わがまま娘はやんごとない!~年下の天才少女と謎を解いてたら、いつの間にか囲われてたんですけど~
十三話「罪なき命を刈り取りましょう」下(あとがき:状況整理一)
壱子はそう言うと、平間と沙和に革手袋を配り、自分は桶に川の水を溜めた。
「壱子、この道具で何をするの?」
「うむ、良くぞ聞いてくれた」
平間の問いに大きくうなずくと、壱子はいつものようによどみない口振りで話し始める。
「今回の目標はこの勝未の森に住むネズミにツツガムシが付いているかどうかを確かめることじゃ。そこで問題になるのは、ツツガムシをどうやって取り出すか、なのじゃが……」
「普通にネズミの毛の間を漁っていけば良いんじゃない?」
「確かにそれも手ではあるが、ツツガムシはかなり小さく、そのやり方では見逃してしまいがちじゃ。かつて読んだ書物に良いやり方が記されておった。から、それを試してみよう。まず、ここに汲んできた川の水があるが、少しゴミが入っているから、あらかじめ取り除いておく」
言うと、壱子は桶の中に浮かぶ葉の端やら枝切れやらをチョイチョイとつまみ始めた。
手持ち無沙汰なので壱子と沙和も手伝う。
二つの桶からゴミをおおむね取りきるまでしばらく。
「よし、次に、竹篭をひっくり返し、頂点に紐の一端をきつく括りつける。そして紐を六、七寸程度のところで切る。平間、刃物はあるか?」
「ああ、隕鉄さんから預かってる短刀なら」
「十分じゃ。切ってくれ」
平間は壱子の言うとおりに紐を切ると、逆さにした竹籠の内側に麻紐が垂れ下がったようになった。
「最後に、死んだネズミの尾を紐に括りつけて垂らし、桶を下に置く。すると毛皮の中に潜んでいた小さな虫が落ちてくる、というわけじゃな。ん、死んだネズミ……?」
唐突に固まる壱子に、沙和が心配そうに声を掛ける。
「死んだネズミがどうかした? 壱子ちゃん」
「死んだネズミと言うことは、ネズミを殺さなければならぬのか」
「そりゃあ、うん。そうなるねぇ」
何を当たり前のことを、と沙和は不思議そうに言うが、平間には壱子が何を考えているのか、なんとなく分かる。
つまり、自分の手で動物の命を奪いたくないのだ。
もしこれが食べるためならば、命を奪うことも許容できるのかもしれない。
しかし今回は違う。
「ヌエビトの呪いの正体を探る」という大義名分があるが、それだけで命を奪っていいのか迷っているのだろう。
いや、仮に食べるためだったとしても、今まで生き物に手を掛けたことなど無いはずで、人一倍そういうことには抵抗があるはずだ。
「うーん、そうじゃのう……」
檻の中でせせこましく動き回る野ネズミを見つめながら、壱子は言葉をにごらせる。
野ネズミは不潔な印象を持たれがちだが、近くで見るとつぶらな瞳が中々に可愛らしい。
平間も、魚や虫よりは殺すことに抵抗がある。
「でもさ壱子、仕方ないじゃないか。必要なことなんだよ」
「それはそうなのじゃが……」
「もし嫌だったら、僕がやろうか? 家に出てきたやつを駆除したことがあるから、壱子がやるより良いかも知れない」
「違う、そうではないのじゃ。ただ……良いのか? そんなことをしても」
「壱子、言わんとしていることは分かるけど、これは必要なことなんだろ? だったらやるしかないじゃないか。大丈夫、こういうのは家に出たやつで慣れてるからすぐに終わるし、苦しませることも無い。見たくなければ離れたところにいても――」
平間の提案に、壱子は首を振った。
「いや、やろう。私が私の意志で彼らを殺す。ただ、不慣れな私がやっては不必要に苦しませてしまうかも知れぬ。平間、頼めるか」
「もちろんだ。殺鼠の平間と呼ばれた実力を見せてやる」
革手袋をつけて息巻く平間を、沙和は不思議そうに眺める。
そしてこっそり壱子に耳打ちした。
「ねえ壱子ちゃん、今のサッソのなんちゃらってのはどういうことなの?」
「ああ、平間のいる刑部では、新人は雑用を押し付けられて少しずつ仕事を覚えさせられるのじゃ。それで平間は庁舎にたびたび出るネズミを捕まえるのが異様に上手かったらしい」
「なるほど、それで殺鼠なのね」
「うむ、それとあやつは平間は皇都の家で『こげちゃ丸』というネコを飼っておるのじゃが――」
「こげちゃ丸じゃなくて花子だ、壱子」
平間は口を挟むが、壱子は気にせずに続けた。
「こげちゃ丸はどんくさい奴でな。飼い主に似ずにネズミを捕るのが下手じゃ。それも可愛いのじゃがな」
「無視かよ!」
「へー、平間くんネコ飼ってるんだ! 勝未の一件が終わったら私も一緒に皇都に行こうかな」
「沙和さんも!」
「それは良い! 可愛い奴じゃぞ」
「絶対行くよ。ああ、今から楽しみになってきた!」
「あの~、僕の意見は?」
平間は自分のツッコミがことごとく無視されるのに苦笑しながら、気を取り直して野ネズミの入った檻に向き直った。
壱子が見ていないうちにやってしまったほうが、彼女も気が楽だろう。
慣れた手つきでネズミの尾をつまみ上げると、平間はネズミの首筋に手をやって檻の天板に押し付けた。
このまま尾を思いっきり引けば頚椎が脱臼て、ネズミは死ぬ。
ある程度の慣れは必要だが、血が出て周囲を汚すことは無いし、失血死に比べて苦しむ時間は格段に少ない。
とはいえ、必死でもがくネズミの拍動や体温が直に伝わるから、作業に慣れたと言っても決して気持ちの良いものではないのが本音だ。
「平間、やるのか……?」
尾をつまんだ右手に平間が力を入れようとしたそのとき、いつの間にか話を切り上げてきた壱子が覗き込んできた。
その表情には、やはり不安と罪悪感の色がありありと見える。
「やるよ。もとはと言えばこれは僕の仕事だ。壱子がどうこう思う問題でもない」
「そうか……」
そう小さく呟いたきり、壱子は黙ってしまった。
今にも命を絶たれようとしているネズミをジッと見つめながら、壱子は生唾を飲む。
「じゃあ、やるよ」
「……」
無言を肯定と捉えた平間は、小さく息を吐いて手に力を込め――。
「平間、やっぱり待て!」
寸でのところで壱子が叫んだ。
「すまぬ、二転三転してしまって……しかし私はこの方法を採ることに自分で納得できぬのじゃ。殺さなくて済むような方法を私が絶対に考えるから、待ってくれぬか……」
そう言って、目を伏せて唇を噛む壱子。
その様子を見た平間は黙ってうなずき、ネズミを檻へ戻した。
「ま、壱子ならそう言うだろうと思ってたよ。うちの花子がネズミを捕ってきた時だって良い顔しなかったもんね。僕の部屋に迷い込んできたクモだって、おっかなびっくりしながら外に逃がしてあげていたし。そんな壱子が何か目的があるとはいえ、自分で生き物を殺す決断をするとは思えない」
「ふーん、やっぱり壱子ちゃんは優しい子なんだねぇ」
顛末を見ていた沙和は、微笑みながら壱子の頭を撫でた。
戸惑ったように見返す壱子に、沙和はさらに続けた。
「生き物ってのは難しいよね。アタシ達も生きている間は他の動物を殺して食べているわけだし、東の戦線じゃ人間同士で殺しあっているわけでしょ。普通はそんなことしないのにさ。殺すか殺さないかって線引きは状況とか自分勝手なリクツでみんな決めてるけど、そういうのに流されない壱子ちゃんは偉いと思う」
「私が偉い? そんなことは……」
「偉いよ。世の中の大人たちは自分の都合でえこ贔屓してばかりじゃない。生きるためとか言って他人を蹴落としたりとかさ。でも壱子ちゃんは違う。自分でガマンできないことはどんな理由があってもしないじゃない」
「沙和さん、壱子はそんな大したものじゃないですよ」
「む、お主にそう言われると妙に腹が立つな」
おどけて言う壱子に、平間は噴出した。
しかし――。
「じゃあさ、どうやってツツガムシがいるかどうかを調べるんだ?」
平間の声に、沙和が苦笑いして言う。
「やっぱり一匹一匹、丁寧に探してみる? あ、でも大人しくしてくれるか分からないね」
「そうじゃな……それに、もしツツガムシがおったら知らぬ間に刺される可能性がある。そうなってしまえば、それこそ本末転倒じゃ。それゆえ、出来るだけネズミとの接触は避けたい」
「困ったね……。あれ? あれって……」
そう言うと、沙和は突然ネズミの入った檻のほうへ駆け寄った。
「沙和さん、どうしました?」
「平間くん、壱子ちゃん、ちょっと来て」
「何かあるんですか?」
「いいから来て、早く!」
平間と壱子は首をかしげながら沙和の言うとおりに近くへ歩いていく。
すると、壱子はハッと目を見開いた。
「これは……、一体どういうことじゃ?」
その声に平間は戸惑う。
ネズミの入った檻が三つに、その近くに置かれた竹籠があるだけで、特に変わったことは無い。
いや、よく目を凝らすと見えるあれは……。
「そんな、これでは話が全部変わってきてしまうではないか……!」
「どういうことだ、壱子?」
「あやつは最初から分かっておったのじゃ。こうしている場合ではない。平間、沙和、村に戻るぞ!」
「壱子、この道具で何をするの?」
「うむ、良くぞ聞いてくれた」
平間の問いに大きくうなずくと、壱子はいつものようによどみない口振りで話し始める。
「今回の目標はこの勝未の森に住むネズミにツツガムシが付いているかどうかを確かめることじゃ。そこで問題になるのは、ツツガムシをどうやって取り出すか、なのじゃが……」
「普通にネズミの毛の間を漁っていけば良いんじゃない?」
「確かにそれも手ではあるが、ツツガムシはかなり小さく、そのやり方では見逃してしまいがちじゃ。かつて読んだ書物に良いやり方が記されておった。から、それを試してみよう。まず、ここに汲んできた川の水があるが、少しゴミが入っているから、あらかじめ取り除いておく」
言うと、壱子は桶の中に浮かぶ葉の端やら枝切れやらをチョイチョイとつまみ始めた。
手持ち無沙汰なので壱子と沙和も手伝う。
二つの桶からゴミをおおむね取りきるまでしばらく。
「よし、次に、竹篭をひっくり返し、頂点に紐の一端をきつく括りつける。そして紐を六、七寸程度のところで切る。平間、刃物はあるか?」
「ああ、隕鉄さんから預かってる短刀なら」
「十分じゃ。切ってくれ」
平間は壱子の言うとおりに紐を切ると、逆さにした竹籠の内側に麻紐が垂れ下がったようになった。
「最後に、死んだネズミの尾を紐に括りつけて垂らし、桶を下に置く。すると毛皮の中に潜んでいた小さな虫が落ちてくる、というわけじゃな。ん、死んだネズミ……?」
唐突に固まる壱子に、沙和が心配そうに声を掛ける。
「死んだネズミがどうかした? 壱子ちゃん」
「死んだネズミと言うことは、ネズミを殺さなければならぬのか」
「そりゃあ、うん。そうなるねぇ」
何を当たり前のことを、と沙和は不思議そうに言うが、平間には壱子が何を考えているのか、なんとなく分かる。
つまり、自分の手で動物の命を奪いたくないのだ。
もしこれが食べるためならば、命を奪うことも許容できるのかもしれない。
しかし今回は違う。
「ヌエビトの呪いの正体を探る」という大義名分があるが、それだけで命を奪っていいのか迷っているのだろう。
いや、仮に食べるためだったとしても、今まで生き物に手を掛けたことなど無いはずで、人一倍そういうことには抵抗があるはずだ。
「うーん、そうじゃのう……」
檻の中でせせこましく動き回る野ネズミを見つめながら、壱子は言葉をにごらせる。
野ネズミは不潔な印象を持たれがちだが、近くで見るとつぶらな瞳が中々に可愛らしい。
平間も、魚や虫よりは殺すことに抵抗がある。
「でもさ壱子、仕方ないじゃないか。必要なことなんだよ」
「それはそうなのじゃが……」
「もし嫌だったら、僕がやろうか? 家に出てきたやつを駆除したことがあるから、壱子がやるより良いかも知れない」
「違う、そうではないのじゃ。ただ……良いのか? そんなことをしても」
「壱子、言わんとしていることは分かるけど、これは必要なことなんだろ? だったらやるしかないじゃないか。大丈夫、こういうのは家に出たやつで慣れてるからすぐに終わるし、苦しませることも無い。見たくなければ離れたところにいても――」
平間の提案に、壱子は首を振った。
「いや、やろう。私が私の意志で彼らを殺す。ただ、不慣れな私がやっては不必要に苦しませてしまうかも知れぬ。平間、頼めるか」
「もちろんだ。殺鼠の平間と呼ばれた実力を見せてやる」
革手袋をつけて息巻く平間を、沙和は不思議そうに眺める。
そしてこっそり壱子に耳打ちした。
「ねえ壱子ちゃん、今のサッソのなんちゃらってのはどういうことなの?」
「ああ、平間のいる刑部では、新人は雑用を押し付けられて少しずつ仕事を覚えさせられるのじゃ。それで平間は庁舎にたびたび出るネズミを捕まえるのが異様に上手かったらしい」
「なるほど、それで殺鼠なのね」
「うむ、それとあやつは平間は皇都の家で『こげちゃ丸』というネコを飼っておるのじゃが――」
「こげちゃ丸じゃなくて花子だ、壱子」
平間は口を挟むが、壱子は気にせずに続けた。
「こげちゃ丸はどんくさい奴でな。飼い主に似ずにネズミを捕るのが下手じゃ。それも可愛いのじゃがな」
「無視かよ!」
「へー、平間くんネコ飼ってるんだ! 勝未の一件が終わったら私も一緒に皇都に行こうかな」
「沙和さんも!」
「それは良い! 可愛い奴じゃぞ」
「絶対行くよ。ああ、今から楽しみになってきた!」
「あの~、僕の意見は?」
平間は自分のツッコミがことごとく無視されるのに苦笑しながら、気を取り直して野ネズミの入った檻に向き直った。
壱子が見ていないうちにやってしまったほうが、彼女も気が楽だろう。
慣れた手つきでネズミの尾をつまみ上げると、平間はネズミの首筋に手をやって檻の天板に押し付けた。
このまま尾を思いっきり引けば頚椎が脱臼て、ネズミは死ぬ。
ある程度の慣れは必要だが、血が出て周囲を汚すことは無いし、失血死に比べて苦しむ時間は格段に少ない。
とはいえ、必死でもがくネズミの拍動や体温が直に伝わるから、作業に慣れたと言っても決して気持ちの良いものではないのが本音だ。
「平間、やるのか……?」
尾をつまんだ右手に平間が力を入れようとしたそのとき、いつの間にか話を切り上げてきた壱子が覗き込んできた。
その表情には、やはり不安と罪悪感の色がありありと見える。
「やるよ。もとはと言えばこれは僕の仕事だ。壱子がどうこう思う問題でもない」
「そうか……」
そう小さく呟いたきり、壱子は黙ってしまった。
今にも命を絶たれようとしているネズミをジッと見つめながら、壱子は生唾を飲む。
「じゃあ、やるよ」
「……」
無言を肯定と捉えた平間は、小さく息を吐いて手に力を込め――。
「平間、やっぱり待て!」
寸でのところで壱子が叫んだ。
「すまぬ、二転三転してしまって……しかし私はこの方法を採ることに自分で納得できぬのじゃ。殺さなくて済むような方法を私が絶対に考えるから、待ってくれぬか……」
そう言って、目を伏せて唇を噛む壱子。
その様子を見た平間は黙ってうなずき、ネズミを檻へ戻した。
「ま、壱子ならそう言うだろうと思ってたよ。うちの花子がネズミを捕ってきた時だって良い顔しなかったもんね。僕の部屋に迷い込んできたクモだって、おっかなびっくりしながら外に逃がしてあげていたし。そんな壱子が何か目的があるとはいえ、自分で生き物を殺す決断をするとは思えない」
「ふーん、やっぱり壱子ちゃんは優しい子なんだねぇ」
顛末を見ていた沙和は、微笑みながら壱子の頭を撫でた。
戸惑ったように見返す壱子に、沙和はさらに続けた。
「生き物ってのは難しいよね。アタシ達も生きている間は他の動物を殺して食べているわけだし、東の戦線じゃ人間同士で殺しあっているわけでしょ。普通はそんなことしないのにさ。殺すか殺さないかって線引きは状況とか自分勝手なリクツでみんな決めてるけど、そういうのに流されない壱子ちゃんは偉いと思う」
「私が偉い? そんなことは……」
「偉いよ。世の中の大人たちは自分の都合でえこ贔屓してばかりじゃない。生きるためとか言って他人を蹴落としたりとかさ。でも壱子ちゃんは違う。自分でガマンできないことはどんな理由があってもしないじゃない」
「沙和さん、壱子はそんな大したものじゃないですよ」
「む、お主にそう言われると妙に腹が立つな」
おどけて言う壱子に、平間は噴出した。
しかし――。
「じゃあさ、どうやってツツガムシがいるかどうかを調べるんだ?」
平間の声に、沙和が苦笑いして言う。
「やっぱり一匹一匹、丁寧に探してみる? あ、でも大人しくしてくれるか分からないね」
「そうじゃな……それに、もしツツガムシがおったら知らぬ間に刺される可能性がある。そうなってしまえば、それこそ本末転倒じゃ。それゆえ、出来るだけネズミとの接触は避けたい」
「困ったね……。あれ? あれって……」
そう言うと、沙和は突然ネズミの入った檻のほうへ駆け寄った。
「沙和さん、どうしました?」
「平間くん、壱子ちゃん、ちょっと来て」
「何かあるんですか?」
「いいから来て、早く!」
平間と壱子は首をかしげながら沙和の言うとおりに近くへ歩いていく。
すると、壱子はハッと目を見開いた。
「これは……、一体どういうことじゃ?」
その声に平間は戸惑う。
ネズミの入った檻が三つに、その近くに置かれた竹籠があるだけで、特に変わったことは無い。
いや、よく目を凝らすと見えるあれは……。
「そんな、これでは話が全部変わってきてしまうではないか……!」
「どういうことだ、壱子?」
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