導帝転生 〜仕方ない、世界を救うとしよう。変態の身体だけど〜
3 - 9 「魔王の僕」
「魔王だと……? 貴様は、魔王が何か知らぬようだな」
漆黒の巨狼が、牙を剥きながらハルトの言葉を否定する。
そこに侮りの色はない。
先程の勝負が余程効いたのだろう。
自身の鋭い牙と強靭な顎をもってしても、喰い千切るどころか、傷一つつけられなかった異質な相手。
その事実が、漆黒の巨狼の警戒度を最大にまで高めていたのだ。
だが、漆黒の巨狼の嗅覚は、確かに目の前の男――ハルトから、人族と雌牛の臭いを嗅ぎ取っていた。
それなのに、何かが違う。
得体の知れない別の気配も感じる。
それは、野生の本能が察知した何か。
忌避感を覚えるような、禁忌的な何かだった。
大精霊だった頃ならば気付けたかも知れない。
だが、ただの獣に成り下がった漆黒の巨狼には、そこまでの察知能力はなかった。
漆黒の巨狼が混乱していると、ハルトが淡々と答えた。
「全てを喰らう食欲の塊だろ? 知ってるよ。俺の中に封印されてる」
ハルトの言葉に、漆黒の巨狼だけでなく、その場にいた亡国の姫――ティアまでもが目を見開いて驚いた。
「あり得ぬ! 戯言だ!!」
「まぁお前は信じないだろうよ。別に信じなくてもいいさ。だが、俺の目指す魔王はそういう意味じゃない」
「……何?」
「言っただろ。もう忘れたのか? なら、何度でも言ってやるよ。俺は、この腐った世界をぶち壊して、自分が思い描く理想郷をぶっ立ててやる!ってな」
「それこそよ世迷言よ! あり得ぬ! 寝言は寝て言え!!」
「俺にできないことなんてねぇーよ」
「できないことは無いと申したな? ガッガッガッ! では、我を大精霊に戻してみよ! 魔王と名乗るからには、それくらい容易いだろう!!」
漆黒の巨狼が涎を撒き散らしながら吼える。
(なんつー要求だ…… 自分にメリットしかないじゃないか)
『所詮は犬知恵よ。だが、どうする気だ? できるのか?』
(いやいや、俺がそんなマニアックな情報知ってる訳ないでしょーに。炎の雄牛は? 何かない? 漆黒の巨狼を大精霊に戻す方法)
『一度穢れた者が、再び大精霊へ戻ることは出来ん。それが精霊界の掟だ。だが、相応の力を取り戻させることは出来るだろうな。お主なら』
(お、それどうやるの? ぜひ聞きたい)
『うむ』
漆黒の巨狼に、大精霊の頃の力を戻させる方法。
それは――
『眷属化すれば良い』
(眷属化?)
『そうだ』
血の契約ではなく、眷属化。
現代風に例えるなら、血の契約が結婚で、眷属化が雇用と表現すれば近いだろうか。
大きな違いは、魔力を貰うか、魔力を渡すかの差にある。
大精霊との契約は、契約者が大精霊との交渉次第で、大精霊の魔力と力を借りることができる。
一方で、精霊の眷属化は、精霊へ魔力を渡すことで、その渡した魔力の分、精霊に力を行使してもらうことができる。
契約には、強制力が働かない。
だが、眷属化の場合、魔力さえ渡せば、ある程度の強制力をもって――限度はあるが――精霊の力を行使することができるのだ。
なので、人族よりも知恵のある大精霊位が、人族に眷属化されたという話は前例がなかった。
何故なら、大精霊側に、眷属化される理由――メリットがないからだ。
元々膨大な魔力を保有している大精霊が、微小な魔力しか保有していない人族に、わざわざ質も量も劣る魔力を借りたい状況など発生しない。
だが、漆黒の巨狼とハルトは、状況的に真逆の立場にある。
漆黒の巨狼は、大精霊位の資格を失ったとき、魔力の行使ができなくなった。
一方で、ハルトには、大精霊が赤児に見えるくらいの天文学的な魔力の保有量がある。
故に、可能だろうということだった。
『眷属化することで、ハルトが奴の失った魔力を補ってやればいい。普通であれば考えられないことだぞ? 他の人族が真似しようものなら、一瞬で干からびて消滅するだろうからな』
(魔力吸われすぎると干からびて消滅するのか……)
解決策が分かったところで、痺れを切らした漆黒の巨狼が再び吼えた。
「どうした!? 出来ぬのか!?」
「はぁ、大精霊に戻してみろって、流石に都合が良すぎるだろ」
「ガッガッガッ! ほれみよ! 出来ぬのではないか!!」
「大精霊の頃と同等の力、同等の魔力を行使できるようにはしてやれるっぽいけどな」
「……何?」
漆黒の巨狼が牙を剥き、半分口を開けた状態で静止する。
その顔がどこか可笑しくてつい笑ってしまう。
「何が可笑しい!!」
「いや、すまん。反応が面白かったんでつい。よっぽど力を取り戻したいんだな」
「当たり前であろう! 大精霊から落ちた我の苦しみなど、貴様には分かるまい!!」
大統領になったと思ったら、人生転落して、犯罪者か一文無しにまで落ちた、みたいな感覚だろうか。
確かに辛そうだ。
「そっか。じゃあそこまで言うなら、俺に従え」
「……何?」
今日、何度目かになる疑問の言葉。
漆黒の巨狼が目を細くしながら、こちらの真意を探るように聞き返してくる。
だが、答えは変わらない。
「俺に従えと言ってる。力が欲しければ、俺の眷属になれ」
「なっ!?」
漆黒の巨狼の目が大きく見開かれ、少し後退りしながらも、牙を剥いて吼え始めた。
「貴様、正気か!? 落ちたとはいえ、大精霊だった我を眷属化する気か!? 死ぬぞ!?」
「はっはー! なんだぁなんだぁ? 心配してくれてんのー?」
「ハッ! 笑止! 誰が貴様の心配など!!」
「じゃあ従えよ。黙って俺の眷属になりやがれ。眷属化に失敗して、俺が干からびて死ぬ分には問題ねーだろ」
「だが……」
「ぐだぐだ言うな! やるのか? やらないのか?」
「ぐっ…… 貴様、何を企んでおる」
「だから、世界征服だっつの! 魔王と言ったらそれしかやることないでしょ!!」
「くっ…… グガガ…… ガッガッガッ! 面白い! 貴様のその挑発に乗ってやる!!」
「やっと腹括ったか。遅ぇーよ」
「貴様が死ねば、そこの娘が今宵の馳走だ」
「あーまたそれやるの? まぁ、でもいいか。構わんよ。その代わり、俺が死ななかったら、お前一生俺の奴隷な」
前回の勝負が無かったことになっているのが少し気になったが、漆黒の巨狼は眷属――ならぬ奴隷決定なので、些細なことだと思って無視する。
(……っで、眷属化の方法って?)
『呆れを通り越して逆に関心するぞ。方法を知らずにあそこまで話を進めるとはな』
(いや、何となくノリで…… で、方法は?)
『下手な手続きは不要だ。眷属になれと命じながら、相手に魔力を送り込めば良い』
(あー汝を我の眷属に命じる!っていうお決まりの奴ね! って、なんだそれだけか。ちょっと焦って損した)
『なんだ、知っておったのか?』
「まぁアニメとか小説でよく見てた』
『よく分からんが…… それよりもお主。本当にハルトか?』
(ハイデルトでないことは確かだと思う。大丈夫。きっと度重なる不幸で、心がささくれただけさ。もしくは、ただの開き直り。あまり気にしないでおくれ)
『それなら良いのだが』
相手へ配慮しないで話すのは、とても楽だ。
こう言ったら角が立つ、とか、変な勘ぐりされないように、とか、余計なことを考えずに、ただ思ったことを、その時の表現で口に出すだけ。
自分のキャラに合わないだろうとか、かっこ悪いと思われるとか、他人の目も一切気にしない。
自由。
それがこんなにも気持ちが良いことだなんて……
今までは、発言一つとっても自分なりの気を使っていたハルトが、自由に生きることの楽しさを少し発見した瞬間でもあった。
(自分の気持ち一つで、その世界が明るくも暗くも見える。それは過去にも体験したことがあるけど。やっぱり、この感覚、いいな。視野が広がっていく気がする)
一人で目の前の本題から脱線していると、漆黒の巨狼が自ら近寄ってきた。
「心の準備ができたようだな」
「お前もな」
「フンッ、笑止!」
ハルトが漆黒の巨狼の鼻に触れる。
そして――
「漆黒の巨狼――ウォセ。汝を我の眷属に命じる。我の魔力を糧とし、我が意思に汝の力を与えよ!」
「ガッガッガッ! その挑戦、受けて立つ!!」
ハルトが魔力を送り出す。
その膨大で、濃厚な魔力の濁流に、漆黒の巨狼の全身の毛が暴風に晒されたかのように荒々しく逆立った。
「グッ、グガッ……」
体験したことのない魔力の量を受けて、ウォセの顔が引き攣る。
『ハルト、やり過ぎだ。そこの仔犬が溺れ死ぬぞ』
(おっと、ごめ。加減が分からなかった。教えてくれてありがと)
『ふむ、また魔力欠乏になっても困るからな。まぁこの程度でお主が魔力欠乏になることはないだろうが』
(気を付けてはいるんだけどね……)
魔力を止めると、ハルトと漆黒の巨狼が淡い光の粒子に包まれた。
光がおさまるのと同時に、漆黒の巨狼の顔からも険しさが消える。
初めて見る穏やかな顔だ。
赤黒く染まっていた瞳も澄み、逆立った毛は落ち着き、薄汚れていた漆黒の毛並みは、綺麗で艶のある毛並みへと変化していた。
「これが…… 眷属化か……」
漆黒の巨狼は、目を瞑ると、鼻をクンクンと鳴らしながら辺りを嗅ぎ回った。
「大地の匂いを感じる…… 草の青い匂いも、花の甘い香りもだ」
目を開き、上へ下へと視線を移す。
「色が戻った…… 空が青い……地面が茶色い。分かる。分かるぞ!」
自分の脚や、尻尾へと視線を移し、跳ねたり、回ったりして、身体の変化を確認する。
「軽い、身体が軽い…… それに、痛みがない。痒みも、疼きも、血を求める乾きもない…… 我は、我はようやく、あの苦しみから解放されたのだ! ようやく! 長かった! あの苦しみから!!」
――ワォオオオーーーーン!!
漆黒の巨狼が喜びのあまり遠吠えすると、周りの狼達がそれに続いた。
――――ワォオーーーーーン!!
遠吠えとともに漆黒の巨狼から光の輪が発生し、瞬く間に周囲へ広がる。
その光の輪を浴びた狼達が、淡い光の粒子に包まれ、漆黒の巨狼と同じように小綺麗になっていく。
すると、ハルトの真横に、突然、炎の旋風が巻き起こり、炎を身に纏った闘牛――炎の雄牛が姿を現した。
「うおっ!? 炎の雄牛!? 何で出てきた!?」
ハルトの言葉を無視して、炎の雄牛は漆黒の巨狼へと吼えた。
「眷属の分際で、主人の魔力を勝手に使うとは! 許さんぞ!!」
どういう訳か、炎の雄牛は漆黒の巨狼に怒り心頭だった。
本来であれば、眷属化した精霊は、精霊自身の意思で主人の魔力を使うことはできない。
だが、元大精霊の漆黒の巨狼は、契約者の魔力を引き出す方法を身に付けていたようで、眷属なのに、主人の意思を無視して勝手に魔力を引き出し、自分の為に行使したということらしい。
親の通帳から勝手にお金をおろして使った子供だと思えばいいだろうか。
もしくは、会社の金を勝手に引き出して私用で使った社員とか。
――あ、これ駄目な奴だった。
「ようやく姿を現したかと思えば、なんと器の小さい。大海の水をコップ一杯使ったところでどうということはないだろう」
その例えなら悪くないように思える不思議。
しかし、大海て。
そんなに魔力が多いのか。
それはそれで凄いな。
「精霊界の掟を破るつもりか!」
「ガッガッガッ! 我はもはや精霊ではない。ただの獣だぞ? 精霊界など糞食らえよのぅ!!」 
あー、炎の雄牛が言い負けてる。
「くっ、仔犬の分際で!!」
「フンッ! 図体だけデカイ牛に言われても何も感じぬ!!」
「ま、まぁまぁ、喧嘩すんなって」
そのままバトル始めそうな雰囲気だったので、取り敢えず仲裁に入る。
――あれ? 俺、主人だよね?
「漆黒の巨狼は、俺との勝負のこと、忘れてないだろうな?」
「忘れてはおらぬ。主人よ、我は主人の脚となり、眼となり、牙となろう。我と我に従う同族全て、主人の為であれば、その命も惜しまぬ。存分に使われい」
「お、おおう」
眷属化する前と後では偉い違いだ。
まるで別人。
炎の雄牛は若干悔しそうだが、特に食い下がることはしなかった。
「じゃあ、えーっと、無事に問題解決したってことで、樹人さん達、ありがとね。もう大丈夫。助かりました」
「イツデモ、助ケ二、ナル」
樹人達が、枝葉をバキバキと鳴らしながら、一人、また一人と森へと帰っていく。
「ティアは、大丈夫? って、縛られたままだったのか、後回しにしてごめん」
「は、はい」
縄を解いてやると、ティアの手が擦れて切れ、血が滲んでいるのが見えた。
「あー、痛そう。炎の雄牛、ティアにも再生の力って使えないの?」
「使えるぞ。お主が望めばな」
「お、炎の雄牛優秀。じゃあ、ティア、手を出して」
「は、はい……」
恐る恐る手を出すティア。
その細い手首の下に、ハルトはそっと手を添えるようにして掌を差し出した。
「えーっと、取り敢えず再生イメージして魔力出せばいいかな?」
「うむ」
ハルトが魔力を練り込むと、途端にハルトとティアを中心に暖かい風が吹き、キラキラと光り輝く粒子が風に乗りながら手首へと集まっていった。
ティアの手首が仄かに温まり、傷が見る見るうちに癒えていく。
「これ、ティア自身へも使えないかな? 肌荒れとか、目の隈とか、これで治せそうな気がするけど。取り敢えず試してみるか」
「……え?」
手首の傷が癒えていく様子に、唖然としながら驚いていたティアが、ハルトの呟きに目を丸くする。
だが、ハルトはティアの反応に気付かず、そのまま続けた。
次の瞬間には、光の粒子がティアの身体を覆い尽くしていた。
優しい光と、暖かな風に包まれるティア。
不思議と、すり減っていた心まで癒されていくような感覚を感じていた。
永遠にその光の中にいたいと、無意識に願うティアだったが、その安らぎのひとときも一瞬で終わる。
「よし、上手くいったみたいだ」
身を乗り出して、ティアの顔を確認するハルト。
ティアはいつの間にか目を瞑っていた。
ティアが目を開けると、至近距離まで迫っていたハルトに驚き、「キャァッ!?」と短い悲鳴をあげて後退り、後ろにコロンと転がるように倒れた。
「元気も戻ったみたいだね。良かった良かった」
頬を赤くしながら、ティアが慌てて立ち上がる。
「あ、あの、ありがとうございます」
勢いよく立ち上がったはいいが、ハルトに何を言っていいのか急に分からなくなり、取り敢えず助けてもらったお礼を口にする。
ティアとしては、ハルトに聞きたいことが山程あったのだが、冷静にその一つ一つを質問するには、暫し頭と気持ちの整理を必要としていた。
そんなティアの気持ちなど御構い無しに、ハルトは話を先に進める。
「そういや、村人は毎年生贄を用意するんだったよな。それだけでもやめさせておくか」
「そこの仔犬を村に行かせれば済む話だな」
「家畜は黙っておれ。主人よ、手始めに村人を皆殺しにするのであれば、喜んでお手伝いしようぞ」
「誰が家畜だ! 獣風情が舐めた口を聞くな!!」
「ガッガッガッ! 大精霊が何だと言うのだ! 今は主人から魔力を引き出せる我の方が、貴様より強いということを忘れるな!!」
「何を!? 大精霊であるワシよりも強いと抜かすか!? それこそあり得ん! ならば白黒付けてもいいのだぞ!?」
「やめやめやめ! お前ら仲良くしろよ! いや、仲良くできなくてもいいから、喧嘩はすんな! って、炎の雄牛、炎抑えろって! 木に燃え移ったらどうすんだ!?」
炎の雄牛と漆黒の巨狼が激しい視線の火花を散らしながらいがみ合う。
暫しその視線の鍔迫り合いを続けた後、炎の雄牛が鼻からフンと火花を吹き、「不愉快だ! ワシはハルトの中に戻るぞ!」と、捨て台詞を吐いて消えた。
「はぁ、漆黒の巨狼も、もう炎の雄牛に突っかかるなよ? いいか?」
「我は火の粉を振り払っただけよ」
そう言いつつも、漆黒の巨狼はどこか満足気だ。
すると、少し立ち直ったのか、ティアが胸の前で拳を作りながら、若干震えの混ざった声で聞いてきた。
「村人を、皆殺しにするのですか……?」
「えっ? しないよ?」
「……えっ? でも、さっき……」
「あー、漆黒の巨狼の発言は気にしないで。特に村を焼き払う理由は俺にはないし、生贄をやめさせるってだけだよ」
とは言いつつも、漆黒の巨狼を村に行かせたら本当に皆殺しにしかねない。
村に行って説明するのもかったるいし――
そうだ、ここは樹人にお願いしよう!
「村への説得は、樹人にお願いしてみるよ。樹人が相手なら、村人も言われたことを鵜呑みにするでしょ」
「そ、それは…… そうかも、しれません……」
「じゃあ、それで決まり」
尚もティアは言いたげな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
「ふぅ、後は、残してきた四人と合流しないといけないんだけど、歩いていくにはちょっと遠いんだよなぁ」
「主人よ、我の脚でも時間がかかる程の距離か?」
「そうだねぇ。かかるかも? 地図があれば説明しやすいんだけど…… あっ、いい事思い付いた」
地面を見ながら、森に願う。
「森さん森さん、この大陸の地図が知りたい。ざっくりとした奴でいいから」
すると、地面から木の根が無数に生え、大陸の形を形成していった。
「ほぅ、主人はこのようなこともできるのか」
『お主、そんな事もできるのか』
漆黒の巨狼と炎の雄牛の言葉が同期する。
それが余程嫌だったのか、炎の雄牛が頭の中で悪態をついたが無視した。
「今の場所は、っと…… ここか。大陸の北東の端にある森林地帯ってとこかな? ティアはこの地図見て、どこがどこか分かる?」
「は、はい。分かります」
ハルトに呼ばれたティアが地図へと近づき、地図の補足をしていく。
「今、私達がここにいるのであれば、ここは、連合諸国地域です。小さな国や自治区の集まりで、北部の大森林を統治する精霊大森国クロノア、東部を統治する魔導大帝国イシリスと隣接しています」
「へぇー、連合諸国地域といいつつも、この場所はほぼクロノアの領土っぽい位置だね」
「はい。クロノアは迷いの森と呼ばれる大樹海を越えた先にありますので、その境目には基本、人族は住み着きません。一度入れば出てこれなくなると噂される森ですから……」
「なるほどね。あ、後、ギヌとかは今ここね」
「……随分、離れていますね。イシリスとの国境付近ですか」
「そうなんだよ。樹人からはすぐ近くって言われたんだけどさ。三日三晩歩き続けても全く到着する気配なくて、それで空飛んで来たんだけど、それでも遠かったからなぁ」
「ガッガッガッ! 樹人と我らでは、時の流れが大きく異なる。樹人の “すぐ” は、我らでの一年に値すると思っておいた方が良い」
「誤差ってレベルじゃねーな……」
その事実に、自分の生死がかかっていたティアはゴクリと喉を鳴らす。
ハルトが機転を利かせて空を飛んで来なければ、今頃は漆黒の巨狼の腹の中に収まっていたかもしれないのだ。
ハルトが命の恩人であることは間違いない。
それでもティアを混乱させているのは、ハルトが、ハイデルトの身体を借りていると言ったことにある。
身体――ハイデルトは国の仇でありながら、魂――ハルトは命の恩人。
だが、よりティアを混乱させたのは、仇であるハイデルトですらも、ティアを助けようとしていたと言ったことだった。
何が正しいのか。
いや、全てが正しかったら、自分はどうすれば良いのか。
憎しみを糧に辛い日々を乗り越えてきたティアにとって、その根幹を覆しかねない事実に、ティアは初めて、真実を知りたくないという気持ちに直面していた。
そんな気持ちをハルトが汲み取ったかは定かではないが、ハルトがティアにとって重要なことを口にした。
「そういえば、大切にしていた剣は…… どうしたの?」
「法、法剣! な、ない!? ど、どこ!?」
結局、ギヌ達との合流は、村へ法剣シュウを取り戻しに行った後になったのだった。
漆黒の巨狼が、牙を剥きながらハルトの言葉を否定する。
そこに侮りの色はない。
先程の勝負が余程効いたのだろう。
自身の鋭い牙と強靭な顎をもってしても、喰い千切るどころか、傷一つつけられなかった異質な相手。
その事実が、漆黒の巨狼の警戒度を最大にまで高めていたのだ。
だが、漆黒の巨狼の嗅覚は、確かに目の前の男――ハルトから、人族と雌牛の臭いを嗅ぎ取っていた。
それなのに、何かが違う。
得体の知れない別の気配も感じる。
それは、野生の本能が察知した何か。
忌避感を覚えるような、禁忌的な何かだった。
大精霊だった頃ならば気付けたかも知れない。
だが、ただの獣に成り下がった漆黒の巨狼には、そこまでの察知能力はなかった。
漆黒の巨狼が混乱していると、ハルトが淡々と答えた。
「全てを喰らう食欲の塊だろ? 知ってるよ。俺の中に封印されてる」
ハルトの言葉に、漆黒の巨狼だけでなく、その場にいた亡国の姫――ティアまでもが目を見開いて驚いた。
「あり得ぬ! 戯言だ!!」
「まぁお前は信じないだろうよ。別に信じなくてもいいさ。だが、俺の目指す魔王はそういう意味じゃない」
「……何?」
「言っただろ。もう忘れたのか? なら、何度でも言ってやるよ。俺は、この腐った世界をぶち壊して、自分が思い描く理想郷をぶっ立ててやる!ってな」
「それこそよ世迷言よ! あり得ぬ! 寝言は寝て言え!!」
「俺にできないことなんてねぇーよ」
「できないことは無いと申したな? ガッガッガッ! では、我を大精霊に戻してみよ! 魔王と名乗るからには、それくらい容易いだろう!!」
漆黒の巨狼が涎を撒き散らしながら吼える。
(なんつー要求だ…… 自分にメリットしかないじゃないか)
『所詮は犬知恵よ。だが、どうする気だ? できるのか?』
(いやいや、俺がそんなマニアックな情報知ってる訳ないでしょーに。炎の雄牛は? 何かない? 漆黒の巨狼を大精霊に戻す方法)
『一度穢れた者が、再び大精霊へ戻ることは出来ん。それが精霊界の掟だ。だが、相応の力を取り戻させることは出来るだろうな。お主なら』
(お、それどうやるの? ぜひ聞きたい)
『うむ』
漆黒の巨狼に、大精霊の頃の力を戻させる方法。
それは――
『眷属化すれば良い』
(眷属化?)
『そうだ』
血の契約ではなく、眷属化。
現代風に例えるなら、血の契約が結婚で、眷属化が雇用と表現すれば近いだろうか。
大きな違いは、魔力を貰うか、魔力を渡すかの差にある。
大精霊との契約は、契約者が大精霊との交渉次第で、大精霊の魔力と力を借りることができる。
一方で、精霊の眷属化は、精霊へ魔力を渡すことで、その渡した魔力の分、精霊に力を行使してもらうことができる。
契約には、強制力が働かない。
だが、眷属化の場合、魔力さえ渡せば、ある程度の強制力をもって――限度はあるが――精霊の力を行使することができるのだ。
なので、人族よりも知恵のある大精霊位が、人族に眷属化されたという話は前例がなかった。
何故なら、大精霊側に、眷属化される理由――メリットがないからだ。
元々膨大な魔力を保有している大精霊が、微小な魔力しか保有していない人族に、わざわざ質も量も劣る魔力を借りたい状況など発生しない。
だが、漆黒の巨狼とハルトは、状況的に真逆の立場にある。
漆黒の巨狼は、大精霊位の資格を失ったとき、魔力の行使ができなくなった。
一方で、ハルトには、大精霊が赤児に見えるくらいの天文学的な魔力の保有量がある。
故に、可能だろうということだった。
『眷属化することで、ハルトが奴の失った魔力を補ってやればいい。普通であれば考えられないことだぞ? 他の人族が真似しようものなら、一瞬で干からびて消滅するだろうからな』
(魔力吸われすぎると干からびて消滅するのか……)
解決策が分かったところで、痺れを切らした漆黒の巨狼が再び吼えた。
「どうした!? 出来ぬのか!?」
「はぁ、大精霊に戻してみろって、流石に都合が良すぎるだろ」
「ガッガッガッ! ほれみよ! 出来ぬのではないか!!」
「大精霊の頃と同等の力、同等の魔力を行使できるようにはしてやれるっぽいけどな」
「……何?」
漆黒の巨狼が牙を剥き、半分口を開けた状態で静止する。
その顔がどこか可笑しくてつい笑ってしまう。
「何が可笑しい!!」
「いや、すまん。反応が面白かったんでつい。よっぽど力を取り戻したいんだな」
「当たり前であろう! 大精霊から落ちた我の苦しみなど、貴様には分かるまい!!」
大統領になったと思ったら、人生転落して、犯罪者か一文無しにまで落ちた、みたいな感覚だろうか。
確かに辛そうだ。
「そっか。じゃあそこまで言うなら、俺に従え」
「……何?」
今日、何度目かになる疑問の言葉。
漆黒の巨狼が目を細くしながら、こちらの真意を探るように聞き返してくる。
だが、答えは変わらない。
「俺に従えと言ってる。力が欲しければ、俺の眷属になれ」
「なっ!?」
漆黒の巨狼の目が大きく見開かれ、少し後退りしながらも、牙を剥いて吼え始めた。
「貴様、正気か!? 落ちたとはいえ、大精霊だった我を眷属化する気か!? 死ぬぞ!?」
「はっはー! なんだぁなんだぁ? 心配してくれてんのー?」
「ハッ! 笑止! 誰が貴様の心配など!!」
「じゃあ従えよ。黙って俺の眷属になりやがれ。眷属化に失敗して、俺が干からびて死ぬ分には問題ねーだろ」
「だが……」
「ぐだぐだ言うな! やるのか? やらないのか?」
「ぐっ…… 貴様、何を企んでおる」
「だから、世界征服だっつの! 魔王と言ったらそれしかやることないでしょ!!」
「くっ…… グガガ…… ガッガッガッ! 面白い! 貴様のその挑発に乗ってやる!!」
「やっと腹括ったか。遅ぇーよ」
「貴様が死ねば、そこの娘が今宵の馳走だ」
「あーまたそれやるの? まぁ、でもいいか。構わんよ。その代わり、俺が死ななかったら、お前一生俺の奴隷な」
前回の勝負が無かったことになっているのが少し気になったが、漆黒の巨狼は眷属――ならぬ奴隷決定なので、些細なことだと思って無視する。
(……っで、眷属化の方法って?)
『呆れを通り越して逆に関心するぞ。方法を知らずにあそこまで話を進めるとはな』
(いや、何となくノリで…… で、方法は?)
『下手な手続きは不要だ。眷属になれと命じながら、相手に魔力を送り込めば良い』
(あー汝を我の眷属に命じる!っていうお決まりの奴ね! って、なんだそれだけか。ちょっと焦って損した)
『なんだ、知っておったのか?』
「まぁアニメとか小説でよく見てた』
『よく分からんが…… それよりもお主。本当にハルトか?』
(ハイデルトでないことは確かだと思う。大丈夫。きっと度重なる不幸で、心がささくれただけさ。もしくは、ただの開き直り。あまり気にしないでおくれ)
『それなら良いのだが』
相手へ配慮しないで話すのは、とても楽だ。
こう言ったら角が立つ、とか、変な勘ぐりされないように、とか、余計なことを考えずに、ただ思ったことを、その時の表現で口に出すだけ。
自分のキャラに合わないだろうとか、かっこ悪いと思われるとか、他人の目も一切気にしない。
自由。
それがこんなにも気持ちが良いことだなんて……
今までは、発言一つとっても自分なりの気を使っていたハルトが、自由に生きることの楽しさを少し発見した瞬間でもあった。
(自分の気持ち一つで、その世界が明るくも暗くも見える。それは過去にも体験したことがあるけど。やっぱり、この感覚、いいな。視野が広がっていく気がする)
一人で目の前の本題から脱線していると、漆黒の巨狼が自ら近寄ってきた。
「心の準備ができたようだな」
「お前もな」
「フンッ、笑止!」
ハルトが漆黒の巨狼の鼻に触れる。
そして――
「漆黒の巨狼――ウォセ。汝を我の眷属に命じる。我の魔力を糧とし、我が意思に汝の力を与えよ!」
「ガッガッガッ! その挑戦、受けて立つ!!」
ハルトが魔力を送り出す。
その膨大で、濃厚な魔力の濁流に、漆黒の巨狼の全身の毛が暴風に晒されたかのように荒々しく逆立った。
「グッ、グガッ……」
体験したことのない魔力の量を受けて、ウォセの顔が引き攣る。
『ハルト、やり過ぎだ。そこの仔犬が溺れ死ぬぞ』
(おっと、ごめ。加減が分からなかった。教えてくれてありがと)
『ふむ、また魔力欠乏になっても困るからな。まぁこの程度でお主が魔力欠乏になることはないだろうが』
(気を付けてはいるんだけどね……)
魔力を止めると、ハルトと漆黒の巨狼が淡い光の粒子に包まれた。
光がおさまるのと同時に、漆黒の巨狼の顔からも険しさが消える。
初めて見る穏やかな顔だ。
赤黒く染まっていた瞳も澄み、逆立った毛は落ち着き、薄汚れていた漆黒の毛並みは、綺麗で艶のある毛並みへと変化していた。
「これが…… 眷属化か……」
漆黒の巨狼は、目を瞑ると、鼻をクンクンと鳴らしながら辺りを嗅ぎ回った。
「大地の匂いを感じる…… 草の青い匂いも、花の甘い香りもだ」
目を開き、上へ下へと視線を移す。
「色が戻った…… 空が青い……地面が茶色い。分かる。分かるぞ!」
自分の脚や、尻尾へと視線を移し、跳ねたり、回ったりして、身体の変化を確認する。
「軽い、身体が軽い…… それに、痛みがない。痒みも、疼きも、血を求める乾きもない…… 我は、我はようやく、あの苦しみから解放されたのだ! ようやく! 長かった! あの苦しみから!!」
――ワォオオオーーーーン!!
漆黒の巨狼が喜びのあまり遠吠えすると、周りの狼達がそれに続いた。
――――ワォオーーーーーン!!
遠吠えとともに漆黒の巨狼から光の輪が発生し、瞬く間に周囲へ広がる。
その光の輪を浴びた狼達が、淡い光の粒子に包まれ、漆黒の巨狼と同じように小綺麗になっていく。
すると、ハルトの真横に、突然、炎の旋風が巻き起こり、炎を身に纏った闘牛――炎の雄牛が姿を現した。
「うおっ!? 炎の雄牛!? 何で出てきた!?」
ハルトの言葉を無視して、炎の雄牛は漆黒の巨狼へと吼えた。
「眷属の分際で、主人の魔力を勝手に使うとは! 許さんぞ!!」
どういう訳か、炎の雄牛は漆黒の巨狼に怒り心頭だった。
本来であれば、眷属化した精霊は、精霊自身の意思で主人の魔力を使うことはできない。
だが、元大精霊の漆黒の巨狼は、契約者の魔力を引き出す方法を身に付けていたようで、眷属なのに、主人の意思を無視して勝手に魔力を引き出し、自分の為に行使したということらしい。
親の通帳から勝手にお金をおろして使った子供だと思えばいいだろうか。
もしくは、会社の金を勝手に引き出して私用で使った社員とか。
――あ、これ駄目な奴だった。
「ようやく姿を現したかと思えば、なんと器の小さい。大海の水をコップ一杯使ったところでどうということはないだろう」
その例えなら悪くないように思える不思議。
しかし、大海て。
そんなに魔力が多いのか。
それはそれで凄いな。
「精霊界の掟を破るつもりか!」
「ガッガッガッ! 我はもはや精霊ではない。ただの獣だぞ? 精霊界など糞食らえよのぅ!!」 
あー、炎の雄牛が言い負けてる。
「くっ、仔犬の分際で!!」
「フンッ! 図体だけデカイ牛に言われても何も感じぬ!!」
「ま、まぁまぁ、喧嘩すんなって」
そのままバトル始めそうな雰囲気だったので、取り敢えず仲裁に入る。
――あれ? 俺、主人だよね?
「漆黒の巨狼は、俺との勝負のこと、忘れてないだろうな?」
「忘れてはおらぬ。主人よ、我は主人の脚となり、眼となり、牙となろう。我と我に従う同族全て、主人の為であれば、その命も惜しまぬ。存分に使われい」
「お、おおう」
眷属化する前と後では偉い違いだ。
まるで別人。
炎の雄牛は若干悔しそうだが、特に食い下がることはしなかった。
「じゃあ、えーっと、無事に問題解決したってことで、樹人さん達、ありがとね。もう大丈夫。助かりました」
「イツデモ、助ケ二、ナル」
樹人達が、枝葉をバキバキと鳴らしながら、一人、また一人と森へと帰っていく。
「ティアは、大丈夫? って、縛られたままだったのか、後回しにしてごめん」
「は、はい」
縄を解いてやると、ティアの手が擦れて切れ、血が滲んでいるのが見えた。
「あー、痛そう。炎の雄牛、ティアにも再生の力って使えないの?」
「使えるぞ。お主が望めばな」
「お、炎の雄牛優秀。じゃあ、ティア、手を出して」
「は、はい……」
恐る恐る手を出すティア。
その細い手首の下に、ハルトはそっと手を添えるようにして掌を差し出した。
「えーっと、取り敢えず再生イメージして魔力出せばいいかな?」
「うむ」
ハルトが魔力を練り込むと、途端にハルトとティアを中心に暖かい風が吹き、キラキラと光り輝く粒子が風に乗りながら手首へと集まっていった。
ティアの手首が仄かに温まり、傷が見る見るうちに癒えていく。
「これ、ティア自身へも使えないかな? 肌荒れとか、目の隈とか、これで治せそうな気がするけど。取り敢えず試してみるか」
「……え?」
手首の傷が癒えていく様子に、唖然としながら驚いていたティアが、ハルトの呟きに目を丸くする。
だが、ハルトはティアの反応に気付かず、そのまま続けた。
次の瞬間には、光の粒子がティアの身体を覆い尽くしていた。
優しい光と、暖かな風に包まれるティア。
不思議と、すり減っていた心まで癒されていくような感覚を感じていた。
永遠にその光の中にいたいと、無意識に願うティアだったが、その安らぎのひとときも一瞬で終わる。
「よし、上手くいったみたいだ」
身を乗り出して、ティアの顔を確認するハルト。
ティアはいつの間にか目を瞑っていた。
ティアが目を開けると、至近距離まで迫っていたハルトに驚き、「キャァッ!?」と短い悲鳴をあげて後退り、後ろにコロンと転がるように倒れた。
「元気も戻ったみたいだね。良かった良かった」
頬を赤くしながら、ティアが慌てて立ち上がる。
「あ、あの、ありがとうございます」
勢いよく立ち上がったはいいが、ハルトに何を言っていいのか急に分からなくなり、取り敢えず助けてもらったお礼を口にする。
ティアとしては、ハルトに聞きたいことが山程あったのだが、冷静にその一つ一つを質問するには、暫し頭と気持ちの整理を必要としていた。
そんなティアの気持ちなど御構い無しに、ハルトは話を先に進める。
「そういや、村人は毎年生贄を用意するんだったよな。それだけでもやめさせておくか」
「そこの仔犬を村に行かせれば済む話だな」
「家畜は黙っておれ。主人よ、手始めに村人を皆殺しにするのであれば、喜んでお手伝いしようぞ」
「誰が家畜だ! 獣風情が舐めた口を聞くな!!」
「ガッガッガッ! 大精霊が何だと言うのだ! 今は主人から魔力を引き出せる我の方が、貴様より強いということを忘れるな!!」
「何を!? 大精霊であるワシよりも強いと抜かすか!? それこそあり得ん! ならば白黒付けてもいいのだぞ!?」
「やめやめやめ! お前ら仲良くしろよ! いや、仲良くできなくてもいいから、喧嘩はすんな! って、炎の雄牛、炎抑えろって! 木に燃え移ったらどうすんだ!?」
炎の雄牛と漆黒の巨狼が激しい視線の火花を散らしながらいがみ合う。
暫しその視線の鍔迫り合いを続けた後、炎の雄牛が鼻からフンと火花を吹き、「不愉快だ! ワシはハルトの中に戻るぞ!」と、捨て台詞を吐いて消えた。
「はぁ、漆黒の巨狼も、もう炎の雄牛に突っかかるなよ? いいか?」
「我は火の粉を振り払っただけよ」
そう言いつつも、漆黒の巨狼はどこか満足気だ。
すると、少し立ち直ったのか、ティアが胸の前で拳を作りながら、若干震えの混ざった声で聞いてきた。
「村人を、皆殺しにするのですか……?」
「えっ? しないよ?」
「……えっ? でも、さっき……」
「あー、漆黒の巨狼の発言は気にしないで。特に村を焼き払う理由は俺にはないし、生贄をやめさせるってだけだよ」
とは言いつつも、漆黒の巨狼を村に行かせたら本当に皆殺しにしかねない。
村に行って説明するのもかったるいし――
そうだ、ここは樹人にお願いしよう!
「村への説得は、樹人にお願いしてみるよ。樹人が相手なら、村人も言われたことを鵜呑みにするでしょ」
「そ、それは…… そうかも、しれません……」
「じゃあ、それで決まり」
尚もティアは言いたげな顔をしていたが、結局何も言わなかった。
「ふぅ、後は、残してきた四人と合流しないといけないんだけど、歩いていくにはちょっと遠いんだよなぁ」
「主人よ、我の脚でも時間がかかる程の距離か?」
「そうだねぇ。かかるかも? 地図があれば説明しやすいんだけど…… あっ、いい事思い付いた」
地面を見ながら、森に願う。
「森さん森さん、この大陸の地図が知りたい。ざっくりとした奴でいいから」
すると、地面から木の根が無数に生え、大陸の形を形成していった。
「ほぅ、主人はこのようなこともできるのか」
『お主、そんな事もできるのか』
漆黒の巨狼と炎の雄牛の言葉が同期する。
それが余程嫌だったのか、炎の雄牛が頭の中で悪態をついたが無視した。
「今の場所は、っと…… ここか。大陸の北東の端にある森林地帯ってとこかな? ティアはこの地図見て、どこがどこか分かる?」
「は、はい。分かります」
ハルトに呼ばれたティアが地図へと近づき、地図の補足をしていく。
「今、私達がここにいるのであれば、ここは、連合諸国地域です。小さな国や自治区の集まりで、北部の大森林を統治する精霊大森国クロノア、東部を統治する魔導大帝国イシリスと隣接しています」
「へぇー、連合諸国地域といいつつも、この場所はほぼクロノアの領土っぽい位置だね」
「はい。クロノアは迷いの森と呼ばれる大樹海を越えた先にありますので、その境目には基本、人族は住み着きません。一度入れば出てこれなくなると噂される森ですから……」
「なるほどね。あ、後、ギヌとかは今ここね」
「……随分、離れていますね。イシリスとの国境付近ですか」
「そうなんだよ。樹人からはすぐ近くって言われたんだけどさ。三日三晩歩き続けても全く到着する気配なくて、それで空飛んで来たんだけど、それでも遠かったからなぁ」
「ガッガッガッ! 樹人と我らでは、時の流れが大きく異なる。樹人の “すぐ” は、我らでの一年に値すると思っておいた方が良い」
「誤差ってレベルじゃねーな……」
その事実に、自分の生死がかかっていたティアはゴクリと喉を鳴らす。
ハルトが機転を利かせて空を飛んで来なければ、今頃は漆黒の巨狼の腹の中に収まっていたかもしれないのだ。
ハルトが命の恩人であることは間違いない。
それでもティアを混乱させているのは、ハルトが、ハイデルトの身体を借りていると言ったことにある。
身体――ハイデルトは国の仇でありながら、魂――ハルトは命の恩人。
だが、よりティアを混乱させたのは、仇であるハイデルトですらも、ティアを助けようとしていたと言ったことだった。
何が正しいのか。
いや、全てが正しかったら、自分はどうすれば良いのか。
憎しみを糧に辛い日々を乗り越えてきたティアにとって、その根幹を覆しかねない事実に、ティアは初めて、真実を知りたくないという気持ちに直面していた。
そんな気持ちをハルトが汲み取ったかは定かではないが、ハルトがティアにとって重要なことを口にした。
「そういえば、大切にしていた剣は…… どうしたの?」
「法、法剣! な、ない!? ど、どこ!?」
結局、ギヌ達との合流は、村へ法剣シュウを取り戻しに行った後になったのだった。
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