ラトキア騎士団悲恋譚

とびらの

新人騎士ティオドール③

 突然現れた、二人の大人を顎で使う最年少の男。
 その存在を理解できず、テオは混乱していた。疑問を解いてやるほど、この騎士団長の気は利かない。

 軸足を入れ替え、上体をのけぞらせる。胸のあたりでわずかに猫背気味になり、少年に向かって構えた。

「では、最高司令官である俺がお前より強ければ、お前は素直に軍の指示に従う。そうだな」

「え?」

「俺が、自分が信用するに足りる上官かどうか、試してみるといい。俺もまた、お前を騎士訓練生として迎える価値があるかどうか、ここで試させてもらう。
 ――二発、俺の拳を受けて耐えられたらよしとしよう。やるぞ。構えろ、ティオドール」

「上官? えっと、何――えっ?」

「お前なあ。兵隊としての常識以前に、ラトキアのテレビ放送くらい見ろよ」

 見かねて、シェノクはあきれ声を出した。

「ラトキア騎士団長、オーリオウルの英雄、クーガ。この国じゃ星帝よりカオが売れてるひとだぞ。文字通りその顔写真や肖像画が、王都中でグッズ販売してるの見たことねえのか」

「え? いやだって俺、うちにも少年兵宿舎にもテレビなんかないし、スラムから兵舎までシャトルバスで来るばっかりで、王都は歩いたことないし――えっ? 騎士団長? こんな女みたいな――」

 と、無駄口は唐突に中断された。

 テオ少年のふぬけていた顔が引き締まり、目の前に迫るハイキックを防御する。肩と臑がぶつかって、ドンと重い音が響く。

「――うぐっ!」

 痩せた体が真横にズレる。踏みしめていた両足が土を削り、それでも少年は倒されなかった。蹴りはテオの死角から顔面に向かい、視認できない速度で飛んできた。自分と変わらぬ体格から放たれたとは思えない重量感に、防いだ腕より、踏ん張った膝が痛みを覚える。
 あわてて体勢を戻す、と、相手は想定以上に遠くにいたことに驚いた。こぢんまりと整った頭蓋からなる印象よりも、リーチが長い。
 打撃の距離感がつかめないままに第二撃、今度は右足の回し蹴り。相手の構えからこの攻撃は察していた。左膝を立てて完璧な防御。

 ノーダメージではじき返して、テオはニヤリと笑った。

「二発防いだぞ、どうだっ!――」

 と――がらあきの右わき腹に、クーガのフックが突き刺さる。片足立ちで、不安定になっていた体がきれいに吹っ飛んだ。両足が宙に浮き、そのまま無防備に墜落。
 そして、ティオドールはぴくりとも動かなくなった。

 あーあ、と、頭を抱える騎士二人。

「……死んでませんかね」
「大丈夫だろ。左手だ」

 こともなげに、騎士団長。それはよかったことだと、シェノクは素直に安堵した。
 あれがもし右手なら――自身の攻撃力で砕けないようにと、骨の外郭を鉄鋼で強化された右拳なら、少年の内臓は破裂している。

 それでも完全に失神しているのを確認し、ヴァルクスは団長へ向き直った。

「それで、この野獣はいかがしましょうか」
「とりあえず騎士団寮の医務室へ。目が覚めたら、うちで預かる手続きを。シェノク、父に連絡をしておいてくれ。戦闘技術も技能も知識も常識も良識も口の効き方も、一年でたたき込んでくれと、よろしく頼む」
「……これ、騎士団に迎える気ですか?」
「仕上がり次第だな。……俺の構えを見てすぐに蹴りに対応した。頭の回転は悪くないようだ。拳、と言ったのを忘れるほど、記憶力は乏しいようだが。まあ、父に期待しよう」
「一年で……ききますかね? どうせテーブルマナーもあったもんじゃないですよ。絶対音をたててスープを啜ります。賭けてもいいです」
「そのあたりは、入団してからお前が教えてやれ」
「勘弁してくださいよもう……」

 シェノクは正直に呻いた。

 人員が増えて、なお忙しくなるとはどういうことだ。騎士団長の補佐役という、己の仕事に不満はない。だが妙に面倒見のいいこの上官は、いらない仕事をどんどん背負い込む癖がある。それを回してくるのは本当に勘弁してほしかった。

 シェノクもまた、下町の出身である。赤い髪の人間が騎士団に馴染む難しさをよく知っていた。どれだけ優秀でも、生まれた身分への差別は永久に続く。ましてこんな山猿、たとえ入団したところで三日で虐め殺されるのでは無かろうか。

 考えるうちにシェノクは本気で心配になり、上官に進言した。

 と、クーガは声を立てて笑った。
 寡黙な彼がそうして笑うのは珍しい。けらけらと笑いながら、推薦状を見てみろと言う。

「『どれだけ打たれても効きません。とことん厳しく鍛えても平気です。放置しておくと勝手にトモダチを作ります』……なんですかこの保証」
「ずいぶん可愛がられてはいたようだ。騎士団はどうしても、貴族上がりで軟弱なのが多い。本当に強い軍隊とするならば、こういった手合いも入れていく必要がある。この少年には、騎士団改革のエースになってもらおう」
「はあ……」
「ところで、団長殿。彼が騎士団入試が叶わないのに、理由が三つあると言われておりましたが……最後の一つは、なんだったのですか」

 ヴァルクスが伺う。

 その問いに、彼は笑みを消した。さすがに頭が痛そうに眉をしかめて、

「入試は先月。今日はその合否決定の日だ。この少年、案内状を読み間違えていたようだな」
「ほんと勘弁してくださいよぉおおお」

 シェノクはいよいよ泣き言を言ったが、団長は聞く耳を保たず、ヴァルクスもそれに従う。
 失神したままの少年は小脇に抱えて運ばれて、本人の知らぬ間に、生まれて初めて騎士団の敷地へとはいっていった。
 もちろん、目を覚ましてすぐに、そこから追い出されたが。



 スラムの出身、密林の王の名を持つ少年、ティオドール。

 彼がその身に軍服をつけ、ふたたびその敷地に入るのは、このちょうど一年のちになる。


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