時計屋 ~あなたの人生をやり直してみませんか?~
恋する乙女
少女は燃えていた。
  手にはハートのシールつきピンクの封筒。クセの強い栗色の髪は、伝家の宝刀ポニーテイル。少女のつつましい胸を多少は立体的に見せるヘンリーネックのカットソー、なぜかそれを隠すようにギンガムチェックのチュニック。空色のショートパンツはバルーンシルエットで、厚底インソールのクシュクシュニットブーツで脚を細長く。
 「今度こそ――完璧っ」
  少女は封筒を握りしめ、そして慌ててシワを伸ばした。
  夕暮れ時、赤く染まった校舎の外塀に背中をつけて、少女は何度も深呼吸をした。胸中で呟くのは己を鼓舞する魔法の呪文。
  ――いくわ。先輩。今度こそ伝える。好き。大好き。今度こそ伝えるの。今度こそ――
すーはーすーはーすーはーすーはーすうはーはーすーすーすーすー。
  ばたん。
  そして、少女は道端に倒れた。
 「ばかなの?」
 「なによ!」
  目を覚ました直後の一言に、少女は間髪入れず怒鳴った。
  彼女の自宅である。片付いているとは言えないが、女の子らしい色合いの自室のベッドに彼女は寝かされていた。二時間ぶりの覚醒でも、少女はここがどこだかしっかりと理解していた。そして、目の前にいる黒ずくめ女のことも、すでに顔なじみ同然だ。生来人見知りがちであるが、なんの気構えもなく怒鳴りかえす。
  かといって、相手の女は口げんかの相手になどなりはしない。初対面の時とおなじく、やぶにらみ気味の三白眼で見下ろして、薄い唇をゆがめるだけだ。
  黒ずくめの女は嘆息した。
 「過呼吸で失神三回目。だからビニール袋持って行けって言ったのよ。そんなアホみたいなダサいリボンなんかじゃなくてさ」
 「亜郷にダサいとか言われたくないわ! だって道端でビニール袋すうはあしてたらまるっきりシンナー中毒じゃないの。いまどき珍しすぎて逆にわかんないかもしれないけど」
 「近寄りがたさでいったら泡吹いて前のめりに倒れられるのとドッコイドッコイだわこのスットコドッコイ。つか慣れなさいよいい加減。おんなじ展開三回目。進歩なさすぎ。ほんと時計の無駄遣い。わたしがコレ一つ作るのにどれだけ苦労したと思うの」
  亜郷はそういって、指先で銀盤を弄んでみせた。
  女の手よりは少しだけ大きい。懐中時計の一種といえようその機械は、複雑な四つの計器を有し、それぞれバラバラに回転している。さほど高価そうに見えるわけではないが、女子にはまったくわからない、そしていかにも男子が好きそうな、複雑な仕掛けで動いていることは感じ取れた。
  しかし、少女は意にも介さない。
 「それがあんたの仕事なんでしょ。いいから、もう一つ。二時間巻き戻しの時計を頂戴。今度こそ、あたしは先輩のハートを射止めるのよっ!」
 「まあ、わたしの時計でお客様がどーなろーと、わたしの給料に差がでることはないんだけどねえ。むしろリピーターごちそう様だけども。いい加減飽きた」
  そう言って、時計屋の職人兼セールスという女はあくびをしてみせた。
  初見で見せた不気味なマニュアルトークも、無性に腹が立つ営業スマイルもすでにない。社会人歴のない少女には、それはむしろ気が緩む言動ではあった。むかつくけど。
 「だってしょうがないじゃないの。緊張するんだもの」
  乙女の言葉に、女はチャバネゴキブリの交尾でも見たような表情をした。
 「今日が最後のチャンスなのよ」
  少女は、自分に言い聞かせるように語り始める。
 「明日には、先輩はアメリカへ行ってしまう。あたしは彼の家も知らない。だって話したこともないんだもの。だからもう、今日しかないの。先輩が授業を終えて出てくるところを待ち伏せして、このラブレターを渡す。あたしの望みはそれだけなの」
 「そーね。深刻だわ」
  そういう亜郷の手にはいつのまにか、シャボン玉セットが握られていた。しゃべりながら泡球をつくるという高等芸を繰り出しつつ、
 「わたしも同じ女としてあなたの気持ちはよくわかりますわかります。なのでお助けしたいのでーす」
 「亜郷と出逢えたのは本当に幸運。これってなにかの縁だと思うの」
 「そうですねっ」
  そういう亜郷の顔面にはいつのまにか、黒い眼鏡がかかっていた。
 「お願い亜郷! あたしの恋の成就まで付き合って! 今度こそあたし、気絶なんかしない。先輩に告白するわ。さあ! もう一つ、時計をちょうだい!」
 「よしきたガッテンしょうちのすけ」
  亜郷は手のひらで、銀盤を軽く投げ上げた。お手玉のように空中を舞う時計――
  そして。
  少女はまだ燃えていた。
  栗色の髪はゆったり三つ編み。クリーム色のブラウスにグリーンのフェルトスカート。胸元のリボンタイとベレー帽はおそろいのエンジで、足元はミドル丈ソックスに革ローファー。とどめに黒縁の伊達眼鏡。ブリティッシュスクールガールをイメージした装いに、右手にラブレター。左手にはナイロン袋。
 「今度こそ抜かりなし」
  念のため呼吸も注意しておく。
  浅い呼吸を繰り返しすぎるから、過呼吸になるのだ。ここは一発深呼吸で気分を落ち着かせ、もうじき出てくるはずの先輩に、穏やかな笑顔を見せられるようになりたいところ。
  平面にCDを二つ並べた程度の厚みの胸に、宇宙空間ほど大きく膨らんだ恋心とおなじくらい、大きく呼気を吐きだしていく。
  すう、はあ――
その息で、手に持っていた封筒がひらりと飛んだ。
  「あ」
  薄い便箋いちまいを含むピンクの封筒は、ちょうど吹き付けた追い風に乗り――少女の目の前で、小学五年生男子の集団に拾われた。
 「なんだこれラブレターだマジですっげえ開けてみようぜナニナニ先輩突然ですが私はあなたのことを一目見たあの日からぎゃはははははははは」
 「あああああああ」
 「テイク、ふぉー」
  中空から亜郷の声がした。
  少女はまだまだ燃えていた。
  栗色の髪をシニヨンに結い上げ、セクシーな後れ毛をさりげなく演出。ジャパニーズビューティーを意識して、アイシャドウに少し赤を足している。シンプルな白のブラウスに濃紺のロングスカート、ローヒールのパンプスで、大正モダンのお嬢様風に仕上げてみた。
 「はっくしゅん」
  フワリ。ビュウウ。ブロロロロロぐしゃビリビリビリ。
 「あああああああああ」
 「テイク、ふぁーいぶ」
  少女はむしろもっと燃えていた。
  栗色の髪はやわらかく巻いて垂らし、オレンジ色の柔らかなセーター、黄色のツイードスカート、レンガ色のタイツ。秋の司書さんをイメージしたビタミンカラーで、ナイーブになりがちな秋に元気を与えるコーディネート。
 「あのさ。コクって、服装の好みが合わないって振られたわけでもないのにいちいち服を変えてリトライするのはいったい何なの。まだ遭遇もできてないのに」
 「うるさいわねアンタは黙ってなさいよっ!」
  空中に向かって怒鳴りつける少女。と、そこに――少年がいた。
  短く刈り込んだ髪に端正な顔立ち。ちょうど校門を出た先で突如怒鳴りつけられた少年は、ひどく驚いた顔で、着飾った少女を見下ろしている。
 「ごめんなさい。テイクしっくす」
 「お願いしまーす」
  二人の女は素直に言った。
 「さあ、終わりにしましょう。がんばりなさい」
  亜郷の言葉に、少女は強くうなずいた。その表情は、やけに落ち着いていた。
  そのままおろしたセミロングの髪。デニムの柔らかいワンピース。それは、一番最初に彼に告白し、玉砕した洋服だった。
  世界の時間のちょうど同じころ。少女の体感としては、もう丸一日ほど前の刻。
  ずっと好きだったんです――その言葉を、そのまま先輩に伝えた。そして怪訝な顔だけされて、無言で通り抜けられた。
 「ありがとうね亜郷」
  少女は言った。
 「あんた、知ってるんでしょ。あたしが一回ちゃんとコクって振られてること」
  時計屋の女は、瞳すらも動かさない。ただ塀の上に腰かけて、三本造りの吹き流しで遊んでいる。少女もまた、亜郷に目をやることは無かった。その視線は、校門のほうへまっすぐに対峙していた。
 「あたしの完全な自己満足に、こんなにも何度も付き合ってくれて。ほんとにありがとね」
  あの時は、緊張のあまり顔も上げられなかった。そのくせ妙に自信があった。交際は断られるとしても、それなりに丁寧に対応されて、別れの挨拶がもらえると思い込んでいた。そして、現実を受け止められなかった。振られた実感がほしかった。失恋の涙を流したかった。
  きちんと伝えて、もう一度、きちんと振られてみたかった。
  結果はわかっているけども。
  時計屋は何も言わなかった。終始一貫、この女はこういう態度なのである。なんの力添えもしてくれない。
  少女は笑った。
 「よし。がんばるぞ。テイクしーっくす!」
  夕暮れの校舎に、乙女はひとりで立ち向かうのだ。
  手にはハートのシールつきピンクの封筒。クセの強い栗色の髪は、伝家の宝刀ポニーテイル。少女のつつましい胸を多少は立体的に見せるヘンリーネックのカットソー、なぜかそれを隠すようにギンガムチェックのチュニック。空色のショートパンツはバルーンシルエットで、厚底インソールのクシュクシュニットブーツで脚を細長く。
 「今度こそ――完璧っ」
  少女は封筒を握りしめ、そして慌ててシワを伸ばした。
  夕暮れ時、赤く染まった校舎の外塀に背中をつけて、少女は何度も深呼吸をした。胸中で呟くのは己を鼓舞する魔法の呪文。
  ――いくわ。先輩。今度こそ伝える。好き。大好き。今度こそ伝えるの。今度こそ――
すーはーすーはーすーはーすーはーすうはーはーすーすーすーすー。
  ばたん。
  そして、少女は道端に倒れた。
 「ばかなの?」
 「なによ!」
  目を覚ました直後の一言に、少女は間髪入れず怒鳴った。
  彼女の自宅である。片付いているとは言えないが、女の子らしい色合いの自室のベッドに彼女は寝かされていた。二時間ぶりの覚醒でも、少女はここがどこだかしっかりと理解していた。そして、目の前にいる黒ずくめ女のことも、すでに顔なじみ同然だ。生来人見知りがちであるが、なんの気構えもなく怒鳴りかえす。
  かといって、相手の女は口げんかの相手になどなりはしない。初対面の時とおなじく、やぶにらみ気味の三白眼で見下ろして、薄い唇をゆがめるだけだ。
  黒ずくめの女は嘆息した。
 「過呼吸で失神三回目。だからビニール袋持って行けって言ったのよ。そんなアホみたいなダサいリボンなんかじゃなくてさ」
 「亜郷にダサいとか言われたくないわ! だって道端でビニール袋すうはあしてたらまるっきりシンナー中毒じゃないの。いまどき珍しすぎて逆にわかんないかもしれないけど」
 「近寄りがたさでいったら泡吹いて前のめりに倒れられるのとドッコイドッコイだわこのスットコドッコイ。つか慣れなさいよいい加減。おんなじ展開三回目。進歩なさすぎ。ほんと時計の無駄遣い。わたしがコレ一つ作るのにどれだけ苦労したと思うの」
  亜郷はそういって、指先で銀盤を弄んでみせた。
  女の手よりは少しだけ大きい。懐中時計の一種といえようその機械は、複雑な四つの計器を有し、それぞれバラバラに回転している。さほど高価そうに見えるわけではないが、女子にはまったくわからない、そしていかにも男子が好きそうな、複雑な仕掛けで動いていることは感じ取れた。
  しかし、少女は意にも介さない。
 「それがあんたの仕事なんでしょ。いいから、もう一つ。二時間巻き戻しの時計を頂戴。今度こそ、あたしは先輩のハートを射止めるのよっ!」
 「まあ、わたしの時計でお客様がどーなろーと、わたしの給料に差がでることはないんだけどねえ。むしろリピーターごちそう様だけども。いい加減飽きた」
  そう言って、時計屋の職人兼セールスという女はあくびをしてみせた。
  初見で見せた不気味なマニュアルトークも、無性に腹が立つ営業スマイルもすでにない。社会人歴のない少女には、それはむしろ気が緩む言動ではあった。むかつくけど。
 「だってしょうがないじゃないの。緊張するんだもの」
  乙女の言葉に、女はチャバネゴキブリの交尾でも見たような表情をした。
 「今日が最後のチャンスなのよ」
  少女は、自分に言い聞かせるように語り始める。
 「明日には、先輩はアメリカへ行ってしまう。あたしは彼の家も知らない。だって話したこともないんだもの。だからもう、今日しかないの。先輩が授業を終えて出てくるところを待ち伏せして、このラブレターを渡す。あたしの望みはそれだけなの」
 「そーね。深刻だわ」
  そういう亜郷の手にはいつのまにか、シャボン玉セットが握られていた。しゃべりながら泡球をつくるという高等芸を繰り出しつつ、
 「わたしも同じ女としてあなたの気持ちはよくわかりますわかります。なのでお助けしたいのでーす」
 「亜郷と出逢えたのは本当に幸運。これってなにかの縁だと思うの」
 「そうですねっ」
  そういう亜郷の顔面にはいつのまにか、黒い眼鏡がかかっていた。
 「お願い亜郷! あたしの恋の成就まで付き合って! 今度こそあたし、気絶なんかしない。先輩に告白するわ。さあ! もう一つ、時計をちょうだい!」
 「よしきたガッテンしょうちのすけ」
  亜郷は手のひらで、銀盤を軽く投げ上げた。お手玉のように空中を舞う時計――
  そして。
  少女はまだ燃えていた。
  栗色の髪はゆったり三つ編み。クリーム色のブラウスにグリーンのフェルトスカート。胸元のリボンタイとベレー帽はおそろいのエンジで、足元はミドル丈ソックスに革ローファー。とどめに黒縁の伊達眼鏡。ブリティッシュスクールガールをイメージした装いに、右手にラブレター。左手にはナイロン袋。
 「今度こそ抜かりなし」
  念のため呼吸も注意しておく。
  浅い呼吸を繰り返しすぎるから、過呼吸になるのだ。ここは一発深呼吸で気分を落ち着かせ、もうじき出てくるはずの先輩に、穏やかな笑顔を見せられるようになりたいところ。
  平面にCDを二つ並べた程度の厚みの胸に、宇宙空間ほど大きく膨らんだ恋心とおなじくらい、大きく呼気を吐きだしていく。
  すう、はあ――
その息で、手に持っていた封筒がひらりと飛んだ。
  「あ」
  薄い便箋いちまいを含むピンクの封筒は、ちょうど吹き付けた追い風に乗り――少女の目の前で、小学五年生男子の集団に拾われた。
 「なんだこれラブレターだマジですっげえ開けてみようぜナニナニ先輩突然ですが私はあなたのことを一目見たあの日からぎゃはははははははは」
 「あああああああ」
 「テイク、ふぉー」
  中空から亜郷の声がした。
  少女はまだまだ燃えていた。
  栗色の髪をシニヨンに結い上げ、セクシーな後れ毛をさりげなく演出。ジャパニーズビューティーを意識して、アイシャドウに少し赤を足している。シンプルな白のブラウスに濃紺のロングスカート、ローヒールのパンプスで、大正モダンのお嬢様風に仕上げてみた。
 「はっくしゅん」
  フワリ。ビュウウ。ブロロロロロぐしゃビリビリビリ。
 「あああああああああ」
 「テイク、ふぁーいぶ」
  少女はむしろもっと燃えていた。
  栗色の髪はやわらかく巻いて垂らし、オレンジ色の柔らかなセーター、黄色のツイードスカート、レンガ色のタイツ。秋の司書さんをイメージしたビタミンカラーで、ナイーブになりがちな秋に元気を与えるコーディネート。
 「あのさ。コクって、服装の好みが合わないって振られたわけでもないのにいちいち服を変えてリトライするのはいったい何なの。まだ遭遇もできてないのに」
 「うるさいわねアンタは黙ってなさいよっ!」
  空中に向かって怒鳴りつける少女。と、そこに――少年がいた。
  短く刈り込んだ髪に端正な顔立ち。ちょうど校門を出た先で突如怒鳴りつけられた少年は、ひどく驚いた顔で、着飾った少女を見下ろしている。
 「ごめんなさい。テイクしっくす」
 「お願いしまーす」
  二人の女は素直に言った。
 「さあ、終わりにしましょう。がんばりなさい」
  亜郷の言葉に、少女は強くうなずいた。その表情は、やけに落ち着いていた。
  そのままおろしたセミロングの髪。デニムの柔らかいワンピース。それは、一番最初に彼に告白し、玉砕した洋服だった。
  世界の時間のちょうど同じころ。少女の体感としては、もう丸一日ほど前の刻。
  ずっと好きだったんです――その言葉を、そのまま先輩に伝えた。そして怪訝な顔だけされて、無言で通り抜けられた。
 「ありがとうね亜郷」
  少女は言った。
 「あんた、知ってるんでしょ。あたしが一回ちゃんとコクって振られてること」
  時計屋の女は、瞳すらも動かさない。ただ塀の上に腰かけて、三本造りの吹き流しで遊んでいる。少女もまた、亜郷に目をやることは無かった。その視線は、校門のほうへまっすぐに対峙していた。
 「あたしの完全な自己満足に、こんなにも何度も付き合ってくれて。ほんとにありがとね」
  あの時は、緊張のあまり顔も上げられなかった。そのくせ妙に自信があった。交際は断られるとしても、それなりに丁寧に対応されて、別れの挨拶がもらえると思い込んでいた。そして、現実を受け止められなかった。振られた実感がほしかった。失恋の涙を流したかった。
  きちんと伝えて、もう一度、きちんと振られてみたかった。
  結果はわかっているけども。
  時計屋は何も言わなかった。終始一貫、この女はこういう態度なのである。なんの力添えもしてくれない。
  少女は笑った。
 「よし。がんばるぞ。テイクしーっくす!」
  夕暮れの校舎に、乙女はひとりで立ち向かうのだ。
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