いでは……」

 男は困惑したように呟いていると、良はその男に対して言い放った。

「非リアなめんなよ!」

 良のおかげで、三日間の合計来客数は四百人以上、そして何より店は存続できることになった。約束は約束だからと、真理子が喫茶連合と交渉したところ、存続の許可が下りたのだった。


 ヒカルは、この一件が終われば店を辞めようと考えていたが、真理子に残ってほしいと懇願されたため、それはまた次の機会にしようという結論に至った。帰り道、良と別れた後、ヒカルはまた夜空を見上げた。眩しい限りの星たちが、無邪気に輝いている。
 「希望」と書いて、「ヒカル」と読む。ヒカルのこれまでの人生は、ろくなことがなかった。思うようにいかず、投げ出したい気持ちになったのは一度や二度ではない。それにより、ほとんどの時間を一人で過ごしてきたのだ。好んで独りになったわけではない、運命がそうさせたのだ。
 ずっと、「リア充」と呼ばれる人々が羨ましかった。同じ人間なのに、こんなに不平等があっていいものかと、恨めしく思ったことも一度や二度ではなかった。決して、不細工というわけではない、それならば、何故モテないのか。もしかすると、答えはもう自分の中で見つけ出せているのかもしれない。しかし、自分自身がそのことを認めないようにしているのだ。

 この世界に来て、女になり、何が変わっただろうか。何を見つけたのだろうか。自分の人生は、一体どこで間違ってしまったのだろう。ヒカルは、すでにわかっていた。だが、二度と思い出したくない、その思いが更に自分を苦しめていく。
 ヒカルは公園のベンチに腰かけ、星を眺めていた。自分にも、あのように輝ける未来が来るのだろうか。名前のように、希望を持てる日が来るのだろうか。ヒカルはそのような自問自答を繰り返しながら、まるで自分のことを嘲笑うかのように光を放っている星々を見ていた。そして、気がついたら夜が更けていくのがわかった。

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