ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

謎の地球人②


「こなければよかった。行くべきじゃなかった」

  うなされたようにブツブツと呟くアレイニ。
  ヴァルクスが頷き、バンドラゴラがうなだれる。テオは眩暈を抑えていた。

 「ひどい目にあった……いや、メシはうまかったけど」
 「なにやらえらいものを見た気がする」
 「……団長にあんなセリフを吐ける人間がいるとは。すごい体験をした……」

  おおむね、騎士たちも同じ状態である。
  栗林梨太。
  そう名乗った、地球人との初対面を果たした夜である。

  今朝までは、全員で押しかけるチャンス到来だと笑っていた四人。全員がほうほうのていで帰還し、この通りサロンの床に突っ伏していた。
  それを見下ろし、シェノクが嘆息。捕虜の番で居残っていた彼は、まるですべてを見てきたかのような半眼で。

 「だから、出発前に言っただろ。あのガキの見た目に騙されるなと」

 「……見た目とのギャップとかそういう問題じゃなくてですね……」

  まだズキズキ痛む心臓を抑えながら、アレイニは声を絞り出す。
  思い出すだけで背筋が凍る。それはまるで、悪夢のような時間であった――


 リタ少年の、第一印象はまず「小さい」だった。

  雄体化しているアレイニよりも、頭一つ背が低い。地球の同年代男子としてもかなり小柄なほうだろう。
  手足も華奢で柔らかそうで、まるで少女のようだった。痩せているのに不健康には見えないのは、ふっくらと丸く血色の良い頬のせいである。
  ふわふわと柔らかそうな茶色の髪、それよりは少し明るい目。
  それはさておき、なにより――

「かわいいな……」

  一番後ろで、テオがつぶやく。少年には聞こえなかっただろうが。

  栗林家の玄関先である。
  急に押し掛けた騎士たちに、少年は驚き、ポカンと口を開けていた。「いらっしゃい」と言いかけた口、そのままで停止している。

 「……だ……誰っ?」

  出てきた声は、ちゃんと男の子である。すかさず紹介してくれるクーガに続き、騎士四名それぞれ、地球の言葉で名乗っていった。ついでに連れてきた捕虜、虻イグニまでもが丁寧に名乗ったが、「なんなんだ大人数で」と怒鳴られる。

  見かけによらず、神経質らしい。

  クーガも小首を傾げる後ろで、アレイニも疑問符を浮かべていると、テオがぽんと手を打った。

 「そういえば、地球じゃ一般人の個人宅にまで電話が引かれてて、さらに全員、無線通信機を持ち歩いて生活してるんだ。だからかな、これから誰が何しに行くよ、って事前連絡をするのが常識なんだと」
 「……なるほど」

  文化の違いゆえに感性も違う、これぞカルチャーショックというものである。ラトキアならば常に訪問は突然、留守ならば出直し、都合が悪ければ断られる。それで当たり前だ。

 (……団長、やっぱり学校で浮いてるんじゃないかな? 元から浮き世離れしてるような人だもの、現地の人をポカンとさせるような、とんでもなくおかしなことになってたりするんじゃ……)

  アレイニが思案に耽っている間に、彼とのやりとりは進んでいた。
  少年はあきれ顔で騎士たちを一瞥し、嘆息交じりで、

 「……この中で、日本の文字を読めるひと?」

  問われて、テオがとりあえず手を上げた。ついでに捕虜のイグニまでもが手を上げるが、全員で無視をする。 
  リタは再び嘆息すると、玄関先でメモを書き、手渡してきた。
  ティオドールが読み上げる。

 「じゃがいも、たまねぎ、ぶたこまにく四百グラム?」

 「そんだけの人数、ご飯の用意なんかしてないよ。まあ食べられるようにはするから、足りない材料買ってきて。あとのみなさんはお手伝いっ」

 「んあっ? なんだそりゃ、俺に買い出しいけってか!?」

  テオの怒号にも少年はどこ吹く風、さっさと踵を返して自宅へ入る。いきなり小間使いにされて眉を吊り上げていたテオは、口を大きく開けたのをふと閉じた。再度メモに視線を落とす。

 「どうしました、テオ?」

 「……いや……なんだこれ。『材料の変更は可能、商店街東口のスーパーなら、タブー食材を言えば代用品を教えてくれるよ』……だって」

 「ああ、それって外交の常識だよ。国や宗教によっては、食べられない食材があるから」

  バンドラゴラが口をはさむ。

 「おれたちラトキア人はそういうの何もないけど、それでも生肉は抵抗あるだろ? そういうのを慮ってくれてるんだ。――それなりに、もてなしてくれるつもりみたいだね」

  ふうん、とテオは頷いて、とりあえず素直に従うつもりになったらしい。黙って商店街のほうへと歩いて行った。

  初めて入る、地球人の家は、思っていたよりずっと居心地のいい空間であった。明るく、かつ落ち着いたカラーリングのインテリアはよく片付いており、男子の一人暮らしで想像する不潔さはまったくない。
  和やかでありながら、生活感の少ないリビングだ。
  主の背丈に合わせたらしい、全体的に低めの家具。それが空間を広く見せている。

  クーガも、ここを訪ねるのはまだ二、三度目のはずだが、なぜだかすっかりくつろいでいた。ダイニングテーブルを陣取って、自分の作業に没頭している。
  それをとがめることもなく、黙ってお茶を置く主。

  受け入れるが、過剰にもてなすというわけではない。
  在るものをわかりやすく提示して、いいように使ってくれと言う雑な接客。

  ――居心地が良かった。

 (……さっきの食材のメモといい、この子はきっと、外国人の友人が多くいるんだろう。話す日本語も聞き取りやすい。異文化との交流に慣れているんだ……)

  アレイニはこの少年に好感を持った。なにげない所作から、異邦人の騎士が心地よいように努めてくれている。

  頭がいい、というクーガの評価がよくわかった。それは知識、あるいは天才的な閃きともまた違う種の知性である。
  察する、感じ取る、理解する力――いや、そうしようと努力をする力。

 (バンドラゴラに近い能力だ。バンドラゴラが年齢と経験で積み上げてきたスキルを、この子はきっと『勉強』によって得てきている) 

 (……賢い子だ。知識も知能も、自分が豊かに生きるために使っているんだ。そのために勉強してきてる……『肉辞典』とは大違いだわ――)

  そう考えた途端、チクリと胸に痛みを覚えた。ついさっき、素直に感じたはずの好感。少年への好意が、どす黒く濁り爛れていく。

  いけない。アレイニは胸を抑え込んだ。

 (私、また汚い気持ちになってしまいそう……)

  いけない感情だった。
  彼は味方だ。これまでも役に立ってくれていて、これから一緒に捜査をする仲間なのだ。有難がりこそすれ、嫉妬などしてどうする。

 (こんな幼気いたいけな少年に、いい年をした軍人が――)

  アレイニの懊悩も知らずに、少年はテキパキと料理を進めていく。『日本食』の、カレーライスだ。
 「サメジマクンが学食で食べてたっていうから、ラトキア人の口にあうと思うんだけど、どうかな?」
  ほほ笑み、リタは小鉢を差し出した。味見をするアレイニを見つめてくる。
  零れ落ちそうに大きくて、つぶらな瞳。
  可愛らしい、しかし庇護欲をそそるような儚さは感じられない。
  強い視線だった。

  クーガとは別の意味で、その双眸には不思議な力があった。

――だれかに似ている。

  こちらの本心を、人格の深部を掘り起し観察するようなその視線。理解されるという安心感と恐怖がないまぜになり、アレイニは内臓を震わせた。
  この感覚。どこかで覚えがある――

 ああ、とすぐに合点がいった。

 (キリコ博士……)


  カレーライスが並べられ、ラトキア人たちは指を組んだ。給食や外食では行わない、料理人への感謝の祈りである。
  突然訪れた異邦人をもてなしてくれた家人に、祈りをささげる騎士たち。
  アレイニは形だけ指を組みながら、胸中は雑念でいっぱいだった。
  祈りが終わり、いただきますと日本式の挨拶。食事は素直に美味しかった。同僚たちを横目で見ても、みな絶賛している。さらに視線を飛ばし、クーガの顔を見た。
  笑っていた。
  群青色の目を細めて、口の端をにっこり持ち上げて。
  確かに、彼は微笑みを浮かべていた。

 「すごくおいしい」

  褒められて、少年も照れくさそうに笑う。

  ……似ていない。ちっとも共通点なんかない。
  年齢が半分以下だし、形の似たパーツはどこにもない。性格もずいぶん違うはずだ。頭の良さも、目指すベクトルが違う。

  似ていない。しかしどうしても既視感が付きまとう。

 「……おい、だんちょー、機嫌良さそうだな……」

  隣でテオが囁いた。テオだけではない、バンドラゴラもヴァルクスも、騎士団長のかつて見たことのない表情に眉をひそめている。
  アレイニももちろん、異様な感覚だった。
  しかしその理由は理解していた。

 (……やっぱり、どこか似ている。……リタさんは、キリコ博士に)
 (……団長があんなふうにくつろいで、笑ってみせたのは、キリコ博士の前だけだった……)

  リタの前で、クーガはいかにも居心地が良さそうだった。アレイニはそれを共感できない。
  己の本心を、真の姿を、何もかも見透かすようなあの瞳――そんな者の目の前で、どうして心安らかに等なれるのだ。

  さっきまであんなに居心地の良かったリタの家が、尋問室のように落ち着かない。ここにいてはいけない。暴かれてしまう。アレイニのけがらわしい内臓が、この少年にはもう見えているかもしれない。

 (……私は下衆だ)

  そして、馬鹿だ。無神経で傲慢で、劣悪な生まれ育ちで、非力で、いやみで、ひどく性格が悪い。

 (見透かされた? ……いや、これもきっと自意識過剰。全人類が、自分に対し好意か悪意を持っていると思いこんでいる。これは誤解だ。ほとんどの人間は、私になんて、なんの興味も持っていないのだから)

 (お前は下衆だ。淫猥で、強欲で――)

 「アレイニ? どうかしたか」

  アレイニのスプーンが止まったのを、テオが心配し、覗き込んでくる。あの少年と同年でも、テオは戦士だ。造形は鋭く、少女じみた愛くるしさはない。
  それでもテオは可愛い。
  何にも知らないティオドールを、アレイニは心から、可愛いと思った。

 「……なんでもありません。おいしい、ですね」

  笑って見せると、嬉しそうにするテオ。

 「だな!」

  底抜けに明るい笑顔。それが無性にまぶしく見えた。

  アレイニは思う。
  騎士たちは、みな誠実な人物だ。今はここにいないシェノクも、クーガも決して悪人ではない。

 (きっと、私が一番、だれよりも汚い――)

  喉から沁みだしそうな黒い膿を、アレイニはカレーライスをばくりと咥えて抑え込む。
  そうしてなにもかも誤魔化そうとした、その時――

「鮫島くんって処女なの?」

ぶばっ。

 聞こえてきた少年の言葉に、全員がいっせいにカレーを吹き出した。

 サメジマクンはこんなに綺麗なんだから、女になればたいへんな美人のはずだ。

  男社会の騎士団で口説かれたことがあるだろう。

  恋仲になった男はいないのか。あるいは、彼のほうが懸想したこともあるだろう。

  たとえばあの、アレイニとかいう美青年はどうだ――

 リタ少年が、クーガ騎士団長に向かって言い放ったのは、かようなトンデモ内容の連発だった。

  ただでさえ、雌雄同体のラトキア人、雄体優位の者にそういった追及をするのはたいへんな侮辱である。原始の時代、ラトキア人は「雌雄を決する」際、雄としての力比べによって行ってきた。すなわち殴り合いである。
  現在でもそれは概念として残っている。
  雄体を雌体扱いする、それはきっぱりとケンカを売るということだ。

  ……その概念を、雌雄に分かれて生まれ育つ、地球人が知らないのは仕方がない。
  だがそれにしても、クーガがラトキアでやんどころない身分の軍人であり、見るからに『怖い人』なのはわかるはずである。

  ひたすら黙って食事を続けるクーガ。その顔色を伺うことすらできず、アレイニはずっと、生きた心地がしなかった。

  なんだこの命知らずの大馬鹿者は――

 アレイニはそう少年を評価した。そしてそれを覆すまでの時間は、さほど長くはかからなかった。


  オストワルド将軍と無線がつながってからの、少年の言動。これが頭脳明晰というものか。まるで見てきたようにこちらの裏側を読み取り、さらにこちらの基地まで言い当てて、しまいには敵のアジトまで明言する。
  歴戦を知る軍師かはたまた天啓を受けた呪術師ではなかろうか。
  リタに与えた情報は、決して多くない。
  宇宙船停泊に必要な環境だとか、ボスであるキリコの人となりを聞かれたくらいだ。
  オストワルドとやけに高速なやりとりをした彼は、そのつぶらな瞳で、この町の地図をじっと見つめた。
  ほんの数秒の思考。そして、ある一点をペンでグルグルっと印付けた。

 「サメジマクン、ココがキリコの潜伏地だと思う。けども罠が張ってあるから気をつけてね」
 「……えっ?」
  という、疑問符は、クーガ以外の全員があげた。

  あまりにも展開が早すぎて、誰も、そこについていけなかった。クーガだけが反応した。地図を手に取り、少年に追及する。

 「罠? どういうものだ?」
 「窓とか、建物の外からは入れなくして、しかもなるべくたくさん内部を歩かせるために細工をしてると思う。障害物で迷路にしてるとか。地雷までは手に入らないとして、突然刃物が落ちてくるくらいは黒板消し落としのいたずらと同じ仕掛けでできちゃうからなあ。地面より天井に注意かなあ」
 「天井というと、この家と同じく二百五十センチくらいか?」
 「もうちょっと高いと思うよ、だってこの施設は――」

 「ちょ、待て! 待て待て待てっ」
  たまりかねて割り込むオストワルド。

  何を根拠に、なぜわかったのだと問い詰めるラトキア星帝皇后に、十六の少年は実に淡々と、

 「なぜって、条件的にここしかないもの」

  こともなげに、そう言って笑いもしなかった。

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