オモテ男子とウラ彼女

葉之和駆刃

第九話 『平生』

 数日が過ぎ、ヒカルは初めてバイトで休暇をもらえることになった。久々に予定がなく、昼過ぎまで寝ていた。特に予定が入っていない日は、二度寝や三度寝は毎度のことである。

 目が覚めてからも、ヒカルはベッドから出ずに考えていた。黒岩が言っていた、言葉の意味についてだ。もしこの世界に百人いれば、そのうちの数人はあらゆることを受け入れてしまうといった話だった。しかし、本当にそうだろうか。どう見ても姿が女子であるのに、心は男子だと言われても、おそらくほとんどの人間は信じようとしないだろう。もしかすると、その中の一人ぐらいは信じる者がいるかもしれないが。

 一般的に考えても、非現実的だと思うことは、脳が勝手に受け入れを拒否してしまう。だから、なかなか信じないのだ。ただ、一つだけ気になる点がある。それは崇大のことだ。崇大はヒカルの顔を見て、「知られてはいけない何かを隠しているのではないか」と言っていた。それは、ヒカルの正体を見破ったのか、ただ何となくそう思ったのかは知れない。だが、もしそうだとするならば、厄介極まりない。自分で見破ってくれと言ったようなものだから、自業自得と言われればそれまでだが、黒岩の話によると、人に正体を知られると記憶は消され、元の世界へ強制的に戻される。そうなってしまったら、自分が何のためにここへ来たのかわからなくなる。ここへ来て、まだ何も成し遂げてはいない。それ故に、まだ帰るわけにはいかなかった。

 そこで、ふとある考えが頭を過る。良に相談してみてはどうだろうか。良は、ヒカルと同じ被験者なので、情報を互いに交換することを許可されている。そう思っていた矢先、携帯が鳴った。画面を見ると、偶然にも良からだった。電話に出ると、今近くにいるからヒカルのマンションに寄ってもいいかと尋ねてきた。ヒカルにとって、それは有り難い話だった。すぐに着替え、迎える準備をした。

 数分後、チャイムが鳴り、良がヒカルの部屋を訪ねてきた。

「おはよ~、大丈夫だった?」

 良は、暢気そうに言った。ヒカルはしばらく、良と関係ない話をしていたが、場を見計らい、本題を話す機会をうかがった。

 話によれば良は今日、あのバイトを辞めてきたのだという。そして、新しいバイト先で面接を受けてきたばかりだというのだ。

「なんか、飲食店よりもゲーセンとかの方が楽しそうだと思ってさぁ~」

 良が話すのを聞いて、ヒカルはそろそろ本題に入ろうと考えた。そして、良にきいた。

「良はさ、この世界で何しようとしてんの?」
「う~ん。でも女子の気持ちになってみるってのも、違う自分が見られていいと思うんだ。だから、ここにいる間はうんと楽しまないと損だろ」

 ヒカルはそれを聞いて、何故だか少し安心できた。焦っていたのは、自分だけだったのかと今までのことを反省した。そして、

「もう一つ、ききたいことがあるんだけど」

 と言うと、

「何?」

 と良も、きき返してきた。

「お前がもし、あのプロジェクトの存在を知らない人間だとして、例えば仲のいい女が、実は自分は男ですって言ってきたら、信じるか?」
「俺だったら……、信じないかな」

 良はしばらく考えたあと、そう言った。予想通りと言えば、予想通りの答えだった。

「だって、普通に考えておかしいじゃん。漫画とかだったらアリだけど」

 やはり、そこまで気にする必要はなかったのだろう。おそらく、崇大も気づいていないはずである。ヒカルは、良の言葉を聞いて安心した。

「まぁ、俺はどっちでもいいけど」
「何と比較してんだよ」
「信じるか信じないかって話だよ。俺、元々そういうのに興味ないからなぁ」
「じゃあ、何に興味あるんだ?」
「べつに……。それよりさあ、お前また明日からバイトだろ。頑張れよ。俺でよければ、愚痴とか聞くからさ」

 これは、友達の気遣いというものだろうか。ヒカルは頷いた。べつに良に愚痴を言ったところで何の解決にもならないが、これは良にとっての気遣いだということにして、その時は素直に受け取ろうと思った。大学の授業にも出ないとならないし、今までの倍以上の予定に今ひとつ馴染めずにいる自分を、励ましてくれているのだと前向きに考えなければ、こんな生活などやっていられない。ヒカルは今日もまた、睡眠を十分にとって明日に備えることにした。

 次の日、大学の授業が終わり、ヒカルはバイト先のメイド喫茶に足を運ぶ。すると真理子が、

「今日もビリになっちゃったら、今月分の給料がごっそり持ってかれるから、注意してね」

 と、いきなり笑いながら言ってくる。完全にバカにされているようだ。ヒカルは、余計なお世話だと思いながら、特に気にする素振りは見せず、着替え室に向かった。そして、着替え室の前を通った時。中から、他のメイドたちの話声が聞こえてくる。不器用だの、言われたことしかやらないだのという、誰かの悪口だった。ヒカルは名前を聞かなくても、それが誰のことかわかった。自分のことを言っているのだろう。誰かを批判することで、日々のストレスを解消している、くだらない話だ。

 女というのは、すぐに誰かの陰口を言いたくなる生き物だ。ヒカルは、そんな考えがとてもじゃないが理解できなかった。どうせ言われるなら、目の前で堂々と言ってくれた方がすっきりする。そんなことでしか鬱憤を晴らせない人が、ヒカルは可哀想だと思った。ヒカルは、何も聞こえていなかったように扉を開ける。メイドたちの視線は、やはりヒカルに向けられているようだ。何も気にすることなく、ヒカルはロッカーの扉を開けた。普段は、借りているメイド服は持ち帰ってはいけないため、それぞれのロッカーで保管して管理するのが規則となっている。しかし、ヒカルは自分のロッカーの中を見ても、空のハンガーがかかっているだけであった。後ろのメイド数人が、クスクスと笑い、ヒカルを見ている。

(陰湿だな……)

 ヒカルは、涼しい顔でハンガーを持ち、その部屋を出た。その時に、ヒカルは思った。悪口よりも、行動で相手に自分の気持ちを伝えた方が良いのではないかと。そしてドアを開けた瞬間、ふり向いてヒカルは中にハンガーを投げ入れた。メイドたちは驚き、

「きゃっ」

 と声を上げ、後退りした。

 メイドたちは、新しく入ったヒカルのことが気に食わないだけだろう。ならば、どうしてそれをはっきり言わないのだろう。何故、そのような陰湿な行動をするのか、ヒカルにはわからない。これが、女の気持ちというものなのだろうか。しかしヒカルは、そのような気持ちは死んでもわかりたくないと思った。

 ヒカルのメイド服を持ち出したのは、おそらくあのうちの誰かだ。それ自体、聞かなくてもわかった。五分後、服が裏口から出た数メートル先の庭に捨ててあるのを見つけた。幸い、土がついているだけだったが、急いで洗濯しないと業務ができない。バイト代が、ごっそり削られる。しかし、そのためには真理子に事情を話し、洗濯機を使う許可を得なくてはいけなかった。

 ヒカルは真理子を探しに戻ったが、どこにもいない。またあのメイドたちが来る前に、早く洗って着替えないとならないというのに。ヒカルは考えた。使ったあとに、説明すればわかってもらえるだろう。そして、洗濯機がある部屋に向かった。

「あれ、汚れたの?」
「きったなーい」

 ヒカルが洗っていると、洗面所の前をメイド数人が通った。ヒカルはその時、辞めようかという思いが頭を過った。でもそうすれば、あの女たちから逃げるために辞めたことになる。そう思われることだけは、絶対に嫌だった。どうせ辞めるなら、何としても今月の給料をあのメイドたち以上に稼がねばならない。辞めるのは、その後でいい。

 ヒカルは洗い終えると、急いで制服を乾燥機に入れる。真理子は依然として、帰ってくる気配がない。この店は、普段は真理子が仕切っていた。店長が、偶にしか顔を出さないこともあり、真理子自身、この店の店長のような存在だったのだ。しかし、本当にどこへ行ってしまったのだろう。真理子が来ないことには、営業が始められなくなる。

 ヒカルの服が完全に乾いたころ、真理子がやっと店に戻って来た。走ってきたらしく、荒々しく息を吐いている。何かあったのかと、一人のメイドが尋ねた。そして、真理子は息を整えながら答えるのだった。

「大変な、ことになっちゃったの……」

 その様子を、ヒカルも黙って見ていた。大変とは何のことだろう。今までの時間、どこで何をしてきたのか。そしてヒカルの目には、とても困った表情をしている真理子の顔が映るのだった。

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