リノンくんが世界を滅ぼすまで

ノベルバユーザー200950

第21話

……アルマリクに駐留する光聖の面々、中でも戦闘職に就く者は、街中であっても即座に有事に対応できるよう、俗に“砦”と呼ばれる建物に交代で詰めている。
城や教会、一部の特権階級の屋敷、時計塔のようなシンボルマークらと同じように、各都に建てられる砦、“光聖支部”もまた、建築物に課せられる高さ制限の外にある特別な施設の内の一つだ。
それは、都壁の内側にあってなお、まさしく“砦”のように堅牢な造りであった。基本的に石造りの街並みにおいても、その頑強な出で立ちは異彩を放っていて、見ようによっては威圧的であり、また違う方から見れば頼りがいがあるとも言えた。脅威に対する最終防衛ラインにして、物見台として都を見渡す警戒の要。正義の味方の根城だと聞けば、誰もが得心の行くような堂々足る偉容だった。
想像と違ったのは、軍施設でありながら全く閉鎖的でないこと。俺たちがすんなり敷地に入れたことからも分かる通り、支部の敷地は壁の一枚、門の一つもなく解放されていた。開けた広場が支部に見下ろされるようにあって、今さっきまでは誰かが戦っていたのが、周囲に残る痕跡から見て取れる。
アルマリク全域に轟いていた度重なる爆発の原因が、ここにいたのだ。アルマリクの東側を戦いながら移動し、この広場も通り過ぎて行ったのだろう。元の姿を知らないとはいえ、もはや、広場は見る影もなくなっていた。石畳が吹き飛び、剥き出しになった地面が抉れ、何かの像だったらしい破片や路灯の残骸が散らばっている。ところどころが黒く焼け焦げ、あるいは破砕され、切断された戦闘の爪痕が生々しく残されている。支部自体は大きなダメージを追っていないが、間近で行われた戦いの余波か、広場に面した正面玄関側の壁や窓、人が入るには大きすぎる正門も、無事では済んでいなかった。
そう、誰もが無事ではいられなかったのだ。
広場には鉄の塊が転がっている。赤黒い液体に浸って。
石畳の溝を流れ、割れた地面に吸い込まれていく液体。赤い雨でも降ったみたいだった。ただ、雨の落ちた石の匂いではなく、鼻を吐くのは鉄よりも鉄臭い“血”の香りだった。
「セイバーか、これ、全部」
鎧と血液。死体はばらばらになっているものも少なくなく、正確な数はぱっと見ただけでは把握のしようがなかった。しかし、何十という単位で死体が転がっているには違いなかった。少し歩けば誰と分からぬ死体の、どこと分からぬ部位を踏んづけてしまう、気を付けるだけ無駄だと思うぐらいの散らかり様だ。何よりも、足元を濡らす血液の量が半端ではなかった。広場の地面が見えないほどに冠水している、とまでは言わないが、足を入れれば血液の上を歩かずにはいられない、通り過ぎるには血に濡れずにはいられない。そういう状態だった。
人間に流れる血液の量は体重のおよそ十三分の一。成人男性一人から全ての血液が出てしまえば、それは五リットルにもなる。十人死ねば五十リットル。二十人死ねば百リットル。都に残るセイバーは全部で何十人だったか、ともかく、広場を薄く濡らすぐらいなら十分に可能な死体が、ここには転がっていた。
「反光聖派は、……」
答える声はない。ティアフが倒れて、地面に手をついた。口元を塞いで我慢するのは、嗚咽か、吐き気か。声をかけるべきか、かけるとしてどんな言葉を選ぶべきか、俺は少しだけ悩んで、結局同じようにかがんだ。
「大丈夫か?」
「ああ、ああ……平気だ。大丈夫」
顔は真っ青、涙を浮かべてはいるが、気力が削がれたわけではないようだった。彼女とて、死体を見るのは初めてではない。父親が殺され焼かれるのを目の当たりにしているからこそ、この死体の海にも心を砕かれずに済んでいた、とも言える。世の中、何が幸いするか分かったものではない。
もちろん、そんなことは彼女に面と向かって言えるはずもなかった。ティアフは自力で立ち直って、死体に沈んだ広場を見渡した。
「これをやったやつは、どこに行った?」
「間者を殺そうとしたセイバーの凶行……じゃないよな、多分」
「殺されたのが全部こっちの身内だとすれば、数が多すぎる。だからここの死体は多分、そういうのは関係なく殺されたんだ」
スパイもスパイでない者も、いや、敵味方の区別さえなく行われたのであろう殺戮の現場。血液の湖が月光を吸い取って、支部の広場は他の場所よりもずっと暗く、陰鬱としているように見えた。空気が淀んでいる、とでも言えば良いのか。
そんなことに一介のセイバーが手を染める理由は思いつかなかった。仮に理由があったのだとしても、そのセイバーは何十という同僚セイバーを相手にして打ち勝てるような、化け物じみた使い手だったという結論になってしまう。セイバーと言えどたかだか人間、それほどの多勢に無勢をひっくり返せる使い手、なんてのは常識からして考えにくい。
むしろこの殺戮はもっと凶悪な力を持った誰か、セイバーをまるで味方とは認識していない誰かの凶行なのだ。例えば、俺というマイナーなら、多分これぐらいのことはやってのけられるし、これぐらいのことをやろうとしても不自然でない動機がある。
敵同士なのだから。
「そうだ、こいつは……」
どかああああああああん!
「今の、近いぞ!」
言うが早いか、ティアフが走り出した。死体も血液も踏んづけて、転ばぬようにだけ気を付けて。
「ティアフ、俺たちの役割は!?」
「ばかかおまえ! ここまでセイバーを殺されている光聖が、間者殺しなんかに人手を割いてると思うのか!?」
全く、その通りだった。もはやセイバーによる間者殺し、フォウリィの手による粛清は、少なくともこの戦闘が続く限りは行われないと判断して良さそうだった。だがそれは、光聖に潜り込んだ反光聖派の身内の安全が保障されたわけではない。むしろ、その危険度は並みのセイバーを相手にするよりもずっと高くなったと考えなければならなかった。
「単なる粛清なら、大っぴらにやることができない。追っ手にかける人数が自然と制限されるから、逃げ切る可能性も、あたしたちが助けられる可能性も高い。そういう心理を逆手にとって、粛清が行われそうな場所を絞ることもできた。でも、もう、そういう話じゃなくなった」
今、アルマリクを蹂躙しているやつは、そんな風に冷静にものを考えているようには見えない。戦場を移動し、手当たり次第に破壊して回っている行為に理性は感じられない。それは本来の俺の有り方、“マイナー”という化け物の本能、戦い方なのかも知れなかった。
それにしても……。
「フォウリィによる粛清とマイナーによる襲撃。同時に起こるなんて、運が悪い話だ」

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