一息惚れ

kurun

一息惚れ


 彼女は透き通った声だった。

 だが決して透明ではない、有色の声。

 凛とした声だった。


 僕の声はどこかこもった声。

 聞き返されることも多々あった。

 響かない声だった。

 まるで一人で喋っているようだった。


 まだ無口なら良い。

 僕は饒舌とはいかないけれど、誰かと話すのが好きだった。

 誰かと笑い合うのが好きだった。


 いつの日か聞き返されるのが怖くなった。

 自分から話すのが怖くなった。

 だから僕は無口になった。


 だから、僕は彼女の声に憧れた。


 彼女の声を聞くたびに、目を瞑り、聞き入った。

 彼女の声を聞くたびに、僕は劣等感を覚えた。

 彼女の声を聞くたび、僕はこういう声になりたいとそう素直に思った。


 だから、僕は彼女の声に恋をした。


 窓から朝日が差し、彼女の横顔を照らす。

 彼女は席替えの際、いつも窓際を希望した。


 チョークの粉。

 教科書をめくる音。

 教師の声。

 芯を出す音。

 話し声。

 笑い声。

 彼女のため息。


 そのため息ですらも綺麗だと、そう思った。

 彼女が目を細める。

 陽光と空気が彼女の髪を揺らす。

 頬杖をつく彼女。

 そして窓の外を見つめる。

 ため息をつく彼女。

 ため息をつく僕。


 僕は彼女のため息に恋をした。

 一息惚れだった。


 彼女と同じ図書委員になった。

 彼女と話をするようになった。


 彼女は言葉が好きだった。

 綺麗な言葉が好きだった。

 僕も言葉が好きになった。

 綺麗な言葉が好きになった。


 帰り道。

 彼女はため息をつく。

「どうしたの?」と僕。

 彼女はマンホールの上をそっと歩く。

「綺麗に、生きたいの」

 彼女は綺麗な声でそう言った。

 いつもよりも綺麗に思えた。

 僕はただ、

「そうだね」

 そう言った。


 翌日。

 担任が女子生徒との不純異性交友で高校を辞めた。

 女子生徒は自主退学した。

 彼女が学校を休んだ。

 副担任は風邪だと言っていた。


 僕は怖くなって学校帰り、彼女の家に行った。


 彼女が玄関を開ける。

 制服姿だった。

 泣いていた。

 僕は初めて彼女の涙を見た。

 彼女は僕を抱きしめた。

「うまく息が吸えないの」

 彼女の声はこもっていた。

 それでも綺麗な声だと、そう思った。

「だからため息をつくの。はあって」

「うん」

「こうやって私は生きていくのかな?こうやって私は生きていけるのかな?」

 彼女はより強く無防備な僕を抱きしめる。


 無くならないように、と。

 失くならないように、と。

 そう願うように。


「きみのため息は僕が吸うよ。だから僕のため息はきみが吸って」


 僕は透き通った声でそう言った。


 そして僕は彼女にキスをした。




  

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