リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第89話

笑っている。白光に照らされる血の気の薄い顔、年齢を想起させない奇妙な威圧感のある声、ゆったりと椅子に背中を預けて座る様、全てに冷笑が滲んでいた。それの意味するところは少なくとも、患者を招き入れる医者の親身さや訪問者への諸手を挙げての歓迎ではない。
名を呼ばれ、素直に前に出たのはアールエンだ。大柄の彼女が先に立つと、所詮は子どもである俺たちはすっかり陰になってしまう。
見上げると、アールエンの表情には静かな怒りが伺えた。いつ、男の細い首に飛びついてへし折ってしまってもおかしくない。それはそうだ、シスター・アルモニカは間違いなく、この男の策略にかかって死んだのである。最愛の人を奪った張本人が、目の前でにやにやと楽しそうにしているのを見せられて平静でいられようはずがない。
「全部、失敗だ。おまえの目論見は」
「そうかな」
後ろ手に、ルーフェンが何かを机の上から持ってきた。すわ武器か、と身構えたのも束の間、それはどうやら紙ぺらのようだった。絵のようなものが描かれているが、机の上の簡易照明スタンドライト一つでは細部までが伺えない。
ぱちん。
ルーフェンが指を鳴らすと、部屋が急に明るくなった。天井の照明が点灯したのである。完璧な不意打ち。もし、今のが単なる点灯でなくこちらに害成す魔法であったなら、どうなっていたことか。
ここは彼の城なのだ。一瞬でも気を緩め、隙を晒すような愚かな真似は許されない。……と張り詰めたのが顔に出たのか、くく、とルーフェンが笑った。
「怯えなくとも良い。わたしに人を殺せるだけの力はない」
確かに、そのいかにも不健康、内勤の医者といった体格が肉弾戦に向いていないのは明らかである。魔法にしたって、あちらは単なる医者だが、こちらには防御魔法を得意とするセイバーがついているのだ。単純に考えれば戦力差は歴然、こちらが物怖じする理由はどこにもない。
だからと言って警戒を解いて良い、というわけにはならないにせよ。
「だが、おまえは殺した。その二人を」
アールエンが殺意を込めて罪状を告げる。ルーフェンが持ち出した二枚の似顔絵。そこに描かれているのは柔和な笑顔を浮かべる碧銀の髪の女性と、いかにも気が強そうな深緑の髪の女性だった。
どちらにも見覚えがある。片方は言わずもがな、シスター・アルモニカ。そしてもう片方は、俺たちの前には“スケアリーランス”として現れていた、あの魔者の顔と非常に良く似ている。
「アルモニカ・ヤナシン。ナシャーサ・ナイトアリン。光聖に使われた哀れな女どもだ」
「貴様!」
怒鳴るが早いか、一瞬でルーフェンに近づいたアールエンが、その胸倉を掴んで引き上げる。はらはらと似顔絵が床に落ちた。
ルーフェンは男、と言っても筋肉質とは程遠く貧相だ。身長二メートルに岩か山かという体格のアールエンに対すれば、どれだけ立端たっぱがあっても枯れ枝と変わらない。だからルーフェンには、自らの首元を締め上げる大きな拳を払う手段がなく、成すがままであった。
生殺与奪の権利が一方へと移動する。その状況を理解しているはずの真白い顔からは、それでも笑みが消えなかった。……いや、どころか彼の表情は一層邪悪に歪んで、輝きを増したのだ。
「おお……そうか、そうか! 貴様、“生き残り”だな? “生き残り”がいたんだなあ!?」
人を喰ったように意地悪く微笑んでいた様子から一転、人が変わったように喜びを露にするルーフェン。だが、感極まって飛び出してきた言葉の意味は全く不明だった。“生き残り”? この戦いの生き残り……ということだろうか。いや、それでは話がおかしくなる。シスターと同じく、アールエンらセイバーもまた抹殺対象に入っていたはずで、だからこそゴングはヴィントを裏切り、楯突いて、返り討ちに遭ったのではないか。その親玉足るルーフェンには、同じセイバーであるアールエンの死を喜ぶのならともかく、その生存を祝福する理由など少しもないのが道理。
当のアールエンにも彼の反応は不可解だったようだが、ルーフェンの勢いは止まることを知らなかった。
「その身体つき、異様に発達した筋肉とマギカの向上を、このわたしが見紛うはずもないだろう!! 分かるか? 分からないか? わたしは君の親のようなものだよ! 分からないのかい!?」
「な――――」
こちらからはアールエンの表情が伺えない。ただ、脈略もなく喚き散らすルーフェンに怒りもせず、面食らってしまったかのように彼女は言葉を返さなかった。あまりに唐突で理解が追いついていないのか。わなわなと震える背中を見る限り、怒りが収まったわけでないのは瞭然はっきりとしているが。
その反応が、ますますルーフェンを高揚させた。
声を上ずらせて、酷く楽しそうに捲し立てる。
「はは、くくく、まさかいようとはなあ! あの夢に残骸があろうとは!! やはりわたしは――」
「うわあああああああああああ!!!!!」
その、けたたましく鳴く枯れ枝を、こちらも突如発狂したかのような雄叫びを上げながら、アールエンが正面の石壁へと叩き付けた。
「がふっ……は、ひひ……」
むろん、並みの威力ではない。アールエンがもし全力を込めていれば、それだけで石壁は砕け、挟まれる形のルーフェンも潰れて死んでいただろう。見かけの迫真さとは裏腹に手心が加えられていたからこそ壁は壊れず、ルーフェンも吐血で済んだだけのことだった。しかし、加減されてなお相当の衝撃だったには違いないのに、笑うことを止めようとしないルーフェンの方は相当に狂っている。
あるいは、そうされてなお笑いが止まらないほどに愉快なのか。
一方、これを見ていた俺とティアフには、ルーフェンの豹変はもちろん、なぜアールエンの怒りが急激に沸騰したのか……黒幕を壁に押し付け、吐かれる血が自らの手を汚すこともいとわず、ぎりぎりと胸倉を絞め続けているのかが分からなかった。その発端はおそらく、シスターにあらず。今回の一連の事件に関わっていた俺たちには分からない何らかを口走っていたルーフェンに、アールエンが神経を逆撫でされ、過剰に反応して起きたことだ。生き残りだの、親のようなものだの、夢の残骸だの、……何を示しているのか見当もつかない単語の羅列、あるいはそのどれかが、アールエンを刺激した。
この二人には何かがある。
きっと、アルモニカもナシャーサも関係ないところでの因縁だ。当人たちは相対しながら、そのことに途中まで気づいていなかった。
「やはり、生きていたんだな」
故にずしりと、震えながら押し出されてくる声には実感が込められていた。研ぎ澄まされ、すうと意識に突き刺さって来る殺意。まるで、“吸い込むだけで体内を冷まし、意識を覚醒させるような独特の作用”を持つ薬品の臭いのように、醒めている。
「ああ、全部だ。何もかもに得心がいった。貴様が関わっていたのなら説明がつく。人目をはばかり魔者を無視するセイバー。肉体が変質し異常な強さを得るギャングども。それらを使ってのセイバー越えのためのセイバー殺し。光聖内で起きたヴィントによる殺人を知っていたこともそうだ、そして……」
“スケアリーランス”という歪な化け物の存在。
「全部貴様がやったんだな! 非聖ポイズンヒール、ヴェルフェザー・シュアリング!」
がん、とアールエンが再度、ルーフェンを叩き付ける。だが、その名を聞かされた当人は、……ヴェルフェザーと呼ばれた男の表情には一切の苦悶が浮かんでこなかった。
代わりに沸き上がってくるのは何の感情か。表情に張り付くのはあまりにも邪まな破顔で、例えるのなら、好奇心から羽虫の羽を千切って見ようと思い立った子どものそれであった。
ポイズンヒールと呼ばれる瞬間を待ち望んでいた。何よりも、アールエンがその名に辿り着いたことを祝福し、心の底から歓んでいる。
「そうだ! しかし間違くもってもいる! 忘れたかね? ヴェルフェザー・シュアリングは死んだのだ。セイバーとして、光聖の一員として!」
「そうであればなぜ貴様はわたしを知っている!? 親などとふざけたことを口にできるのは貴様しかいないだろう、ヴェルフェザー!!」
「だから! ……わたしはそう言っているのだよ」
ヴェルフェザーが、自らを締め上げる万力のようなアールエンの腕に手を添える。それは抵抗ではなく、駄々をこねる子をあやすように優しい手つきだった。
だが、そこには何の親愛もない。声を聞き、顔を見れば分かる。織り込まれているのはもっと下衆で、愚劣な感情。
「分かるだろう、我が娘、アールエン・セイルグリュン。あの子どもたちの父親はもはや――!」
「“娘”と呼ぶな!!!」

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