導帝転生 〜仕方ない、世界を救うとしよう。変態の身体だけど〜

飛びかかる幸運

3 - 10 「名付け親」

 漆黒の巨狼ウォセ含め、その配下の狼達を全て自分の身体へと取り込むと、ティアを抱いて空を飛んだ。

 勿論、何回か練習し、大丈夫そうなことを確認してから飛んだ。

 誤算があったとすれば、空には他にも生き物がいるということだろうか。

 ティアを抱いて空を飛んでいる最中、一匹の大鷲に襲われかけた俺は、集中を切らしてしまい――

 落ちた。

 いや、正しくは、落ちている最中だ。

 ティアが悲鳴を上げながら、必死に俺にしがみ付いている。

 俺も必死に高度を戻そうとしているが、一度集中が切れてしまうと、落下しながら精神状態を立て直すのは至難の技だった。

 ――もとい、今の未熟な俺には無理ですごめんなさい!


(マズいなぁ…… 落ちても俺は死なないけど、ティアはマズい…… 非常にマズい……)


 すると、突然身体から黒い影のようなものが無数に溢れ出した。

 その影は、瞬く間に巨大な狼の形を形成。

 ティアを抱きかかえていた俺を背に乗せると、空を駆け始めた。


「た、助かった! って、漆黒の巨狼ウォセ! 空を走れるなら先に言えよ!」

「ガッガッガッ! 長いこと獣をやっていたせいで忘れていたのだ、許せ。それに、長時間は無理だ」

「そ、そっか。でも助かった。漆黒の巨狼ウォセ優秀!」

「ガッガッガッ! どこぞの鈍間とは違うのでな!」


 炎の雄牛ファラリスがムッとしたような感覚を感じたが、特に何も言わなかった。

 反応すれば、自身を鈍間だと認めたことになるとでも思ったのだろう。

 俺はパワーの炎の雄牛ファラリス、スピードの漆黒の巨狼ウォセと思ってるから別に良いのだが。

 適材適所だ。

 少しずつ高度を下げつつ、目的の場所に到着する。


「あ、あれだ。漆黒の巨狼ウォセ、あそこ」

「承知した」


 鬱蒼とした森林地帯の中に、木々がまるでゴムのように幹を湾曲させて道を作っている場所があった。

 四人を乗せた樹人ツリーフォークが歩いているのだろう。

 その頭上へと、漆黒の巨狼ウォセの背に乗りながらゆっくりと降下していった――



◇◇◇



「んむんんんっ! んんん!!」

「また獣耳が騒いでるニャ。全く煩い女ニャ。何をそんな……」


 ミーニャが、ギヌの視線の先へと視線を向けると、その瞳を大きく見開いた。


「ニ゛ャッ!? ま、不味いニャ!? 逃げるニャ!? 樹人ツリーフォークさん早く逃げるニャ!!」


 ミーニャの声に反応したかのように、樹人ツリーフォークがその場に立ち止まる。


「ち、違うニャ! 何で止まったニャ!? 逃げるニャよ! ギニャァアア!? もう間に合わないニャァアア!?」


 ミーニャが絶叫しながら暴れるも、身体に巻きついた蔓が邪魔で逃げることはできなかった。

 ギヌに関しては、口にも蔓が巻き付いているため、声を上げることすら出来ずにいる。

 メイリンは絶賛気絶中だ。


「ジョーカー様ぁぁああ!? 助けてニャァアア!?」


 ミーニャの叫びが木霊する。

 樹人ツリーフォークの前に、上空から牙を剥き出しにしながら――本当は口を開けて呼吸していただけ――襲来した巨大な狼が着地すると、その背に乗っていた何かが語りかけてきた。


「ミーニャは相変わらず元気いっぱいだな」

「ジョ、ジョーカー様ぁああ」


 顔から色んな汁を垂れ流したミーニャが泣き叫ぶ。

 ギヌは相変わらず暴れており、メイリンに至っては白目を剥いて気絶している。


「ギ、ギヌ!!」

「んんんんっ!?」


 ティアがギヌの所まで駆け寄る。


「お願い! ギヌを降ろしてあげて!」

「あー、それは良いけど、俺を攻撃させないでね?」

「それは、分かっています! ギヌ、私の言葉を聞く冷静さは残っていますか?」


 一瞬、悔しそうに目を細めたギヌだったが、ティアの言葉にゆっくりと頷いた。


「じゃあ、樹人ツリーフォークさん、三人を解放…… ん? 三人? そういえばシロは?」

樹人ツリーフォークのお口の中で寝てるニャ」

「口の中?」


 樹人ツリーフォークが、幹の中央にできた口をゆっくりと開けると、その口の中に、膝を抱えた体勢で丸くなって眠っていたシロがいた。

 気持ち良さそうに、スヤスヤと寝息を立てている。

 樹人ツリーフォークの口の中には、落ち葉が敷き詰められており、狭い以外には寝るのに不便はなさそうだった。


「余程疲れてたんだろうな。そのまま寝かせておいてあげよう。じゃあ解放…… っと、その前に、あれやっとくか」


 俺は樹人ツリーフォークに話しかけ、蔓で拘束された三人を目の前へまで移動させた。


「ジョ、ジョーカー様? な、何する気ニャ?」


 ミーニャが顔を引きつらせながら問う。


「んんんんっ!!」


 ギヌは再び怒りの表情で暴れている。


「………………」


 メイリンは白目に半開きの口から涎を垂らしているだけ。

 何処と無く幸せそうな顔だ。


「あれを…… するのですか?」

「ん? そう、ティアにもしたあれね」


 少しホッとした表情になるティア。


「あれって何ニャァアア!?」

「ミーニャうっさい。傷癒すだけだから騒ぐなって」


 そう言うと、少し間があった後、脱力したミーニャがやれやれ顔で首を振った。


「そういうことなら最初から言うニャぁ…… ほんと、ジョーカー様は人騒がせニャよ。少しは子分の気持ちも考えてほしいニャ」

「誰が子分だ。誰が」

「ミーニャに決まってるニャ」

「あ、そう」


 相手をするのもアホらしいので、軽く流して再生の力を発動する。

 取り敢えず、樹人ツリーフォークから伸びる蔓伝いでも大丈夫かな? と思い、触れているのはミーニャだけだ。

 触れる瞬間、「初めてだから優しくしてニャ? 痛いのは嫌ニャよ?」と何か言っていたが、もちろん無視した。

 魔力マナを発動すると、ティアの時と同じように、樹人ツリーフォーク全体を優しい光が包み込む。

 暖かい風が吹き上がり、ミーニャやギヌ、そしてメイリンの傷を癒していく。

 それだけでなく、媒介としていた樹人ツリーフォークもみるみるうちに幹が太くなり、枝が急激に伸び、その枝に次々と葉や花を咲かせた。

 世にも珍しい大木の誕生だ。


「なんか…… 予想に反して、樹人ツリーフォークが劇的に変化しちゃったな…… ま、まぁいいか」


 すると、つい先ほどまで気絶していたメイリンが目を覚ました。


「こ、ここは…… はっ!? ジョ、ジョーカー!?」


 俺の顔を見てさっそく絶望している。

 忙しい奴だ。


「取り敢えず、その二人、ミーニャとギヌを先に解放してあげて」


 俺の言葉に樹人ツリーフォークが応える。

 二人を地面へと降ろすと、すぐ様身体の拘束を解いた。


「なんか身体が軽くなった気がするニャ! それに、凄く気持ち良かったニャ! 暖かい風がふわぁあって! さすがミーニャの師匠だニャ!!」


 今度は師匠呼ばわりか。

 まぁ害はないし、好きにさせておこう。


「ギヌ! 無事で良かった……」

「ティアこそ、無事で良かった。側にいなかった時は、どうなることかと思ったぞ……」


 ティアとギヌが互いの再開を喜び、抱き合っている。

 すると、それを見たミーニャが、ティアと俺へ、視線を交互に移動させた。


「ミーニャ、なにしてんの」

「師匠も、ミーニャと感動のハ……」

「するか!」

「酷いニャ! まだ最後まで言ってないニャ!」


 ミーニャとハグなど、頼まれても御免だ。

 何故なら、ムラムラしてしまうから。

 ミーニャに逝かされたことを忘れた訳じゃない。

 ハグすることで変なスイッチが入ってしまっても困る。

 安全第一だ。

 また死にたくない。


「あっと、メイリンはどうすっかなぁ」

「へっへっへ、親分、次はどんニャお仕置きをしてやりますかニャ?」


 ミーニャが悪そうな顔をしながら、メイリンを見た。

 その手には、いつの間にか拾ってきた木の枝を持ち、ブンブンと振り回している。


「それを俺の前でメイリンにやったら、同じ目に合わせる刑を執行します」

「ニャんでニャ!? 酷いニャ! ミーニャは師匠の可愛い一番弟子ニャよ!?」

「お前を弟子にした覚えはないわ!」

「もう師匠ったら、いけずニャんだから。でも、この女を本当に解放して平気かニャ? また悪さするかもしれニャいニャよ?」

「うーん、そこが問題だ。いっそのこと、このままにしとくか?」

「それが一番安心ニャ」


 ハルトとミーニャのやり取りを聞いていたメイリンが叫ぶ。


「ま、待て! 頼む! 大人しくしているから! わ、私も解放してくれ! 限界なんだ! このまま縛られ続けたら…… お、おかしくなってしまう!!」

「そうか…… メイリンには蔓での拘束はご褒美だったのか…… それは、色々問題が出るな……」


 主に俺に……


「まぁ良いか。監視を付けておけば悪さしないだろ」

「監視、だと……?」

「そう。監視。漆黒の巨狼ウォセ、一匹貸して」

「お安い御用だ。我の許可を取らずとも、力のあるものは既に主人の使い魔としておいた。自由に使われよ」

「おお、それは助かる」


 主人の意を汲んだのか、身体から何かが抜けていく感覚とともに、目の前に一匹の狼が姿を現した。

 薄い水色のような月白げっぱく色の毛並みが美しい大型の狼だ。

 大きいと言っても、漆黒の巨狼ウォセの半分程度のサイズ。

 漆黒の巨狼ウォセが象並みにでかいので、その半分のサイズとはいえ、この狼も十分大きい。

 いや、監視役にしては大き過ぎないか?

 もう少し小さい狼でも良かったんだけど……

 すると、月白げっぱく色の大狼が言葉を話した。


「若、ご安心ください。私は姿を消す力があります。この娘の監視含め、陰ながら若の護衛もさせていただきますので、役不足ということはありません。精一杯努めさせていただきます」

「ほぅ、それは頼もしいな。じゃあ頼んだ。メイリンが悪さするようなら食い殺してしまっていいから」

「お任せを」

「ひ、ひぃ!?」


 そのやり取りの直後、大狼がメイリンを見据えると、怯えたメイリンが悲鳴をあげた。


「そういや、名前は?」


 俺が話しかけると、大狼が振り向き、瞳を閉じて頭を左右に振った。


「名はありません」


 何処と無く申し訳なさそうな表情。

 名がないことを恥じているのだろうか?

 それなら自分で付けてしまえばいいのに。

 自分で名前を付けられないなら、勝手に付けてしまおう。


「それだと呼び難いな…… じゃあ、そうだな…… ルシフで。月白の大狼――ルシフ」

「……月白の大狼ルシフ


 名を付けた瞬間、月白の大狼ルシフの身体が光に包まれる。


『眷属への名付け。お主は知らずにやっているようだが、それも一種の契約だぞ?』

(え? そうなの? それ早く言ってよぉ〜)

『止める間もなかったと思うが』

(そだね。じゃあ、しゃーない。で、この名付けって何か問題あったりする?)

『お主であれば問題はないが…… うーむ…… まぁ良い。後は気持ちの問題だ。ワシはあまり気にしない性格だ』

(どゆこと? あー、もしかして、多重婚みたいなもん?)

『そんなものだ』

(そか、じゃあ次からは気を付けるか)


 炎の雄牛ファラリスと頭の中でやり取りをしていると、月白の大狼ルシフを包み込んでいた光がおさまった。

 月白の大狼ルシフがゆっくりと瞳を開ける。

 心なしか名付け前より存在感が力強くなったような……


「若、ありがとうございます。身体の内側から力が溢れてくるようです。必ずやご期待に応えてみせます」

「うい、期待してる」


 俺の言葉に頷くと、スーッと目の前から消えていく月白の大狼ルシフ


「消えた。凄いな。で、メイリン。言わなくても分かると思うけど、大人しくしてろよ」

「わ、分かった! い、言う通りにする!」

「じゃあ、樹人ツリーフォークさん……」


 と、呼んだところで、好奇心と悪戯心がむくりと顔を出した。


(これ、樹人ツリーフォークさんに名を付けたらどうなるんだろ……)

『ワシのことは気にせず、好きにしろ。その方がお主らしい』

(お、物分かりの良い相棒だな!)

『……相棒』


 相棒という言葉に、炎の雄牛ファラリスが『ふふふ』と喜ぶ。

 漆黒の巨狼ウォセとのやり取りで何となく予想はついていたが、炎の雄牛ファラリスは煽てに弱いのかもしれない。

 チョロ牛…… まぁそれはいい。

 今は、目の前の大木――樹人ツリーフォークさんを名付けてみたい欲求を優先する!


『言っておくが、名付けを拒否されることもあるぞ』

(もちろん、それは承知の上ですよ)


 多分、大丈夫だと思うけど。

 何でも言うこと聞いてくれるし。


樹人ツリーフォークさんにも名を与えよう!」


 その言葉を歓迎するかのように、周囲の木々が揺れる。


「名付けて良いってことかな? じゃあ遠慮なく…… ぴったりの名前があるんだよ」


 そう告げながら、再び目の前の樹人ツリーフォークへ触れる。


「その名は――世界樹ユグドラシル!」


 その直後、俺は気を失った。


 月白の大狼ルシフの時と違い、明確なイメージがあったのが不味かったのだろうか。

 俺のイメージを再現しようと、俺の中の魔力マナが根こそぎ消費されそうになった結果、そのイメージを具現化する前に、危険を察知した身体が意識を先に刈り取ったのだった。



◇◇◇



 直径数十メートルはあろうかと思われる極太の三本の根。

 その三本の根が支えるのは、直径が数百メートルにも及びそうなほどに圧倒的な存在感を放つ太い幹だ。

 幹の先、はるか上空で、新緑の葉を無数に生やし、数多の枝を傘状に広げた樹冠。

 その広さは、周辺数キロをすっぽりと覆い隠し、日の光を完全に遮ってしまっている。

 それだけではない。

 大木の頂きには、北欧神話に登場する――死体を飲み込む者フレースヴェルグと思わしき一羽の超巨大な竜にも似た大鷲が、その存在感を周囲に示すかのように、大翼を広げて留まっていた。

 世界樹ユグドラシルも、死体を飲み込む者フレースヴェルグも、ハルトが想像したもの全てを完全に再現したものではない。

 だが、もし、地上にいるミーニャらが、世界樹ユグドラシルだけでなく、死体を飲み込む者フレースヴェルグの姿までも確認していたら、その凶悪な見た目と、その圧倒的な存在感に、自身の常識が壊れるほどのトラウマを抱いていたことは間違いない。

 死体を飲み込む者フレースヴェルグの存在を間近に感じた鳥たちが、途端に意識を失い、地上へと落下していく。

 ハルトの飛行を妨害した大鷲もまた、同様に気を失ったことで地上へと落ちていった。

 それほどの非常識な威圧感を、死体を飲み込む者フレースヴェルグは身に纏っていた。

 だが、幸いなことに、地上にいる彼女らの視界には入っていない。

 樹冠が目隠しとなっていたのだ。

 それ以前に、目の前の世界樹ユグドラシルに目が釘付けだったというのもある。

 ミーニャ達だけでない、漆黒の巨狼ウォセもまた、ハルトが起こした奇跡に目を奪われ、感動で震えていた。


「ガッガッガッ! これが樹人ツリーフォークだと? まっこと面白い! 主人の力はこれほどのものか!!」


 唖然とした表情で空を見上げるギヌ。

 その隣で、胸の前で手を握りしめながら、ティアが呟いた。


「大きい…… 天まで届きそう……」

「おっきいニャー…… でも、そのせいでこの辺一面が夜みたいに暗くなったニャ」


 ミーニャの言葉に、漆黒の巨狼ウォセが続いた。


世界樹ユグドラシルよ、姿は消せぬか? これでは、ここ一帯に住む者達の生活に影響が出る」

「可能ダ、山ノ、守リ神。暫シ、姿ヲ、消ソウ」

「あっ! その前にシロを返してほしいニャ!」


 世界樹ユグドラシルが、徐々にその巨大な姿を空と同化させていく。

 すると、薄っすらと消えかかった蔓に縛られたメイリンと、無数の蔓に、まるで赤子を抱えるように優しく包まれたシロが、ゆっくりと空から降りてきた。

 ミーニャがシロを受け止め、メイリンはそのまま地面に落とされ、尻もちをついて「きゃぁ!?」と悲鳴をあげる。


「いらないのまで降りてきたニャ」

「くっ」


 メイリンが悔しそうに顔を歪ませるも、いつどこで先ほどの狼が自身を狙っているか分からない。

 何も反論できずに黙る。

 すると、メイリンの姿を見かねたティアが、ギヌへ話しかけた。


「ギヌ、そのローブをあの人に貸してあげて」

「分かった」


 ティアにお願いされたギヌが、ボロボロになった自身のローブを脱ぎ、メイリンに差し出す。


「着ろ。女がその恰好では辛いだろう」

「す、すまない」


 メイリンがローブを身に着けると、その動作をじっと見つめていたミーニャが呟いた。


「お尻の傷もなくなっちゃってるニャね。ミーニャの師匠に感謝するニャよ」

「誰があの化け物になど…… ひぃいいっ!?」


 そう溢したメイリンの背中に、至近距離から息が吹きかかり、驚いたメイリンは飛び上がりながら悲鳴をあげた。

 すぐさま距離を取り、振り向くも、そこには何もいない。


「はぁ…… はぁ…… そ、そこにいるのか!?」

「ガッガッガッ! それは、月白の大狼ルシフの警告だ。月白の大狼ルシフは実直故に、主人の悪口を酷く嫌う。その熟れた桃尻が片方なくならなかっただけでも儲けものだと思うのだな! ガッガッガッ!」

「ぐっ……!!」


 悔しそうに歯を噛み締めるメイリンだったが、その額には恐怖で大量の汗が噴き出していた。


「これからどうするのですか? ハルトは気を失ってしまいました。私はギヌと共に……」

「ならぬ。主人が目を覚ますまで、我らと一緒にいてもらう」


 漆黒の巨狼ウォセが、ティアの要求を即座に蹴る。

 すると、周囲の茂みから、ガサガサと音があがった。

 ギヌが警戒体勢を取り、ティアを背中に隠しながら、腰に手を当てる。

 だが、いつも肌身離さず身に着けていた武器がなかった。

 悔しそうに歯を噛みしめる。


「案ずるな。我に従う者達だ」


 漆黒の巨狼ウォセがそういうと、ハァハァと荒く息を吐きながら舌をだらしなく出した野犬達が、茂みから次々と姿を現した。


「我らに歯向かわない限り、此奴らが牙を向けることはない」


 多勢に無勢。

 さらには、個々の力でも圧倒するであろう大精霊級の獣。

 ティアとギヌには、彼らに従う他、選択肢はなかった。

 不安が消えぬ二人を余所に、グニュニュニュニューと奇妙な音が鳴り響く。


「……お腹が空いたニャ」

「空腹か。うむ。であれば、腹ごしらえをしながら、主人が目を覚ますのを待つか。何、そう時間はかからぬだろう」

「やったニャ! 飯ニャ!」

「暫し待っておれ、特別に我が馳走を用意してきてやる」


 漆黒の巨狼ウォセの言葉に、ミーニャは喜んだが、反対にティアは息を呑んだ。

 生け贄のことが頭に浮かんだのだ。


「あ、あの!」

「なんだ小娘」

「その、馳走、とは……」

「ガッガッガッ! 今更、人肉を喰おうとは思わぬ。余程飢えてさえいなければな!」


 そう言い残して、残像を残して目の前から消え去った。

 ほっと息を吐くティア。

 だが、ミーニャは「人肉ってどういうことニャ……」と呟きながら笑みを凍らせたのだった。



◇◇◇



 頭が痛い。

 またやってしまった。

 魔力マナ欠乏で気を失った。

 イメージするものが非現実的過ぎた。

 今回は、一体どのくらい眠ってしまったのか。

 恐る恐る瞳を開ける。


「おお、主人よ。目を覚ましたか」


 漆黒の巨狼ウォセが、すぐ目の前で顔を上げながら呟く。

 どうやら漆黒の巨狼ウォセの横腹を枕にして寝かされていたらしい。

 漆黒の毛布――ならぬ、毛並みの良い尻尾が布団代わりに覆いかぶさっていた。


「俺、どれくらい眠ってた?」

「数時間ほどだ」

「そっか……」


 太陽は沈み、周囲は闇に包まれている。

 月も雲に隠れており、月明かりはない。

 光源は、前方に焚かれた焚火のみ。


『お主、一体、何回無茶をすれば学ぶのだ? お主の巻き添えをくらうワシの身にもなれ』

(ああ、炎の雄牛ファラリス。ごめんごめん)

『まったく……』

(でも、前回ほど身体の怠さはないのはなぜだろ?)

『ハイデルトに何かされたのではないか?』

(ハイデルトか。もしかして、何かリミッター入れてくれたのかな? 何かしてもらった記憶はないけど……)

『そうか』


 ゆっくりと身体を起こす。

 以前のような怠さは思ったほど感じない。

 魔力マナ欠乏の時の怠さというよりは、寝起きの怠さに近い。

 これなら差支えなさそうだ。


 焚火の回りには、こちらを睨んでいるギヌ。

 そのギヌに寄り掛かりながら眠っているティア。

 ボロボロのローブに包まりながら、体育座りで焚火を見つめる、虚ろな瞳のメイリン。

 あ、俺に気が付いて後ろに転がった。


「って、ローブの下、全裸かよ!!」


 思わず声を出してツッコミを入れてしまう。


「あっ! 師匠! やっと起きたのニャ! 美味しい鹿肉焼けてるニャよ?」

「し、ししょう!」


 肉にかぶりつくミーニャの隣に、ちょこんと座った狐耳の娘――シロが、俺の方を向いて控えめに叫んだ。


「ししょう? あー、ミーニャに何か吹き込まれたのか…… まぁいいか」


 俺は、シロへと近づくと、優しく頭を撫でる。


(なぁ、炎の雄牛ファラリス。再生の力で、シロの眼って治せないかな?)

『その狐娘の眼? なるほど、盲目か。うーむ、再生の力では無理だな。再生しようにも、元から光を失っておる。傷ではないものは再生できん。悪いな』

(そっか。いや、いいよ)


「シロ、旨いかい?」

「うん、おいしい、よ? ししょうも、たべて」


 そう言って、シロが手に持っていた肉を差し出してきた。


「いいよ。それはシロが食べな。俺は他にいっぱいあるから」

「うん、あり、がとう、ございます」

「よしよし。いい子いい子」


 尚も頭を撫でてやると、シロがくすぐったそうにはにかんだ。

 その笑顔に胸が詰まる。


(炎の雄牛ファラリス、この世界に、盲目を治す方法ってあるよね?)

『あるだろうな。お主のように、死者を蘇らせる方法もあるのだ、大抵のことはできるのだろう』

(だよな。よし!)

『その娘の眼を治してやるのか?』

(そのつもり)

『そうか。であれば、お主の故郷、イシリスに行ってみるのも手だな』

(イシリス? なんで?)

『イシリスは、魔導を極めた大国。魔導による治療術も発達しておるだろう』

(確かに、何か得られるかもしれないな。じゃあ、このままイシリスを目指すか)

『ふむ、それもよかろう』


 シロの頭を撫でるのを止め、その場に立ち上がる。

 すると、皆の目線が集まった。

 ティアも目を覚ましたようだ。

 不安そうにこちらを見つめている。


(ティアはいつも不安そうな目をしてるな。っと、本題本題)


「俺は、これからイシリスを目指す」

「目的は何だ。何しにイシリスへ行く」


 間髪入れず、ギヌが質問を投げかけた。


「ちょっと調べ物をね。シロは連れていくとして、ミーニャは……」

「し、師匠!? まさか置いていくニャんて言わないでニャ!?」


 ミーニャが突如としてズボンに飛びつき、しがみ付きながらそう懇願してきた。


「つ、連れてくとして、ティアとギヌはどうする?」


 話を振ると、ティアとギヌが目を丸くした。

 ギヌに関しては、一瞬で再び睨むような目つきに戻ったが、ティアの瞳は揺れていた。

 まさか選択肢を与えられるとは思っていなかったのだろう。

 ティアが何かを言おうとして口を閉じ、また開けてを繰り返す。

 そして――


「い、行きます。私も一緒について行きます!」

「テ、ティア!?」


 そう言い切った。

 ギヌが驚くも、ティアの眼を見て納得したようだ。


「分かった。後は……」


 メイリンだ。

 正直、連れて行きたくない。

 だって、エロ過ぎるんだもん!

 後ろに転がったときも、スーパー果実がぶるんぶるんと、禁欲を余儀なくされている俺の急所を狙い撃ちしてきた。

 下半身の海藻や魚介類も見えたし……

 今、俺の一番の弱点、弁慶の泣き所を撃ち抜ける存在は、紛れもなくメイリンだろう。

 ローブから覗くすらりとした美脚。

 発汗が異常に良いのか、汗で張り付いた胸部のローブから見える突起。

 少しやつれ気味に乱れた髪。

 しっとりと濡れた、艶の良い唇。

 それでいて、怯えが混じりながらも、反抗的な意思が見て取れる切れ長の瞳。

 ツボ過ぎる。

 危険だ。

 危険すぎる。

 特大の地雷だ。

 触れたら死ぬ。

 即死だ。

 それだけは避けなければならない。


「メイリンはここへ埋めていく」

「ひ、ひぃいい!?」


 メイリンの顔が盛大に引き攣る。

 すると、ティアが声を上げた。


「ま、待って!」


(うおー、ガチ顔で止められた…… 冗談だったんだけど。うん、そうか…… ティアって正義感の塊だったっけ…… その性格のおかげで俺も命拾いしたよなぁ)


「分かった。止める」

「少し考えて…… え、えっ?」


(くそ…… 禁欲さえ強いられていなければ…… あの身体…… 勿体ない……)

『お主、欲がダダ漏れておるぞ』

(自由に生きると宣言したのに、このザマ! 三大欲求のうちの一つが制限されて生きることの辛さよ! ああ! 無常!!)

『駄目だ。全く聞いとらん。自分の世界に入っとる……』


「まぁ、大人しくしてくれていれば、それでいいよ。取り敢えず、この近くに村があったと思うから、夜が明けたら皆でそこまで行こう」

「は、はい。あなたが、それでいいのであれば、私はそれで……」


 ティアが拍子抜けしたかのように、そう話す。

 命拾いしたメイリンは、膝から崩れ落ち、両腕で肩を抱いて震えた。

 全裸にローブ一枚で震えるメイリンが、この世界に来て間もなかった自分と重なる。


(あの頃は凄く心細かったなぁ…… はぁ…… なんか可哀想になってきた)


月白の大狼ルシフ、近くにいるかい?」

「若、ここに」


 すぐさま、目の前に姿を現す月白げっぱく色の狼。


「悪いけど、朝までメイリンの毛布代わりになってあげられるかい?」

「お安い御用です」

「じゃあ、お願い」


 月白の大狼ルシフが焚火を軽く飛び越すと、反対側にいたメイリンへと周り込み、その身体に身を寄せるようにして横たわった。

 恐怖で顔を引き攣らせたメイリンだったが、月白の大狼ルシフが俺の命令を忠実に行動へ移したと分かると、俺へと視線を戻した。

 その瞳は揺れている。

 突然の善意に、戸惑っているようだった。


「夜は少し冷えるから、月白の大狼ルシフを毛布代わりに使うといい。ティアとギヌもいいよ」

「い、いいのですか?」

「若が許可したのです。遠慮せずにおいでなさい」

「は、はい。ありが、とう。ギヌも……」

「本当に…… いいのか? いいの、ならば……」


 ティアとギヌも月白の大狼ルシフへと寄りかかる。

 ギヌに至っては、その毛並みを撫でられることが意外にも嬉しかったのか、尻尾を左右にゆさゆさ揺らしながら、しきりに触ったり、顔を埋めたりしている。

 あっ、目が合った。

 急いで睨み返そうとしていたが、口元が緩んだままだ。


「シロは俺と一緒に漆黒の巨狼ウォセと寝よう」

「うん!」


 すると、ミーニャが叫んだ。


「師匠、酷いニャぁあ! 私も入れてニャぁああ!!」


 結局、ミーニャは、油のついたぎったぎたの手で漆黒の巨狼ウォセに触ろうとして、漆黒の巨狼ウォセに吠えられて半べそかきはじめたので、俺には触れないという約束で漆黒の巨狼ウォセの反対側を貸してあげた。

 ハーレムなのに、全く堪能できていない。

 これから、蛇の生殺しのような日々が続くのかと思うと、軽く眩暈がするのだった。



◇◇◇



 翌日。

 一同は、近くの村を訪問した。

 まず、漆黒の巨狼ウォセの姿に見張り役の青年が驚き、ハルトの大角を見て「ま、魔族が攻めてきたぁああ!」と大声で叫びながら村の中へと逃げた。

 そして、今に至る――


「どうしてこうなった……」

「師匠の大角は悪目立ちし過ぎるニャ。悪魔(デーモン)と見間違われても仕方ないニャね」


 村からは続々と武器を持った村人達が駆け付ける。


「主人よ、どうする。皆殺しにするか?」

「おいおい、山の守り神だったとは思えない発言だな」

「ガッガッガッ! 何を言う! 今は魔王軍の一員だろう? 忘れたか?」

「……あ、そうだった」


 魔王と名乗ったからには、その一味は魔王軍になるのか。

 そこまで頭が回っていなかった。

 ティアが不安そうにこちらを見ている。

 きっと、俺が「皆殺しだ! ヒャッハー!」って言ったら止めに入ってくるはず。

 ティアはそういう子だ。


「いやいや、殺さない殺さない。場合によっては無力化するかもしれないけど。一先ず、ちゃんと話しをしてみよう」

「承知した」


 そう告げると、それを聞いていたティアがホッとした表情をした。


「で、出て行け! む、村は荒らさせんぞ!!」


 鍬を持った爺さんが、睨み合いを続ける俺たちの前へと躍り出る。

 勿論、こちらの交渉人は――


「み、皆さん落ち着いてください! 私達は魔族ではありません!」


 ティアだ。

 しっかりとギヌが護衛として隣に付いている。

 武器はなく、素手だが。


「な、何? 魔族じゃないんか?」

「私達は旅の疲れを癒そうと立ち寄っただけです。この人は大精霊との契約で、このような頭をしているだけで……」

「大精霊じゃと!?」


 疑いと畏怖の混ざった視線が注がれる。


(炎の雄牛ファラリスさーん、出番ですよー)

『仕方ない…… 無知な人族どもの度肝を抜いてやろうか』

(話が拗れると面倒くさいので普通でお願いします)

『なんじゃ、つまらんのう』


 そうぶつぶつ言いながらも、しっかりと具現化してくれる炎の雄牛ファラリス

 その姿に、村人達は腰を抜かした。

 漆黒の巨狼ウォセも大概だが、見た目の迫力は炎を身に纏っている炎の雄牛ファラリスの方が勝る。

 ブフンと炎を鼻から吐き出すと、それだけで村人達は平伏した。


 そこに、新たな悲鳴があがる。


 聞き覚えのある声だ。

 嫌な予感がして、その悲鳴があがった方へ視線を移すと、そこには橙色の髪を肩のところで切り揃えている娘の姿が――


「な、な、ななななんで、あんたがここここに……」


 こちらを指差しながら、生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。


「マジかよ…… また面倒くさい奴に、面倒くさいタイミングで……」


 その娘は、この異世界に来て初めて出会った人間のうちの一人――ネイトだった。

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