時計屋 ~あなたの人生をやり直してみませんか?~
魂の双子後編
2月2日
とうとう、ぼくのドロップアウトがばれた。
二年生までは決して成績も悪い方じゃなく、反抗的なコドモでもなかったので、そりゃもう大騒ぎになった。
両親はお互いにどちらの教育が悪いと罵りあい、なぜか何十年も前のデートでの不手際を責めたてたりした。
教師もまた責任を問われた。僕に雇われた何でも屋にすっかり騙され、三者面談を終えたつもりになっていたのだ。何にも悪いことしてないのに可哀想だとは思ったが、罪悪感も後悔も、一言謝ろうという衝動もぼくには生まれなかった。
 
『一度目』のとき、彼らもまた、ぼくを虫扱いしていた。
毎日傷だらけになって帰る息子を、ご近所の目があるからなるべく遠くへ行ってほしいと言ったのも彼らだ。犯罪者予備軍の生徒を、大学推薦など出来ないと言ったのは彼らだ。
教室に入ると、クラスメイト達は、ぼくを異端者をみる目で一瞥し、存在を消した。そんなものは全く気にならない。
そりゃそうだ。ただ、進学をしないだけだもの。
美少女の生理用品を盗む下衆野郎と、嫌われるレベルが違う。
嫌悪は嘲笑に変わり、毎日ぼくに何粒の涙をこぼさせるかを学年中で競っていた『一回目』。
それに比べて、ここは天国だ。
教室も食堂も避け、屋上で呆けるぼくの横に、奏音がいた。彼女だけは、その言動を何も変えなかった。きっと、どうでもよかったんだろう。ぼくの人生はぼくのものでしかないのだから。
「今日はあったかいね。屋外ランチも楽になってきましたなあ」
彼女はのんびりした口調でそういって、お弁当をぱくついた。
「今日があたたかい、じゃないよ。もう三月になるから」
「そっか。じゃあこれからずっとあたたかいのね」
「じきに暑くなって、そしてまた寒くなるよ」
「そうだね。なんか年に何回もフトンから制服まで出したり入れたりしてばかみたい。うちってアパートだから収納少なくて、季節かわるたんびに大騒ぎなの。一年中おなじ気温ならいいのにね」
どうでもいいことを言って、ケラケラ笑う。彼女はあまりクラスでは笑わないらしかった。みんなが流行りのギャグをネタに笑っていた時、隅でひとり、音楽を聴いていたりする。そのくせ、日常のなんてことのない会話で妙にツボにはまり、ひとりでいつまでも笑っているのだ。
「もうじき卒業だね」
少しだけ寂しそうに言う。
3月1日――――卒業式はいよいよ来週に迫っている。
退屈な儀式だけども、甘酸っぱい高校生活を送った人々にとって、それなりに胸を熱くさせるイベントだろう。
「きっと、奏音に告白するやついっぱい出てくるんだろうなあ」
ぼくが言うと、彼女はキョトンとしてみせた。
「え、無いと思うよ多分。あたし義孝君のことみんなに話してるし」
ちょっと驚いた。別に隠す理由はなかったけども、なんとなく、中村奏音はそういうことを公言していないと思い込んでいたのだ。ぼくが絶句していると、彼女は拗ねたように頬を膨らませた。
「あたし、君が思ってるよりももう少しちゃんと、君のこと好きだよ」
ぼくは笑った。もしかしたら二年ぶりに、心から笑みをこぼれたかもしれない。奏音の髪をぐしゃぐしゃに撫でまわして、抱きしめる。苦しいという彼女のクレームを聞こえないふりをして、ぼくは空にむかって高らかに笑った。
仰いだ春の空はまだ少しだけ冷たくて、天は果てしなく高い。碧空にひとひら、桜の花びらが横切って行った。
3月1日
遠く――校歌が聴こえる。
体育館から漏れるメロディに乗せ、すこしだけ口ずさんでみた。歌詞を覚えようとしたことなど一度もないのに、案外歌えるものらしい。授業の合間に練習をした、卒業式用の歌もちゃんと覚えていた。
――――天高く、あの雲のかなたへ、今日ぼくたちは旅立つ。希望の鐘の音が聴こえる。だけど君の声、君の夢、君と歩いた青春を忘れはしない。君の歌、君の瞳、君と離れてもともにゆくんだ。果てしなく広がる未来へ ――――――
歌い終えたとき、背中に気配を感じた。ぼくはなんだか嬉しくなった。
「すごい、よく式を抜けてこれたね。ぼくがここにいるって、すぐにわかったかい?」
振り向いた顔は笑顔になっていたと思う。彼女は、中村奏音は、その華奢な体をぶるぶるふるわせて佇んでいた。不思議な迫力と、愛らしさがあった。
「殺してやる」
ぼくは破顔した。
ぼくは立ち上がった。
並ぶと、頭半分ちいさい彼女。細い骨にやわらかい贅肉だけで出来上がった肉体に、栗鼠のような瞳、幼児のような頬。
「殺してやる」
振り上げた手首を掴む。本当に華奢だ。少し男の力を出して抑えて付けてやると、面白いくらい手ごたえがない。こわばった両足を蹴飛ばしてみたらきっと簡単にひっくり返るのだろう。抱え上げてみればきっとこのまま、屋上からほうり捨てることもできるのだろう。
その画を想像して、ぼくは本当に愉快な気持ちになった。
弱い。こんなにも弱かったのだ、この少女は。
「君がぼくを殺したんだ」
ぼくが言うと、彼女は何を言っているのかわからないという顔をした。これは演技などではない、真実、彼女にはまったく身に覚えがないだろう。
ぼくは丁寧に教えてあげることにした。そのために、ぼくはこの1年間がんばってきたのだから。
「……君のせいで、ぼくは死んだ。今日、この時間、この屋上から落ちて死んだ。君がやったあの無邪気で下品ないたずらで、ぼくは虫になり、世界に踏みつぶされた。1回目は、君の完全勝利だ。2回目はぼくの番。ただそれだけ。それだけの話なんだよ中村奏音さん」
はなせ、と呻き身じろぎした彼女のポケットから、スマートフォンが落ちた。同時にメール着信が鳴る。2度、3度、4度。果てしなく鳴り続ける。
卒業式が始まったころからずっとこの状態なんだろう。音を消してポケットに忍ばせた通信機を、彼女はさすがに気になって、式の合間にちらりと確認したのだと思う。
そして目を疑ったのだ。
メールの差出人は、見知らぬ赤の他人だ。
ぼくは前日までに準備を済ませ、この時間に、彼女のネット人格であるKANONの動画を複数の動画サイトに投稿した。いくつものアカウントを作り、プロフィールページに本名フルネーム、学校、現住所、メールアドレス、電話番号、知る限りの個人情報を記載。
トップ静止画には彼女の全裸写真。
そしてその動画を、大型サイトにアップすると同時、KANONのファン・アンチに限らず公開した。
なかには5分で削除するという優秀なサイトもあったが、ほとんどはたっぷり2時間、いまでも削除されていない。例えそのすべてが消滅しても、個人メールにも送りまくったので拡散は止まらなかった。もちろん、それこそがKANONの初見、いままで全く興味が無かったというひとがほとんどだろう。だがこの投稿こそがKANONの知名度を爆発的にあげていた。
――なんだかわからんが、ネットアイドルとかって調子に乗っていたリアルJKがリベンジポルノで晒されている――
「そこまでやるか、かわいそうに、男は下衆だ」という感想が大多数を占めただろう。
そうツイートした人間がリツイートされる。世界中の「ごく普通の悪人たち」は、こぞって少女を踏みつぶしていた。動き始めた世界には、変態少年も美少女も変わらない、ちいさな虫でしかなかった。
「どうして、どうして……あんた、あたしのファンだって」
「嘘に決まっているだろう。大嫌いだよ」
「あたしの歌が好きだって。ずっと昔から、あたしの歌を聴いてたって」
「嘘に決まってるだろう。才能ゼロだと思うよ」
「こんなこと、して、あんたの人生も終わる。犯罪よ!」
「わかっているよ」
「なんでここまでして……! この1年、いったいなんだったの。あんた、何もかも失くしてまで、あたしの人生めちゃくちゃにして! なにがしたいの。なんなのよ。なんなのよぉ!!」
彼女の絶叫は、ほとんど言葉になっていなかった。
水浸しになった黒い瞳。反抗的で、攻撃的で、自立していて、ワガママで、自己愛が強くて、世界の王だった彼女はいま世界から踏みつぶされてしまった。地面に崩れ落ち、わあわあと泣く。丸く低くなった中村奏音は本当に小さくて、立っているぼくの膝にも満たない。踏みつぶしてやろうかと思ったが、なぜか足は上がらなかった。
「ぼくは、天使と出逢った」
彼女の背中は微動だにしない。意味不明の言葉に耳を貸す余裕などないだろう。
だから、ぼくは何の感情もなく、ただその言葉を口にした。何かを理解してほしいとは思ってなかった。悔い改めろといってもわからないわけだし。彼女に心を入れ替えてほしいとも思わない。
「天使は双子で、それぞれが、時間を巻き戻し過去へ渡れるという不思議な時計を持っていた。うまくすれば人生をやり直せると。
だけど、その時ぼくはもう屋上から地面に叩きつけられていて――魂が抜けかかっている、というのかな。どうあがいても死の運めからは逃れられない、決定済みという状態だった。
天使たちはぼくに言った。この3月1日の正午、ぼくが死ぬことは確定だけども、そのうえで過去を遡ってやり直せると。2つある時計を使い、一つはぼくのからだ、もう一つなにか所有物を同時に過去へと飛ばす。
やり直した過去で、運命を変えても、この日ぼくの死は避けられない。なにも残せない、何の意味もない、けど、それでもやってみたいことがあるなら力を貸すよと」
ぼくは頷いたのだ――
中村奏音が、顔をあげた。もう涙がとまっていた。強い女だ。攻撃的な眼差しが真正面からぼくを射抜く。
これから、彼女の人生はどうなるのだろう。知ったことではない。けど、ぼくのように身を投げたりはしないと思った。それは、そうであってほしいというぼくの希望なのかもしれない。
体液まみれで、すっかり不細工になった少女を見下ろして、ぼくは笑った。
笑いすぎて涙がこぼれた。丸いおでこにへばりついた前髪をはがしてやろうと、手を伸ばす。濡れた睫毛のひやりとした感触。
正午のベルが、校舎の時計から鳴り響く。
ぼくの身体は左から歪んだ。そよ風すら吹いていない中空で、突如、硬いもので横殴りにされたように肉がひしゃげていく。ゴキリゴキリと骨が鳴る。
「えっ?――――」
彼女の声が耳に届く。直後、耳たぶはすり減ってなくなり血風を散らした。こめかみから頬にかけての肉がゴッソリと削げ、砕けた頭骨が内側から眼球を突き破る。
噴出した血が彼女へ降り注ぎ、きゃあああああああ右側の耳がかろうじて彼女の悲鳴を拾ったけども、ぼくの脳は半分以上地面に落ちていてあああああああ、それを知覚はできない。いやああああああああ肋骨が小気味のいい音を立てて割れていく音にまじって女の声がする。ああああああどれがあああああああああ彼女の声かわからない。よしたかくんよしたかくん。ああああああああああ。歌が聞こえる。
4月10日 
さわやかな春の風が鼻をくすぐり、胸まで届く。ぼくは学生服に身を包み、二年間持ち歩き時には尻に敷いてくたびれた鞄を手に、校門をくぐった。
「おはよう義孝!掲示板見たか?今年も同じクラスだって!」
ジンに背中を叩かれる。続いて、マサヤ、リツオがぼくの頭を乱暴に撫でていった。すぐそばにはハシモト教頭が立っていて、それより小柄なタニグチ校長もいた。少し進むと、一年生の時古文を受け持っていたタナカ先生に出会う。彼が担任だったらいいな、と、ぼくは思った。
みんな、にこやかにぼくを迎えてくれる。
ジン達に連れられて、掲示板を確認しに行った。大きなボードに張り出されたクラス分け案内から、僕の名前を探す。見えないインクの厚みに、桜の花びらが一枚乗り上げていた。つまんで剥がす。
『三年C組 安居義孝』
「あった!」
ぼくが叫ぶと、すぐ隣にいた少女が顔をあげた。目が合う。ぼくは息をのんだ。
光り輝くほどの美少女。細い鼻梁から睫毛がはみ出し、虚空に伸びている。男子の平均的な背丈であるぼくよりも頭半分ちいさい。見下ろすと、セーラー服の襟元から白い鎖骨が覗けてしまう。すこし引いてみればその容姿は美貌よりも愛らしさが際立っている。痩せているのに顔は丸く、桃のよう。申し訳程度に尖った顎ですら引っ張れば伸びそうに見えた。神様に寵愛を受けて生まれてきた者の眩しさだ。
――うわあ。 なんて可愛い子なんだろう。
ぼくはすっかり言葉を失くしてしまった。
もちろん、こんな美少女がぼくなんかを相手にするわけがない、こういった反応も慣れっこだろう。だけど、なぜか彼女はそこを去らず、むしろ顔を寄せてきた。近くで見るとなお美しい。
「な、なに」
ドギマギするぼくに、彼女は小さな唇をかすかに歪めて微笑んだ。鈴をころがすような可愛らしい声で、ささやく。
「第3ラウンド開始」
それだけ言って、彼女は友人を連れて駆け出した。さっぱりわからず立ち尽くすぼくを、からかうジン達。
走りゆく彼女のスカートを、春の風が少しだけ揺らした。
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