リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第54話

「わたしなら。……それは……」
わざわざ教えてやるまでもない。互いの正体を声に出して読み上げずとも、もはやその見当はついていた。一時いっときも前の下水道で交わした会話は、あの愚にもつかない化かし合いは、こうして意味を成さなくなり、かけられていた薄布を剥ぎ取るようにして隠されていた真実が露呈するのだった。
「でも、そんなことって……」
「ティアフとの約束でな、“みだりに正体は明かすな”と言われてる。それは俺が本当のことをぺらぺらと喋ってしまう以外にも、そうと疑われる力は使うな、戦い方をするなと、そういう約束なんだ」
「……」
どう受け取るべきかはかりかねる、そんな風に、アールエンの俺を見る表情は困惑していた。アルモニカの偽物も俺たちの会話を傍で聞きながら理解したようだったが、やはりすぐには信じていないようだった。当然と言えば当然、俺はまだマイナーらしいところを一度も見せていないし、そもそも“マイナーがまるで人間のように振る舞って普通に会話をしている”こと自体が、彼女たちには不可思議でならないだろう。
マイナーとは本来、もっと狂暴であるらしい。例えば、アルマリクの街を壊して回った影のように真っ黒だった少女型のマイナーのように、戦い壊すだけを生きがいとする、話も聞かず獣のように暴れ狂う、それこそが正しい……これまでに認知されてきたマイナーの有り方なのだ。
少しだけ、俺はその例から外れてしまう。説明はしておくべきだが、優先すべきことは他にあった。今は悠長に話し込んでいる場合ではなく、さっさと箱の魔法を突破しティアフたちに追いつかなくてはならなかった。敵の手に落ちている状態が長く続いて事態が良い方へと転ぶわけがないのだ。
「穴を開けられるか。向こうの箱にだけ手が届くように」
彼女に背を向け、喰い合う箱の側に立つ。眩い光の粒を散らしながら悲鳴を上げて凌ぎ合う二つの箱。合わせて一緒に破壊しても良いが、できることなら対象は少ない方が良い。増して、アールエンは防御魔法のエキスパート、今まさに防御に使っている魔法の硬さだって推して知るべし。これごと突破を図ろうとして、味方の魔法である一枚目に手こずっていては元も子もない。
「もし」
まだ俺の正体、その信用度を決めかねている様子で、彼女はこう答えた。
「もし、おまえがマイナーなら、あの魔法に触れれば消し飛ぶぞ」
「ばかだな、おまえ。マイナーの心配なんかして何になる」
「ここで戦力を失うのは……」
「弱気になるなよ。大体、もしこれを破れなければ結果は同じだ。そうじゃないか、アールエン」
「それはそうだが……」
アルモニカの偽物に光の箱の魔法ラ・ザクスを託していったセイバーが、まさかそれだけの出演で舞台を降りているはずがない。この後に必ず、ティアフとシスターを助けようとする俺たちの前に立ちはだかって来るだろう。そのまだ見ぬ敵が残していった代詠魔法にさえ勝てなくて、どうして本人に打ち勝ち二人を救い出すことができようか。
繰り返すようだが、そういう意味でも、このままどっちが勝つかも分からない喰い合いを眺めている理由はないのだ。状況が悪くなる一方だし、これとの勝負を避けてもどうせ更に厳しい戦いが待っている。ここは強引にでも突破し、先を急ぐべきだ。
「安心しろよ、誓いは守る」
「……」
ティアフを死なせるわけにはいかない、というのは本心である。俺の目的のために必要な条件なのだ。だから、俺が彼女を守ろうとするのは掛け値のない気持ちだった。しかし、アールエンがそれを信じてくれる道理もまた、どこにもないのだった。承知の上で、俺には宣誓を繰り返す以外に示せるものはない。彼女は正義のセイバーで、俺は害意のマイナーで、水と油、徹頭徹尾殺し合うことを宿命付けられた敵同士だ。殊、セイバーはマイナーを敵だと教え込まれながら、戦士として育っていくのである。各地でマイナーによって引き起こされる災禍と戦ってきた彼らが、ちょっと友好的に振る舞うマイナーに甘言を囁かれたところで、これを疑いを取り払って見つめ直すことは今更不可能だと言って良かった。
培ってきた価値観、翻ってその人の人生観、これをそっくりそのまま返してしまう暴挙。決して容易な話ではない。それが彼女個人の問題ではなく、世界がそうデザインされているのだから尚のこと始末に悪く、仕方がなかった。多分、現状は極端に分かりやすいだけで、世界という箱物はどれだけ慎重に創ったところで、自分ひとがいて、他人ひとがいる以上は、対立構造あらそいを孕むようになっている。だから、彼女と俺が相入れないのも節理の内、想定の範囲に収まるちっぽけな諍いに過ぎない。
ただ、少しだけ、その手を休めてくれれば良いのだ。カナタがしたように、最後には俺と戦うことになっても、お互いが目的を果たした後ならわだかまりなく殺し合える。そうだ、殺し合いというものがどんなに溜飲の下がらない、愚かで濁った行為なのだとしても、どうせやるなら清々した気分でやりたいものじゃないか。何か他に心配事を抱えていては、全力は出し切れない。
貴様マイナーの言うことなんて、誰が!」
口を挟んだのはアルモニカの偽物だった。どちらに味方をする、というわけではなく、ただマイナーを拒否しているだけだが、それもまた自然な反応だった。いつ自分が殺されるのだろうと怯えた目。アールエンは、そういう彼女の恐怖に呼応してしまうだろうか。なればいよいよ、邪魔になりそうなものは全部壊して先に進むしかなくなる。
「そうじゃなければ壊さないと? 理由もなく世界に敵対してきたマイナーおまえたちが?」
「もし、俺の最後の目的、最初の理由がそうであれば、いずれは破壊を始めるだろう。けど、今はまだ。今はただ、ティアフとシスターを助けなければと思っているだけだ」
返事はなかった。信じようのない話を信じられるほど、彼女もきっと考えなしの人間ではないのだ。これは、あまり良い結果を生まないのかもなと少し諦めかけたところで、俺の目の前の箱に穴が開いた。内側、つまりはアールエンが展開した箱の魔法の一部が解かれ、向こうの箱の魔法に手が届くようになったのだ。
「この四日間、おまえはわたしもシスターも襲わなかった。ティアフに対するおまえの態度が嘘だとも思わない」
「ああ。ありがとう」
右手に力をこめ、思いきり箱を殴りつける。ぎいいいいいいん、と石を叩いたのとも鉄を叩いたのとも違う、奇妙な打撃音が返って来た。まさか、一発で割れるとは思っていなかったが、やはり箱の魔法は無傷で、ぎらぎらと輝きを失わず、接触した俺の拳を溶かすように焼いた。痛みはないが、思わず手を離したくなるような感覚だ。言ってみれば、光そのものに細かく咀嚼され、またそれが熱傷や刺突の感覚となって表面から内側へと捻じ込まれてくる、そんな風。
「無駄よ! 使ったわたしには良く分かる、これは並みのセイバーの魔法じゃないんだから!」
自分を撒餌扱いにした張本人であろうセイバーをかばうように、アルモニカの偽物が俺を非難した。確かに、こうして触れてみると並大抵でないことが良く分かる。我が身を刻んだカナタの斬撃にも似た神々いまいましさは、即ち箱の魔法が彼の斬撃魔法並みに強力である、ということの証だった。それは、あまり具合の良い話ではない。というのも、俺はカナタに勝ちはしていても、結局のところ、その聖なる斬撃を防げたことはついぞ一度もなかったからだ。全てが俺の肉体をいともたやすく断絶し、いかなる防御をも斬って伏せた。こちらの攻撃だってかすりもせずに、一つ残らず叩き落されてしまった。言ってみれば、俺はカナタの魔法やカナタ自身を超えて打ち倒したのではなく、彼というにんげんの限界に助けられてうっかり勝利を拾っただけの結果でしかない。
この箱の魔法との対峙は、故に、俺が初めてまともに“魔法と戦う”記念碑的な戦いでもあった。
さて、いかに打倒すべきか。
不死身である利点を生かせば、箱の魔法が切れてしまうのを待つという作戦は当然ある。しかし、わざわざアールエンに穴を開けてもらったのは、そうやって時間を使うわけにはいかないからなので、これまでと変わらない、つまらない作戦を採ることはできなかった。俺は今回こそ、真っ向からこれにぶつかり、さっさと砕いてしまわなければならないのである。もしタイムアップなんて様を見せれば、マイナーの俺に恐怖する彼らの、ある意味での期待をも裏切ることになってしまう。マイナーの評判なんてこれ以上悪くはならないが、何となく、そういう悪いやつとして格好の悪いところを見せるのはいやだった。それで、他のマイナーにまで“示しのつかない悪評”が広まるのは申し訳ない。まあ、広がる前に殺せば良いんだけど、格好がつかないから殺す、なんて理由の殺し合いほど格好のつかない話はなかった。
しかし、他の作戦を考えるのも一苦労である。マイナーとしての特性は人間の何段も格上の運動能力であり、俺個人の特性は極端な不死性にある。不死は時間の否定に繋がり、故にタイムアップで勝利を拾うことが可能だった。しかし、これは良く考えてみると不死の一側面に過ぎないと分かる。例えば、フォウリィ邸前で何人だかのセイバーを一度に殺した時は、人間の姿を捨て、か細い肉の筋そのものとなり、鎧の内側に入り込んで全員の首を一度に捻ってやった。一度は身体を消し飛ばされ意識だけの存在になったが故の身体を捨てた閃きだったが、あれこそが俺の不死性……極端な再生能力の神髄だったのではないだろうかと、今更になって自画自賛したい気持ちになってくる。
つまり、俺には普通の人間には許されていない“自由”があるのだ。死なない、という制約から解き放たれただけで、その自由は多分、誰にも真似のできないものとなっている。
その自由を使って、この箱を突破するにはどうすれば良い? 無限の再生力を生かして無限に殴るか? 俺は疲れないし、肉体も滅ばないし、攻撃している以上はただ待つよりは箱の魔法の寿命も早く訪れるだろう。だが、殴る、というのはいかにも芸がない。普通の人間だって殴るぐらいはいくらでもできる。もっとこう、悪魔マイナー的な発想で、後ろでがたがた怯えている連中をあっと言わせるような……。
…………寿命か!
「そうか、それで行こう」

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