わがまま娘はやんごとない!~年下の天才少女と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~
十八話「あやかしから友を護りましょう」上(あとがき:状況整理二)
沙和を見た壱子は、わき目も振らず駆け寄っていく。
今の壱子は、「周囲に何かいるかもしれない」と考えもしないらしい。
明らかに平静を失っていた。
「沙和! 良かった……何もないか!?」
「壱子ちゃん……?」
壱子に顔を向ける沙和の目は虚ろで、どうも焦点が合っていないようだ。
何かがおかしい。
正体不明の違和感に襲われて、思わず平間は周囲を見回す。
しかし、特に何か洞窟内で変わったところは無い。
「本当に良かった。熱は……」
沙和の体調を推し量ろうと、壱子が沙和に手を向ける。
その手が沙和の額に触れた瞬間、
「イヤッ!!」
そう叫んで、沙和が大きくのけぞった。
予想外の反応に壱子も驚いて、びくりと身体を震わす。
「ど、どうしたのじゃ……?」
「イヤ、やめて、来ないで!!」
「落ち着け、私が分かるか? 壱子じゃ」
壱子は目を見開く。
まもなく動揺を押し殺して壱子は柔らかく微笑むが、沙和は青ざめた顔でただ首を振るだけだった。
沙和はやはり、どこか様子が変だ。
「もう安全じゃ。さ、帰ろう……? あ、そうじゃ、水があるぞ。喉が渇いていないか」
繕うようにそう言って、壱子は腰につけた手ぬぐいに包まれた竹筒を取り出す。
それを沙和の口元に寄せていくと、中の水を少し口に含んだ。
壱子はそれを見て、少しホッとした顔をする。
が、嚥下しようとした途端、沙和は激しく咳き込んで水を吐き出してしまう。
そして、苛立ったように壱子を睨みつける。
「そんな、この水には何も悪いものは入っておらぬのに……」
見ていて哀れになるくらい、壱子は愕然とした様子で手に持った竹筒をぎゅっと抱きしめた。
壱子の言うとおり、あの水は何の変哲の無い普通の、安全な水だ。
水を受け付けないほど沙和の調子が悪いということなのか。
いまの沙和はまるで、見えない何かに怯えているように見える。
壱子も同じように感じたらしく。平間の方を振り返って不安そうな顔をする。
「平間、どうすれば……」
「とりあえず、沙和さんを連れて戻らないと。それに、ここは何かがおかしい。漠然と、嫌な気配がする」
「同感じゃな……。沙和の体調も気になる。あからさまに変じゃ」
壱子は心配そうに眉間にしわを寄せる。
「沙和の服装も私たちが買出しに出かけた時と同じで、森に入るべき服装ではない。ツツガムシに刺されていなくとも、あの様子では変なものに憑かれていないとも限らぬ」
そこまで言って、壱子はハッとして「あ」と小さく漏らすと押し黙った。
何か気付いたのか、平間は壱子の次の言葉を待つが、頭に浮かんだ考えを振りはらうように首を振る。
「平間、沙和を背負ってくれ。急いで村に戻ろう」
「分かった」
平間はうなずくと、沙和に駆け寄る。
沙和を抱えるために腰を下ろすと、ひやりとした空気と湿っぽい臭いがいっそう肌にまとわりついて、平間は顔をしかめる。
「沙和さん、立てますか?」
平間は問いかけるが、沙和は明後日の方向に顔を向けたまま、平間を見ようとしない。
仕方ないので、平間は肩を支えようと沙和の腕に手をかける。
しかしその手を、沙和は小さく悲鳴を上げて振り払ってしまう。
「どうすれば……」
「平間、沙和は錯乱しているようじゃ。しかし、無理やりにでも連れて行くしかない。私も手伝う」
壱子は沙和を挟んで平間の反対側に屈むと、嫌がる沙和を無視して腕の下に自分の頭を入れて平間に目配せした。
強い意志をはらんだ壱子の視線に、平間は決心し壱子に続く。
そしてそのまま、真っ青な顔で身をよじり逃げようとする沙和をほとんど強引に立ち上がらせる。
意外にも、平間の肩にかかる沙和の体重は軽かった。
憔悴している割には、足腰はしっかりとしているらしい。
「平間、このまま背負ってしまえ。お主の荷物は私が持っていく」
「分かった、頼むよ……っと」
「やっ、やめてっ!!」
壱子がするりと抜けた間に、平間は器用に沙和を背負う。
背中の上の沙和があまりに悲壮感の漂う声を上げるので、平間は何も悪いことをしていないのに罪悪感にさいなまれた。
その平間の心情を察してか、二人分の荷を持った壱子が横に並んで言う。
「大丈夫じゃ、間違ったことはしておらぬ。まだ原因は分からぬが、沙和も正気に戻れば感謝してくれるはずじゃ」
「だといいけど、本当、何があったんだろう。こんなに怯えて、僕たちが僕たちだって分かっていないように見える。もしかして、これもヌエビトの呪いなんじゃ――」
「無駄口を叩くでない、平間」
不安げな平間の声を、壱子はぴしゃりと遮った。
「ヌエビトの呪いはツツガムシ病じゃ。あまり拡大解釈が過ぎると、ヌエビトに呑まれかねぬぞ」
「ああ、うん。ごめん」
平間と目を合わさずに、洞窟の入り口を見据える壱子。
その口ぶりはまるで、自分に言い聞かせているようだった。
「なんにせよ、見つかってよかった。彼らのように変わり果てた姿になるのは辛いからな……」
洞窟の入り口の隅に横たわる二体の白骨――旅商人の夫婦のものだろう――に目を落として、壱子は呟く。
その時ふと、壱子は目を見開いて屈んだ。
「これは……骨か?」
「何を言ってるんだ、当たり前だろう」
「ああ、そうではない!」
いぶかしむ平間をよそに、壱子は投げやりに返事をすると、恐る恐る白骨の胸の辺りに手を伸ばした。
「壱子、何やってるんだ。急いで戻らないと!」
「分かっておるが……平間、骨は美味いのか?」
「僕は食べたことも、食べようと思ったことも無いけど。骨を食べるなんて、犬くらいなものじゃない?」
「犬は骨をしゃぶるだけじゃろ」
「……ねえ、何の話をしてるの?」
もしや、沙和だけじゃなく壱子もおかしくなったのか。
そんな嫌な考えが平間の頭に浮かんだが、目の前にいる壱子はいつもどおり、聡明そうな顔でたたずんでいた。
どうも、おかしくなったわけではないらしい。
「いや、割といつもおかしいか……」
「何か言ったか、平間」
不機嫌そうな声に目を向けると、いつの間にか立ち上がって平間の横に立つ壱子が刺すような視線を向けていた。
「なんで? 何も言って無いけど」
「後ろめたいことがあるとき、人はまず『なぜそんなことを聞くのか』と尋ねるものじゃ。覚えておくと良い」
「うかつだった……」
ごまかしがバレバレだったことに肩を落とす平間に、壱子はニヤリと笑ってみせる。
やはり、いつも通りの壱子だ。
だとしたら、骨がどうの、という話は何だったのだろう。
首をかしげる平間をよそに、壱子は沙和に目をやる。
「どうやら落ち着いたようじゃな。平間に背負われて安心したのかの?」
「からかわないでよ。それこそ無駄口だって」
「ふふ、それもそうじゃな」
壱子は久しぶりに、作り笑いではない柔らかな笑みを見せる。
落ち着いた沙和を見て、壱子も安心したのだろう。
平間は少し口角を開けて、洞窟の外へと歩いていく。
外からこぼれる光と背に感じる暖かさが、平間の胸の内に逆立った棘を綺麗に溶かしていく心地がした。
ふと平間は、洞窟の入り口を覆うように流れる滝に近付くにつれて、肩に置かれた沙和の手に力がこもるのを感じた。
すでに痛覚にすらなり始めていたため、平間は足を止めて振り返りながら、顔をしかめて抗議する。
「ちょっと沙和さん、そんなに掴んだら痛っ、痛いんですけど……聞いてます?」
「……」
平間の問いかけに、沙和は答えない。
壱子が不思議に思って沙和の方を見ると、沙和の顔には洞窟で会って以来、恐怖の色が最も深く刻まれていた。
目は大きく見開いて顔色はいっそう蒼白になり、歯の根は合っていない。
そしてその視線は、洞窟を抜けた先に向けられていた。
「まさか……!?」
沙和のあまりの怯えように、壱子は不安げに滝の流れ落ちる洞窟の入り口を凝視する。
しかしそこには日の光を水がキラキラと反射しているだけで、何も変わったことは無い。
沙和が何に怯えているのか壱子にはさっぱり分からないとでも言うように、眉間に深いしわを作って呟く。
「もしかして、沙和は幻視をしておるのか?」
「ゲンシ?」
「実際には無い物体が見えることじゃ」
「つまり、見間違えってこと?」
「それよりハッキリしたものじゃ。もし沙和が幻を見ているのだしたら、具合はあまり良くない……。幻視をする病はおおむね性質が悪い」
目を落とす壱子を励まそうと、平間は無理に明るい声を作って言う。
「考えすぎだって。沙和さんもきっと疲れが出ただけだ。村に戻ってちゃんと診てあげれば、すぐに良くなるさ」
「確かにそうかも知れぬな。沙和には悪いが、幻の中を突っ切るぞ。……すまぬが、今だけ我慢してくれ」
後半は身体を強張らせる沙和に語りかけて、壱子は歩を進め始める。
平間もその後を追っていくが――。
今の壱子は、「周囲に何かいるかもしれない」と考えもしないらしい。
明らかに平静を失っていた。
「沙和! 良かった……何もないか!?」
「壱子ちゃん……?」
壱子に顔を向ける沙和の目は虚ろで、どうも焦点が合っていないようだ。
何かがおかしい。
正体不明の違和感に襲われて、思わず平間は周囲を見回す。
しかし、特に何か洞窟内で変わったところは無い。
「本当に良かった。熱は……」
沙和の体調を推し量ろうと、壱子が沙和に手を向ける。
その手が沙和の額に触れた瞬間、
「イヤッ!!」
そう叫んで、沙和が大きくのけぞった。
予想外の反応に壱子も驚いて、びくりと身体を震わす。
「ど、どうしたのじゃ……?」
「イヤ、やめて、来ないで!!」
「落ち着け、私が分かるか? 壱子じゃ」
壱子は目を見開く。
まもなく動揺を押し殺して壱子は柔らかく微笑むが、沙和は青ざめた顔でただ首を振るだけだった。
沙和はやはり、どこか様子が変だ。
「もう安全じゃ。さ、帰ろう……? あ、そうじゃ、水があるぞ。喉が渇いていないか」
繕うようにそう言って、壱子は腰につけた手ぬぐいに包まれた竹筒を取り出す。
それを沙和の口元に寄せていくと、中の水を少し口に含んだ。
壱子はそれを見て、少しホッとした顔をする。
が、嚥下しようとした途端、沙和は激しく咳き込んで水を吐き出してしまう。
そして、苛立ったように壱子を睨みつける。
「そんな、この水には何も悪いものは入っておらぬのに……」
見ていて哀れになるくらい、壱子は愕然とした様子で手に持った竹筒をぎゅっと抱きしめた。
壱子の言うとおり、あの水は何の変哲の無い普通の、安全な水だ。
水を受け付けないほど沙和の調子が悪いということなのか。
いまの沙和はまるで、見えない何かに怯えているように見える。
壱子も同じように感じたらしく。平間の方を振り返って不安そうな顔をする。
「平間、どうすれば……」
「とりあえず、沙和さんを連れて戻らないと。それに、ここは何かがおかしい。漠然と、嫌な気配がする」
「同感じゃな……。沙和の体調も気になる。あからさまに変じゃ」
壱子は心配そうに眉間にしわを寄せる。
「沙和の服装も私たちが買出しに出かけた時と同じで、森に入るべき服装ではない。ツツガムシに刺されていなくとも、あの様子では変なものに憑かれていないとも限らぬ」
そこまで言って、壱子はハッとして「あ」と小さく漏らすと押し黙った。
何か気付いたのか、平間は壱子の次の言葉を待つが、頭に浮かんだ考えを振りはらうように首を振る。
「平間、沙和を背負ってくれ。急いで村に戻ろう」
「分かった」
平間はうなずくと、沙和に駆け寄る。
沙和を抱えるために腰を下ろすと、ひやりとした空気と湿っぽい臭いがいっそう肌にまとわりついて、平間は顔をしかめる。
「沙和さん、立てますか?」
平間は問いかけるが、沙和は明後日の方向に顔を向けたまま、平間を見ようとしない。
仕方ないので、平間は肩を支えようと沙和の腕に手をかける。
しかしその手を、沙和は小さく悲鳴を上げて振り払ってしまう。
「どうすれば……」
「平間、沙和は錯乱しているようじゃ。しかし、無理やりにでも連れて行くしかない。私も手伝う」
壱子は沙和を挟んで平間の反対側に屈むと、嫌がる沙和を無視して腕の下に自分の頭を入れて平間に目配せした。
強い意志をはらんだ壱子の視線に、平間は決心し壱子に続く。
そしてそのまま、真っ青な顔で身をよじり逃げようとする沙和をほとんど強引に立ち上がらせる。
意外にも、平間の肩にかかる沙和の体重は軽かった。
憔悴している割には、足腰はしっかりとしているらしい。
「平間、このまま背負ってしまえ。お主の荷物は私が持っていく」
「分かった、頼むよ……っと」
「やっ、やめてっ!!」
壱子がするりと抜けた間に、平間は器用に沙和を背負う。
背中の上の沙和があまりに悲壮感の漂う声を上げるので、平間は何も悪いことをしていないのに罪悪感にさいなまれた。
その平間の心情を察してか、二人分の荷を持った壱子が横に並んで言う。
「大丈夫じゃ、間違ったことはしておらぬ。まだ原因は分からぬが、沙和も正気に戻れば感謝してくれるはずじゃ」
「だといいけど、本当、何があったんだろう。こんなに怯えて、僕たちが僕たちだって分かっていないように見える。もしかして、これもヌエビトの呪いなんじゃ――」
「無駄口を叩くでない、平間」
不安げな平間の声を、壱子はぴしゃりと遮った。
「ヌエビトの呪いはツツガムシ病じゃ。あまり拡大解釈が過ぎると、ヌエビトに呑まれかねぬぞ」
「ああ、うん。ごめん」
平間と目を合わさずに、洞窟の入り口を見据える壱子。
その口ぶりはまるで、自分に言い聞かせているようだった。
「なんにせよ、見つかってよかった。彼らのように変わり果てた姿になるのは辛いからな……」
洞窟の入り口の隅に横たわる二体の白骨――旅商人の夫婦のものだろう――に目を落として、壱子は呟く。
その時ふと、壱子は目を見開いて屈んだ。
「これは……骨か?」
「何を言ってるんだ、当たり前だろう」
「ああ、そうではない!」
いぶかしむ平間をよそに、壱子は投げやりに返事をすると、恐る恐る白骨の胸の辺りに手を伸ばした。
「壱子、何やってるんだ。急いで戻らないと!」
「分かっておるが……平間、骨は美味いのか?」
「僕は食べたことも、食べようと思ったことも無いけど。骨を食べるなんて、犬くらいなものじゃない?」
「犬は骨をしゃぶるだけじゃろ」
「……ねえ、何の話をしてるの?」
もしや、沙和だけじゃなく壱子もおかしくなったのか。
そんな嫌な考えが平間の頭に浮かんだが、目の前にいる壱子はいつもどおり、聡明そうな顔でたたずんでいた。
どうも、おかしくなったわけではないらしい。
「いや、割といつもおかしいか……」
「何か言ったか、平間」
不機嫌そうな声に目を向けると、いつの間にか立ち上がって平間の横に立つ壱子が刺すような視線を向けていた。
「なんで? 何も言って無いけど」
「後ろめたいことがあるとき、人はまず『なぜそんなことを聞くのか』と尋ねるものじゃ。覚えておくと良い」
「うかつだった……」
ごまかしがバレバレだったことに肩を落とす平間に、壱子はニヤリと笑ってみせる。
やはり、いつも通りの壱子だ。
だとしたら、骨がどうの、という話は何だったのだろう。
首をかしげる平間をよそに、壱子は沙和に目をやる。
「どうやら落ち着いたようじゃな。平間に背負われて安心したのかの?」
「からかわないでよ。それこそ無駄口だって」
「ふふ、それもそうじゃな」
壱子は久しぶりに、作り笑いではない柔らかな笑みを見せる。
落ち着いた沙和を見て、壱子も安心したのだろう。
平間は少し口角を開けて、洞窟の外へと歩いていく。
外からこぼれる光と背に感じる暖かさが、平間の胸の内に逆立った棘を綺麗に溶かしていく心地がした。
ふと平間は、洞窟の入り口を覆うように流れる滝に近付くにつれて、肩に置かれた沙和の手に力がこもるのを感じた。
すでに痛覚にすらなり始めていたため、平間は足を止めて振り返りながら、顔をしかめて抗議する。
「ちょっと沙和さん、そんなに掴んだら痛っ、痛いんですけど……聞いてます?」
「……」
平間の問いかけに、沙和は答えない。
壱子が不思議に思って沙和の方を見ると、沙和の顔には洞窟で会って以来、恐怖の色が最も深く刻まれていた。
目は大きく見開いて顔色はいっそう蒼白になり、歯の根は合っていない。
そしてその視線は、洞窟を抜けた先に向けられていた。
「まさか……!?」
沙和のあまりの怯えように、壱子は不安げに滝の流れ落ちる洞窟の入り口を凝視する。
しかしそこには日の光を水がキラキラと反射しているだけで、何も変わったことは無い。
沙和が何に怯えているのか壱子にはさっぱり分からないとでも言うように、眉間に深いしわを作って呟く。
「もしかして、沙和は幻視をしておるのか?」
「ゲンシ?」
「実際には無い物体が見えることじゃ」
「つまり、見間違えってこと?」
「それよりハッキリしたものじゃ。もし沙和が幻を見ているのだしたら、具合はあまり良くない……。幻視をする病はおおむね性質が悪い」
目を落とす壱子を励まそうと、平間は無理に明るい声を作って言う。
「考えすぎだって。沙和さんもきっと疲れが出ただけだ。村に戻ってちゃんと診てあげれば、すぐに良くなるさ」
「確かにそうかも知れぬな。沙和には悪いが、幻の中を突っ切るぞ。……すまぬが、今だけ我慢してくれ」
後半は身体を強張らせる沙和に語りかけて、壱子は歩を進め始める。
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