リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第58話

その不敵な態度はともかくとして、ギリアム、あの紫髪の男の強さは本物のようだった。魔者と戦うために人間の数段上を行く強さを手に入れたはずのセイバーを、いともたやすくいなしてしまったのだ。あの程度の攻撃でノックアウトされるほどセイバーもひ弱にはできていないだろうが、不意打ち気味の突撃を簡単に避けられてしまった時点で力の差ははっきりしていると言って良い。ヴィント、あの細剣使いでは、きっとギリアムには太刀打ちできないだろう。まだまだ本気でないか、隠し玉があるのなら分からないが。
「ハナから頼りにはしていない」
壁にめり込んだまま出てこないヴィントの方は見ることもせず、じっとギリアムを見据えるアールエン。彼女の目的はシスターを助けることであり、同僚とはいえヴィントの安否には興味がないようだった。ギリアムたちとも無理に戦う必要はない、が、しかし、ギリアムの方は肝心のシスターたちの側に立って動こうとしなかった、二人を挟んで立つ巨漢もまた、こちらの行動を黙って見守っていてくれるとは到底思えない。
そもそも、ギリアムは“皆殺しだよ”と既に宣言している。細かい事情は分からないが、成り行きで邪魔なセイバーが一人減ったのは良かったのだが、問題は解決していないどころか一層悪化しているのかも知れなかった。最後に登壇した役者、ギリアムを止めないことには、逃げ出しても安全が確保されるかどうかはかなり怪しい。
「けど、アレに勝てるのか?」
「やるしかない」
「あのヴィントとかいうキザなセイバーが一撃だ。そんなのに寄ってたかられちゃあ、守りに回ったおまえがやられたのも納得が行くってもんさ。勝てないだろ、どうせ」
「だから何だ? 黙って見てろとでも……」
もちろん、そうは言わない。俺一人でこの場を丸く収める自信など毛頭だってなかった。俺は彼女の前に立って、ギリアムを見上げる。ギリアムの方は、てっきりアールエンがぶつかって来るものだと決めてかかっていたのか、脇にいた見知らぬ子どもが出てきたせいで、その顔が当惑したのが良く分かった。
「リノン?」
「ティアフ! 悪いが本気を出すぜ! もうアールエンにはばれちまってるしな!」
遠目にだが、ティアフが笑ったのが見える。呆れているのだろう。事はそう易々と、俺の素性をばらさずに済む程度のままで終わってはくれない。世の中は思ったよりも、魑魅魍魎に溢れていて、ままならないようにできているのだ。
不本意だが、何となく、世界というものは高いハードル有りきで創られているのだろうという真理に触れたような気分だった。
「そういうわけだ。おまえはシスターとティアフを逃がすために全力を尽くせ」
「おまえは?」
「隙をつくる」
「無茶だ、一人でなんて……」
「心配するなよ。俺は」
びちゃん。上から何かが降ってきて、俺の身体が紙クズみたいに簡単に潰された。血飛沫がアールエンの鎧を更に赤く染める。
「……え?」
「いきがるなよ、ガキ」
アールエンは事態を飲み込めずに呆然とし、ギリアムは不愉快そうに口元を歪めている。俺を両手で潰した男……おそらくは、最初からこのホールにいた黒服の内の一人らしい、元の面影のない巨漢はギリアムよりは楽しそうな、狂気を孕んだ様子でにやついている。幻覚でも何でもなく、彼は確かに人一人をミンチにしたのだ。もし、人を傷つけること、殺すことを楽しいと感じているのなら、巨漢は今や絶頂しそうなほどの歓喜に身を震わせていることだろう。
肉体的には確かに、一人の人間が死んだに等しいだけの破壊がなされたのだ。人殺しに伴う高揚も分からないではないし。
「でも、それじゃ死なない」
影がないのに声がする。ティアフとアールエン、それからシスター以外の全員が俺の死を嗤っていた。無様で、無力で、取るに足らない命が、一つ潰えて消えたと。けれど、死んだはずの俺の声を聞いてなお笑みを取り零さずにいられたのは、そのからくりを理解しているティアフだけだった。後は全員が目を白黒させて、俺が死んだはずの場所に目をやっている。
ぺしゃんこになった俺の残骸、血液と混ざった肉片がうごめいて、俺を潰した男の腕にしゅらしゅらとまとわりついた。ぴたりと張り付いて這い上がって来る肉の触手に気付いた男がわっと手を上げるも、既に遅い。こうなってしまえば、彼自身の力でこれを排除するのは至難の業だった。
どれだけ細かろうと俺の触手の怪力は生半なものではない、という単純な理屈の他に、それ以前の問題として、自分の肉体に直に張り付いているものには自力で攻撃を加え辛いものなのである。例えば、腕に虫がひっついてきた場合を想像してみれば良い。ふうと息を吐いて吹き飛ばすか、さもなくば腕ごと叩いて潰してしまうか、人間の身一つではそれぐらいしか対処法がないわけだ。なるほど、虫を退治するぐらいは簡単な話である。では、一度にやってくる虫の数が十を超えたらどうだろう。更に追加して何十、何百という数の虫が大群で押し寄せ、腕に張り付き、後から後から増えていく。それでも、吹いたり叩いたりしてどうにかできるものだろうか。何しろ、肘の裏にいる虫を叩いて潰したって、肘の表の方では着々と進行が進んでいるのである。いたちごっこだ。腕一本の裏にも表にも満遍なく攻撃する手段は非常に限られてしまう……少なくとも、素手では到底無理な話だから、このいたちごっこからは逃れらない。噴霧器状の殺虫剤があれば事なきを得られるのかも知れないが、それもなければ腕ごと焼いてしまうか、さもなくば肩から先をごっそり切り落としてしまうか。うかうかしていては、虫は肩を超え、首を上り、頭へと達してしまう。
首にまで来ればもはや絶望的である。腕と違って、切って落とせば死が待っている。叩いて殺そうにも、力が強すぎれば自分の頭が吹き飛んでしまう。焼いても結果は同じだ。殺虫剤の一つも持っておけば良かった、腕を切り落とす勇気があればと後悔しながら、虫に喰われて死ぬしかない。
そんな厄介な虫の大群的攻撃を単一で再現する俺にとっての殺虫剤は、“聖属性”の魔法である。アルマリクでの一幕、聖属性の魔法でお互いを焼き合おうとしたセイバーたちの思い付きは、全く正しかったわけだ。
だが、この巨漢はセイバーではない。肥大化しただけの人間。幸いにもセイバーなら近くにいるが、しかし不幸なことに、アールエンは巨漢の味方ではなかった。付け加えるなら、蹴っ飛ばされたヴィントも既に彼らの味方というわけではなくなっているだろう。元々どういう関係だったのかはわからないが。
「あ、ああ!? ああああ!?!?」
巨漢が狼狽える。お化けを目の当たりにした子どものように情けなく、みっともなかった。身体の上をぞわぞわと肉が這う感覚は決して気持ちの良いものではないだろう。加えて、殺したはずのものが平然と喋り元気に動いているのだから、混乱しても仕方がない。その異常性は彼のみならず、傍目にも明白だったはずだが、しかし、誰もがその場に足を貼り付けられてしまったように動けず、また彼を助けようとはしなかった。何が起こっているのかをティアフ以外の誰もが理解できていないから、今は果たして助けに入るべき時なのかさえ、判断できていなかったのかも知れない。
だから、本当の意味で、自分が叩き潰したものがおかしなモノであると気づいていたのは、ティアフを除けば巨漢の彼だけだったのである。死の予感が皮膚を伝って這い上がって来る。絶体絶命の崖っぷちに猛スピードで追いやられていく。力ばかりが強くなった彼には、何をどうすれば俺を排除できるのかがどうにも思いつかないようで、後は大雨が降れば川が増水するぐらいに当たり前に狼狽が錯乱へと変わっていった。
触手を引き剥がそうと自らの肉体に指を食い込ませ、爪を立てる。だが、無駄なものは無駄。成人よりも一回り、二回りは大きく膨れ上がった手の平でさえ、石ぐらいならつまんで破壊できそうな太い指でさえ、数も大きさも限られている以上は腕全体に這い回る触手を同時に引き剥がせはしない。また、その一部をちぎり取っても同じである。ただの動物なら、身体を部分的にでも破壊されれば勢いは収まるだろうし、あるいは死ぬことだって有り得たのだろう。
が、それは常識の尺度の中のお話。
死んだはずの肉が動き出している時点で、彼はもう常識から弾き出されているのだ。
死人の肉筋は両腕に広がり、首に巻きつき、ついには頭部を丸ごと覆った。上半身の動きをほとんど完全に縛り付けられ、男が不恰好な彫刻のようにして硬直する。
「――――――――――――」
悲鳴もあげられない。人間であることを捨て化け物じみた怪力を手に入れようと、所詮は人の領域でしかないのだ。精一杯に抵抗しているのは手に取るように分かるが、そんな程度の膂力では俺の束縛は解けやしないどころか、動かすことさえ不可能である。非力だ。これでは戦いを楽しむこともできやしないと見限って、ぐしゃ、と男の両腕と頭部とを潰してやる。
あっさりと、名乗ることもなく、彼という人間が死んだ瞬間だった。まるで虫けらだ。道端を歩いていた人間に気付かれずに踏みつけられてぺしゃんこになったアリのように、虚しい幕引き。
ギリアムは、仲間の男が無抵抗にも握り潰されてようやく、それを握り潰したモノが異常な現象だと気づいたようだった。
「何だ、貴様は……?」
「何って、そりゃあ、見て分からないか?」

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