ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

最期の夜②

「――バンドラゴラ。これ返す」
 「ん? ああ、まだちょっと作業中だからソッチ置いといて」

  仏頂面でジャケットを突きつけたテオに、バンドラゴラは腹を立てなかった。それどころか謝罪までしてくれた。

 「悪かったよ。お前がくるまでのつなぎのつもりだったんだ」

 「……いや……怒ってない。ありがとう」

  バンドラゴラは、手元で金属を磨きながら振り向いた。そして仏頂面した少年を一瞥し、ニコリと笑った。

 「ティオドール、だいぶ逞しくなったな。去年まではもっと、針金みたいだったのに」

 「十キロ増えた。あと十キロは増やせて言われてる」

 「まだ成長期だし、あんまり無理しなくても二十歳までにはいけるんじゃない? ティオドールは強くなるって、団長のお墨付きもらってたしぃ」

  そう言って彼は作業に戻った。小さなボルトを指先で締めて、オイルスプレーで最後の仕上げをしている男の背中。

 「あーやだやだ、あとからきた子に追い越され、年寄りはどんどんすみっこに追いやられ。おれみたいな地味で特別な才能もない木っ端騎士は、前線から外され要職にもつけず、人知れず隠居して、辺境で静かな余生を送りたい」

 「送りたいのかよ」

  テオは思わず吹き出した。どこまで本気かわからないが、おそらく大部分が本音であろう。

  バンドラゴラは飄々とした男であった。自虐的ジョークにも卑屈さがない。
  テオにとって、この男の時折、ひどく不思議に映る。自分なら親切を突き返されて、このように笑っていられる気がしない。基本的に人が好よいのは間違いないだろう。だがそれ以上に、彼はなにか『分厚い』ものがある。

  一回り以上年上、二回り大きな体。経済的にも教養にも恵まれた生まれ育ちで、嫉妬されない程度に人好きのする容姿。ありとあらゆるものへの経験値は、テオの数倍を持ってしてもまだ足りない。
  人生も戦闘も、恋愛も。

 (……これが、『持ってる男』の余裕っていうやつかな……)

  バンドラゴラは立ち上がると、整備したばかりの乗り物、エアバイクを機動させた。エンジン音を聞き、低空浮遊させた車体を片足で踏み踏み。そして、首を傾げる。

 「うむむ。エア噴出口はきれいに整ったはずなのに、なぜ傾くんだこいつは」

 「……ハンドルじゃね。中の軸が曲がってるんだと思うぞ」

 「なんだティオドール、お前こういうのわかるの? エアバイク乗ったことあるのかよ」

 「ないけど、木で自転車を作ったことがある。こういうのは下町のガキのおもちゃだぜ。動作システムはさっぱりだけど外枠は似たようなもんだろ」

  適当なことをいうテオに、じゃあ乗って見ろよとバンドラゴラ。テオは素直に、エアバイクに乗り込んだ。

  体重を乗せたとたん、浮遊していた車体がぐらりと傾いで――

「おっと、っと」

  と、テオが重心を移動。ハンドルを切るとさらに激しく傾いたが、それも、力付くで押さえ込んだ。
  手元のタッチパネルに気がつくと、なんとなく雰囲気で操作して、さらに高度を上げてみる。
  上昇、下降、回転、走行。
  多少ぐらぐらしながらも自由自在にエアバイクを乗り回し、十分ほどで元位置にきちんと戻ったティオドール。ぽかんと口をあけているバンドラゴラに返却して、

 「やっぱ軸がゆがんでるな。それに合わせて体重移動すれば問題ないけど。バンドラゴラそういうの苦手なのか? ならやっぱり買い換えた方がいいと思うぞ。これ直すのは手間だぜ」

 「え。じゃあ、下取り……」

 「うーん、中古として買い取ってもらうのは難しいんじゃねえかなぁ。俺か、だんちょーくらいバランス感覚イイやつでもなきゃ乗りこなせねえだろうし」

 「……ティオドール。君にちょっとした提案なんだけど……」

  妙に優しい声で、バンドラゴラ。
  ぽんと肩を叩かれ、テオは目をぱちくりさせた。

 「ん?」

 「これより大きい、二人用エアバイクっていうのが、新作であってね。夫婦で乗れるやつ。……それの頭金等価でどうだろう」

 「は?」

 「……結婚ってさ。思っていたよりおかねいっぱいかかるんだよね……」

  遠い空を見上げてつぶやく男。テオは何となく、同じように目線をあげた。ラトキアの青い空は、昨日とも一昨日とも変わることなく、男たちの頭上に広がっているだけだった。


 (金か。……金なぁ)

  と――シャワーを浴びながら、テオは初めて、そんなことを考えた。
 夕刻。日勤が終わり、夜勤につくまでには、三時間ほどのインターバルがある。夕食と仮眠のための時間だ。
  しかし、テオは即行で浴場へ向かった。
  備え付けの石鹸で丁寧に体を洗いながら、ふとその費用も、自分の給料に含まれているのだと気が付く。
  テオはこれまで、金を稼ぐという感覚がなかった。
  仕事は義務のようなもので、家の手伝いと同じく、辞められないものだと思っている。小遣いがもらえれば僥倖ぎょうこうだ。少年兵時代も給料は全額(ひどい薄給であったが)親元に送り、兵舎の支給品だけで暮らしていた。
  テオ自身の感覚としては、兵舎での暮らしこそが報酬のようなものだった。四人部屋の薄いベッド。それでも生家よりよほど広く清潔で、食事も豪華なものだった。
  もともと物欲や金銭欲が少ないのだろう。金の使い方がよくわからない。

 (……騎士になってから給料は跳ね上がったけども、実際ほとんど使ってねえもんな)

  一度自室に戻ってから、今更ながらテオは思った。
  騎士二年目となり与えられた個室である。かつてより広さは増したが、簡素なインテリアは何も変わらない。
  しゃれた調度品を置く騎士もいるそうだが、テオは何ら頓着せず不便もなく、与えられたもののままで暮らしていた。

  テオの貯蓄は増える一方だった。
  最近の大きな買い物と言えばバンドラゴラの結婚祝い、地球で買い込んだマンガと日本みやげ。それに、アレイニに贈った花束くらい。

 (……あれはたしかに高かった。ほかの物も、アレイニが喜びそうだと思ったらアホほど高ぇし)

  なるほど、バンドラゴラが困窮するわけだ。女というのは金がかかる。
  いや、ねだられたわけでもないし、やる必要は別にないのだ。
  まともに付き合っていれば、アレイニはおそらく、金のかかる女である。持ち物はさりげなく高級品だし、あの美貌も、当人の努力だけで保てるものではないだろう。
  アレイニの収入は、おなじ新人騎士である自分と変わりいないと思われる。テオが溜めこんでいる分、彼女は贅沢をしているのだろうか。
  もしも、彼女が騎士しごとを辞めたら――今の自分が養っていくとしたら――今より不自由をさせるのだろう。おそらく。

  ついてきてくれるのだろうか。

 「――っと。何考えてんだか」

  つぶやき、テオは己の頭を軽く叩いた。

 洗濯済みの軍服に着替えると、食堂で弁当を受け取った。
  騎士団長の指示により、二人前あるテオの寮食。それを、何食わぬ顔で持ち出す。
  そうして、テオはいそいそと、騎士団寮から抜け出した。

  べつに、これは、違反ではない。
  もともと、騎士の食事は時間も場所も決められてはいない。ただ指定時間までに来ないともらえないし、勤務時間までに食べ終えなければチャンスがなくなると言うだけだ。
  屋外へ持ち出している騎士などいくらでもいる。

  まあ――それはせいぜい、中庭くらいのもので。高等軍人用の寄宿舎まで運び込む者はそうはおるまいが――

「違反じゃない、違反じゃない……」

  自分に言い聞かすようにつぶやいて、テオは足早に、そして少なからず浮き足だって、芝生の庭を横切っていった。


  この寄宿舎に、テオが入るのは二度目であった。

  一度目は扉の前。ドアベルを鳴らしても反応はなく、預かった手紙だけをポストに挿した。
  当時のことを思い出し、テオは自嘲気味に笑った。あの後、すぐにアレイニの自宅を訪ねに行ったのだ。どうせなら手紙も持っていけばよかっただろう。花を買うよりも、もっと利かせるべき気というものがあったはずだ――

(でも、喜んでたし。……それで家に入れてくれたし)

  結局は最高の展開だ。結果オーライ、あの手紙がなんだったのかは知らないが、もしもあれがとても大事な内容だったなら――たとえば、訃報か何かだったなら――

 もしもアレイニが、それを受け取っていたら――

 きっと、のんびりお茶など淹れてくれなかっただろう。そしてこのように、再び部屋を訪ねる機会も。

  テオは自分の幸運に感謝しつつ、アレイニの部屋の、ドアベルを鳴らした。


  一分、二分――五分。

  いつもよりやけに待たされる。テオは首を傾げ、もう一度ベルを鳴らそうと手を伸ばした。そこへ、

 『入って。開いてるわ』

  不意に、短い言葉が聞こえた。インターフォンがついていたらしい。

  テオは扉を引いた。


  室内は真っ暗だった。
  引っ越し前なので電気が通っていないのだろうか。手探りで壁を撫でまわすと、指先に軽い手応え。
  すぐに、部屋中が明るく照らされた。

 「電気通ってるじゃん。アレイニ? 寝てたのか?」

  呼びかけてみる。返事がない。本当にうたた寝をしていたのだろうか。テオはとりあえず廊下を進み、リビングルームへたどり着いた。

  と――そこに、アレイニがいた。

  特にどうということもなく、ただじっと。
  フローリングの床の上で、無言のまま佇んでいた。

 「――ああ、なんだ、起きてたのか。返事くらいしろよ」

  そう言って、テオは小脇に抱えた二つの弁当を、テーブルの上に勝手に置いた。

 「これ、寮食。二人前あるから一緒に食おうぜ。夕飯まだだろ?」

  アレイニは返事をしなかった。
  うなずきもせず、首を振りもしない。ただたっているだけだ。
  生気もなく、まるで亡霊のようにして。

  テオも異変に気がついた。歩み寄り、アレイニの肩を掴む。
  ふっくらと柔らかそうな印象のある彼女なのに、実際に掴むと、どきりとするほど華奢だった。
  戦うための筋肉などない、そんな気概すらもない。

  力の抜けた女の身体。

 「……どうした? 体調悪いのか。医務室なら背負ってくぞ」

  うつむいた顔をのぞき込む。長い髪に隠されていた頬が、かすかに濡れているような気がした。テオは眉を寄せた。

 「おい! どうしたんだ。お前また泣いてんじゃ――」

 「テオ」

  彼女は言った。



 「抱いて」


  ――思いのほか、強くて堅い声音だった。


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