リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第64話

触手は、細ければ指一本ほど、太くてもティアフの腕の一本にも相当するかどうか、それが生きてうごめく波の様に男たちに襲い掛かり、棒立ちで防御する暇もなかった彼らの身体をぐしゃぐしゃと貫通していった。串刺しだ。ブロック状に切り分けた肉を一本の串に次々刺していくのと同じ、その串が触手で、切り分けられた肉が人間だというだけ。むろん、この一撃で無力化できるほど数の暴力は甘くない。無数の枝と分かれ成長していく触手を精細に制御できるなら、目前の障害を一挙に排することも可能だったのかも知れないが、これらの半分は俺の意志の外にあり、触手はあるいは心臓を貫き、頭を貫きながら、一方では足を貫き、腕を貫くのだった。好き勝手に増殖する“串”が敵のどこを壊すのかはランダム、運任せ。確実に殺し切れはしない大雑把な飽和攻撃。触手から伝わる熱と鼓動から察するに、“当たり”を引いた串の数は半分にも満たない程度のようだった。まあ、予想通りの比率である。“予想通り、俺は思ったよりも自分の身体を制御できていない”。
だが、実際に殺せた数はどうであれ、彼らにしてみれば衝撃的な光景だったには違いないだろう。何の変哲もないガキと舐めていた相手が、瞬く間に何十人を殺し、何十人に大怪我を負わせた。しかも、その手法がでたらめで、魔法でもなければ体術でもなく、槍でもなく、剣でもなく、弓矢でもなく、何にも分類しがたい肉の怒涛だった。全く、彼らには思いもつかなかった奇襲。この攻撃の狙いは、相手の不意を衝いて戦力を少しでも削ることの他に、威圧、威嚇の意味があった。
つまりは、一対数百、この差を瞬時に覆すだけの戦力が俺にはない。死なない以上、継続して戦えば全滅はできるだろうが、今はそんな悠長なことを言っていられる場合ではない。だから、一瞬でもひるんでくれれば良いと、そんな願いを込めての不意打ちだったのだ。ちょっとでもたじろいでくれれば、そこに突破の隙が生まれる。恐れを成して逃げ出してくれればこんなに幸いなこともない。今更説明するまでもなく、普通の人間なら、この異様を前にすれば怖じ気付いて散ったはずだ。くもの子のようにひゅうと、マイナーの相手なんざまっぴらごめんだ、と。
「……――くそ、くそったれがァァ!!!!!!!」
「ま、そう来るよね」
しかしながら、彼らは普通の人間ではなかった。ホールの中に置きざりにしてきた戦い、セイバーに向かって突撃していったやつらと同じように、ゴングの連中は自らと敵方の間に横たわる戦力差という溝を怖がる様子が少しもなかった。恐怖の感情がごっそり抜け落ちているのか、闘争心がまともな感覚を曇らせているのか、この飛び越えるには無謀な幅の溝を超え、一歩でも向こう岸を歩ければ良いという割に合わない博打に平気で命を賭けてくる。
怒声を上げて、チンピラどもが突っ込んできた。俺は二つ目の手を打つ。
やつらの間を縫って充満した自分の肉体の延長。これを過剰に“再生”させ、増幅させてやる。急激に空気を吹き込まれた風船のようにぷくうと膨らんだ触手が、お互いに喰い合って空間を圧迫し、チンピラの津波を瞬く間に脇へと追いやった。風俗店前の大通りにまで膨らんで圧迫する巨大な肉の風船。元々これに刺さっていた最初の犠牲者たちこそ無残な死を迎えたものの、他のチンピラどもは死んだわけではない。ただ、強引に道の脇へと追いやって、中央を開けてやっただけだ。
「このまま中央を抜ける、行くぞ!」
ばこん。
触手を切り離すと同時に、膨張した触手の内側を空洞にする。さながら、肉のトンネル。俺の血なんだか、触手の膨張に巻き込まれて死んでいったやつらの血なんだか、よく分からない液体に濡れ、両脇からはどかした連中からの容赦のない罵詈雑言。あまり良い景観とは言えなかったが、化け物の花道としては上出来である。もっとも、ここを通る四人の内の三人は、人間なのだけど。
俺の号令を、アールエンもティアフも嫌な顔一つせず呑み込み、このトンネルに駆け込んだ。しんがりについて、俺も続く。
肉のトンネルは攻撃機能を持たない代わりに、自力で再生し続ける生きた障壁だった。おいそれと破られない自信はあったが、アールエンが自分たちを囲むシールドを解くこともなかった。万が一ということもある、その判断は正しい。それに、このうごめく肉洞の中を生身で移動することを嫌ったのだしても、そんなわがままを実現できるアールエンの防御魔法はやはり優秀だと称賛するべきだった。実体を囲んで守ってくれるから、心も平静を保っていられる。実はトンネルの造形を嫌悪していない可能性もあったが、……いくら俺と手を組んでいても、すっかり見慣れた風のティアフはともかくとして、俺の正体さえ知って間もないアールエンにはきっと、人の体内を走るがごとき景色は受け入れがたいに違いなかった。この上、俺たちの中では飛び抜けて繊細なはずのシスター・アルモニカが、もしもこんな悪魔的なデザインに直接曝されていたら、一体どんな顔をしていたことか。気を確かにせずアールエンに抱えられている状態は、彼女の精神状態を思えばかえって幸運なことのようにも思われた。
考えてみれば、人生において肉に囲まれる、なんて体験はそうそうできるものではないだろう。何か自分より大きなモノに飲み込まれるとか、死んだ獣の肉を詰め込んだ部屋でも作らない限りは不可能である。普段から肉に守られているのは内臓や骨なのだ。言ってみれば、俺たちは今、四方を肉に囲まれた内臓の気分を疑似体験しているに等しかった。どくん、どくんと脈打つ肉壁。赤みの差した桃色に、びっしりと敷き詰められた青い血管。文字通りの生々しさは、生物から皮膚だけを引き剥がしでもしなければ決して臨まれない瑞々しさでもある。
だが、この空間を生み出した俺にさえ、肉に囲まれるという珍妙な感覚に好意的な印象を持つのは難しかった。化け物のくせに、感覚だけは妙に人間らしい。人間らしい感覚になど覚えがなくとも、生きた肉に囲まれる冒涜的な状況に感動できないようでは、少なくとも立派な非人間とは言い難かった。
駆ければ五秒もかからずにトンネルを抜ける。さっきまではチンピラどもが壁になっていたせいで大通りの様子はほとんど分からなかったが、視界が開けてみればさすが夜の街、ベリオール・ベルの中央に位置する最も賑やかな繁華街は昼のように明るく、こんな騒ぎだというのに表に出ている人間もちらほらと見られた。どうせ、こんないざこざはベリオール・ベルでは日常茶飯事だと、そんな風に事態を軽く見ていたやつらなのだろう。しかし、ゴングの連中が数百と集まった上、かと思えば触手がやつらを惨殺し、肉のトンネルが出現する異常事態である。通りの真ん中に出て来て堂々と野次馬している命知らずの姿はさすがになかった。
少なくとも、箱型のシールドをまとったアールエンが通りを走ることによって一般人を轢き殺す心配はないわけだ。そのアールエンのシールドの上に飛び乗って、俺は進行方向に背を向けた。むろん走るのが面倒くさくなったとか、楽をしようとか、そういうよこしまな気持ちで聖なる魔法を足蹴にするのではない。俺のトンネルによって道の端へと追いやられていたチンピラどもが、まんまと包囲を抜けられたと知り、今や続々とトンネルの破壊を止めて通りへと出て来ている。当然だ、もうあの肉のトンネルを通るものなどおらず、かかずらわっている理由などないのだ。放っておけば追いついて来る者もいるだろう。この力の発露……魔法ではない異常な現象を目の当たりにして、まさか俺のことをマイナーだと看破できていない阿呆などいないだろうが、それでも、やつらは追いかけてくる。
普通の感覚じゃなかった。人間がマイナーに敵うはずなどないと、いくら脳みそが筋肉と暴力で埋め尽くされていたって分からないはずなどないのに、彼らは引くことをしない。知らない。
……そうとも、そう来なくちゃ、おもしろくない! 自分の口角が邪悪にやりと歪んだのを自覚しながら、俺はトンネルを爆破して血飛沫へと変えてやった。
「って、おい! リノン! どうして壊すんだよ! 放っておけば邪魔したままだったのに!」
走りながら、後方の様子を確認していたらしい。トンネルが弾け、自由になった連中がいよいよ大通りを埋め尽くして突進してくる様に、ティアフが声を荒げた。
当然の反応である。彼女の言う通り、トンネルを放っておけば追撃の手は緩やかだったに違いない。逃げる最中に距離が離れてもトンネルが持続するのか、それとも制御を失って自壊するのかは不明だったが、取り壊してしまうよりはずっと足止めとして機能したはずだ。俺の行動は、こちらにとって一利なし、追っ手のチンピラに塩を送るにも等しい愚行だった。
愚行だが、しかし、手っ取り早い。

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