僕のブレスレットの中が最強だったのですが
はちじゅうななかいめ 聖界だね?
白い神々しい光を受けて輝く神殿の中、巨大な水晶が魔術か何かで浮かしているのか、真っ白な神殿を虹色で彩らせていた。
信者は全て神なのだが、時々少し盛り上がった設置をしてある通路を通って跪いて頭を深く下げる。地面にこすりつけて、深く下げる。
そしてその通路の両側の右側には、別の部屋などに続く道があり、司教らしき権力者や聖界貴族の使者などが時たま通り過ぎている。
そして左側には、白一色で染められた、それなりの装飾がある机と椅子が五セット置かれていた。そこで休む客がちらほらと見られる。
ただ、その奥にある一段と違う金に光る机と椅子の一式に座っているのは、ルネックス一行であった。此処は本来シャルが一人で座るべき場所である。
この神殿は聖界の名物でもあり、崇めているのはシャルである。この水晶は随時信者の信仰心により集められる神力で浮かされている。
この水晶は世界の異変を知らせるためにも、何度か歴史上でも使われてきた物だ。
踏み入るだけでも緊張する、清らかな神殿。そこでミルクティを飲みながらシャルと駄弁っているルネックスは目立っている。
英雄だと誰もが知っているために、不満の声は上がらない。
それに、シャルのプライベートな席のために音は完全に遮断され、虫一匹入ることができない上に外からの声も何ひとつ分からない。
音を遮断する機能の付いた結界を張っていると言った方が分かりやすいか。
―――そして、空気が張りつめている原因は皆と違い紅茶を飲む女性だった。
「何をしに此処へ来たのか、迅速にお伝えください。シャル様も私も暇ではありませんので、手早く済ませる必要があります」
『リリアー……仮にもルネックスは英雄だよー……ぞんざいに扱うのは良くない……国民に示しがつかないでしょー……?』
「……ですが。訪問する知らせもなしに来たことに違いはありません」
リリスアルファレットであった。シャルがリリアと呼ぶマネージャーは彼女一人である。ルネックスは苦笑い。
アポなしで来たのは悪かったと思うが、そもそもそう言う時間すらなかった。リエイスは聖界まで上がってくることができない。
そもそも此処にいる者達以外に聖界に上がれるのは英雄たちくらいだ。
その中でも精鋭こそが、聖界に行けるのだから。忙しかったルネックスにはそもそも訪れますという報告すら不可能だったのである。
それも言い訳でしかないのは自覚している。その前から時間を用意しておけば―――いや、恐らくそれでも知らせに来るのは不可能だっただろう。
世界を回るのには順番があり、「訪れます」と伝えたとしても伝令を放てるような場所ではなく、自分の足を使う必要があるのだが、そんな事をしていたらとても効率が悪い。
ただ、訪れるのは国だ。都合など許されるような甘ったるい場所ではないので、ルネックスは素直に反省して頭を下げる。
その態度に少しはこの世界に足を踏み入れることを認められたのか、リリスアルファレットは無言でルネックス一行を見つめていた。
「……それで、何をしにこちらへ? 暇ではないのは見てわかるでしょう」
「実は、世界は平和になったわけではなく、一時的な戦闘が終わっただけです。ここまでは貴女でもわかりますね。戦が終わりたての不安定な世界を本当に平和にするため、英雄たちは様々な手を使ってきたのを文献などで見ています」
「あぁ―――そういうことでしたか。どうぞ、お続けください」
「そこで僕はすべての世界が平和に結びつくように、利益が平等な貿易を様々な世界に持ちかけています。聖界にも、協力願いたくて」
勿論、三千世界を観察し、たまに様々な世界へ降り立ち助言をする役目を持つ聖界が、文献に記される英雄の動きを知らぬはずがない。
それを知った上でルネックスが言っているのは、一目瞭然であった。
適当にはぐらかすのは通らない。今までもごくごく稀に聖界に上ってこれるほどの実力者が貿易を持ちかけたりするが、言葉で丸め込めるくらいのものだった。
力しか磨いていないような者に、聖神という三千世界の柱であるシャルのマネージャーが言葉で丸め込めないはずがないのである。
その相手が英雄だったとしても、彼女の方が何枚も上手だったりするのに。
勿論取り繕える。ただ、取引の材料を用意して来ているのだろう。今までも、何をどう貿易するのだけはきちんと聞いてきたのだから。
「構いませんが、その内容を聞いてからに致しましょう。さすがに、この聖界を不確定要素で動かすわけにはいきません」
「まあそうでしょう。簡単です。魔女界への随時無償協力の代わりに、僕ら一行の無償協力。テーラさんは自由参加になってしまいますが……」
「ん? ああ、ボクもできるだけ参加するよ。ルネックスじゃ力不足になるような事態は少ないと思うけどね?」
あくまでも無表情無感情で語るリリスアルファレットに、ルネックスも淡々と書類を机に置きながら恐れもせずに言葉を放つ。
黙って聖界特産品のミルクティを飲んでいたテーラが即座に反応する。リリスアルファレットはしばらく考えてからため息をする。
魔女界は現在平和に限りなく近い、戦後にしては穏やかに改装が進んでいる。そのために聖界に援助を求めることは少ない。
だが、聖界は違う。戦闘に使われたわけではないが、一時期シャルが居なくなっただけで随分民心が離れ始めている。
そこにルネックスが民の前に立てば、少しは勇気づけられるだろう。
民と書いて神と読むのだが、自身が強いため穏やかな生活をしていた。いきなり信仰の主シャルが居なくなるまでの事態が来るのかと思えば、考えは必然的に悪い方向へ行くだろう。
デメリットは少ない。メリットは多い。聞けば、絶対に了承してもらえるように色を付けたり、出来る限り要望に応えているらしい。
勇者らしい。英雄らしい。リリスアルファレットの望む人物像に、相応しい。
「………了承しました。その貿易、受けましょう。これからもご自由に聖界へ出入りしてください。歓迎いたします」
「認めてもらったという事ですか?」
「まあ、そう言う認識で構いません。で、でも完全に認めたつもりなんてありませんから」
ルネックスが頷く中、テーラが「ツンデレツンデレ」とぶつぶつこぼしており、リリスアルファレットには場所が遠すぎて言葉は聞こえなかったが、寒気がしたらしくぶるっと震えていた。
シャルが唐突に「こほん」と可愛らしい咳をして場全体の騒ぎを一瞬で鎮める。
『用はそれだけー……? もう少し滞在してかないー……?』
「有難いんだけど、僕らはこれから他の世界にもいかなきゃならないから」
そんな暇がないのはシャルも同じ事。もとより本気で言っているわけではないのは見て取れる。ルネックス一行は立ち上がり、机にあった書類をリリスアルファレットの手に置いた。
シャルも立ち上がり、長い髪と服を引きずりながらゆっくりとルネックスに歩み寄り、その胸に手を当てて目を瞑る。
後になって知る事だが、聖界の聖女として、自分が認めた者への別れの挨拶だ。
リリスアルファレットが目を見張っていたが、その変化に気付いたのはテーラのみだった。ほのぼので始まりほのぼので終わる。
ゲートの展開をしようとしたところに、甲高い叫び声が魔力を霧散させた。
見れば神殿の水晶の前で男性が倒れており、その男性の彼女と思われる女が戸惑ってどうすればいいのか分からなくなっていた。
誰も救いの手を差し伸べない。どうしてかと思いリリスアルファレットの方を見るが、彼女はシャルの方を見ている。シャルは何もするつもりがないらしい。
ただ、全てを見ていたテーラがつかつかと男性の元に歩み寄り、しゃがんだ。
「痛いところでもあるの?」
「お、お腹が……」
「お酒とか飲んだりする? 聖界には確か煙草の技術もあるし……あと、食事は脂っぽいのとってる?」
「しゅ、主人は両方します。人間界の冒険者ですから、たまにそう言う取引もしていますし……食事は肉を好んでいます、あまり焼いてない肉とか油ののったものとか」
なるほど人間界の者か、とルネックスは納得する。テーラはしばらく考えると、男性が痛がっているお腹に触れる。
ある特定の個所に触れると、男性の冷汗が噴き出し、叫び声すら出ないほどの痛みに襲われて悶え苦しんでいる。
―――人間界の人間。
―――アルコールを摂取していて、喫煙もしている。
―――食事は油っぽいものをよくとる。
―――触れた箇所だけが痛む。
それらを材料に、テーラはしばらく考えた後ひとつの結論を出した。
「ガンだね。しかもちょっとヤバイタイプかもしんない。人間界ではあまり発症しないみたいだけど、商売にも手掛けてるし聖界にも来れる神冒険者になると……まあねぇ」
「ガンですか。それってどれだけ危険なんですか?」
「あ、ルネックス。えーっとね、良性と悪性ってのがあってね。多分これは悪性だよ、倒れるまで悪化してるとなると確定。生存はもって二か月じゃない」
テーラは転生者である。昔の世界ではよく医療ドラマを見ていたため、それなりに歪みもあるが医療の知識には自信があった。
聞いていた男性の妻の表情は青白くなり、倒れていた男性の頭を慌てて持ち上げ、彼の体を支えるようにした。
今にも泣きそうな女性に、テーラも思わずもらい泣きをしそうになる。
「主人を助けてください……! 息子に職業を継がせる鍛錬もまだまだなんです。手がけている商業も今手放したら大変なことになります……」
「んじゃあさ、ボクのバックになってくれない?」
「バック、ですか……?」
「今からボクは正しい歴史改革をする。歴史書に永遠に記されることは無かった、葬り去られた歴史をよみがえらせる。そのための協力ってこと」
商人でもあり聖界に上ってこられる実力者である冒険者。見たところ六十代ほどで、この世界を基準にすれば高齢だ。
妻の方は五十代。という事は息子は少なくとも二十歳以上だろう。きちんと教育が行われているならば、良いバックにもなれそうだ。
まさかここで良い協力者が見つかるとは思わなかった。妻の女性はしばらく考えるが、その間にも主人の容態は秒単位で悪くなっていく。
焦った彼女は、慕われる大賢者の頼みだと主人と息子、家のためにばっと顔を上げてテーラを見上げた。
「必ず協力します。主人が良いと言わなくても説得します。ですからお願いします、主人を助けてください……!」
「うん。本当はこれ手術が必要なんだけど、そんなことはできない。患部を焼き払って凄まじい速度で均等な回復魔術をかける必要がある」
医療ドラマを見ていて知識が身についているからと言って、実際に手術をしたことがあるかと言えばそんなわけがない。
聖界に上って来た人間はそこで何があっても自己責任。つまり、シャルであっても助けてはくれないことを妻は分かっている。
主人に一時の苦しみがある事は分かりながらも、妻は頷くことしかできなかった。
シャルは助けたいと思ってはいるが、自己責任ルールのある聖界では段々と上がってくる人間に良い顔をする者が居なくなった。
仮にも王である自分が、その雰囲気の中でルールを破ってはならない。
ルールを変えるにしてもゆっくりやっていくものだ。それを抜いても、彼女にはテーラかルネックスが彼らを助けるという自信があった。
しばらくすると、肉の焦げる匂いと男の絶叫、燃え上がる火が一同の視界に映った。神殿で行うのもどうかと思うが、壊してもあくまで「自己責任」なのだ。
修復も責任も行った者。何処の世界へ行っても黒いものがあるのに変わりない。
そして十分経ったか経っていないかのところで、テーラは素早く治癒魔術をかける。
「……っし。さすがにずっと手を上げてるのは疲れたわ。じゃ、家名教えてよ、ルネックス達と別れてから探しに行くもとい乗り込みに行くからさ」
「ルディスです。私はリル・ルディス。彼はディウム・ルディスです。探すのは結構簡単だと思います、すぐに見つかります。本当にありがとうございます……」
痛みのせいで青白い顔をしている主人を担いだ妻。武道派な主人を支えるだけに、それなりの実力ではあるのだろう。共に聖界までこれたのだから。
んじゃ、と言って振り向いたテーラにルネックスは彼女の意図を感じ、素早い手際でゲートを開けた。
それを見ていたシャルは一息ついて、謝罪の色も込めて夫妻に視線を向けた。
妻がぺこりと頭を下げる前、シャルが夫妻に視線を向ける少し前、ゲートは一同を乗せて既に姿を消していた。
信者は全て神なのだが、時々少し盛り上がった設置をしてある通路を通って跪いて頭を深く下げる。地面にこすりつけて、深く下げる。
そしてその通路の両側の右側には、別の部屋などに続く道があり、司教らしき権力者や聖界貴族の使者などが時たま通り過ぎている。
そして左側には、白一色で染められた、それなりの装飾がある机と椅子が五セット置かれていた。そこで休む客がちらほらと見られる。
ただ、その奥にある一段と違う金に光る机と椅子の一式に座っているのは、ルネックス一行であった。此処は本来シャルが一人で座るべき場所である。
この神殿は聖界の名物でもあり、崇めているのはシャルである。この水晶は随時信者の信仰心により集められる神力で浮かされている。
この水晶は世界の異変を知らせるためにも、何度か歴史上でも使われてきた物だ。
踏み入るだけでも緊張する、清らかな神殿。そこでミルクティを飲みながらシャルと駄弁っているルネックスは目立っている。
英雄だと誰もが知っているために、不満の声は上がらない。
それに、シャルのプライベートな席のために音は完全に遮断され、虫一匹入ることができない上に外からの声も何ひとつ分からない。
音を遮断する機能の付いた結界を張っていると言った方が分かりやすいか。
―――そして、空気が張りつめている原因は皆と違い紅茶を飲む女性だった。
「何をしに此処へ来たのか、迅速にお伝えください。シャル様も私も暇ではありませんので、手早く済ませる必要があります」
『リリアー……仮にもルネックスは英雄だよー……ぞんざいに扱うのは良くない……国民に示しがつかないでしょー……?』
「……ですが。訪問する知らせもなしに来たことに違いはありません」
リリスアルファレットであった。シャルがリリアと呼ぶマネージャーは彼女一人である。ルネックスは苦笑い。
アポなしで来たのは悪かったと思うが、そもそもそう言う時間すらなかった。リエイスは聖界まで上がってくることができない。
そもそも此処にいる者達以外に聖界に上がれるのは英雄たちくらいだ。
その中でも精鋭こそが、聖界に行けるのだから。忙しかったルネックスにはそもそも訪れますという報告すら不可能だったのである。
それも言い訳でしかないのは自覚している。その前から時間を用意しておけば―――いや、恐らくそれでも知らせに来るのは不可能だっただろう。
世界を回るのには順番があり、「訪れます」と伝えたとしても伝令を放てるような場所ではなく、自分の足を使う必要があるのだが、そんな事をしていたらとても効率が悪い。
ただ、訪れるのは国だ。都合など許されるような甘ったるい場所ではないので、ルネックスは素直に反省して頭を下げる。
その態度に少しはこの世界に足を踏み入れることを認められたのか、リリスアルファレットは無言でルネックス一行を見つめていた。
「……それで、何をしにこちらへ? 暇ではないのは見てわかるでしょう」
「実は、世界は平和になったわけではなく、一時的な戦闘が終わっただけです。ここまでは貴女でもわかりますね。戦が終わりたての不安定な世界を本当に平和にするため、英雄たちは様々な手を使ってきたのを文献などで見ています」
「あぁ―――そういうことでしたか。どうぞ、お続けください」
「そこで僕はすべての世界が平和に結びつくように、利益が平等な貿易を様々な世界に持ちかけています。聖界にも、協力願いたくて」
勿論、三千世界を観察し、たまに様々な世界へ降り立ち助言をする役目を持つ聖界が、文献に記される英雄の動きを知らぬはずがない。
それを知った上でルネックスが言っているのは、一目瞭然であった。
適当にはぐらかすのは通らない。今までもごくごく稀に聖界に上ってこれるほどの実力者が貿易を持ちかけたりするが、言葉で丸め込めるくらいのものだった。
力しか磨いていないような者に、聖神という三千世界の柱であるシャルのマネージャーが言葉で丸め込めないはずがないのである。
その相手が英雄だったとしても、彼女の方が何枚も上手だったりするのに。
勿論取り繕える。ただ、取引の材料を用意して来ているのだろう。今までも、何をどう貿易するのだけはきちんと聞いてきたのだから。
「構いませんが、その内容を聞いてからに致しましょう。さすがに、この聖界を不確定要素で動かすわけにはいきません」
「まあそうでしょう。簡単です。魔女界への随時無償協力の代わりに、僕ら一行の無償協力。テーラさんは自由参加になってしまいますが……」
「ん? ああ、ボクもできるだけ参加するよ。ルネックスじゃ力不足になるような事態は少ないと思うけどね?」
あくまでも無表情無感情で語るリリスアルファレットに、ルネックスも淡々と書類を机に置きながら恐れもせずに言葉を放つ。
黙って聖界特産品のミルクティを飲んでいたテーラが即座に反応する。リリスアルファレットはしばらく考えてからため息をする。
魔女界は現在平和に限りなく近い、戦後にしては穏やかに改装が進んでいる。そのために聖界に援助を求めることは少ない。
だが、聖界は違う。戦闘に使われたわけではないが、一時期シャルが居なくなっただけで随分民心が離れ始めている。
そこにルネックスが民の前に立てば、少しは勇気づけられるだろう。
民と書いて神と読むのだが、自身が強いため穏やかな生活をしていた。いきなり信仰の主シャルが居なくなるまでの事態が来るのかと思えば、考えは必然的に悪い方向へ行くだろう。
デメリットは少ない。メリットは多い。聞けば、絶対に了承してもらえるように色を付けたり、出来る限り要望に応えているらしい。
勇者らしい。英雄らしい。リリスアルファレットの望む人物像に、相応しい。
「………了承しました。その貿易、受けましょう。これからもご自由に聖界へ出入りしてください。歓迎いたします」
「認めてもらったという事ですか?」
「まあ、そう言う認識で構いません。で、でも完全に認めたつもりなんてありませんから」
ルネックスが頷く中、テーラが「ツンデレツンデレ」とぶつぶつこぼしており、リリスアルファレットには場所が遠すぎて言葉は聞こえなかったが、寒気がしたらしくぶるっと震えていた。
シャルが唐突に「こほん」と可愛らしい咳をして場全体の騒ぎを一瞬で鎮める。
『用はそれだけー……? もう少し滞在してかないー……?』
「有難いんだけど、僕らはこれから他の世界にもいかなきゃならないから」
そんな暇がないのはシャルも同じ事。もとより本気で言っているわけではないのは見て取れる。ルネックス一行は立ち上がり、机にあった書類をリリスアルファレットの手に置いた。
シャルも立ち上がり、長い髪と服を引きずりながらゆっくりとルネックスに歩み寄り、その胸に手を当てて目を瞑る。
後になって知る事だが、聖界の聖女として、自分が認めた者への別れの挨拶だ。
リリスアルファレットが目を見張っていたが、その変化に気付いたのはテーラのみだった。ほのぼので始まりほのぼので終わる。
ゲートの展開をしようとしたところに、甲高い叫び声が魔力を霧散させた。
見れば神殿の水晶の前で男性が倒れており、その男性の彼女と思われる女が戸惑ってどうすればいいのか分からなくなっていた。
誰も救いの手を差し伸べない。どうしてかと思いリリスアルファレットの方を見るが、彼女はシャルの方を見ている。シャルは何もするつもりがないらしい。
ただ、全てを見ていたテーラがつかつかと男性の元に歩み寄り、しゃがんだ。
「痛いところでもあるの?」
「お、お腹が……」
「お酒とか飲んだりする? 聖界には確か煙草の技術もあるし……あと、食事は脂っぽいのとってる?」
「しゅ、主人は両方します。人間界の冒険者ですから、たまにそう言う取引もしていますし……食事は肉を好んでいます、あまり焼いてない肉とか油ののったものとか」
なるほど人間界の者か、とルネックスは納得する。テーラはしばらく考えると、男性が痛がっているお腹に触れる。
ある特定の個所に触れると、男性の冷汗が噴き出し、叫び声すら出ないほどの痛みに襲われて悶え苦しんでいる。
―――人間界の人間。
―――アルコールを摂取していて、喫煙もしている。
―――食事は油っぽいものをよくとる。
―――触れた箇所だけが痛む。
それらを材料に、テーラはしばらく考えた後ひとつの結論を出した。
「ガンだね。しかもちょっとヤバイタイプかもしんない。人間界ではあまり発症しないみたいだけど、商売にも手掛けてるし聖界にも来れる神冒険者になると……まあねぇ」
「ガンですか。それってどれだけ危険なんですか?」
「あ、ルネックス。えーっとね、良性と悪性ってのがあってね。多分これは悪性だよ、倒れるまで悪化してるとなると確定。生存はもって二か月じゃない」
テーラは転生者である。昔の世界ではよく医療ドラマを見ていたため、それなりに歪みもあるが医療の知識には自信があった。
聞いていた男性の妻の表情は青白くなり、倒れていた男性の頭を慌てて持ち上げ、彼の体を支えるようにした。
今にも泣きそうな女性に、テーラも思わずもらい泣きをしそうになる。
「主人を助けてください……! 息子に職業を継がせる鍛錬もまだまだなんです。手がけている商業も今手放したら大変なことになります……」
「んじゃあさ、ボクのバックになってくれない?」
「バック、ですか……?」
「今からボクは正しい歴史改革をする。歴史書に永遠に記されることは無かった、葬り去られた歴史をよみがえらせる。そのための協力ってこと」
商人でもあり聖界に上ってこられる実力者である冒険者。見たところ六十代ほどで、この世界を基準にすれば高齢だ。
妻の方は五十代。という事は息子は少なくとも二十歳以上だろう。きちんと教育が行われているならば、良いバックにもなれそうだ。
まさかここで良い協力者が見つかるとは思わなかった。妻の女性はしばらく考えるが、その間にも主人の容態は秒単位で悪くなっていく。
焦った彼女は、慕われる大賢者の頼みだと主人と息子、家のためにばっと顔を上げてテーラを見上げた。
「必ず協力します。主人が良いと言わなくても説得します。ですからお願いします、主人を助けてください……!」
「うん。本当はこれ手術が必要なんだけど、そんなことはできない。患部を焼き払って凄まじい速度で均等な回復魔術をかける必要がある」
医療ドラマを見ていて知識が身についているからと言って、実際に手術をしたことがあるかと言えばそんなわけがない。
聖界に上って来た人間はそこで何があっても自己責任。つまり、シャルであっても助けてはくれないことを妻は分かっている。
主人に一時の苦しみがある事は分かりながらも、妻は頷くことしかできなかった。
シャルは助けたいと思ってはいるが、自己責任ルールのある聖界では段々と上がってくる人間に良い顔をする者が居なくなった。
仮にも王である自分が、その雰囲気の中でルールを破ってはならない。
ルールを変えるにしてもゆっくりやっていくものだ。それを抜いても、彼女にはテーラかルネックスが彼らを助けるという自信があった。
しばらくすると、肉の焦げる匂いと男の絶叫、燃え上がる火が一同の視界に映った。神殿で行うのもどうかと思うが、壊してもあくまで「自己責任」なのだ。
修復も責任も行った者。何処の世界へ行っても黒いものがあるのに変わりない。
そして十分経ったか経っていないかのところで、テーラは素早く治癒魔術をかける。
「……っし。さすがにずっと手を上げてるのは疲れたわ。じゃ、家名教えてよ、ルネックス達と別れてから探しに行くもとい乗り込みに行くからさ」
「ルディスです。私はリル・ルディス。彼はディウム・ルディスです。探すのは結構簡単だと思います、すぐに見つかります。本当にありがとうございます……」
痛みのせいで青白い顔をしている主人を担いだ妻。武道派な主人を支えるだけに、それなりの実力ではあるのだろう。共に聖界までこれたのだから。
んじゃ、と言って振り向いたテーラにルネックスは彼女の意図を感じ、素早い手際でゲートを開けた。
それを見ていたシャルは一息ついて、謝罪の色も込めて夫妻に視線を向けた。
妻がぺこりと頭を下げる前、シャルが夫妻に視線を向ける少し前、ゲートは一同を乗せて既に姿を消していた。
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