リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第86話

……よっぽど、相応しい。
「それから、あの教会で暮らすようになったのか」
「出会ってから少しして、ゴングが手を出してくるようになった。もう数日も早かったなら無力なアルは排除され、わたしたちが出会うこともなかったんだと思う」
「都合が良い」
「本当に。……アルを守って、二人わたしたちの距離が縮まった。全部が全部、これまでにあった溝を埋めるためのお膳立てのように思えた。けれど、そう甘いことばかりでもなかった」
すぐに知れるのは、シスター・アルモニカにはもう一つの貌がある、ということ。
「幸い、スケアリーランスは人殺しがうまかった。仕留め損ねても足がつかないよう逃げていたし、絶対に夜明け前には戻ってきていた。周りに人の住んでいない外れの教会をねぐらにしていたのも正解。バレれば殺しにくくなる、スケアリーランスは多分、姿を隠していられている状態が最も安全で狩りに適していると分かっていたんだ」
「おまえは、それを黙認していたんだな」
肯定しなかったのは、アールエンにはもうその選択肢しか残されていなかったから。シスター・アルモニカとスケアリーランスは一心同体。これを殺すことも、これを光聖に報せることもアールエンにはできなかった。セイバーでありながら、その魔者の凶行を見守る以外に、今の生活を守るための術がなかったのだ。
「しかし、野放しにしておけばいずれ露見するとは考えなかったのか?」
「それがなんだ。アルに手をあげるなんてこと、わたしにできたと思うのか?」
愚問である。別物のように変貌した魔者であったとしても、時間が経つほど窮地に立たされると分かっていても、アルモニカに危害を加える真似などできようはずもなかった。
その枷さえなかったならいたずらに放置せず、露見する時タイムリミットを避けるためにも夜の姿スケアリーランスだけを排除する方法を考え、試すぐらいのことはしていただろう。
排除と言っても、殺すばかりが能ではない。例えば、スケアリーランスの状態だけを何らかの手段で抑制し、夜の殺人を止めさせるだけでも刻限は引き延ばせた。根本的な解決には至らずとも、放っておくよりも状況を好転させられれば良かったのである。
何よりもアルモニカの安否と自分たちの平穏のために。彼女はあらゆる可能性を探ったに違いなかった。しかし、一体どれだけの案を検討し、全てを机上に置いてみようとも、放置する、以外の選択がアールエンにはできなかった。
「恐ろしかったのか」
こく、とアールエンが頷く。
「どんな案にせよ成功すれば、もっと平和に、長い時間を一緒にいられたかも知れない。試す価値は十二分だったろう?」
「だが、失敗する可能性もあった。人に寄生するタイプの魔者は、宿主との繋がりが強くておいそれとは引き剥がせないようになってるんだ。大体の場合は、どちらかを無理に殺せばどちらもが死に至るようにできている。わたしの聖なる魔法でスケアリーランスだけを抑える場合も同じ、成功する保証はないし、どっちにしたってアルへの影響が皆無とは言い切れない」
そんな一か八かギャンブルにアルの命を賭けるだなんて、ばかばかしいこと甚だしい。
「転ばぬ先の杖、転んでしまってはもう遅い。もし、アルとスケアリーランスの在り方が魔者による寄生ではなく、人体改造の結果なのだと分かっていても、わたしは同じように行動しただろう。むしろ、もっと慎重になっていたかも知れない。あの光聖のやることなんだから」
時計の針は戻せない、という絶対の壁。
それが、アールエン・セイルグリュンという人間の本質のようだった。
アルモニカにまつわる全ての言動が保守的かつ消極的になる。現状維持に努め、現状改変を制するだけを能とするようになる。セイバーとして魔者に長らく係わっていた経験にも裏打ちされ、破滅に向かっていると知りながら何ら大胆な策を弄せなくなるほどの臆病に苛まれる。
大切な人との時間を守るために、大切な人の身を賭けなくてはならないという矛盾。アールエンは初めから、その賭けに自らが勝つことのないことを知っていた。神様はきっと“これ以上の歪み”を放っておきはしないだろう。今が目いっぱい、これ以上に欲をかけば罰を受ける。死神がやってきて、その防ぎようのない鎌で二人の間を引き裂いていくのだ。
「つまりは背徳的な同性愛アイのカタチ。都合の良い記憶喪失リセット。理由不明の魔者への変化。全部が普通じゃない。二人の“アル”おまえらの土台は言わば、そういう歪みの積み重ねなんだ」
あるいは、積もりに積もった奇跡の山。
偶然は必然だ、なんてロマンチックな台詞を吐く余裕がどこにもないぐらいの確率の偏り。
その上で更にサイコロを振るのなら、振った者に都合の悪い目が出るのは明らかだった。
「憧れを手に入れたわたしは、かえって冷静だったんだ。もう二度とこんな幸運は有り得ない。なら、丁寧に扱わないといけない、と。今でも、わたしにはそうするしかなかったと断言できる」
この時間は、不安定な足場の上にかろうじて成り立つぼろぼろの塔のようなもの。神様のきまぐれ、悪魔のきまぐれ。自分で築き上げてきたものではないアルモニカとのいまはぐうぜんであると分かっているからこそ、それがどんなに頼りなく、危険を孕んでいるかをアールエンは良く、己惚れず、注意深く認識していた。指先一つで風穴が空き、半歩でも踏み間違えれば崩れていくようにもろいのだ。過ぎ去ってしまった過去では、もはや土台の補強も叶わない。アールエンにできることは、せめてここからは堅実に堅実を重ね、槍で突こうが槌で叩こうが傷一つつかない強固な壁でもって、塔を少しずつ補強していくこと。
願わくば、土台が崩れてもなお無事であるほどに、強い塔となりますように。
「それが、これか」
願いの先、ティアフの視線の先に“在る”モノは何だ。
患苦うれい、痙攣ふるえ、呻吟夢の残骸げんじつか。
アールエンとアルモニカとの時間はきっと、アールエンが望んだように堅実であったことだろう。彼女は忠実に、病める時も健やかなる時もアルモニカの騎士で有り続けたことだろう。彼女たちふたりの世界は古びた教会ふたりだけで完結していたから、そのことを他の誰にも証明することはできなかったけれど、しかしほんの少し前まで“アルとアル”ふたりが一緒にいられた事実を鑑みれば、神様も悪魔も二人の誠実さを認めていたのだと言える。
堅実に、忠実に、都合の悪いことから目を逸らし、黙し、笑い、現在しあわせだけを追い求めてきた。
「それこそが夢だったのか」
アルの片割れがもう一方のアルへ向ける瞳には、およそ色らしい色がない。気色ばむこともなく、青ざめることもなく、後悔とも自嘲ともつかない乾きだけが見て取れる。
「アールエン」
俺が呼びかけても、彼女は一切の反応を示さなかった。構わず続ける。
「こいつはまだ生きてる。俺はおまえらセイバーの聖なる力には抵抗できない。シスターを、ナシャーサを、スケアリーランスをはりつける俺の触手を断てば、そいつは瞬く間に復活する」
寸断には刃物さえいらない。
ただ、光の箱の魔法でスケアリーランスを囲むだけで良い。
そうして、一瞬でも俺の攻撃から解放してしまえば、持ち前の治癒能力が働いてたちどころに元通りだ。
死にかけか否か、なんて問題は究極、俺やスケアリーランスの持つような再生能力の前では関係がないのだ。
現に、今もスケアリーランスは再生を続けている。再生すべき個所を塞いでいるから全体として治っていかないだけで、その傷口は常に修復され、身体に突き刺さった異物を排除しようとうごめいている。
弱るに従って衰えた再生能力も、自身の再生が始まることによって加速度的に回復し、衰えていたということが分からないぐらいの内に全快して見せるだろう。
前述した通りだ。“こんな程度の”破壊も無効化できないようでは不死とは言い難いが、しかし、極端に死にづらく、死なない限りは生きていられるという意味で、俺とスケアリーランスにはそれほど大きな差がない。
どちらがより死にづらいのか、というだけの話。
所詮は不死なだけなのである。アールエンがアルモニカを助けることは決して難しくなかった。そう説いて、目の前にレールを敷いてやっても反応はなく、なしのつぶてであったが。
では、今こそ最初の質問に立ち返ろう。
「おまえはどうして最初に、シスターを助けようとしなかった?」
「おまえから見て、ヴィントという人間の死に様はどう見えた?」

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