ラトキア騎士団悲恋譚
疑惑の少年
「……たしかに、リタさんは見かけによらないひとでした。いろんな意味で……」
  サロンの床に突っ伏した、その姿勢のままで、アレイニは言った。
  そばで佇むシェノクは仏頂面。リタの話題が出たとき彼は不機嫌になる。それもそのはずと、アレイニは心底思い知った。
  生意気だとか、自分たちにぞんざいな口をきくとかはどうでもいい。クーガへの言動が常軌を逸している。
  四人の騎士はもちろんのこと、シェノクはクーガの側近だ。まったく気が気じゃなかっただろう。
 「うう、胃が痛い。本当に、いまだに信じられない。団長に、あのオーリオウルの英雄クーガに、あんな口のききかたをするなんて。ラトキアであんなことをしたら、彼は今頃牢獄の中ですよ」
 「……そんなことはない」
  否定したのは、ヴァルクスだった。
 「彼の言動は、報酬として許されたことだ。契約の範囲内である」
 「……そりゃ、不敬罪だって首をはねるようなことはできないでしょうけど、あとから団長にどんな目にあわされるか――」
 「団長は、別に怒っていない」
  反論したのは、意外にもシェノクであった。
  顔を上げる一同。
 「むしろああして、自分を恐れず話しかけてくることを喜んでいる。……だから、お前たちがそれをヤキモキすることはないぞ」
  そんな言葉とはうらはら、彼はますます持って不機嫌面である。クーガ当人の気持ちとは無関係に、長を侮辱されて気分が悪いのだろう。
  だが、と、シェノクは続けた。
 「実際、あのガキは役に立ってくれている。今日、あいつが言ったキリコのアジトはまだ推論の域だが、他の候補も含めこれからの捜査の指標になるだろう。
  明日にでもそのウラを取る。確定次第、場合によってはそのまま突撃だ。お前たちはもう休んでおけ。俺はこれから、日本の機関に施設潜入の許可を取らなきゃならないんだ」
  緊張し、うなずく騎士たち。
  ――と。
 「待ってくれシェノク、ちょっと確認したいことがある」
  テオが立ち上がり、シェノクに歩み寄った。
 「あの地球人、リタという名前の。あいつは本当に信用できるのか?」
 「テオ!?」
  ぎょっとするアレイニ。シェノクは眉を上げた。
 「……亡命してきたラトキア人、ではないことは確認してる。純粋な地球人だ」
 「ちがう、人間としてだ。地球人だとしても、金で雇われてる可能性はあるだろ」
  シェノク、アレイニ、バンドラゴラ、ヴァルクス、全員が目を丸くしてテオを見た。
  その可能性に気づきギクリとした、のではない。そんなことをティオドールが言い出したことにだ。
  バンドラゴラが制止する。
 「待てよティオドール、それはないだろ。クリバヤシリタは生活に困ってるようすはないぞ。それに報酬だって、亡命者たちに資金の余裕なんかないはずだ。騎士団に協力したほうが金は稼げる」
 「そ、そうですよ。それに、彼の活躍で捕らえたヒムは、組織の幹部でした。油断させるオトリには大物すぎます」
 「……罠というなら、あの少年は、罠があることを示唆してきた。ずいぶんとややこしい罠の張り方である。意味が分からないな」
  アレイニ、ヴァルクスが続くと、テオは一応、口をつぐんだ。それでも納得していないらしい。
  こういった作戦会議ではたいてい無言をつらぬく前線担当が、やけにゴネる。
 (どうしたのテオ……?)
  バンドラゴラが笑って、
 「なんだおまえ、嫉妬してるのかぁ? 同じ年の少年が大活躍したから。まあ何ヶ月も地道に苦労してきたところをいきなり現れて手柄をさらわれるんだ、気持ちは分からないじゃないけど――」
 「そういうんじゃねえよ」
  やはり仏頂面のテオ。
  シェノクが目を細めた。
 「なぜ、そう思う。ティオドール」
 「……いや……理屈じゃない。別に、何の根拠もなかった。すまん、忘れてくれ」
 「いいから言って見ろ。おまえからみて、リタはどう映った?」
  ティオドールはかなり、言いにくそうにしていた。本当に言葉にならないらしい。
  語彙を振り絞って、彼は同じ年の少年を、正直に評した。
 「あいつは信用しない方がいい。あれは犯罪者の目だ」
  犯罪者の目。
  あの、小動物のような少年を表するのに、もっとも遠い言葉だと、アレイニは思う。
  騎士たちもみな同感らしかった。
  いよいよ、ティオドールを訝しげに見る彼らの中で、シェノクだけが、苦笑いを浮かべていた。
 「……目、か」
 「ああ。具体的にどこがどうって言えねえんだけど……少年兵に、あんな目をしたガキがいっぱいいた。……少年兵は、生きるために罪を犯してとっつかまって兵隊に落とされたやつが多いんだ。もしくは親に売り捨てられたか、その両方か。俺みたいに、親父に憧れて自ら入隊するやつなんかずいぶんまれだった」
  バンドラゴラが異論を唱える。
 「あの華奢な腕、おれにはとても傭兵あがりに見えないね」
 「だろうな、戦場経験者ってわけじゃない。だけど……」
  だけど、と、テオはつぶやいた。
 「……たぶん……あいつは前科者だ。俺たちみたいな、制服を着た大人の集団に一瞬ひどく怯えた」
 「そ……そんなふうには、全然見えなかったけど……」
 「すぐに自己催眠で押さえ込んだんだよ」
 「じゃあお前は、あのキャラが全部演技で、おれたちを家に迎えたのも懐柔のためだったというのか?」
 「――いや、演技じゃない。実際に俺たちと仲良くなろうとしてた。……だからこそ異様なんだ。
 震え上がるほど怖い連中と、本気でトモダチになろうとする――無意識に自分を騙してまで。そんな『普通の子供』があるか? 異様だぜ!」
  吐き捨てる。テオの弁は、アレイニにはまったく理解できなかった。
  犯罪者? 私たちに怯えていた?
  あの明るくて人なつっこくて、傍若無人な少年が。
  前科者――?
  バンドラゴラ、ヴァルクスもやはり、アレイニ同様、渋面になっている。
  疑惑の根拠が乏しすぎる。テオの被害妄想としか思えない、だが当人には確信的であるらしかった。
  彼の動物的カンの良さは、騎士団員も認めている。
  バンドラゴラはコメカミを掻き、フウムと唸り声を漏らす。
 「……まあ、その可能性はゼロではないけどねえ。幹部を逮捕させたのも何かの狙いで、キリコのアジト云々はまったくのでたらめ。罠の示唆も引っかけで、おれ達を信用させるためのものだとか」
 「バンドラゴラまで!?」
  ぎょっとするアレイニに、彼はいつもの柔和な微笑みで、少しだけ眉を垂らして見せた。
 「……いや、一応ね。可能性の話。おれは彼を悪人だとは思っちゃいないよ」
 「悪人でなくても罪は犯す。テロリストはみな、確信犯なのだ」
  続けたのはヴァルクスだった。それは確かにーー今まさに尋問している、テロ幹部のヒムなどは、善行家として知られていた。思想家はみなそうだ。己の中にある正義のもとに悪を討つ。彼らの正義テロリズムでは騎士団が悪である。
  彼らの言いたいことはわかる。
  たまたま知り合った地球人、十六歳の少年は、あまりにも有能すぎた。彼の後ろで、賢い大人が手を引いている。彼はただの傀儡だ。
  彼のせりふは、すべてキリコ博士の台本であるーー
アレイニは眉を寄せた。
 (なんか……キリコ博士らしくないような気もするけど)
  それにやはり、あの少年の笑顔は、本物のような気がしてならなかった。
  自宅のリビングで、大勢の客がにぎやかにご飯を食べ、美味しいと笑う。その状況を、目を細めて眺めるリタ。
  あれが縁起とも、自己催眠とも思えなかった。
  だが――
(……それも、ただの私のカンか。それならテオのほうがまだ信頼できるな……)
  騎士団は半信半疑ながらも、とりあえずその可能性について、真剣に考察することにしたらしい。
  顔をつきあわせて、リタがいかに疑わしいか、そのハラを暴く手はないかと相談を始めていた。
 「あの髪色は、やっぱりラトキア人の赤毛とは違うね。地球の、西洋あたりに多い色味だよ」
 「部屋に再度潜入し、毛髪を採取するか。染料の有無やDNA鑑定ができるはずだ」
 「別にラトキア人かどうかは関係ねえぜ。……たとえば指名手配の逃亡費用や、隠れ蓑を世話してもらってるとか」
 「うーん、そう考えると確かに、男子一人で暮らすのにあの家はデカすぎるなあ。あの年で両親がいないっていうのもちょっと」
  腕を組みながらのバンドラゴラに、すかさずアレイニは挙手をした。
 「それは、長期出張で留守にしているだけらしいですよっ。もともと三人暮らしの家だって、これは以前訪ねたときにそう答えたって、報告書にありました!」
  疑ってかかるにしても、事実を知らずに悪し様にいうのはよくないはず――だが、この擁護に説得力がないことを自覚し、手を下す。疑惑の人物自身がそう言っただけなのだ。
  騎士達の胡乱な視線を振り払うように、シェノクのほうを振り返る。
 「ねえ、シェノク。真実かどうかは役場なんかへ問い合わせれば、すぐにでもわかりますよね?」
 「ああ」
  シェノクはうなずいた。
 「――もう調べた。両親ともに単身赴任、あの家に三人が籍を置いている――というのは真っ赤な嘘だ。リタの『両親』は、首都で一軒家を持ち、夫婦ふたりで暮らしている。母親は働いていない」
 「……えっ?」
  絶句するアレイニ。渋面になる騎士達。
  シェノクは目を伏せ、感情のない声で続けた。
 「表札にあった名前とも違った。近所への聞き込みもしたが、やはりあの家に、リタに似た男女の出入りは一度も確認されていない。……調べられたのはここまでだ。なぜ、どこからどこまで、かは不明だが、少なくともそれだけ、クリバヤシリタは嘘をついている。それだけは間違いない」
 「そ……そんな、本当に!?」
 「なんだ、やっぱりクロかよ」
  色めき立つ騎士団。バンッ、とテオが拳で手のひらを強く打ち、立ち上がった。屈伸を二回、そしてサロンから飛び出していく。
 「へへっ、大したガキだ。ラトキア騎士団相手に大嘘ついて、一網打尽にしようとしたんだからな。だがそうとわかれば容赦しねえぜ! さっそく行ってとっ捕まえて、本当のアジトを吐き出させて――」
 「落ち着け馬鹿野郎」
  クールな声とともに足払いを掛け、文字通り出ばなをくじいたのはシェノクだった。
  前のめりに顔面から落ちたテオを、呆れ眼で見下ろす。
 「リタの『嘘』は、両親だけのこと。テロ団と内通してた形跡はねーんだよ」
 「んなこと言って、怪しいのは変わりねえだろ!?」
 「怪しければ逮捕していいなら、四か月近くも苦労してない。いいから落ち着け」
 「……あの、シェノクは、どうしてリタさんの素性を探ったりしたんですか?」
  アレイニは問うた。
  シェノクはテオのようなカンに頼る捜査はしないし、個人的に不仲だということで人の私生活を穿つような人間でもない。
  日本政府からは、必要以上に日本人の生活を脅かすことは禁じられている。情報を得たなら、そう動くだけの根拠があったはずだ。
  シェノクは苦笑いし、腕を組んだ。
 「……俺もまあカンみたいなもんかもしれないけどな。初めて家に行ったとき、ちょっと気になったんだ。出会って四日ほど後のことだったか。
  ――なあ、お前たち。十代で親と同居していたとき、特に母親には見られたくないモノはどこに置いていた?」
  と、いう問いかけは、騎士たちに投げられた。四人は顔を見合わせ、察してそれぞれ赤面したり、視線を逸らしたりと逃げつつ。
 「そりゃあ……自分の部屋とか」
 「絶対に開けられないところ。家政婦さんが毎日掃除に入るから、勉強机を細工して隠し棚を作ったぜ」
 「ウチは狭いし弟どもがひっくり返すから、ともだちの家に置いてもらってた」
 「自分はそのころ傭兵団にいた。だがもし女の目があったなら、その者の立ち入らぬ、男便所や寝所に置かれただろうと思う」
 「――だよな?」
  ウンウン頷く四名。シェノクはそれを確認すると、多少言いにくそうに続けた。
 「普通、そうだろうと俺も思う。だがあのガキはな、『そういうもの』がテレビボードの中にあるって言ったんだ。
  家族が集まるリビング、客を座らせるソファのすぐそばだぞ。主婦が一番気合を入れて掃除をするところだろう。
  ……長期出張と言ったって、子供がいればたまには戻る。あのガキが無頓着だったとしても、母親がそこに置くことを許さないはずだ。
  オストワルド将軍が、男子の大事なモノはどこにあるのかなーなんて聞いたとき、そう答えた。冗談で聞かれたのがわかってて、あいつも気が緩んでいたんだろう。……一応、あいつがトイレに離れたときに確認した。本当にあった」
  意外と少なかったけど、というつぶやきは、息を飲んだ騎士団には届かなかった。
  ヴァルクスが眉を寄せて、
 「それは、地球人では性に関する概念が違うのではないか。それだけで一人暮らしと考えるのは早計である。それに、年に一度も帰らない遠方なのかもしれないだろう」
 「ただの疑惑のキッカケだよ。そこからは細かいところの積み重ねだ。下駄箱にアイツの靴しかないとか、冷蔵庫が小さいとか、複数人が暮らしていた気配がない。じゃあホントにめったに帰ってこないのかと思えば、皿やグラスはわざとらしいくらいに三つセット。それこそ家族で暮らしていれば、それぞれのセンスがぶつかってバラバラの色合いになっていそうだが、やけに統一感がある。
  いよいよ違和感しかなくなって、俺はすべてを、オストワルド将軍に報告した」
 「――じゃあ、将軍もリタさんの『嘘』を知っているのですね?」
 「そうだ。それから詳しく調べるよう言われて、さっきの『真実』も報告した。――今日の昼間のことだ」
 「……それで、リタの家には遅れてきたのか」
  テオが唸る。シェノクは頷き、その上でテオを抑える。
 「たんなる家庭のイザコザだというのが、将軍と俺との結論だ。この日本の離婚率は三割ほどもあり、家庭崩壊は決して珍しくない。世間体を気にしてそれを隠すのも、理解できるしな。こちらが問い詰めて嘘をついたわけでもないし、あったばかりの異星人に語るようなことでもないだろう。これ以上掘り返すには、リタが疑わしいという、もっと明確な根拠がいるな……」
 「じゃあ根拠を集めようぜ!」
  果てしなく食いつくテオ。
 「やめろよティオドール。オストワルド将軍が、リタ君を信用すると結論付けたってことだぞ」
  バンドラゴラがたしなめても、どうしてもテオは、リタ・イコール・前科者という思い込みを捨てる気はないらしい。
  シェノクは腰に手を当て、大きく嘆息した。手のかかる子供を前にした母親のように。
 「お前の言い分はわかったよ。機会があったらそうしてくれ。――だが、作戦はあいつの言った通りに動き出すぞ。明日にでも第一候補の施設を確認して、確定すれば三日以内に突入だ。将軍命令だ。疑惑はいったん捨て置くんだな」
 「……シェノクは、あの少年をどう見ている?」
  ヴァルクスが尋ねた。
 「大嫌いだよ。生意気なエロガキめ、ムカつく野郎だ」
  即答される。だが、と、彼は続けた。
 「――悪い奴じゃない。疑惑のことを抜きにすれば、本当に役に立ってくれてるし。それに……団長が、気に入っている」
  不意に出てきた騎士団長の名に、ふと、今更アレイニは気が付いた。
 「そういえば、団長は? 姿が見えませんが夜の番ですか?」
 「いや、もっと前からいないよ。団長はリタ君の家に残ったんだ」
  バンドラゴラに言われて思い出す。確かに帰り道で、すでにクーガはいなかった。
 「なんのために? ――まさかそれも、リタさんを見張って、尋問を!?」
  驚くアレイニを、シェノクの眼光がつらぬいた。強烈な視線に射抜かれてヒィッと小さな悲鳴が出る。
  ふつふつと怒りに茹ゆだりながらも、彼の声は存外、冷静だった。拳を握って答えをくれる。
 「用はない。ただの『お泊まり』だ」
 「お、おとまり?」
 「――お前たちが帰還するしばらく前に、団長からメッセージが届いた。夜の業務を、リタの家でしてもいいかと。理由はな――はっはっは。笑うぞ。笑うなよ」
  謎の脅迫にコクコクうなずく一同に、シェノクはさらに鬼の形相になる。そして言った。
 「『友達になれるかもしれない』――だそうだ」
  その解答に、騎士団が言葉を失った時。
  宇宙船への接近者アリを告げるサイレン、直後、それがラトキア騎士であることを明かす信号。数分とせず、サロンの扉が開き、クーガ騎士団長が帰還した。
  もう深夜である。
  すぐ帰ったにしては遅く、泊まるつもりだったにしては早すぎる。疲れ果てているのだろうか、心なしか、肩を落としていた。
  なにかあったのかと駆け寄るシェノクに答えず、クーガはふらりとサロンに入ると、自身のデスクに座り込んだ。べちゃりとだらしなく、全身を崩している。
 「…………失敗した」
 「な……なにがですか?」
  クーガは答えず、ぼそぼそとひたすらひとりで呻く。
 「冗談だったのに。本当にただの冗談だったのに……」
 「……あ、あの……」
 「……あんなに嫌がらなくてもいいじゃないか……冗談だけど…………」
 「団長?」
 「自分はさんざん俺に迫ってきておいて、リタはずるい…………可愛い方だけ許されるのはずるい…………」
 「…………」
  シェノクは背を向けた。騎士たちにもう休むよう指示すると、夜の番のためにマントを羽織る。
  アレイニがそれに従って、着替えてトイレを済ませるころには、クーガはもう背筋を伸ばし、もくもくと書類仕事を行っていた。
  騎士の寝所へ入る。
 「おい、アレイニ」
  テオが声をかけてきた。ハイと振り向いたが、彼はもう何も言わないまま、自身の寝床へ入りこんでいった。
  ――そうして、作戦開始当日まで、テオは口を閉ざし続けたのだった。
  サロンの床に突っ伏した、その姿勢のままで、アレイニは言った。
  そばで佇むシェノクは仏頂面。リタの話題が出たとき彼は不機嫌になる。それもそのはずと、アレイニは心底思い知った。
  生意気だとか、自分たちにぞんざいな口をきくとかはどうでもいい。クーガへの言動が常軌を逸している。
  四人の騎士はもちろんのこと、シェノクはクーガの側近だ。まったく気が気じゃなかっただろう。
 「うう、胃が痛い。本当に、いまだに信じられない。団長に、あのオーリオウルの英雄クーガに、あんな口のききかたをするなんて。ラトキアであんなことをしたら、彼は今頃牢獄の中ですよ」
 「……そんなことはない」
  否定したのは、ヴァルクスだった。
 「彼の言動は、報酬として許されたことだ。契約の範囲内である」
 「……そりゃ、不敬罪だって首をはねるようなことはできないでしょうけど、あとから団長にどんな目にあわされるか――」
 「団長は、別に怒っていない」
  反論したのは、意外にもシェノクであった。
  顔を上げる一同。
 「むしろああして、自分を恐れず話しかけてくることを喜んでいる。……だから、お前たちがそれをヤキモキすることはないぞ」
  そんな言葉とはうらはら、彼はますます持って不機嫌面である。クーガ当人の気持ちとは無関係に、長を侮辱されて気分が悪いのだろう。
  だが、と、シェノクは続けた。
 「実際、あのガキは役に立ってくれている。今日、あいつが言ったキリコのアジトはまだ推論の域だが、他の候補も含めこれからの捜査の指標になるだろう。
  明日にでもそのウラを取る。確定次第、場合によってはそのまま突撃だ。お前たちはもう休んでおけ。俺はこれから、日本の機関に施設潜入の許可を取らなきゃならないんだ」
  緊張し、うなずく騎士たち。
  ――と。
 「待ってくれシェノク、ちょっと確認したいことがある」
  テオが立ち上がり、シェノクに歩み寄った。
 「あの地球人、リタという名前の。あいつは本当に信用できるのか?」
 「テオ!?」
  ぎょっとするアレイニ。シェノクは眉を上げた。
 「……亡命してきたラトキア人、ではないことは確認してる。純粋な地球人だ」
 「ちがう、人間としてだ。地球人だとしても、金で雇われてる可能性はあるだろ」
  シェノク、アレイニ、バンドラゴラ、ヴァルクス、全員が目を丸くしてテオを見た。
  その可能性に気づきギクリとした、のではない。そんなことをティオドールが言い出したことにだ。
  バンドラゴラが制止する。
 「待てよティオドール、それはないだろ。クリバヤシリタは生活に困ってるようすはないぞ。それに報酬だって、亡命者たちに資金の余裕なんかないはずだ。騎士団に協力したほうが金は稼げる」
 「そ、そうですよ。それに、彼の活躍で捕らえたヒムは、組織の幹部でした。油断させるオトリには大物すぎます」
 「……罠というなら、あの少年は、罠があることを示唆してきた。ずいぶんとややこしい罠の張り方である。意味が分からないな」
  アレイニ、ヴァルクスが続くと、テオは一応、口をつぐんだ。それでも納得していないらしい。
  こういった作戦会議ではたいてい無言をつらぬく前線担当が、やけにゴネる。
 (どうしたのテオ……?)
  バンドラゴラが笑って、
 「なんだおまえ、嫉妬してるのかぁ? 同じ年の少年が大活躍したから。まあ何ヶ月も地道に苦労してきたところをいきなり現れて手柄をさらわれるんだ、気持ちは分からないじゃないけど――」
 「そういうんじゃねえよ」
  やはり仏頂面のテオ。
  シェノクが目を細めた。
 「なぜ、そう思う。ティオドール」
 「……いや……理屈じゃない。別に、何の根拠もなかった。すまん、忘れてくれ」
 「いいから言って見ろ。おまえからみて、リタはどう映った?」
  ティオドールはかなり、言いにくそうにしていた。本当に言葉にならないらしい。
  語彙を振り絞って、彼は同じ年の少年を、正直に評した。
 「あいつは信用しない方がいい。あれは犯罪者の目だ」
  犯罪者の目。
  あの、小動物のような少年を表するのに、もっとも遠い言葉だと、アレイニは思う。
  騎士たちもみな同感らしかった。
  いよいよ、ティオドールを訝しげに見る彼らの中で、シェノクだけが、苦笑いを浮かべていた。
 「……目、か」
 「ああ。具体的にどこがどうって言えねえんだけど……少年兵に、あんな目をしたガキがいっぱいいた。……少年兵は、生きるために罪を犯してとっつかまって兵隊に落とされたやつが多いんだ。もしくは親に売り捨てられたか、その両方か。俺みたいに、親父に憧れて自ら入隊するやつなんかずいぶんまれだった」
  バンドラゴラが異論を唱える。
 「あの華奢な腕、おれにはとても傭兵あがりに見えないね」
 「だろうな、戦場経験者ってわけじゃない。だけど……」
  だけど、と、テオはつぶやいた。
 「……たぶん……あいつは前科者だ。俺たちみたいな、制服を着た大人の集団に一瞬ひどく怯えた」
 「そ……そんなふうには、全然見えなかったけど……」
 「すぐに自己催眠で押さえ込んだんだよ」
 「じゃあお前は、あのキャラが全部演技で、おれたちを家に迎えたのも懐柔のためだったというのか?」
 「――いや、演技じゃない。実際に俺たちと仲良くなろうとしてた。……だからこそ異様なんだ。
 震え上がるほど怖い連中と、本気でトモダチになろうとする――無意識に自分を騙してまで。そんな『普通の子供』があるか? 異様だぜ!」
  吐き捨てる。テオの弁は、アレイニにはまったく理解できなかった。
  犯罪者? 私たちに怯えていた?
  あの明るくて人なつっこくて、傍若無人な少年が。
  前科者――?
  バンドラゴラ、ヴァルクスもやはり、アレイニ同様、渋面になっている。
  疑惑の根拠が乏しすぎる。テオの被害妄想としか思えない、だが当人には確信的であるらしかった。
  彼の動物的カンの良さは、騎士団員も認めている。
  バンドラゴラはコメカミを掻き、フウムと唸り声を漏らす。
 「……まあ、その可能性はゼロではないけどねえ。幹部を逮捕させたのも何かの狙いで、キリコのアジト云々はまったくのでたらめ。罠の示唆も引っかけで、おれ達を信用させるためのものだとか」
 「バンドラゴラまで!?」
  ぎょっとするアレイニに、彼はいつもの柔和な微笑みで、少しだけ眉を垂らして見せた。
 「……いや、一応ね。可能性の話。おれは彼を悪人だとは思っちゃいないよ」
 「悪人でなくても罪は犯す。テロリストはみな、確信犯なのだ」
  続けたのはヴァルクスだった。それは確かにーー今まさに尋問している、テロ幹部のヒムなどは、善行家として知られていた。思想家はみなそうだ。己の中にある正義のもとに悪を討つ。彼らの正義テロリズムでは騎士団が悪である。
  彼らの言いたいことはわかる。
  たまたま知り合った地球人、十六歳の少年は、あまりにも有能すぎた。彼の後ろで、賢い大人が手を引いている。彼はただの傀儡だ。
  彼のせりふは、すべてキリコ博士の台本であるーー
アレイニは眉を寄せた。
 (なんか……キリコ博士らしくないような気もするけど)
  それにやはり、あの少年の笑顔は、本物のような気がしてならなかった。
  自宅のリビングで、大勢の客がにぎやかにご飯を食べ、美味しいと笑う。その状況を、目を細めて眺めるリタ。
  あれが縁起とも、自己催眠とも思えなかった。
  だが――
(……それも、ただの私のカンか。それならテオのほうがまだ信頼できるな……)
  騎士団は半信半疑ながらも、とりあえずその可能性について、真剣に考察することにしたらしい。
  顔をつきあわせて、リタがいかに疑わしいか、そのハラを暴く手はないかと相談を始めていた。
 「あの髪色は、やっぱりラトキア人の赤毛とは違うね。地球の、西洋あたりに多い色味だよ」
 「部屋に再度潜入し、毛髪を採取するか。染料の有無やDNA鑑定ができるはずだ」
 「別にラトキア人かどうかは関係ねえぜ。……たとえば指名手配の逃亡費用や、隠れ蓑を世話してもらってるとか」
 「うーん、そう考えると確かに、男子一人で暮らすのにあの家はデカすぎるなあ。あの年で両親がいないっていうのもちょっと」
  腕を組みながらのバンドラゴラに、すかさずアレイニは挙手をした。
 「それは、長期出張で留守にしているだけらしいですよっ。もともと三人暮らしの家だって、これは以前訪ねたときにそう答えたって、報告書にありました!」
  疑ってかかるにしても、事実を知らずに悪し様にいうのはよくないはず――だが、この擁護に説得力がないことを自覚し、手を下す。疑惑の人物自身がそう言っただけなのだ。
  騎士達の胡乱な視線を振り払うように、シェノクのほうを振り返る。
 「ねえ、シェノク。真実かどうかは役場なんかへ問い合わせれば、すぐにでもわかりますよね?」
 「ああ」
  シェノクはうなずいた。
 「――もう調べた。両親ともに単身赴任、あの家に三人が籍を置いている――というのは真っ赤な嘘だ。リタの『両親』は、首都で一軒家を持ち、夫婦ふたりで暮らしている。母親は働いていない」
 「……えっ?」
  絶句するアレイニ。渋面になる騎士達。
  シェノクは目を伏せ、感情のない声で続けた。
 「表札にあった名前とも違った。近所への聞き込みもしたが、やはりあの家に、リタに似た男女の出入りは一度も確認されていない。……調べられたのはここまでだ。なぜ、どこからどこまで、かは不明だが、少なくともそれだけ、クリバヤシリタは嘘をついている。それだけは間違いない」
 「そ……そんな、本当に!?」
 「なんだ、やっぱりクロかよ」
  色めき立つ騎士団。バンッ、とテオが拳で手のひらを強く打ち、立ち上がった。屈伸を二回、そしてサロンから飛び出していく。
 「へへっ、大したガキだ。ラトキア騎士団相手に大嘘ついて、一網打尽にしようとしたんだからな。だがそうとわかれば容赦しねえぜ! さっそく行ってとっ捕まえて、本当のアジトを吐き出させて――」
 「落ち着け馬鹿野郎」
  クールな声とともに足払いを掛け、文字通り出ばなをくじいたのはシェノクだった。
  前のめりに顔面から落ちたテオを、呆れ眼で見下ろす。
 「リタの『嘘』は、両親だけのこと。テロ団と内通してた形跡はねーんだよ」
 「んなこと言って、怪しいのは変わりねえだろ!?」
 「怪しければ逮捕していいなら、四か月近くも苦労してない。いいから落ち着け」
 「……あの、シェノクは、どうしてリタさんの素性を探ったりしたんですか?」
  アレイニは問うた。
  シェノクはテオのようなカンに頼る捜査はしないし、個人的に不仲だということで人の私生活を穿つような人間でもない。
  日本政府からは、必要以上に日本人の生活を脅かすことは禁じられている。情報を得たなら、そう動くだけの根拠があったはずだ。
  シェノクは苦笑いし、腕を組んだ。
 「……俺もまあカンみたいなもんかもしれないけどな。初めて家に行ったとき、ちょっと気になったんだ。出会って四日ほど後のことだったか。
  ――なあ、お前たち。十代で親と同居していたとき、特に母親には見られたくないモノはどこに置いていた?」
  と、いう問いかけは、騎士たちに投げられた。四人は顔を見合わせ、察してそれぞれ赤面したり、視線を逸らしたりと逃げつつ。
 「そりゃあ……自分の部屋とか」
 「絶対に開けられないところ。家政婦さんが毎日掃除に入るから、勉強机を細工して隠し棚を作ったぜ」
 「ウチは狭いし弟どもがひっくり返すから、ともだちの家に置いてもらってた」
 「自分はそのころ傭兵団にいた。だがもし女の目があったなら、その者の立ち入らぬ、男便所や寝所に置かれただろうと思う」
 「――だよな?」
  ウンウン頷く四名。シェノクはそれを確認すると、多少言いにくそうに続けた。
 「普通、そうだろうと俺も思う。だがあのガキはな、『そういうもの』がテレビボードの中にあるって言ったんだ。
  家族が集まるリビング、客を座らせるソファのすぐそばだぞ。主婦が一番気合を入れて掃除をするところだろう。
  ……長期出張と言ったって、子供がいればたまには戻る。あのガキが無頓着だったとしても、母親がそこに置くことを許さないはずだ。
  オストワルド将軍が、男子の大事なモノはどこにあるのかなーなんて聞いたとき、そう答えた。冗談で聞かれたのがわかってて、あいつも気が緩んでいたんだろう。……一応、あいつがトイレに離れたときに確認した。本当にあった」
  意外と少なかったけど、というつぶやきは、息を飲んだ騎士団には届かなかった。
  ヴァルクスが眉を寄せて、
 「それは、地球人では性に関する概念が違うのではないか。それだけで一人暮らしと考えるのは早計である。それに、年に一度も帰らない遠方なのかもしれないだろう」
 「ただの疑惑のキッカケだよ。そこからは細かいところの積み重ねだ。下駄箱にアイツの靴しかないとか、冷蔵庫が小さいとか、複数人が暮らしていた気配がない。じゃあホントにめったに帰ってこないのかと思えば、皿やグラスはわざとらしいくらいに三つセット。それこそ家族で暮らしていれば、それぞれのセンスがぶつかってバラバラの色合いになっていそうだが、やけに統一感がある。
  いよいよ違和感しかなくなって、俺はすべてを、オストワルド将軍に報告した」
 「――じゃあ、将軍もリタさんの『嘘』を知っているのですね?」
 「そうだ。それから詳しく調べるよう言われて、さっきの『真実』も報告した。――今日の昼間のことだ」
 「……それで、リタの家には遅れてきたのか」
  テオが唸る。シェノクは頷き、その上でテオを抑える。
 「たんなる家庭のイザコザだというのが、将軍と俺との結論だ。この日本の離婚率は三割ほどもあり、家庭崩壊は決して珍しくない。世間体を気にしてそれを隠すのも、理解できるしな。こちらが問い詰めて嘘をついたわけでもないし、あったばかりの異星人に語るようなことでもないだろう。これ以上掘り返すには、リタが疑わしいという、もっと明確な根拠がいるな……」
 「じゃあ根拠を集めようぜ!」
  果てしなく食いつくテオ。
 「やめろよティオドール。オストワルド将軍が、リタ君を信用すると結論付けたってことだぞ」
  バンドラゴラがたしなめても、どうしてもテオは、リタ・イコール・前科者という思い込みを捨てる気はないらしい。
  シェノクは腰に手を当て、大きく嘆息した。手のかかる子供を前にした母親のように。
 「お前の言い分はわかったよ。機会があったらそうしてくれ。――だが、作戦はあいつの言った通りに動き出すぞ。明日にでも第一候補の施設を確認して、確定すれば三日以内に突入だ。将軍命令だ。疑惑はいったん捨て置くんだな」
 「……シェノクは、あの少年をどう見ている?」
  ヴァルクスが尋ねた。
 「大嫌いだよ。生意気なエロガキめ、ムカつく野郎だ」
  即答される。だが、と、彼は続けた。
 「――悪い奴じゃない。疑惑のことを抜きにすれば、本当に役に立ってくれてるし。それに……団長が、気に入っている」
  不意に出てきた騎士団長の名に、ふと、今更アレイニは気が付いた。
 「そういえば、団長は? 姿が見えませんが夜の番ですか?」
 「いや、もっと前からいないよ。団長はリタ君の家に残ったんだ」
  バンドラゴラに言われて思い出す。確かに帰り道で、すでにクーガはいなかった。
 「なんのために? ――まさかそれも、リタさんを見張って、尋問を!?」
  驚くアレイニを、シェノクの眼光がつらぬいた。強烈な視線に射抜かれてヒィッと小さな悲鳴が出る。
  ふつふつと怒りに茹ゆだりながらも、彼の声は存外、冷静だった。拳を握って答えをくれる。
 「用はない。ただの『お泊まり』だ」
 「お、おとまり?」
 「――お前たちが帰還するしばらく前に、団長からメッセージが届いた。夜の業務を、リタの家でしてもいいかと。理由はな――はっはっは。笑うぞ。笑うなよ」
  謎の脅迫にコクコクうなずく一同に、シェノクはさらに鬼の形相になる。そして言った。
 「『友達になれるかもしれない』――だそうだ」
  その解答に、騎士団が言葉を失った時。
  宇宙船への接近者アリを告げるサイレン、直後、それがラトキア騎士であることを明かす信号。数分とせず、サロンの扉が開き、クーガ騎士団長が帰還した。
  もう深夜である。
  すぐ帰ったにしては遅く、泊まるつもりだったにしては早すぎる。疲れ果てているのだろうか、心なしか、肩を落としていた。
  なにかあったのかと駆け寄るシェノクに答えず、クーガはふらりとサロンに入ると、自身のデスクに座り込んだ。べちゃりとだらしなく、全身を崩している。
 「…………失敗した」
 「な……なにがですか?」
  クーガは答えず、ぼそぼそとひたすらひとりで呻く。
 「冗談だったのに。本当にただの冗談だったのに……」
 「……あ、あの……」
 「……あんなに嫌がらなくてもいいじゃないか……冗談だけど…………」
 「団長?」
 「自分はさんざん俺に迫ってきておいて、リタはずるい…………可愛い方だけ許されるのはずるい…………」
 「…………」
  シェノクは背を向けた。騎士たちにもう休むよう指示すると、夜の番のためにマントを羽織る。
  アレイニがそれに従って、着替えてトイレを済ませるころには、クーガはもう背筋を伸ばし、もくもくと書類仕事を行っていた。
  騎士の寝所へ入る。
 「おい、アレイニ」
  テオが声をかけてきた。ハイと振り向いたが、彼はもう何も言わないまま、自身の寝床へ入りこんでいった。
  ――そうして、作戦開始当日まで、テオは口を閉ざし続けたのだった。
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