導帝転生 〜仕方ない、世界を救うとしよう。変態の身体だけど〜

飛びかかる幸運

3 - 8 「守り神と亡国の姫と新しい王」

 
「ここは……」


 ズキンズキンと痛む頭に目を細めながら、ゆっくりと重い瞼を開ける。

 周りには誰もいない。

 大人一人が寝れるほどの大きな切り株の上に、ティアは身体を縄で縛られた状態で寝かされていた。

 その周りには、色とりどりの花や果物が綺麗に並べてある。


「そ、そんな……」


 まるで自分自身がお供え物かのような状況に、顔が引き攣った。

 昨夜、村人の会話から聞こえてきた “人身御供” の話が脳裏をよぎったからだ。


「ま、まさか私が…… そんな…… は、早くここから逃げないと……」


 必死に動こうと身をよじるが、手足を縄で縛られているため、上手くいかない。

 それどころか、動く度に縄がきつく締まるだけだった。

 擦り切れた皮膚からは血が滲み、茶色い縄を赤く染めていく。

 それでも、諦めるわけにはいかない。

 痛くても、ここで動くことを止めれば、待っているのは死だ。

 迫り来る恐怖は待ってはくれないだろう。


「どうして…… どうしてこんなことに……」


 痛みに歯を食いしばり、泣きたくなる気持ちを必死に堪えながら、ティアは昨夜までの記憶を思い出していた。



 ◇◇◇



 ハイデルトと思わしき人物が出場したコロシアムを、突如として襲った猛烈な青白い閃光。

 その閃光を浴びて遠退く意識。

 気が付いたときには、森の中で一人倒れていた。

 隣にいたはずのギヌはいない。

 その場にいた大勢の観客もいない。

 私一人だった。

 鬱蒼とした森の中で、私一人だけ。

 水や食料は手持ちのみ。

 一日分にもならない。

 他には、武器としては使えない宝剣シュウのみ。

 魔導具アーティファクトなどの貴重品は、コロシアム観戦のため、宿に全て預けていた。

 明らかに森に入るための装備ではないことだけは確かだ。

 森の中を一人で歩く危険は、ギヌとの旅で痛いほど身に染みている。

 だけど、この状況では一人で切り抜けるしか方法はない。

 私は、ギヌから教わった森でのサバイバル術を必死に思い出しながら、人気の無い森の中を彷徨い続けた。

 そうして数日後にようやく見つけた集落は、どこか不思議な雰囲気のある村だった。

 全員が顔を仮面で隠し、表情は読めない。

 村の至る場所で絶えず焚かれているお香。

 我慢できないほどではないが、鼻にツンとくる臭い。

 そして村人全員が、何かに怯えているような、ピリピリとした空気を纏っていた。

 最初こそ、その風変わりな見た目に躊躇したが、実際に話してみると、村人は至って普通に見えた。

 むしろ不自然に好意的ですらあったかもしれない。

 助けを求めてやってきた私に驚きつつも、皆が歓迎してくれたように見えた。

 私は何の疑いももたず、夕飯をご馳走になったり、寝る場所を与えてもらったりと、色々お世話になった。

 私は何の疑問も抱かなかった。


 ――村を訪れてから二日目。


 お香の臭いには大分慣れた。

 もしかしたら、鼻が馬鹿になってしまったのかもしれない。

 でも、居候させてもらっている身で、贅沢はいえない。

 私は村人に色々聞いて回った。

 ここがどこなのか。

 大陸のどこに位置するのか。

 他に村や町はあるのか。

 だが、返ってきた答えは望んだ答えではなかった。


 “人族はここに居る者が全て”


 村人全てが、人族は自分達以外存在しないと思い込んでいるほどの辺境の土地。

 そんな場所から、他の村や町へ行くにはどうしたらいいのか。

 解決策が見つからぬまま、時間だけが過ぎていった。

 そして偶然にも聞いてしまった村人の会話。


 “生贄が決まった”


 不安はあったが、自分一人ではどうすることもできず、その場から退散する他に選択肢はなかった。

 私は無力。

 結局、いつになっても変わらない。

 無力で、非力で、他人の意思に身を任せることしかできない、弱く、愚かな私。

 せめて、明日の朝からは森の探索を開始しようと決意して、その日は眠りについた。

 いつもとは違う臭いのするお香に顔をしかめながら。

 今思えば、村から逃げるには、あのタイミングしかなかった。

 いや、村から出る機会はいくらでもあった。

 それを実行しようとしなかったのは、私。

 今、こうして生贄として森の中に捧げられているのも、過保護に育てられてきた私の危機感の無さ、甘さ、自惚れが招いた、自業自得すぎる結果なのかもしれない。



 ◇◇◇



 ――ガルルルル



 低い唸り声とともに、複数の狼が姿を現した。

 間に合わなかった。

 身体を拘束している縄を解くことはできず、目覚めたときと変わらぬ位置で、切り株の上に横たわっている。

 その切り株の周りを、罠を警戒しながら少しずつ近付いてくる狼達。

 そして現れる、一際大きな漆黒の狼。

 私はこの狼達に喰われる。

 生きたまま。

 何も成し得ぬまま。

 涙が頬を伝った。

 怖いのか、悲しいのか、悔しいのか、自分でもよく分からない。

 だけど、心の何処かでは、これで終われると安堵する気持ちも感じていた。

 だからだろうか……

 無意識に、まるで安堵したかのような溜息をついた私に、森から顔を出した漆黒の巨狼が、その大きな口を開き、私へと問い掛けてきたのだった。


「顔には絶望を浮かべ、涙を流す。だが、心音は穏やかに、安堵する。奇怪な人族が、今宵の馳走か」


 私はただただ無気力に巨狼を見つめる。


「貴様からは、あの忌々しい村の臭いがしないな。服は酷い臭いだが、身体の臭いは別だ。一体どこから来た」


 巨狼が対話の姿勢をみせたことに驚く。

 私は声を震わせながらも、こちらを睨み続ける巨狼に答える。


「……マアト。今は亡き、法と、秩序の、国」

「マアト? 知らぬ名だ。なぜここにいる」

「気がついたら、ここに……」

「ガッガッガッ。騙されたか。あの忌々しい村の奴らに」


 黙る。

 視線を下げ、本当に私は騙されただけなのかと、考える。

 その考えが甘いことは十分承知していた。

 痛い目にもいっぱいあってきた。

 でも、もしかしたらと、信じてしまう。

 希望を抱いてしまう。

 騙されても尚、人を信じたいと願う気持ちが、まだ私の中に残っていたようだった。


「愚かな。貴様は騙されたのだ。自分のことしか考えていない化け物達に、自らの身代わりとして生贄にされたのだ」


 そうかもしれない。

 それは分かっている。

 でも何か私の知らない理由があるかもしれない。


「呆れた人族だ。騙した奴らに恨みはないのか?」

「悲しいとは、思います。でも、恨みはしません」


 本心だ。

 でも、その答えを聞いた巨狼は、そうとは受け取らなかった。


「嘘だ。貴様からは、嘘つき特有の鼻が曲がる臭いがプンプンとしおる」


 巨狼がフンと鼻を鳴らしながら、まるで異臭を嗅いだかのように顔を振った。

 でも、私は嘘をついていない。


「嘘は、ついていません」


 私の言葉に、巨狼は全身の毛を逆立てながら、ガルルルと唸り声をあげ、地面が抉れるほどの力で地に爪を立てた。

 そして、私に詰め寄ると、大声で吠えるようにまくし立てた。


「大嘘つき者めが! 我に嘘をついた罪は重いぞ! 貴様をここで食い殺し、我との契約を破ったあの村の奴らも皆殺しにしてくれる!!」

「な、なぜそこまで彼らを憎むのですか!?」


 せめて自分の死を無駄にしたくないという想いから、危険を顧みず咄嗟に質問で返してしまう。


「なぜだと!?」


 巨狼の毛が逆立ち、怒りで瞳孔が細くなったのが分かった。

 でも、私も必死に歯を食いしばって巨狼の眼を見返す。

 それしか、今の私にはできないから……

 すると、巨狼は意外にも怒りを鎮め、私の質問に答えてくれた。


「……よいだろう。冥土の土産に教えてやる」



 ◇◇◇



 巨狼は、自身をウォセと名乗った。

 漆黒の巨狼ウォセ。

 山の守り神であり、この土地に住む者達の豊饒神でもあると。

 彼らは、何も最初から人族を憎んでいたわけではないといった。


「山を荒らさない限り、我らは山に生きる全てのもの、更には新たに移り住んでくるもの全てを歓迎する。例外はない。同様に、山に移り住んできた人族達も、我らは歓迎した」

「……歓迎?」

「勘違いするな。我らは山の守り神。山を求めるものは皆等しく守るべき対象なのだ。だが、時が過ぎ、人族が増えだした頃、人族達が非道な事件を起こした」

「一体何を……」


 ウォセの眉間に皺がより、所々赤黒く変色した牙が剥き出しになる。

 その時の光景を思い出し、怒りに震えているのだろう。


「あろうことか、山の守り神として人族達を見守ってきた我らを、息子達を、奴らは虐殺したのだ!」


 その当時の心境を再現するかのように、ウォセは怒り狂った。

 その場で地面を叩き、抉り、姿勢を低くして、目の前にいる私へ吠えた。

 恩を仇で返すのかと。

 今まで助けてきた対価がこの虐殺かと。

 まるで私がその当時の人族であるかのように訴え続けた。


「日照りが続き、人族が飲み水に困れば雨乞いによって雨を降らせ、人族にとっての害獣が村へ近付けば追い払い、人族が森で迷えば村へと案内した。なのに、なぜだ! なぜこのような残酷な仕打ちをする! なぜなのだ! 我々が一体何をしたのだと言うのだ!!」


 結局、ウォセの怒りはおさまらなかった。

 罪もなく殺された仲間達の復讐として、村を襲撃し、殺された仲間の数だけ、人族を殺した。

 当然、人族はウォセを恐れた。

 辺境の土地に住む人族達では、とても大精霊級であるウォセに抗う術などなかったのだろう。

 だが、ウォセはその日以降、人族へ危害を加えることはしなかった。

 一方で、豊穣神の恩恵や加護がなくなった人族達の暮らしは、それは苦しいものとなっていった。

 日照りが続き、作物が育たない時もあれば、害獣により村が荒らされることも増えた。

 そして月日が経ち、全ては山の守り神であるウォセを怒らせたからだとようやく気が付いた人族達が、ウォセに許しを請うた。

 ウォセも、毎晩必死に頭を下げにくる人族達に折れ、いくつかの条件付きで再び加護下に置くと約束したのだ。


『一つ、我ら森の守り神に感謝すること』

『一つ、毎年感謝の意を込めてお供え物をすること』


 たったそれだけの条件。

 だが、年月が再び人族達を誤った方向へと導いてしまう。

 人族は寿命が短い。

 故に、世代を重ねる毎に、古い教えは薄れ、歪み、新しい思想によって書き換えられる――


「奴らは、我らの加護を支配と呼び、呪いだと蔑んだ。そしてその元凶である我を殺そうと、お供え物に毒を盛った」

「そんな……」

「普通の毒なら我も気がつく。だが、それは普通の毒ではなかった。何か想像がつくか? 人族の娘よ」


 大精霊をも欺く毒……

 想像もつかない。

 だが、それを聞くということは、私は確実に生きては帰れないだろう。

 その答えは、大精霊にとっては、決して口外してはならないほどの危険な情報を含んでいるのだから。

 私の沈黙を余所に、ウォセは話を続ける。


「処女の血肉だ」

「処女の…… 血と、肉? それが、なぜ……」

「奴らがどこでその情報を知り得たかは知らぬ。だが、処女の血と肉は、我にとって猛毒。神の力――大精霊としての力を失い、ただの獣へと堕落させ、狂気を植え付け、理性を奪わせる。ただ唯一の呪いでもある」


 聞いてしまった。

 大精霊を大精霊ではないものに貶めるための手段を。

 だが、もしそれが真実であるなら、私は……


「わ、私は……」

「自分を猛毒だと言いたいのか? だから喰わないほうがいいと」

「そ、それは……」

「貴様はなぜ、処女の血肉が我にとって猛毒か知っているのか?」

「いえ…… 知りません……」


 牙を剥き出しにしたウォセは、そのまま口角だけを釣り上げ、ニタリと笑った。



「美味いからだ」



 牙が並んだ口から、だらだらと涎が流れ落ちる。


「今でも自我を保つのに精一杯だ! 今すぐにでも貴様の肉を貪り、血で喉を潤したい!!」


 ウォセが一歩踏み出す。

 鼻息は荒く、眼は真っ赤に染まっている。


「そんな…… 大精霊としての力は……」

「そんなものはとうの昔に消えた。貴様ら人族の企みによってな。今の我は獣と同じ。自身の欲が抑えきれぬただの獣だ!!」

「だ、駄目! 諦めては……」

「我を貶めた人族が何を言うか。もはや我にとって、貴様の肉は猛毒でも何でもない。ただの美味い肉。それだけのことよ」

「そんな……」

「我を哀れんでいるのか? 人族とは勝手な生き物よ。傲慢で、卑しい。貴様ら人族も、美味い獣がいれば、その味を堪能したいと殺すだろう。狼の毛皮が温かいと知れば、一着の服を作るために何匹もの狼を殺すだろう。それと何が違うというのだ」

「それは……」

「つまらぬ。貴様との話はつまらぬ。せめてその身で、我の舌を楽しませろ」


 また一歩踏み出すウォセ。


(ああ…… 私は…… ここで喰い殺される…… 結局、私は、何のために、生まれてきたの……?)


 死を悟り、目を瞑る。

 せめて最後は痛みなく死にたいと願いながら。



 ――グゥルルルルル

 ――――ガウッ! ガウガウッ!!



 急に狼達が殺気立ち、吠え始めた。

 私ではない、何かに向かって。


「何しに来た」


 ウォセの声が聞こえる。

 私ではない、別の誰かに話しかけている。


「邪魔をするな、森の守り神」


 森の、守り神?

 恐る恐る瞼を開ける。

 目の前に、顔を上げたウォセの喉元が見えた。


「控エヨ、山ノ、守リ神」


 しわがれた声。

 草木がガサガサとぶつかり、パキパキと細枝の折れる音が聞こえる。

 少しずつ後退し、私から離れていくウォセ。


「なぜこの小娘を庇う。この小娘に何の価値がある」


 私は身をよじり、ウォセの睨む先を見た。

 そこには、大木で出来た身体を揺らしながら、ゆっくりと歩いてくる樹人ツリーフォークの姿が。

 一体、また一体と、続々と森の中から姿を現してきていた。

 言葉を失う。

 精霊族に属しているとされる樹人ツリーフォーク

 基本、彼らが人族に干渉することはない。

 その樹人ツリーフォークが、目の前に現れた。

 私が喰い殺されようとしていたタイミングで――


 偶然……?

 彼らが私を助けに来た……?

 本当に……?

 でも、なぜ……?


「神ノ、伊吹ヲ、身ニ纏ウ、者ガ、望ンダ。我等ハ、神ノ、命ニ、従イ、行動スル、ノミ」


 神……?

 神が望んだ……?

 何を……?


「フンッ、世迷い言を。耄碌したか。話にならぬ」

「スグニ、分カル」


 分かる……?

 何が……?


「……こちらに向かっているのか? 面白い。歓迎してやろう。だが、貴様ら森の守り神は我等と時の感覚が違うだろう。本当にすぐに分かるのだな?」


 向かっている……?

 神が……?

 ここに……?


「スグニ、分カル」

「ならば我等が待つのは今宵の日が沈むまでだ。日が沈めば貴様らもろとも噛み砕いてくれる!」


 いつの間にか、樹人ツリーフォーク達は、私の周囲を囲うように並び立っていた。


 守られてる……? 

 一体……

 何が……


 混乱していく私とは対照的に、ざわめいていた森が落ち着きを取り戻していく。

 ただの木のように、ピタリと動かなくなった樹人ツリーフォークと、落ち着きなく動き回り、絶えず唸り声をあげている狼。

 その間に挟まれ、何もできず行く末を見守るしかできない、お供え物の私。

 その場に居た全員が、新たに現れる “何か” を待っていた。



 ◇◇◇



 空が朱色に染まり、光の届かない森の中に、暗闇が姿を現し始める。

 私は依然として、巨大な切り株の上で横たわったまま。

 全身を縄で縛られて身動きできないままだ。

 そんな私の周りに立ち、その場からピクリとも動かなくなった樹人ツリーフォーク

 そして、その更に樹人ツリーフォークの周りを、涎を垂らしながら落ち着きなく彷徨く狼。

 巨狼ウォセは、地面に伏せながら、その血のように真っ赤に染まった眼で、瞬きもせずに私をずっと見つめている。


 日が沈むにつれ、私の心は再び不安に支配されていった。

 希望。

 そして絶望。

 相反する感情が、頭の中をぐるぐると引っ掻き回す。


 なぜ村人は私を騙したのか。

 なぜ私は狼に食べられようとしているのか。

 なぜ私は樹人ツリーフォークに守られているのか。

 そのどれにも、自分の意志などない。

 大きな力に、流されるだけ。

 悔しい。

 情けない。

 何もできない自分が憎い。

 無力な自分に涙がこみ上げてくる。

 自分が死んでも、何も変わらない。

 誰も気が付かない。

 孤独だ。

 私を知る多くの民は、もういない。

 私を知っているのは、付人であり、親友のギヌ。


 それと、もう一人……


 場が鎮まる。

 狼達が急に呻るのを止めたのだ。

 耳を立て、周囲を警戒し始める。

 その刹那、ウォォォオオンという遠吠えが聞こた。

 一斉に狼達が呻り出し、ザワザワと草木が風もないのに揺れ始める。

 恐怖のあまり、身体が強張った。

 何かが起ころうとしている。

 狼達が焦り、草木が、まるで意志をもった生き物のように揺れ動き、喜びを表現するかのような舞いを披露するほどの何かが――


『来タ』


 聞き取りにくいはずのしわがれた声が、鮮明に耳へと届く。

 その言葉を合図に、それまでただの大木のように微動だにしなかった樹人ツリーフォーク達が、バキバキと音を立てながら一斉に動き始めた。

 目の前では、ウォセもその巨体を持ち上げ、牙を剥き出しにしながら不敵に笑っている。


「ようやく来たか!!」


 樹人ツリーフォークが空を見上げ、釣られるようにして私も空を見上げた。

 薄っすらと満月が覗く黄昏時の空に、一点だけ、黒い星が浮かんでいる。

 その星は徐々に大きくなり――


「うわぁあああああああああ」


 という悲鳴とともに地面へと墜落した。



 ◇◇◇



(……失敗した)


 森の中を進むこと数日。

 樹人ツリーフォークはもうすぐだと言ったが、全く目的地に到着する気配がなかった。

 考えた俺は、夢で見たハイデルトが空を飛んでいたのを思い出し、同じように真似をして空を飛んでみたのだが――

 結果は、この通り。

 飛んだはいいが、真っ逆さまに落ちた。

「飛んだ」というより「跳んだ」という表現の方が近いかもしれない。

 正直今更だが、練習もなしにいきなり空を飛ぶのは無謀だった。

 でも、今は後悔していない。

 無事に目的地に不時着できたからだ。

 結果よければ全て良しとはよく言ったものだ。

 ……あれ?

 終わり良ければ全て良しだったかな?

 まぁいい。

 今は、この状況の把握が先決。

 切り株の上には、ティア。

 縄で縛られて転がっているが、それは後回し。

 象くらいありそうな巨大な狼が、気味の悪い真っ赤な瞳をこちらに向けて呻っている。

 正直、凄く怖い。

 怖くて金玉がヒュッとなる感じが少し気持ちいいとか考えたらダメだバカやめろ考えるな……

 はぁ、小さい頃に、野良犬に追いかけまわされた挙句に噛まれたトラウマが蘇りそうだ。

 相手は巨大な狼だが……

 周囲には、もののけ姫に出てきそうな、これまた大きい灰色の狼達。

 すると、全身真っ黒な巨狼が人の言葉を話し始めた。


「此奴が神の息吹を身に纏う者か。笑止。此奴の放つ臭いは、神の息吹などではない。人族と雌牛の発情した臭いだ」


 発情の臭いという単語にドキリとする。

 まさか死んだときに出たあれの臭いが残ってたのだろうか……

 ローブはそのままだし……

 シロが綺麗にしてくれたから、白いシミとかはできてなかったはずなのに……

 えっ?

 本当にイカ臭いの俺?

 やだなにそれ恥ずかし過ぎる!

 親にエロ本を見つかったときのような衝撃だ。

 これは素直に気持ちがよくなかった。

 変な汗が流れる。


「器デハ、ナイ。魂ガ、重要、ダ」


 俺が黙っていると、樹人ツリーフォークが巨狼と会話を始めた。


「世迷言を。魂に臭いなどない」

「魂ヤ、魔力ニモ、神ノ、息吹、感ジル」

「話にならぬ。やはり耄碌していたようだな」


 狼達が一斉に牙を剥く。

 何やら一発触発の様子。

 場の雰囲気にあてられたのか、炎の雄牛ファラリスも声を荒げた。


『犬の分際で、ワシを愚弄するとは! 群れでしか生きられぬ子犬が図に乗りおって!』


 大角に炎が灯り、薄暗くなり始めた周囲をぼおっと照らす。

 ティアが驚いた表情でこちらを見ている。

 だから俺は語りかけた。

 ティアを安心させるために。


「もう大丈夫。多分。いや、うん、大丈夫大丈夫。あの時に受けた恩、今返すよ」


 息を呑むティア。

 頬についた涙の跡が、炎に照らせれてキラキラと光っている。

 その瞳は潤み、心の動揺が一目で分かるほどに揺れていた。


「どうして…… あなたがここに……」

「ん? 君を迎えに来たからだけど」

「どうして…… 私なんかを……」

「君は、この世界に来て右も左も分からなかった俺に、優しくしてくれた。誤解はあったけど。半分は正しかったわけだし。それに、ハイデルトが過去に君を助けた。だから俺も助ける」

「ハイデルトが……? 助けた? あなたは、ハイデルトではないというの?」

「違うよ。ちょっと複雑な理由があってね。身体はハイデルトのものだけど、魂は違う。俺の名は、ハルト」

「ハルト……」


 巨狼に向き直る。


「理由は知らないけど、一先ず休戦しないか? 無意味な戦いは止めよう」

「無意味? ガッガッガッ! 笑止! 我は生贄として捧げられた、その娘の肉を楽しみにしていたのだ。それを貴様は横取りした。我が戦うには十分な理由だろう」

「生贄かぁ……」


 ティアを見る。

 だから、縛られているのか。

 納得。

 お供え物もあるし。


「……って、なんで生贄?」

「そ、それは……」


 言い淀むティアの代わりに、巨狼が答える。


「その娘は、同じ人族に騙されてここへいるのだ。人族とは卑しく、汚い、忌々しい種族だという証拠だ」

「人間が卑しいのは俺も知ってるけど…… はぁ…… なんか複雑そうな理由だってのは分かった。でも、それとティアは関係ないな」


 俺の言葉に、巨狼が目を細める。


「ほぅ、では貴様が代わりに我の舌を楽しませてくれるということか?」

「うーん……」


 少し考える。

 ここにいる狼を皆殺しにするのは、恐らく簡単だろう。

 だが、樹人ツリーフォーク曰く、この狼は山の守り神らしいのだ。

 できれば穏便に済ませたい。


「一つ、勝負しないか?」

「勝負だと?」

「そう、勝負。俺はあんたに無抵抗で噛まれる。俺が死ねばあんたの勝ち。そのまま俺を喰い殺していい。で、俺が死ななければ俺の勝ち。どう?」

「貴様本気か?」

「本気だけど」

「ガッガッガッ! 耄碌が崇拝するのは、とんだ大馬鹿者だったか!」


 馬鹿とはなんだ。

 馬鹿とは。

 泣くぞ。


「貴様の浅はかな考えが読めるぞ」

「……なんだよ」

「貴様が死ねば、その娘を助けろというのだろう?」

「あーいや、俺が死んだら、その後のことは自由にしていい。任せるよ」

「……何?」

「俺はあんたの牙程度では、死なないって言ってんだよ。いい加減気付けよ、自惚れワンコ」


 巨狼が瞬時に殺気立つ。

 全身の毛を逆立ちさせながら、一瞬で物凄い形相へと表情を変えた。


(おお、怒ってる怒ってる。ってか、煽られ耐性なさ過ぎでしょ……)

『クックック。巨狼ウォセをワンコ呼ばわりとは…… クックック……』

(なんだよ…… 最初に子犬呼ばわりしてたのは炎の雄牛ファラリスの方だろ……)

『クックックッ。そうだったな』

(だけど、お陰で効果覿面だ)


 ウォセが呻る。


「グルゥウウウウ…… 貴様、その言葉、必ず後悔させてやる」

「歯が欠けても文句いうなよ」

「笑止!」


 怒り狂うウォセへと、ゆっくりと歩き出す。


「だ、だめ……」


 ティアが俺を呼び止める。

 振り返ると、ティアの顔は、不安と恐怖で酷く歪んでいた。


「大丈夫。殺してもきっと死なないし、そもそも噛まれた程度じゃ死なない」

「う、うそ。そんなの……」

「まぁ、万が一俺が死んだら、樹人ツリーフォークが君をギヌのもとまで送り届けるから安心して」

「ギヌ!? 無事なの!?」

「ああ、無事。元気過ぎて困るくらいに」

「よ、よかった……」

「そっ。だからもう少しの辛抱な」

「あ、あなたは……」

「俺のことは気にしないで大丈夫だよ」

「気にしないなんて……」

「無理かい? うーん…… あっ、仇でもあったハイデルトの身体が八つ裂きになったと考えれば、逆に少しは気持ちが晴れるんじゃ?」

「ふ、ふざけないで!」


(おっと、今のはデリカシーがなかったか…… 失敗。まぁいいか。今は大人しく見ててもらおう)


 ウォセへと向き直ると、ティアが「あっ……」と零したのが聞こえた。

 だが、今は目の前の巨狼だ。

 めちゃんこ怖い顔で睨む巨狼へ向かって、止めていた歩みを再開する。

 俺が近づくにつれて、ウォセの口が笑うように歪んでいく。


「や、やめて…… だ、だめ…… 行ってはだめ……」


 ティアの引き止める言葉を背に浴びながらも、尚も進む。

 もう立ち止まりはしない。


「貴様は既に我の間合いに入った。今更、変な小細工をしようものなら、即座に喰い殺す」

「御託はいいから早く噛めよワンコ野郎」


 再びウォセが怒りに身を震わせる。


「お望み通りズタズタに噛みちぎってくれる!!」


 鋭い牙の並んだ巨大な口が、凄まじい速さで、涎を撒き散らしながら迫る。


「や、やめてぇーーー!」


 ティアの叫びが響く。

 だが、ウォセはもう止まらない。


「約束は守れよ」


 上下から振り下ろされる白い刃。

 次の瞬間、俺の視界が暗闇で包まれた。

 ガッという鈍い音とともに、腹に伝わる振動。


(よし、痛みはない)


 俺の上半身を口の中に入れたまま、ウォセは動きを止めた。

 その瞳は、驚きでさぞや大きく見開かれていることだろう。


「それでお終いか?」

「グゥガァアアア!!」

「うぉっ!?」


 身体が持ち上げられ、そのまま左右に揺さぶられる。

 ウォセが本気で噛みちぎろうと頭を振っているのだろう。

 口から出た両脚が、遠心力に弄ばれ、ブランブランと右に左にと華麗なステップを披露している。

 嘘。

 きっと外から見たら酷い絵面だろう。

 その証拠に――


「いやぁーーーーーー!!」


 ティアの悲痛な叫び声が聞こえる。


(外から見たら確実に死んだと思うだろうなぁ)

『クックック。全く無茶をする。だが、いつまでそうやっているつもりだ?』

(うーん、そろそろいいかな? ちょっと酔ってきたし……)


 メラメラと炎のあがる大角を、目の前にある舌へとくっつける。

 ジュゥッという肉の焼ける音とともに、立ち込める煙と、肉の焼ける臭い。

 次の瞬間、「キャィゥンッ!?」という甲高い鳴き声とともに、宙へ投げ出された。


「うおっとと……」


 空中で体勢を戻し、ふわりと着地する。


(一回空飛んだから、少しコツ掴んだかも)

『大きく跳んで、そのまま落ちただけだろう』

(同じ同じ)

『お主、一度死んでから、性格が少し変わったか?』

(そう? 俺はいつも通りのつもりだけど……)

『気のせいか……』


 ローブについた汚い涎を払い落としながら、こちらを睨むウォセへと近付く。


「俺の勝ちでいいな?」

「貴様…… 何者だ……」

「俺は――」


 ……ん?

 ちょっと待てよ……

 俺って……

 何者だ?

 ハルト?

 身体はハイデルトだろ?

 魂が俺?

 そもそも魂って何だ?

 難しい問題だ……

 自我って、確か記憶の蓄積で決まるんだよな。

 じゃあ、ハイデルトの記憶が少しずつ取り込まれていった今は?

 ハルト?

 それとも、ハイデルト?


『どっちでも良いだろう。お主はお主だ』

(あ、だから勝手に思考読むなっつの)


 だが、炎の雄牛ファラリスの言った通りだ。

 俺は俺。

 でも、確実に以前の俺とは違う。

 俺の中には、ハイデルトの記憶があり、意思がある。

 そして、身体は紛れもなくハイデルトのもの。

 俺は間借りしてるだけ。

 以前の、目的もなく、仕事の日々を無難にやり過ごしていただけのハルトじゃない。

 今は目的もある。

 それもハイデルトから半ば無理矢理押し付けられたものだけど……

 じゃあ今の俺は何者だ?

 いや、もう無駄な押し問答は止めにしよう。

 答えは何となく分かってる。

 分かってる。

 だけど――


 “ハッハッハー! そのままやってもツマラナイだろう? なら、もっと面白くいこうではないか! なぁ相棒! 心の友よ!”


 そう――

 人生、面白く生きなければツマラナイ。

 無難に生きることに価値はない。

 楽しくいこう。

 面白くしていこう。

 絶望も。

 混沌も。

 死ですらも。

 全て。

 この世の負の感情を全て。

 笑い飛ばして生きてやる。


 “ハッハッハー! そうだ! その意気だ!”


 ああ、何となく俺が引っ掛かっていたことが分かってきたぞ。

 誰か分からない他人の為に、辛い思いをするのは本望じゃないんだ。

 それは必要に駆られてやらされているに過ぎない。

 それじゃツマラナイ。

 それじゃ前の人生と変わらない。

 そうだよ。

 変えていこう。

 今の俺はハルトであってハルトじゃない。

 決めた。

 今決めた。

 他の人間がどうなるかなんて気にするのは止めだ。


 “そう! 他人のことなど、どうでもいいのだ!”


 結局、最期は自分が満足できたかどうかだけなんだ。


 “そう! その通り!”


 そこに他人の意思はない。


 “イエス! 高◯クリニック!”


 それに、俺はもう二度も死んでいる。


 “スルーきたーっ!”


 くだらない理由で。

 あっさりと。

 あっけなく。

 そして気が付いた。

 命の軽さに。

 自分の存在の小ささに。

 他人を救おう、世界を救おうなんて、傲慢な考えだった。

 俺が背負えるのは俺だけ。

 俺が救えるのも俺だけ。

 誰も俺の行動を強制はできない。

 俺以外の全員が俺を罵ろうとも、俺は俺だ。

 俺が俺であることには変わらない。

 それは他の人間も同じ。

 皆、自分を救おうと行動しているだけ。

 他人のことなど二の次だ。


 “そうだともそうだとも! それでいい! それが真理だ! ”


 そう。

 それでいいんだ。

 俺も、俺の生きたいように生きる。


 “ああ! 生きたいように生きよ! 我が友よ!”


 最高の自己満足のために。


 “最高の自己満足のために!”


 だから――

 俺は――


「この腐った世界をぶち壊し、自分が思い描く理想郷をぶっ立てる」

「何……? 貴様は何を……」

「俺は、魔導帝王マジックエンペラーの意志を継ぎ、禁忌を内に抱く者――」


 まやかしの希望など与えてやるもんか。

 俺が与えるのは、絶望でも、希望でもない。

 俺は与えない。

 何も与えない。

 俺は俺のために行動するだけ。

 その影響までは考えない。

 それがどんな存在かは分かっている。

 最高に自分勝手で、凶悪な力にモノを言わせて世界征服しようとする、お決まりの存在。


 そう――


 それは――



「魔王――、俺は魔王ハルトだ」

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