リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第52話

「え」
顔が違う。声も違う。遠目にはシスター・アルモニカ以外の何者でもなかったそれは、しかし全く見知らぬ誰かであった。やられた、と自分のうかつさを悔やむ余裕のあった俺はまだ良くて、アールエンなどはばかみたいに口を開け、そのままぴしゃりと固まってしまっていた。誘拐した事実そのものを囮にして偽物を置いておく、このパターンを考慮に入れていなかったのは愚かとしか言い様がない。地下は性風俗だと勝手に思い込んで、それ以外の場合にまで思考が及ばなかったのだ。あまつさえ、無傷でいることに安心までしていたなんて。
むろん、ティアフのはずである少女もまた、こちらを見上げる表情は全くもって彼女のそれではなかった。追跡魔法は確かに彼女を指しているから、二人は一旦はここに連れて来られたに違いない。今は別のどこかに監禁されているか、あるいはもうこの店を出ているのかもしれなかった。
「あはははは! こうもあっさり引っかかるなんて!」
アルモニカではなかった女性が笑った。彼女には似ても似つかない、下品で、貧相な、汚らしい笑い声だった。ティアフではなかった少女の方は、笑いもせず嘲りもせず、宝石のように生気のない瞳で俺たち二人を眺めている。怯えているようではないが、しかし、この状況を彼女ほど楽しんでもいない、何とも不思議な様子であった。
アールエンはしばし微動だにもせず、女を眺めていた。やがて理解が追い付いて来ると、おい女、と怒りに震えた声で凄んだ。
「アルはどこだ」
「答えるわけないじゃない! ねえ、“節穴の”騎士様! あはははははは!!!」
何も言わず、アールエンがすっくと立ち上がって剣を抜く。刃先が女の額に突き付けられた。少し押し込めば刃が食い込む、一寸の間を空けた脅しだ。
女はさすがに笑うことをやめたが、しかし怖気付くこともなかった。両腕を囚われて身動きの取れない彼女の目つきは、むしろ血色を増して鋭くなった。圧倒的に自分が不利だと分かった上でやっているのなら、極端に豪気なのか、それともアールエンの殺意を読み違えているだけの阿呆なのか……いや、そうではないのだろう、きっと。
「アルはどこにいる。言わないなら……」「言わないなら何!? やれるもんならやってみなさいよ! どうせ無意味なんだから!」
野蛮になってがしゃがしゃと鎖を鳴らしながら吠える様は、さながら首輪で繋がれて暴れる大型犬のようである。女の額が刃先をかすめて、たらと一筋の血を流す。俺は、彼女がどうしてそうもアールエンに食って掛かるのか、強気でいられるのかの理由を、その言葉の端に見つけたような気がした。
そもそも、剣の一振りも持たされず、獄舎に繋がれて無防備なまま敵前に晒されることを目的とした配置がなされていた時点で、彼女たちがいかなる扱いを受けているかは自然と理解されようというもの。
つまり、偽物二人は既に目標を達成している。ここに俺たちを少しでも足止めできた瞬間には、もう役割を果たしていたのだ。それ以上の、例えば騙し討ちでアールエンや俺を討ち取るとか、そういう配役も段取りも与えられていない喰われるのを待つだけの餌として、彼女たちはここに陳列棚の商品よろしく並べられていたのだ。
捨て石。人間二人を犠牲にした豪勢な撒餌。俺たちはまんまとそれを拾わされた。
そういう自覚が、多分彼女たちにもあるのだ。故に無意味と、アルモニカの偽物は自分を評価してみせた。ここを生き延びてもどうせ殺されると理解していて、なおかつ捨て駒に情報を持たせる意味はないから脅しても無駄だという意味の、虚勢の悲鳴だったわけだ。
少女が生きているのかも怪しいぐらい静かにして、他人事のようにアールエンに噛みつくアルモニカの偽物を眺めている理由も、大方は同じようなものなのだろうと察せられた。アルモニカの偽物は運命を嘆いて八つ当たりせずにはいられない。ティアフの偽物は運命を受け入れ諦めてしまった。同じ境遇にあって、その反応は正反対だが、内心は一緒のところにある。
憐れだった。同情はできないが、救いようのない運命だ。
「行こう、アールエン」
これらの推測はそう間違ったものではないはずだった。状況からはその程度しか読み取れない。……俺にはその程度しか読み取れなかったから、ではあったのだが。
「ああ、そうだな」
同じような考えに至っていたらしいアールエンが、俺の言葉に頷いて剣を引いた。ぶん、と刃先の血を振るう仕草にはまだ怒りがちらついていたものの、アルモニカの偽物に剣を突きつけた時ほどの激情はすっかりと息をひそめている。
所詮は偽物。ここで終わる命。当たり散らしたって仕方がないのだ。
「……え、偽物?」
は、としたようにアールエンがティアフの偽物に振り返る。ティアフの偽物はまた、からくり人形のような無機質さですうと首を動かし、アールエンを見つめ返した。だが、アールエンは彼女の宝石をはめ込んだみたいな色のない瞳ではなく、その胸元に意識を奪われたようだった。
ティアフの偽物として良く似せられた少女らしく平坦な胸。そこに、途切れた追跡魔法が溶け込んでいる。繋がっているように見えるのは、単にそう見えるように演出されているだけの話だ。彼女が偽物である以上、追跡魔法が彼女を指し示す道理はない。
おそらく、その位置で追跡魔法を切断し、切れ目に重なるよう少女を置いたのだろう。いかにも、彼女が本物であると見せかけるために。
「そいつがどうかしたのか、アールエン?」
まさか、そんなことに今更気づいたわけでもあるまい、と声をかける。いや、彼女なら有り得るのかもしれなかった。アルモニカの偽物に気を取られて、周りが目に入っていなかったとしても不思議はない。実際、偽物だと分かった時の呆然とした表情は、絵に描いたように見事であったのだし。
アールエンは俺の問いには答えず、やられた、と唇を噛んだのだった。
「出るぞ!」
「え?」
「ラ・ザクズ・ィシュ!」
まるで、アールエンの掛け声に呼応したかのように、アルモニカの偽物が何事かを声高に唱えた。魔法を使う際に使用する詠唱、魔詞は現在では一般に使われていない古語で主に構成されており、俺はその全ての意味を把握しているわけではない。だから、彼女が何を、どんな魔法を発動したのかは言葉からでは一部しか推測できなかった。
つまりは“ラ”。属性は俺に反する“聖”。内容は不明だが、考える間もなく彼女の魔法が展開される。きん、と牢屋の内壁に沿って光が走り、それに続いて行く手を遮るように光の膜が形成された。くそ! と毒づきながら、アールエンがこれに応じて盾を構え、床に思いきり突き刺して、叫ぶ。
「デイカン!!」
石畳みだというのにおかまいなし、軽々と床を砕いて盾が食い込む。女の魔法はまだ発動し切っていないようだったが、アールエンにはそれがどういう魔法なのか、すでに見当が付いているらしかった。
きん、と内壁よりも自分たちに近い空間に光が走って、四角形の輝く膜となる。膜は四方に同じように展開され、俺たちを囲む箱となった。気づけば、それと同じような姿形の魔法が壁となって押し寄せてきている。……いや、それは正確じゃない。きちんと表すのなら、更に大きな箱型の光の膜が牢屋の内壁に沿って発生し、内側に向かって収縮してきているのだ。
そのままなら俺たちを四方から圧し潰していただろう、アルモニカの偽物が発動した魔法、箱型の光膜。これはしかし、アールエンによって内側に展開された同じ光の壁にぶつかって動きを封じられた。きいいい、と女の悲鳴を鉄の箱に入れて幾度も反響させたみたいな耳障りな摩擦・衝突音が響く。

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