長いものには巻かれない
朝の一コマ
まだ三月の初旬だ。
さすがに未だ清廉さを残した冷気が部屋を満たしている。
しかしされど春は春ということか。
適当に閉めただけのカーテンの隙間から覗くのは冷気に対抗するような温かなぬくもり。
そんなささやかな日差しに意識が覚醒する。
まだ眠くて気だるい意識の中、鼻腔が僅かな甘い香りを拾う。
花のような、蜜のような、そんな匂い。
決して嫌なものではないのだが、その香りのせいかちょっと息苦しい。
俺の呼吸を妨げるその物体を押し退けようと右手を動かして…。
むにゅり、おれの右手はやけにしっとりと手に吸い付くような…、滑らかなものに触れた。
明らかに枕とは違う柔らかな予想外の感触に朧げになっていた意識の霧が晴れる。
俺は重たい瞼をこじ開けた。
「…、なんだこれ。」
むにむにと感触を確かめつつその正体を掴むべく奮闘する
焦点の合わないそれが定まった時、眼前一面に広がった色に思わずハッとする。
全く日焼けをしていないそれは白にも見まごう。
その色はは大きな双丘の作る影にも負けず、もはやシーツの色に混ざって見落としてしまいそうですらある。
俺の顔があったのがちょうどその影のあたりだから、見失わなかっただけだろう。
確かにこの部分の肌は普段日に当たらないから、などとズレた思考が頭をかすめた。
影を作る二つのうち、一つをつかんだ右手で健やかな寝息を立てるその人を押し退けようと力を入れるが、頭の後ろが何かに引っかかり動けない。
何だと思って横に目をやれば…。
その障害物の正体は、俺の顔を抱き抱えるように巻き付いたその人物の腕だった。
なぜか覚えのある布地で覆われた腕が俺の自由を奪っているのだ。
がっしり捕らえているわけではないのに、器用に絡みつく柔らかい腕。
それと悪戦苦闘し、しばらくしてなんとか解くことに成功した。
ようやく解放されて、重たい身を起こす。
そうしてやっと、その人物を見下ろすことができた。
「だれだっけ、こいつ。」
細くてもしなやかで、程よく筋肉を乗せた健康的な印象を受ける体を俺の隣に横たえている…女の子。
美術館に飾られた彫刻をも思わせるそれを守るものはボタンを留めてないゆったりとしたワイシャツと掛け布団ぐらいのものだ。
その他は何も身につけてない。
だから掛け布団をのけた今、何長くて無駄な膨らみのない足が惜しみなく朝の光の下に晒されているわけだ。
昨夜左サイドにまとめて結っていた艶やかな藍色の髪の毛は、解かれて白いシーツに散らばっている。
すぅ、すぅ、と規則的な呼吸音は薄く開いた唇から漏れており、非常に…アレだ。蠱惑的だ。
そう、その子はたしか…昨日会ったばかりの女の子。
今まで俺は幼子のように彼女の開けた胸に抱かれながら眠っていたらしい。
「…、あ。」
ていうかそのワイシャツ俺のだろ。今日着て行こうと用意しといたやつ。
絶妙にノリが効いてない感じになんか覚えがあると思ったら…。
文句を言ってやろうと口を開いて、息を詰まらせた。
えっと、なんて名前だっけか…。
朝のぼやけた頭では記憶の糸を手繰り寄せる行為にも時間がかかってしまう。
そうやって、ゆっくりと数十秒が経った。
あー、そうそう確か…。
「…ル、シア?」
そう呼びかけながら、彼女顔に垂れ落ちた髪の一房を払ってやる。
その刺激に少女、ルシアは僅かに身じろぎをした。
んっ…、と小さく鼻にかかった声が聞こえて、数秒後に瞼が開く。
「…うぅ? あ、ようすけさん。」
薄雲に覆われたような目がしばし彷徨った。
腕をつっかえ棒の様にして少し体を持ち上げたルシアが目をこする。
そのあとでその視線が俺を捉えた。
ルシアの表情がゆるりと崩れる。
「おはようございます。」
若干舌足らずにそう言ってぼんやりとこちらに笑顔を向ける。
寝起きのせいで僅かに潤んだ瞳がとろんと波打っていて。そのせいだろうか、どこかむず痒い思いだ。
更に少し赤らんだ頬があらぬ方向へ思考を捻じ曲げるから、俺は…。
あのさぁ、そういうのさぁ……。
「…? どうしたんですか? そんなひどい顔して。」
「…。」
こういうのをなんて言ったらいいんだろう。
最高に…、そう最高に……。
          
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