ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

出立前夜

 『アレイニ』。
  特徴的な角を持つその獣は、ラトキア星から絶滅したわけではないらしい。いまでも森や草原、惑星のどこにでも生息しているはずである。
  ラトキア星が異星人に侵略され、王都に高い壁ができる以前――自給自足の生活をしていたラトキア星人にとって、『アレイニ』は貴重な動物であった。肉や皮、角、あるいは観賞という愛玩に、ひとびとは高い価値をみていた。
  生活の糧として。あるいはその美貌を癒しにして。

  ときに神獣として崇められ、信仰の対象にする民族もあったという。


 「鹿シカ、っていうんだってよ。アレイニのニホンでの名前」

  名を呼ばれ、アレイニは反射的に視線をやる。そしてすぐに顔を伏せた。
  無視をして、お茶をすする。

 「俺はラトキアの『アレイニ』はみたことないけど、この鹿ってのはなるほど話の通りキレイな生き物だな。いや、自動言語変換装置が見た目や生態っていう生物として近いのを選んだのか、神獣うんぬんの逸話のほうで探したのかはわかんねえけどさ」

  鹿の写真を指さし、図鑑をグイグイ押しつけてくるティオドール。それでも断固として無視し続ける。
  ともすればうっかり相槌をうってしまいそうなのを、アレイニは必死でこらえていた。

  一方、バンドラゴラは身を乗り出して、

 「へー、蝶バンドラゴラって虫なんだ? 花の蜜だけで生きてる……なんか弱そう。ちょっと印象違うな」
 「親からはどう聞いてたんだよ」
 「イイモノだけ選んで要領よく生きるとか、楽しいことだけして優雅に生きられるように的な」
 「あ、わかった。蝶のように舞い蜂のように刺すってやつ――いや、蝶よ花よと育てる、っていうほうかな」
 「どういう意味?」

  バンドラゴラは何の忌憚もなく、楽しく雑談に興じていた。一回り年下のテオとはここしばらくでまた仲良くなったらしい。

  その向かいで、ヴァルクスが眉をしかめた。巨体が図鑑に影を落とす。

 「……む……猪とは、なにか、頭の悪い生き物なのだろうか。ラトキアのヴァルクスなら、実直な努力家を意味するはずだが」
 「猪突猛進、猪武者――この言葉の意味からするとまあ、アホっぽいなあ。実際の猪がどうなのかわかんねえけど」
 「あーあ、ティオドールはいいよなあ。なんかどれもイイ意味ばっかり。なにが密林の王だ、いいとこ山猫だろうに」
 「……名前負けというものであるな」
 「なんだとテメーら表にでろ!」

  わいわいがやがや、男子三人で盛り上げっている。

  いつもの騎士団寮食堂である。飯時以外は無人となるそこを陣取って、四人は集まり、雑談に興じていた。
  どうしても話題になるのは地球のこと。そして、もっともその地に詳しいティオドールが主役だ。

 「うるさいなあ、もう。やっと砂糖入りのお茶が飲めるってのに、くつろぎティータイムもなにもありゃしない」

  アレイニは嘆息して、茶葉の入ったポットをくゆらせた。

  ニホンでの、ラトキア人の名前――それは正直、興味深い内容ではあった。多くの民族がそうするように、ラトキアの子もまた、親の想いを込めて名付けられる。
  それが、動物の名前をいただくというものだった。名前にはコトバのチカラが宿っている。その獣は子供の守護神となり、子供自身となり、そのように成長していくと信じられているためだ。

  自分の名をもつ獣を知る作業は、我が親の思い、自らの姿を知る作業である。とくに年頃の女子はこぞってそれを知りたがり、歓声や奇声を上げていた。

  アレイニは、両親から直接『アレイニ』の姿を聞いていた。

  美しく気高く、優しい眼差しに、鋭い角と神通力を持つ獣であると。

 (……そういえば、『賢い』っていうのはなかったな……)

  思いだし、何となく不愉快になるアレイニであった。


  テロリストたちの奔放先が特定され、オストワルド将軍が日本政府にたいし潜入捜査を交渉すること丸一ヶ月。ようやくその努力が実り、ニホンへの旅立ちは翌日に迫っていた。
  結局、渡航が許されたのは六人のみ。団長クーガと幅広い補佐を担うシェノクのほか、アレイニ、ティオドール、バンドラゴラ、ヴァルクスの四人となった。

  この日まで鍛錬と勉強を続けていた四人には、三日前から休養が与えられている。
  王都に家族のいるティオドール、新婚のバンドラゴラはそのほとんどをプライベートにあて、今朝寮へ戻ったところである。

  アレイニも一端アパートへ帰ってはみたが、とくにやることもなく、結局寮へとんぼ返りしてきた。

  退屈な三日間で、何度かヴァルクスを見かけた覚えがった。無口で厳つい男は近寄りがたく、話しかけることはできなかったが。

 「虎児、虎の子、とても貴重なもののたとえ? ではウリボウはどうなのだ。むむむ」
 「あ、こら馬鹿力で引っ張るんじゃねえよヴァルクス! 図鑑が破れるだろ!」

  と、ティオドールとはなんとなく打ち解けている。以外と気さくな男だったらしい。
  いや――これも、テオの人徳、特性によるものだろうか。
  およそ万人に愛されるキャラクターではない。バンドラゴラのようにひとを快くする努力をするでもなく、良くも悪くもストレートな言動は、敵を作ることも多いだろう。

  それでも、人が集まる。

 「つーかなんでみんな一緒に読んでんだよ、デカい体した男三人、暑苦しいっ!」
 「しょうがないだろーニホンの動物図鑑なんて珍しいもん、軍の図書倉庫にも一冊しかないんだから」
 「だからそれをなぜいっぺんに覗いてんだよっ。順番に回すからどけ、とくにヴァルクスの旦那、座れ! あんた無駄にデケエんだから影になる!」
 「む……」

 「みんな、ここにいたか」
  遠くから声がかかった。すっかりおなじみになった、シェノクである。
  四人以外、ひとけのない食堂をつっきって歩いてきた彼は、軍服ではなく、ラトキア民族衣装を着ていた。柔らかな白の貫頭衣を腰帯で締めている。

  おや、とバンドラゴラが声を上げた。

 「珍しい格好をしてるじゃないか。シェノクも休みをもらったのかい」

 「いや。ニホン政府と星間通信するのに、星帝の宮殿に行ってたんだ。ほかの星に、ラトキアの代表として挨拶するのには民族服が正装だっていうから」

  仏頂面で返事が来る。ラトキアの代表――その言葉に、四人は口に出さずとも眉をひそめた。

  アレイニたちの思考を察したか、彼は苦笑いを見せて、

 「もちろん、騎士団の代表はクーガ団長だ。だけどあの人がな……『今回の任務において俺はただの戦闘員、現地じゃ政府とのやりとりはシェノクがするのだから、事前の挨拶もシェノクがしたほうがいい』って」

 「……だ、代表って、そういう問題じゃないと想うんだけど」

 「いっつもこうだよ。あの人は自分がどれだけエライヒトなのかわかってねーんだ……まあ、ほんとにただの挨拶だからな。意味のない雑用だ。団長も忙しそうだし、任せられた仕事はやるよ」

  そう言って、深いため息をついてみせた。グチっぽいのは本心からだろうが、心なしか、嬉しそうに見えなくもない。仕事そのものにやりがいはなくても、クーガに見込まれていることは喜びなのだろう。

  ヴァルクスが視線をあげる。

 「……で、どうしたシェノク。作戦の変更でも?」

  騎士団随一の巨漢である彼は、その所作だけでシェノクと目線があう。逆に、雄体としては最も小柄であるシェノクは首を振った。

 「いや、私用の使いだ。――アレイニ。寮の受付に、お前さんへの手紙が届いていた」

 「……私に、手紙?」

  手渡されたのは、何の変哲もない封書である。送り主は、知らない名前だった。

  表裏、ひっくり返しながら小首を傾げるアレイニに、シェノクは赤色の視線をくれる。

 「一応スキャンして、危険物が入っていないことは確認した。それでも中身まで検閲なんかできないんでそのまま渡すぞ。気を付けろよ」
 「……なんですか? なんだか物々しい……」
 「地球行きメンバーの名は新聞に載ってる。ちょっとした英雄扱い――するとたまに変なのが来るんだ。見合いの斡旋なんかは可愛いもんだが、妬み嫉みをこじらせたやつがいるんだな」

  ふうん、とアレイニは飲み込んで、封書をそのまま胸元にしまった。
  どんな内容であろうとも、今更地球行きの決定もアレイニの決意も揺るがない。どうということはないが、不快感が顔にでる可能性はある。同僚らの前でそれをさらしたくはなかった。

 「もしかしたら騎士同士でも、なにか言われるかもしれないが……でんと構えていればいい。よほど問題があれば、俺か団長に相談してくれ」
  はいと頷く。
  もちろん、いざ相談するならシェノクのほうである。あの騎士団長よりずっと頼りになる。

  アレイニが臨時騎士となってもう半年近く。右も左もわからない時期、彼の世話になったことは数えきれない。
  髪の色が赤とか青とかではない、シェノクは優秀な男であった。
  それじゃあ、と立ち去ろうとするシェノク。その肩をガシッと掴んで引きとめた者がいた。ティオドールだ。

 「待てよシェノク。お前の名前も調べてみようぜ」

 「……なんだ、ニホン語なら俺も勉強してる。イヌ、だろ」

 「翻訳辞書じゃなくて図鑑だよ。どんな動物かって気にならねえ? 言葉自体がなにかの例えだったりして、結構奥が深いんだよなー」

  シェノクも多少、興味をそそられたらしい。なにやら複雑そうではありつつも、図鑑のほうへ身を乗り出す。これで男四人が団子になった。
  客観的に見苦しいことは、さすがにアレイニも口に出さなかった。
  覗き込んだシェノクが自ら文字を追う。

 「イヌ、犬……犬。ん、なんだこれすごくたくさん種類がある……狼を家畜化……人工的に作られたものなのか」
 「ああ、人の生活に密着してるんだな。警察の補助から障碍者の介助まで――へえ、すげえなコイツ、お役立ちだ」
 「ふっ」

  シェノクがほんの少し、嬉しそうな声をもらした。テオは気づかずそのまま続ける。

 「言葉の意味は、ええと――親愛、忠誠、隷従、安物」
 「やすもの?」

  ピクリとシェノクのコメカミが動く。

  バンドラゴラがすぐに気づいた。テオは気づかず、指先を文字にあて、エートエートと読み上げていく。

 「道具。けだもの、不道徳、つまらないものの例え。回し者、スパイ、卑しく価値の劣る意。偽物。役に立たないもの、無駄。それ以下のものが無いというたとえ――」

 「テ、ティオドール、おいっ」

  小突くバンドラゴラ。テオは気づかない。

  それでも、シェノクはさすがに、大人であった。実際に図鑑にそう書かれているのだ、テオの私見などではないと理解して、ふうんなるほどと軽い相槌。
  穏やかな笑みを浮かべたまま、踵を返そうとする――と。

 「安産。多産。スキモノ」

  ごきっ。

  振り向きざま、シェノクの肘を振り下ろした。なんの警戒もしていなかったテオの額に直撃、ヴァルクスの支えがなければ、あおむけに転がっていただろう。
  いきなり新人を殴りつけたシェノクは、いつになく激昂していた。赤い髪を逆立てて、獰猛な視線でテオを射抜く。

 「……くだらん。出発はもう明日なんだぞ。準備が済んだら体を休めて備えておけっ」

  怒鳴りつけ、そのまま大股で立ち去った。

 「……あいててて……なんだよあいつ、いきなり」

 「今のはおまえが悪かろう」

 「あー? なんでだよ旦那。つーかいきなり殴るか? 体を休めろってどのクチで言ってんだあんにゃろっ」

  アレイニは半眼になって嘆息した。

 「ばぁか。自分の名前がお産の象徴なんて言われりゃ当然怒りますよ」

 「なんでだよっ! 別に悪口でもなんでもないだろ」

 「そりゃあ妊娠を望んでる女性にとってはあやかりたいくらいでしょうけどね。彼は完全な男性。女扱いなんかされたら――」

 「だから、それが何で悪口になるんだ。戦うだけの男より、いっぱい生んで育てる女のほうがすごいじゃねえか。それが安産なら何よりだろ」

 「――はあ?」

  見当違いの返答に、アレイニは素っ頓狂な声を出した。真実、そう思っていったらしい。テオは不思議そうに首を傾げ、しかし追及はせず飛び出していった。

 「おーいシェノク、待てこら殴り返させろ―!」

  遠のく背中と絶叫。心配だが、本気の喧嘩にはならないだろう。残された三人は顔を見合わせ、苦笑した。
  とりあえずお茶をいれ、一息つく。

 「……あれは珍しい男だな」

  口にしたのは、ヴァルクスだった。

 「この二十年で、ラトキアの男尊女卑はずいぶんと和らいだ。だが男より女のほうがすごいとまで言うものはまだおらん」
 「そうだね。世にいう女性の地位向上は『女にも男のようにすぐれた者はいる』とか、『劣っている女にだって人権を』とか、そんなかんじだな」

 「……ニホンの、マンガの影響なんでしょうか」
  アレイニの推論は、二人によって肯定された。三人ともマンガ、ニホンの文化、概念のことはよく知らない。だがティオドールの特性がその書籍によってつくられた可能性は高いだろう。彼は幼少、ラトキアの文字より先にニホン語を読んでいたのだ。親の言葉と並んで強い影響を受けていても不思議はない。

 「正確には、本人の特性や親からの教育とカミ合ってたからこそ、マンガを楽しく読んで吸収していったんじゃないかな」

  そのバンドラゴラの説が真実だろう。アレイニはすんなりと納得した。

  そしてふと、思い出す。

 「……もしかして、テオは私を、女にしようと……騎士を辞めさせようと、してるのかな。……ただ一発ヤリたかったとかじゃなくて……」

 「へ?」
 「む?」
  思考は思わず口に出た。慌ててアレイニは首を振り手をばたつかせ、どうにかその場をごまかす。

  ごまかせたわけではなかろうが、二人はとりあえず、聞かなかったことにしてくれた。大人たちの気遣いに感謝をしつつ、アレイニはお茶を吸い、ホウと大きく息をついた。

 少年を見つけたのは、二人の部屋の前だった。
  扉口に立つ、後姿。赤い髪の持ち主は、この騎士団でごく限られている。背丈はそれなりだが頼りない、薄っぺらく痩せた背中――いや、この数か月で幾分大きくなった少年は、気配に気づいて振り向いた。

 「アレイニ。もうお茶会は片づけたのか」
 「……ええ」

  頷くと、彼は笑った。金色の目が悪戯っぽくきらめく。

 「シェノクめ、アイツ仕舞いに麻酔刀抜いてきやがった。逆に謝って逃げ帰ってきたぜ」
 「……そう。……珍しいですね。いつもは穏やかな人なのに」
 「なにがそんなに引っかかったんかね。変な奴ぅ」

  拗ねたような顔をする。アレイニは目を細めて、そんな少年を眺めていた。
  ほんの少し、無言の時間。不意にティオドールが手を伸ばす。浅傷だらけの指が、アレイニの頬をかすった。そのまま指は深く奥へゆき、耳のそばで、アレイニの髪を梳けずった。

 「髪、伸びてきたな。地球にいる間に、飾り紐で括れるくらいにはなるか」

 「……そ、そう、ですね……」

 「いいの見つけたら買う。気に入ったらつけろよ」

  テオの言葉に、アレイニはハイと頷いた。ほとんど反射的なものだったが、あとから訂正はしなかった。テオは目を丸くした。

 「どうした、素直だな。俺は殴られる覚悟して言ったんだぜ」

 「……私だって……嫌でもないのに、むやみに殴りかかったりしませんよ」

 「そっか」

  笑う。薄い唇の端を持ち上げると、とがった犬歯がちらりとのぞく。獣の牙をさらけ出し、少年は底抜けに明るく笑っていた。

 「なあ、明日の出発まで、もうやることないよな。まだ昼過ぎだし、どこか出かけねえか」

 「……テオ」

 「おっと、誤解するなよ。雄体化してるときにどうこうはしねえよ。ほんとにただの暇つぶし――」

 「テオ。私はこの先、女にはなりません」

  アレイニは言った。テオはピクリと眉を上げ、強い視線をくれる。再度、アレイニは繰り返した。

 「……確かに、騎士の仕事は危険を伴うし、女の身では、いろいろと辛いこともあるでしょう。だから私は、このまま男になろうと思います。……すぐには完成しないけど、じきに、よりいっそう雄体優位に傾いてくるはずだから」

 「……ああ」

 「……大丈夫だから。心配しないでください。どうしようもなくなったら、騎士は辞めて研究職のほうへ戻るし。……ちゃんと男になるから」

 「そっか」
  存外、テオはすぐにうなずいた。腰に手を当て、真顔になる。指一本分背の低いアレイニを見下ろし、やはり真顔で、彼は言った。

 「でももう一回くらいは雌体化するよな。そしたらヤらせてくれよ」

 「……………………あ?」

  アレイニは胡乱な声を上げた。

  半眼で睨まれているテオはどこ吹く風、小首すら傾げて、

 「ん? だから騎士になるんだろ。そのために男になるって、それはこないだ聞いたしわかってるよ」
 「えっと……そう、ですけど」
 「だろ。で、どんだけ先かわかんないけど、完成したらもう二度とおっぱいも膨らまないし、いらんものも生えたまんまなんだよな」
 「そ、そうですけど、けどっ」
 「だったらそうなる前に一発ヤらせて。無理なら揉ませてくれ。なんにせよ、あのおっぱいが無くなるのはやっぱり惜しい――」

  アレイニは拳を振りかぶり、思い切り彼の腹にぶちこんだ。モーションを読み取られたらしい、堅い腹筋にはじかれる。構わず二撃目を打ち込みながら怒鳴りつける。

 「なにそれ! 私のこと心配して、シアワセにするために言ったんじゃないんですか!?」

 「うぐっ。あ? 何の話だよ、心配だってのはそれこそこないだ言っただろ、んでお前はほっとけって言ったじゃねえか」

 「ほんとにほっとくやつがあるかっ!」

 「あでっ、痛ってえぇなんだテメー言ってることがデタラメだぞ、わけのわからんやつ当たりするんじゃねえ!」

  ポカポカ一方的に殴られて、さすがのテオも手を出した。アレイニの後ろ襟を捕まえぶら下げる。アレイニはさらに喚いた。

 「ぎゃーきゃーわあーっ離しなさいよバカバカバカバカテオ!」

 「うっせー! いたっ、手! 耳も痛ぇ! ジタバタすんなぶん投げるぞ! なんだよお前は、俺にどうしろっていうんだ!」

 「うわああああなにこいつ超むかつく大嫌い、だってあの流れであんなこと言ったりとかしたら期待するじゃないですかそういうことなのかなって思うじゃないですか! 仕方ないでしょ私だってもう二十六でもうじき二十七で、そういうお年頃なんだから仕方ないでしょうが!」

 「だからなんなんだよ!」

 「テオが、私のこと本気で好きで、俺が幸せにしたいとか考えてるのかなとか――!」

  絶叫するアレイニ。テオは反射的に怒鳴り返そうと、大口を開け、そのままパクパク言葉を失くした。
  腕を突っ張り、アレイニをぶら下げたまま、無言で逡巡。そして嘆息した。

 「……いやそれはないわ。あんた性格悪いもん」

 「だったらヤらせろとかも言うなアホぉおっ!」

 「だってそりゃ――そりゃ、そういうことしたいって思うくらいには、可愛いと思ってるから」

  ふてくされたようなテオの顔。彼はゆっくりと、アレイニを床へと下ろした。
  アレイニはそのまま座り込んだ。力みすぎて力が入らない。腰が抜けた彼に、ティオドールは膝を曲げてしゃがみこむ。

  汗だくで赤面しているアレイニ。なぜか涙まで浮かべているのを、少年はまっすぐに覗き込む。

 「……期待したって、なんだよ。……俺がなんかしてやろうとするたび、余計なお世話だとかうるさいとか。怒ったり殴ったり、逃げ回ってたくせに」

  テオへの反論は、声にならない。ふう、ふうと息を乱して睨み返す。
  金色の瞳が優しく細められていた。

 「……あんたが、俺にしてほしいこと……その、望むことがあるんなら――あ、いや、幸せにするとかは……まだ新人で、そんな貯金とかないんでアレだけどよ」

  ボサボサになったアレイニの髪を、テオはひと房ずつ摘まんで直す。
  綺麗に整った、青い髪。
  アレイニの顎を、テオは指先で持ち上げた。雌雄同体の、中性的な細い顎。視線を合わせるのは憚はばれたのか、若干目を泳がせて、彼は言った。

 「……と――とりあえず……付き合ってみる?」

  アレイニは涙をこぼし呻きながら、ぶんぶん全力で首を振った。

 「死んでも嫌っ!!」

  ティオドールは再度、アレイニの襟首を捕まえると、軽々持ち上げ、廊下の端までぶん投げた。



  手紙のことを思い出したのは、入浴の支度に上着を脱いだ時だった。

 「あっ――」

  パサリと軽い音をたて、床に落ちた封筒を拾い上げる。

  改めて送り主を見てみる、が、やはり覚えがなかった。
  シェノクの警告は、それほど胸に響いていない。ねたみと嫉みによる怪文書、そんなものは在学中に何度も頂いたものである。
  アレイニは軽い気持ちで、その封を裂いた。

  そして小さく、声を上げた。
  便箋に書かれた、表書きとは違う名は明確に覚えのあるものだった――

『親愛なるアレイニへ。
  こうして君の名を書くのは何年振りだろうか。生きていることすら知らせずにすまなかった。心配をかけただろう。
  僕は今、名を変え身分を隠し、辺境の地で、ひっそりと暮らしている。不便は多いが、安全で穏やかな生活だ。
  第一継承者である僕の代わりに、アレイニには不自由をさせただろうか。逃げ出した弱い兄を許してほしい。
  新聞で、誉あるラトキアの騎士になったと読んだ。僕は自分のことのように嬉しかったよ。
  お前は器量も頭もいいから、貴族連中の中で最高の伴侶を得て、後継ぎをつくり、立派な当主となるだろう。
  これでやっと、僕は安心して、この地で暮らしていける。
  お前がいつか子供を産んだなら、兄を訪ねて遊びに来てほしい。新しい名と住処を別紙に記しておくからね。
      誰よりもお前を愛する兄 シルビアより』


  綺麗だが、部分的にクセのある筆致。
  その筆跡にも、間違いなく覚えがある。

  アレイニは、しばらく便箋を握り立ち尽くしていた。震える指が紙面を歪める。
  噛みしめた歯が音を立てた。

  扉が開いた。
 「ただいまー。アレイニ、シャワー行くなら今だぞ、からっぽだった」
  明るいティオドールの声。アレイニは頷くと、手紙を封へ戻し、シャンプーセットは持たずに部屋を飛び出した。

  夜の騎士団寮を早足で進む。

  入り口そばにある、受付の窓口は閉まっていた。緊急用の呼び出しチャイムを鳴らすと、奥の小部屋から駐在の職員が顔を出す。
  騎士団への郵便や来訪者を監督する男は、いつもひどく愛想が無い。そのぶん無駄口は叩かない。深夜に起こされても、彼はただ用件だけをアレイニに聞いた。

  アレイニは封筒を差し出して。

 「これを、そのまま別の封筒に入れ直して、ある所へ送りたいんです。コレより一回り大きな封筒があれば頂けますか」

 「はいよ。……アレイニさん、あんた明日出立だよね。どこまで送るのか知らないが、どのみち届くのは明日以降になるよ」

 「構いません」

 「では、宛名を伺おう。……どなたのおたくまで?」

  アレイニは答えた。
  なんの温度もない、冷たい青い瞳で見下ろして。


 「ラトキア王都の外、現人神の城――光の塔まで。……よろしくお願いします」



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