ラトキア騎士団悲恋譚
妻を探して
騎士アレイニの失踪を、ティオドールが知ったのは、彼女が消えた五か月も後のことだった。
  最後の夜――彼女と、婚約の口づけをした、その次の日に、留守なのは確認した。王都に帰ったのか、全く別のところにいるのか。だがすぐあとに出征を控えたテオは、アレイニの居場所を探さなかった。
  それよりも、目の前の仕事に集中する。
  結婚には金がかかるのと言ったのはバンドラゴラだ。小難しい儀礼が絡んでくるとはアレイニの弁だったか。どちらも、テオには想像の付かない世界である。
 (俺はとにかく頑張って働いて、稼いで、んで生きて還ってくる! それがあいつをシアワセにするってことだ)
  少年はそう確信していた。
  ヒストリア星への出向。環境が生んだクリーチャー相手に混戦が続き、ラトキアへ帰還したのが五か月後だった。
  帰還したテオは、まっさきに寄宿舎、アレイニの部屋へ向かった。
  出向先で買った土産と、バラの花束をどっさり抱えている。我ながら芸が無いとは思うが、仕方ない。かつて彼女が笑って喜んだ、その顔が見たかったのだ。
  それと、もう一つ。ポケットの中に小さな包みが入っている。そちらも、喜んでくれるはずだと確信していた。
  騎士の月給よりも高価で、王都の化粧道具屋にしか売っていないもの――うっかり、失くしたりしていないか、テオは何度も確かめてしまう。そしてそのたびに、顔に緊張と笑みが浮かぶのだ。
  早く会いたい。テオはとうとう走りだし、寄宿舎へと駆けこんだ。
  だが――
「……えっ?」
  アレイニの、部屋の扉が開かれていた。そこからちょうど、作業着姿の男達がぞろぞろと出てくる。引っ越し業者、にしては時期がおかしい。アレイニはあの後じきに、ここへの移住を完了しているはずだ。四、五か月もたった今になって、なぜ?
 「邪魔ァ。騎士さんどいてくれ」
  テオの前を過ぎる男。何か布の塊を抱えている。テオは男をかわすと、開けっ放しの扉から中をヒョイと覗いてみた。
  カーペットがはがされていた。木床が剥き出しになり、埃が舞っている。壁紙も、カーテンも何もない。これは引っ越しではない、リフォームだ。普通、こういうことは入居前にやっておくものじゃないのか。
  そしてアレイニはどこに――
と、業者の男が帰ってきた。
 「ちょっと、中に入らないでくださいよ。ほらどいてどいて」
 「……あ、えっと――」
  男はテオを追い出すと、意見も聞かずに背を向けた。扉を閉める。その表には、金属製のネームプレートが貼られていた。『アレイニ』――隙間から薬剤とコテを差し入れると、男は一気に体重を乗せた。
  バキンと硬い音とともに。『アレイニ』のプレートがはがれて落ちる。
 「なっ――なにやってんだ! おい!」
  怒鳴ったテオに、業者の男は胡乱な目を向ける。
 「なんですかい?」
 「なんって――こ、ここは、アレイニが住んでるんだろ? なんでネームプレート剥がしちゃうんだよ。リフォームするんでも外は関係ないんじゃないのか」
 「さあ、うちら、騎士団のほうから言われた作業やってるだけですし。前のひとが置いたままの荷物と、このネームプレートもいっしょに処分しろって」
 「ま、前のひと? 処分!?」
 「ええ。アレイニさんですか。急な辞職だったから、なにもかも置きっぱなしでして」
 「辞職っ!? アレイニが騎士団を辞めた――どこへ行ったって!?」
  テオは目を見開き、詰め寄った。そう来ることは予測していたのか、男は「知りませんよ」と即答する。
 「騎士団のエライヒトなら知ってるんじゃないです? ココのリフォームと同時に、王都のアパートの方もうちら任されましたんでね。騎士団長だって、辞めたひとの不動産をどうこうする権利ないでしょ、なら当人が頼んだんだと思いますよ」
 「王都の、アパートまで……? な、なんで」
 「だから知りませんって」
  男は嘆息し、剥がしたばかりのネームプレートを、ごみ袋へ落とそうとした。テオは反射的に飛びついた。
 「やめろ! それを、持っていかないでくれ……!」
  それは、意味のない抵抗だった。
  アレイニの名が描かれた金属板――たとえそれを、また扉に張り付けておいたとて、アレイニが帰ってくるわけがない。
  それでもテオは、膝を付いて懇願した。
 「それを捨てないでくれ。絶対、なんか、わかんねえけど、騎士団に帰ってくるはずなんだ。そしたら、また、ここに住むはずだから」
 「いや、もう来週には、次の人が入るって決定してますよ。だからうちら、急いでリフォームに来てるんで。なんか貴族のボンボンが、薄汚くて許せないとか騒いでるんだと」
 「……でも……帝都にはいるはず…………そうだきっと研究所に……もしかしたら、俺の部屋に……だから……」
 「はあ?」
 「捨てないでくれ。お願いだ……」
  男は肩をすくめた。
 「まあ、こういうのは転売できず、精鉄費用が掛かるだけですからね。捨てるなって言うならあんたにあげますよ。おたくで大事に管理してやってください」
  不愛想にそう言って、金属板を手渡してくる。テオは大事に、だがやはり呆然とそれを受け取った。
  じっと視線を落とす。そこにはやはり、アレイニと書かれている。念のため、寄宿舎の部屋をすべて見て歩いた。一階の端から三階の端まで。それでも、アレイニの名はどこにもなかった。
  テオは、自分の寮部屋へ戻ってみた。出向から還ってきて、荷物を置いて出てきた、そのままの形。
  誰もいない。自分がいない間に、誰か出入りをした様子もなかった。
  テオは花束を投げ置いた。土産も放り出し、走り出す。寮棟を駆け抜け、廊下を渡り、執務棟へ。団長執務室兼私室――激しくノックをし、確認もせずにドアノブを引いた。鍵がかかっていた。どうやら留守らしい。
  舌打ちし、踵を返す。
  そしてそのまま、騎士団領を走り抜けていった。
  シャトルバス――王都住宅地――アレイニのアパート。
  そこはもう、先の業者による作業が完了していたらしい。『空き家』の看板がかかっていた。
  さらに、走る。
  次に向かったのは自分の実家だった。王都郊外、閑静な住宅地に、貴族用の邸宅が並んでいる。
  テオが騎士になり、与えられたものだが、テオ本人はほとんど寝泊りをしていない。屋敷には母親と、三人の兄弟が暮らしている。テオは足音高く侵入すると、裁縫をしていた母に向かって怒鳴りあげた。
 「アレイニが来なかったか!?」
 「ひゃっ!? なに? ――ああ、テオかい。お帰り。ヒストリアとかいう星はどんなもん――」
 「そんなことより、アレイニはここにいないのか?」
 「だから何の話だよ、アレイニっていうのはどなたのこと?」
  少年は舌打ちした。兄ちゃんお帰りと絡みついてくる弟たちをぶらさげたまま、母に向かって、短く伝える。
 「俺、結婚する。そのひとが、もしかしたらだけど、ここに来るかもしれない。そしたら入れてやってくれ。宿が無いはずなんだ」
 「はっ? はあ、そりゃいいけど。……その人、うちの場所知ってるの?」
  アッ、とテオは声を上げた。新居をこの家にするという選択を考えていたため、半ばアレイニの家とすら認識していた。母の言うとおり住所も教えていないし、アレイニの性質として、勝手に実家へ押しかけているわけがない。
  テオはここで、自分がひどく動転していることを自覚した。
  息を乱し、汗だくになって歯噛みする息子を、母はそれなりに察したのだろうか。もしも彼女が来たら連絡してやるよと言って、冷たいお茶をいれてくれた。
 「ほかに行くあてらしいもんはないの?」
 「……あとは……研究所と、その所員寮……友達とかは、知らねえ」
 「実家に帰ってるってことはないわけ」
 「いや、両親はもう亡くなったって」
 「親はいなくても家が滅びたわけじゃないでしょう。兄弟とか親戚とか」
  再び、テオはアッと声を上げた。呆れかえる母。
 「普通に考えて、カレシの親元よりそっちが先でしょうよ。アホねえ」
 「うるせえっ! そ、そうか、実家か。兄貴がいるって言ってた。ちゃんとした家みたいだし、そうだよな。結婚するのに報告はするだろう、うん」
  希望が見えてきた。しかしこっちもあちらの実家の場所は知らないと気づき、眉を寄せる。母はいよいよもって呆れながら、それでも、口元をほころばせた。
 「……あんたが結婚ね。やれやれ。……大きくなったもんだよ。まあ、がんばりなさい。ティオドール」
研究所と所員寮、アレイニが散歩を楽しんだ中庭も確認して、テオはとりあえず騎士団領へ戻ってきた。
  これでもう手詰まりだ。あとはもう、母のいったように、実家くらいしか思いつかない。
 (実家……しかし、アレイニの実家ってどこだよ……)
  それがわからないのだからどうしようもない。ラトキア王都民一億人、四千万戸の家々で、貴族と呼ばれる家は五百を越える。上級貴族、といえば五十を切るが、具体的に階級でわかれているわけではない。スラム育ちのテオからすれば、王都育ちというだけでみな十把一絡げにカネモチ、だ。
  こういうことに詳しそうで、テオが気軽に相手といえば、とりあえず一人しかいない。
  テオが部屋を訪ねると、バンドラゴラは驚きもせず、迎え入れた。
  いつもの、笑みを浮かべているような顔立ちに、苦いものを含ませて。
 「……アレイニの辞職願が届いたのは、お前がヒストリア星へ旅立ってすぐのことだ」
 酒を注ぎながら、バンドラゴラ。
 「おれ宛てに来たわけじゃない。事務の方に、郵便が届いて、団長に手渡されたんだろう。おれも朝礼で知らされたんだ。騎士アレイニが退団したって、檀上からさ」
  少なからず、失望の色をあらわしている。
  彼は、テオよりも先にアレイニと仲良くなり、彼女にとっていちばんの親友であった。テオ不在時になにかがあれば、この男に相談がいくはず――テオはそう思っている。バンドラゴラも同じだったらしい。
 「さすがにおれも驚いたよ。寂しいし、心配だし。……いや、それより正直な言い方すると――がっかりだ。同僚としても、友人としても。こんな辞め方をする人だとは思わなかった」
  彼らしくない言い方だった。いつも飄々とした男の眉に翳りがある。
  テオは同意も否定もしかねて、低い声で言った。
 「……あとから、バンドラゴラ宛てに手紙とか、こなかったのか」
 「お前に無いもんがおれに来るわけないだろ――いや、そうだな。おれにだけ伝えてくれるって思ってたよ。誰にも言えない悩みを、それこそティオドールが原因で退団したなら、それを相談してくれるってうぬぼれてたぜ。恥ずかしながら」
  ぐいと酒をあおるバンドラゴラ。テオはひそかに、この男がこれほど機嫌を悪くしたことを意外に思った。人見知りのアレイニがバンドラゴラを慕っていたのはわかるが、彼にとっては、可愛い後輩のひとりでしかない。テオの疑問を見透かして、彼は手を振った。
 「誤解すんなよ。まじで変な下心なんかはないんだ。だけどそりゃ、頼りにされれば嬉しいもんさ。優秀なのに自信がなくて、今にも壊れそうな後輩が、なんとか一人前になっていけるよう支えて……おれのオカゲとかいうつもりはないけど――まあ、ね。いきなり音信不通ってのは、がっかりはしちゃうわけ」
  なにやら人間臭い言い訳をしながら、もう一杯。そして今度こそ、あからさまに舌打ちした。
 「――テオのことも。男をなんだと思ってんだ」
 「……バンドラゴラ」
 「そーいうわけだから、おれは完全に部外者だよ。アレイニの実家なんて知らないし。悪いけど探す協力もしないぜ。もし見つけ出しても門前払いが関の山だろ。でなけりゃあっちから手紙が来てるよ。これこれこういう事情で引っ越しました、会いに来てねってな」
 「……そ……いや、でも、俺は、アレイニと――」
  どんっ。――酒瓶が、床を打つ。びくりと身を震わせるテオに、バンドラゴラは、凄んで見せた。
 「夢見てんじゃねえぞ色ボケ小僧。お前は振られたんだ」
 「…………」
 「どういう展開だか知らねえけど、よくあることだよ。女心は秋の空。女から去っていく破局では、大抵の男は身に覚えがなくて困惑する。俺たちうまくいってたじゃないかってな」
  わざと、乱暴な口調で言い切られる。テオはそこに、兄貴分の優しさを感じ取った。言い返せなくて俯く少年に、バンドラゴラはふと表情を緩める。
 「忘れろ、忘れろ! 次を探せ。おれがどんどん紹介してやる。実家のネットワークまでフル稼働させて、とびっきりのいい女をお前の前に連れて来てやるよ!」
 「い、いや、そういうのは、俺は」
 「いいから飲め。まずはこの一瓶、二人がかりで空ける、話はそれからだ」
 「……無理だろ。俺、酒なんかほとんど飲んだこともないし」
 「はあ? ふざけんなコノヤロー、貴族の教養、騎士の務め、男のたしなみだろうが。よし決めた。ヴァルクス呼んでくる。あの堅物筋肉ダルマが貯めこんでる秘蔵酒を吐き出させよう。酒盛りだっ!」
  何言ってんだこのオッサン、と引き留める間もなく、バンドラゴラは飛び出していった。間もなく、本当にヴァルクスを連れて戻ってくる。しかもこちらも両脇に、酒瓶を山ほど抱えているではないか。
 「おい、ノルマ増えてんじゃねえか!」
 「心配いらぬ。すべて自分が呑むゆえ」
 「そうはさせるかおれが頂く! あっすごーいナニコレ金箔入ってる。ほらほらキラキラ。日本で買ったやつだよな?」
 酒瓶を掲げるバンドラゴラに、テオもつい、ドレドレ、と覗き込んでみた。持ち主の武人は気を悪くするかと思いきや、逆に鼻を膨らませた。
 「面白がって買ってはみたが、味はこちらの方がいいぞ」
  そう、自慢げに差し出してくるではないか。趣向を凝らした逸品に、日本びいきのテオも興味をひかれる。
  そうして、男たちの酒盛りが始まった。
  鼾いびきがうるさい。酒臭い。男臭い。もっといえばおっさん臭い。
  狭い部屋に、戦士三人が大の字になれば、体のどこかしら誰かに触れる。
  顔前の、バンドラゴラの足の裏から顔をそむければ、反対側にはヴァルクスの厳つい寝顔があった。
  テオはとりあえず、身を起こした。
 「……あたまいたい……水――お茶をいれてくれ。アレイニ……」
  呟きは、当たり前のように口から出てきた。
 「アレイニ……」
  返事はなかった。それでも二度、三度、テオは空中に向かって呼びかける。
 「アレイニ。――俺たちは……結婚するんだよな」
  そう、約束したはずだった。
  呟く唇が、アレイニの唾液の味を覚えている。
  夢ではないはずだった。嘘でもないはずだった。
  振られた? ――もう会えないなんて――そんなはずがない――
 「俺のことを、好きだって言ったよな……?」
  その疑問の、答えが欲しい。
  せめてそれだけを願う。
  ポケットの中に、固い感触。ちいさな包みを取り出し、テオはリボンを開いた。
  シンプルな白い箱に、ちんまりとおさまった筒。蓋を開くと、ほっそりした筆先が赤く染まっている。
  婚儀の紅。
  テオは視線を這わせた。部屋の隅にゴミ箱が見える。
  ――投げ入れようと、狙いを定め――
止めて、テオはそれを包みに戻し、ポケットにしまった。
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