ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

新人騎士ティオドール①

 合同鍛錬所は、騎士団敷地の外れにあった。

 「演習室、演習室……っと?」
  テオはブツブツつぶやきながら、フロア案内図とにらめっこする。

  と、後ろから、肩をぽんとたたかれた。青い髪をした騎士が二人、親しげに微笑んでそこにいる。

 「やあ、自主練かい。精が出るね」
 「新人だろ? 確か名前は、テオ……?」
 「ティオドールだ、よろしくな。ところで俺、ココの演習室にいきたいんだけど?」

  二人は顔を合わせ、なにか視線で会話した。ぞんざいなテオの口調が気に障った、というわけではないらしい。

 「……演習室なら最上階、四階の一番奥だよ。ぼくたちも行くところだったんだ。一緒に行こう」

  そう、気さくに促してくれる。テオは嬉しくなって、小走りで後に続いた。

  階段を上る二人の背中を、なんとなく観察してみる。両者、さほど大柄ではないがやはり身のこなしが一兵卒とは違う。正当な格闘技の修練による隙のない足取りに、貴族の洗練された所作さが相まって、なんとも優美なものである。

  テオはなんとなく、ガニ股気味の自分の歩き方を整えた。

  正式な騎士となり、テオもいよいよ、貴族の仲間入りをしたのだ。まだなにも実感はないが、与えられた屋敷にはすでに、家族が住んでいる。それはテオが騎士として立ち振る舞うことへの報酬だ。

 (飯の食い方、歩き方まで、それで給料をもらうのだと理解しろって、さんざん叱られたもんなあ)

  貴族らしい身の振り、は、奉公先でもっとも厳しく言われたことだ。テオは毎日叱られた。個人的には養父の尻たたきより、その妻の教鞭のほうがよほど恐ろしかったのだが。

 (あの奥さん、おっとりして見せて目つきが団長そっくりだもんなあ……)

  そうでなければ、一年で騎士になることはできなかっただろう。

  テオは養父母となった夫婦に感謝をしながら、先輩騎士の後に続いた。


  演習室は、テオが想像していた格技場のようなものとは全く違っていた。四階の最奥、ほんの一室だ。
  訓練所というには断然、狭い。せいぜい一人暮らしの部屋程度、複数人で組み手が出来るものではなかった。

 「……何だ、この壁……?」

  四方を囲む、飾り気のない白壁にふれてみる。
  ……奇妙な感触だ。
  一見、鏡面のような艶があるのに、手のひらで押せばズブリと埋まる。砂粒というにもさらに細かい、微粒子が密集している?

  扉口の壁で遊んでいるテオを押し退け、先輩騎士二人も演習室に入ってきた。

 「センパイ、ここって何なんですか?」
 「人から聞いてきた訳じゃないのか」

  答えにならない返事が来る。首を傾げるテオに、彼らはニヤニヤと笑って見せた。

 「まあ、すぐにわかるよ。見てな」

  騎士は部屋の突き当たり、壁に取り付けられたパネルを操作した。操作完了の合図を受け、もう一人が部屋の電灯を消す。

  真っ暗闇になり、すぐに二段階ほど落ちた柔らかな証明が部屋を照らし出した。

  光量の落差に目がくらんだテオは、しばらく目をしばたたせて――

 そして、ぎょっと身を引いた。


  一瞬、人骨かと思った。
  だがそれは、人体をかたどった骨組み――人形づくりの芯のようなものだと理解する。
  白っぽい素材につるりとした卵のような能面、人骨そっくりの骨格に、胸や胴体部分にだけカバーがつけられている。

  それが、ヒトと同じようにその場に立っていた。

 「人形……!?」

  もしかしたら、最初からそこにあったのかもしれない。だが明るいうちは背景の一部程度だったそれは、薄暗い部屋で異様な不気味さを持って存在している。

  そして、部屋が動いた。

  微粒子で作られた壁が蠢き、羽虫のように浮遊して、人形の方へと向かっていく。粒子は骨格へ張り付くと色を変え、重なり合って厚くなり、凹凸をなし、密度によって質感を成す。インクが広がるように色付いて、そして急速に何かを象っていく。

  ヒトであった。
  少年――いや、少女である。

  白壁と同じ色の白い肌に、闇のような黒い髪。群青色の瞳と、それを縁取る長いまつげまで。生きているようにしか見えない人間が、軍服を着てそこにいた。
  年の頃は十五、六。
  ついさっきまで人形であったそれは、すっかり軟らかそうな肉を付け、テオに向かって対峙する。一度、瞬きをし、呼吸のために唇を動かした。
  申し訳程度に膨らんだ胸が上下する。

  ――面影があった。

 「……だ、団長……?」

  今より幼いぶん小柄で、そして雌体だ。しかしそのぞくりと総毛立つような冷たい目はそのまま、ラトキア騎士団長クーガ――その人であった。


  『クーガ』はテオの存在を視認すると、体をひねり、近接格闘の構えを取った。視線が真っ直ぐにテオだけを見る。テオも一応、迎えうてるよう体勢を作った。

  間合いを計る『クーガ』。今にも飛びかかってきそうな顔つきに血の気が引く。解説と助けをも止めて振り向くと、先輩騎士二人は楽しそうに手を振った。

 「がんばれティオドール、相手はレベル1、素手による打撃系近接挌闘縛りだからな」
 「えっ」
 「筋肉も十六歳の女の子だぞ。実際の身体測定データで能力値設定してあるってよ。関節技の入るレベル2、武器を持つレベル3、投擲まで何でもアリのレベル4だと手が付けられないが、打撃だけなら勝てる勝てる」
 「ええっ?」
 「ぼくは勝ったことないけど」
 「えええええっ!?」

 「まぁゲームだと思って気楽に――来るぞ!」
  騎士の声に、テオは反射的に身をかわした。

  さっきまで己の頭があった位置を、ビュゥと音を立て鞭がなぐ。いや、脚だ。細長い女の脚が、風切り音をたててテオの首を刈りにくる。テオはあわてて距離をとり、相手の攻撃範囲からはずれる――追いかける、『クーガ』の方が早い!

 「うごぇっ!」

  攻撃は腹にきた。一撃をまともに食らい、二撃目はなんとか防御する。拳による連打。重ねて盾とした腕の上に、構わず三撃目が打ち込まれた。そのまま四、五、六。

(これが女の拳だと!)

 テオは眩暈がしそうだった。体が揺らぐような重さはないが、骨に響く、針のように痛い拳である。こちらが一呼吸する間もなく七、八、九。テオは眉をしかめ、十発目をはじき返す。
 「しつけえんだよ!」
  ――と、叫ぼうとした声が、言葉にならずにヒュウと鳴る。喉が――いや、一発目の拳が、なにかおかしな作用を引き起こしている。呼吸ができない。息が吸えない。

 「ううっ――」

  胸をかきむしり悶絶する、棒立ちになった腿に、今度こそ体重を乗せたミドルキックが襲った。続いてハイキック。このパターンは。

 (また腹だろ!?)

  テオはキックとフックの連撃をはじき返し、体を丸めてタックルをかけた。
  同じ年頃の、男と女。テオの肩にぶつかって、『クーガ』の体が吹っ飛ばされる。

  まるで体重などなかったかのように、宙を舞う少女。それほど強くぶちかましたか? という、テオの懸念は甘すぎた。

  『クーガ』は吹き飛ばされた勢いに身を任せ、つま先から着地、そのままぐるりと全身を回転させた。テオによる衝撃をまた武器にして、長い足がうねる。

  後ろ回し蹴り。カカト部分が肋骨に刺さる。激痛が走った。しかしその攻撃さえ布石であった。
  痛む箇所を無意識にかばって体を丸め、テオは顔面の高さを下げる。

  その、ちょうどいい高度にある、テオの細いアゴに向けて。

  『クーガ』は肘先に全体重を乗せて、真横から打撃した。

  相手のもっとも弱いところへ。
  自分のもっとも強いところを打ち込んだ攻撃。

  テオは一瞬、白目を剥いた。
「がっ……っ、ぎ……」

  首の筋肉が引きちぎれたかと思った。脳味噌が、遠心力で耳から出て行ったかと思った。

  左右の目が違う景色を映し出し、猛烈な吐き気がテオを侵す。
  呻くこともできないまま、テオはがむしゃらに、指先に触れた何かをつかんだ。なんだかわからないまま握りしめ、引く。重み。構わず引き倒す。
  地面に向かって投げつけると、それは少女の腕らしかった。明るくなった視界に少女の背中、床にはう彼女の腕をねじり上げる己の手。

  テオはとっさに、『クーガ』の背に膝を乗せ、そのまま床へと落とし込んだ。

  ミシリと、彼女の肩が鳴く。そしてもう一つ、甲高い音が耳に届いた。

 「っア……!」

 「――しゃべるのかよ!」

  テオはギクリと身をこわばらせた。

  その隙を逃すような『女』ではない。『クーガ』はすぐさま体を起こし、つま先をテオの鳩尾へと突き刺した。悶絶したところに、左胸へ掌打。頬骨に肘、膝頭を真横からローキック。
  なんだかわからないうちに、己が破壊されていくのを自覚する。

  テオは打たれながら、この少女がなぜにこれほど強いかを、体感として理解した。

  攻撃が――すべて急所だ。

  いちばん痛いところ、いちばん破壊されては困るところ、いちばん、手っ取り早く相手を殺すことが出来るところだけを、常にねらってやってくる。

  そうでなければ――
 単純に腕力で殴り合いをするだけなら――
 彼女の力は、ふつうの女性とさほど変わりはなかった。

  顔がつぶれるほどに殴られ続けながら、テオは腕を伸ばした。
  『クーガ』がハッと息をのみ、身を引こうとする。だがそれより早く彼女の軍服を捕まえた。爪をはがす覚悟、全力で布を握り込みゆさぶると、『クーガ』は簡単に体勢を崩した。そのまま関節技ねらいなどの欲を出せばひっくり返されるだろう。テオは己の体重だけで強引に押し倒した。

 「こんにゃろぉっ!」

  服を引かれ、体勢の悪いところにのしかかられて、『クーガ』は仰向けにつぶれていった。テオの眼前に、寝転がる少女。どうせまたすぐ反撃に出るはずだ。テオはすかさず馬乗りになり、少女の両手首を押さえ込む。
  細い手首だ。両手をそろえても、テオの片手だけで事足りる。

  突然ひっくり返されて、『クーガ』は狼狽していた。だがそれも二秒と持つまい。今のうちにダメージを与えておかないと、二度と反撃のチャンスなど訪れない――!

 (一撃で失神させてやる!――)

  彼女の双眸が恐怖に揺れる。

  テオは拳を握り込んだ。

  群青色の目が閉ざされて、歯を食いしばる。
  顔面への一撃を覚悟して、少女は身をすくませていた。

  テオは拳を握っていた。握ったまま、振り下ろすことは出来なかった。


  それは、やはり最後の反撃のチャンスだった。
  一瞬のテオの硬直――『クーガ』は勢いよく膝をテオの背中にたたき込み、続いて足先でテオのアゴを挟み込んだ。
  腕よりも脚の方が、強い。『クーガ』は全身の筋肉を用いてテオをなぎ倒すと、仰向けの状態から、立ち上がろうとして――

 後ろから両足を払われ、その場に転倒した。

 「っ――!?」

  突然のことに、はいつくばって混乱する少女。 
  対戦相手であるテオは床に倒れ込んだままである。青い髪をした、先輩騎士による足払いだった。

 「えっ? な、なんだ?」

  テオもまた困惑――構わず、騎士は少女を蹴り飛ばす。
  体が完全に宙へ浮いたが、彼女は手を床へ付きすぐさま立ち上がった。体勢を整えるより早く、真横から、もう一人の騎士が殴り倒した。今度こそ転倒。背中から踏む。伏せた顔面を再び蹴る。

 「なっ――」

  殴る。髪を掴んで引き倒す。仰向けにさせて、騎士は少女の手首を踏んだ。

  ゴギリ。鈍い音がした。

 「ァー……!」

  少女はビクリと仰け反って、両足をばたつかせ悶絶した。


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