導帝転生 〜仕方ない、世界を救うとしよう。変態の身体だけど〜
2 - 9 「アンダーブル」
「で、死の巨人!?」
人族にとって脅威となる魔族の登場に、メイリンが驚きの声を上げた。
その声に、ジーディスが振り返る。
「ああ、メイリン。そうか。死の巨人を捕獲したとき、君は体調を崩していたから知らなかったね。どうだい? あの存在感。痺れるだろ? 人族を軽く凌駕するその巨体に秘めたポテンシャルは本物だ。お陰で捕獲部隊がいくつか犠牲になってしまったが…… この観客の熱狂ぶりを見て改めて実感したよ。あの怪物は最高の商品になるとね」
微笑みを浮かべながら饒舌に話すジーディス。
その様子は、まるで新しい玩具を与えられて喜ぶ子供のようだ。
「少々勿体無くはあるが、炎の雄牛は死の巨人のかませ犬…… いや、この場合はかませ牛と表現するべきかな。ははは、なんて贅沢なショーなんだ。主催である私ですら身震いしてしまうよ」
「し、しかし、良かったのですか? 炎の雄牛も第一線級の主役魔獣、ここで消費しても」
「そうだね。炎の雄牛を捕獲するのに犠牲にした兵士の数に比べたら、呆気ない幕引きになるかも知れない。だが、炎の雄牛は、膨れ上がる維持費に反し、ショーとしての盛り上がりは下がる一方なんだよ。まぁ突進して燃やすしか芸のない魔獣だ。それも仕方ないだろう。見た目のインパクトは強いが、二度三度と見れば飽きもする。他の主役級と戦わせても良かったんだが、炎の雄牛も十分に強いからね。他の主役級を予想に反して喰ってしまうかも知れない。それは私の好むところではないのさ」
「そ、そうですか…… では何故ジョーカーを……?」
その言葉に、ジーディスの表情が僅かだか一瞬止まる。
そして口元に浮かべた笑みをより強くすると、メイリンの瞳をジッと見つめた。
メイリンを見つめるその瞳は蒼く澄んでおり、大抵の者であればその瞳に見つめられて悪い気持ちはしなかっただろう。
だが、今のメイリンには、ジーディスのその宝石の様な瞳が、見た者の心を見透かし、嘲笑う――不気味さを感じさせる何か異質な別のものの様に見えた。
ジーディスの目を直視する形となってしまったメイリンが、その動揺を表情に出さぬまいと腹に力を入れて耐える。
だが、ジーディスにその手の小細工は通用しなかったのかもしれない。
「ああ、そうか。ジョーカー君は君のお気に入りの玩具だったね。だが、許して欲しい。ザウ家から強い要望があって、私としても無下にすることが出来なかったんだ。仕方なくだが、彼をこの舞台の引き立て役に選ばせてもらったよ。苦労して捕獲した新たな英雄――死の巨人の引き立て役としてね」
お気に入りの玩具と言う表現に反応しそうになる気持ちをグッと抑え込み、メイリンは話題を逸らそうと死の巨人について質問を返した。
「英雄…… ですか? あの魔族の怪物が……」
「そう。あの魔族の怪物が、だよ。ジョーカー君が悪役として死ぬことで、本来であれば同じ悪役の死の巨人が英雄となる。不思議だろ? だが、ここはそういう場所なんだ。力は正義であり、人族の罪人を裁く者は皆、英雄になり得る。例えそれが魔族の怪物だとしてもね」
ジーディスの視線の先には、芥子色の全身鎧に身を包んだ巨人が、ガチャガチャとその巨体を鳴らしながら大剣を振り回している。
死の巨人が大剣を振り回す度に、観客席から歓声があがった。
既に観客の関心は、死の巨人に集まっていたと言っていいだろう。
司会がベルを鳴らし、会場が再び静寂に包まれる。
「只今、オッズが確定いたしましたーッ! 注目のオッズは……」
観客が固唾を呑んで見守る。
「泥棒猫ミーニャ、99倍。強姦殺人ジョーカー、5.1倍。炎の雄牛、2.3倍。死の巨人、1.5倍だァーッ!!」
――オオオオオッ!!
沸く会場。
そのオッズに、ジーディスは意外そうな顔をして「ほう」と呟いた。
「死の巨人と炎の雄牛のオッズは想定通りだが、ジョーカー君がここまで健闘するとは正直驚いたな。キングを凌駕すると煽ったのはやり過ぎだったか。呆気なく殺されて暴動が起きなければいいんだが」
そう話すジーディスに心配の色は見えない。
少なくともメイリンにはそう見えた。
どうせ暴動が起きたところで、捕まえて新たな労働力とするだけだろう。
そうなれば得をするのはジーディスであり、そこまで織り込み済みで計画を進めるのもまたジーディスである。
不気味な呪いの仮面を付けた男が、二体の怪物の登場に臆することなく堂々と立っている。
死の権化を目の前にしても物怖じしないその姿に、メイリンは違和感を感じていた。
(あの男…… 何故平然としていられる…… 死の巨人と炎の雄牛相手に勝機でもあるのか?)
人族房での一件――舎房に出来た大きなクレーターは、看守達の中ではキングの仕業という事で落ち着いていた。
囚人達の話では、ジョーカーとキングの戦いで出来たという話だったが、ジョーカーにそこまでの筋力はなく、魔力やあらゆる加護の封じられた牢獄要塞では、贔屓目に見ても並以下だ。
そんな奴が、鋼鉄製の床にクレーターを作れる訳がない。
だが、キングであれば可能だろう。
メイリンもまた、その見解に至っていた。
(まさか…… 人族房の鋼鉄製の床にクレーターを作ったのは、キングではない? ……本当は、奴が? 奴にそんな力が?)
ふと、メイリンがその違和感の正体に気付く――
「あの仮面…… 見覚えが…… 」
ジーディスが「今頃気付いたのかい?」と話しながら、目線だけをメイリンへと動かした。
「古代遺跡で発掘された呪いの仮面だよ。付けたら最後、殺戮の衝動が増幅されて狂人となる古代魔導具。己の恐怖心が消え、死を恐れなくなる代わりに、味方の見分けもつかなくなる呪いのアイテムではあるが、この場所なら最大限有効利用できる。素晴らしい一品だよ。死ぬまで外せないというのが欠点ではあるが…… ははは。それも問題はない。あれを使うことになる者は皆、戦闘での死が確定しているからね」
突如、会場からドッと歓声があがる。
「いよいよか。今日も楽しませてくれよ」
再び会場へと目を向け微笑むジーディス。
そのジーディスにつられ、メイリンも会場へと視線を移す。
もやもやとした違和感が、メイリンは気になって仕方がなかった。
その原因と思わしき、呪いの仮面を付けたハルトを見つめる。
(呪いの仮面…… 確か前回あれを付けた囚人は、それだけで暴れ狂ったはず…… だが、奴にその様子は見られない…… どういうことだ? なんだこの違和感は……)
司会による戦闘開始のアナウンスと同時に、会場の四隅から閃光弾が打ち上がる。
「さぁショーの始まりだ」
ジーディスの言葉とともに、会場は一際大きな歓声に包まれた。
◇◇◇
光の玉が空高く打ち上げられた直後、死の巨人と炎の雄牛、それぞれの怪物を繋いでいた光の鎖が、突如粒子となって消えた。
鎖から解き放たれた二体の怪物は、左右にいるハルトとミーニャには一瞥もくれず、まるでお互い示し合わせたかのように突進を始める。
どうやらハルトとミーニャのことは眼中にないらしい。
怪物同士で潰し合ってくれるのは、二人にとってはとてもありがたいことだ。
むしろ相打ちになれとさえ願っている。
ミーニャに関しては、ハルトを含めた三つ巴になって皆自滅しろと願っていたが。
二体の怪物の突進が加速する。
舞い上がる砂煙。
どちらも全速力で躊躇なく突き進んでいく。
そして中央まで来ると、その勢いそのままに、死の巨人はその二本の大剣を振り下ろし、炎の雄牛はその頭から生えた二本の大角を振り上げた。
会場を揺るがす衝撃。
迸る火花。
そして遅れて鳴り響く金属音。
どちらかが吹き飛ぶ訳でもなく、二体の怪物はステージ中央で動かなくなった。
どうやら力の強さは拮抗しているらしい。
すると、二体の怪物は、その巨体を押し込むように傾けながら、大剣と大角で激しい鍔迫り合いを始めた。
「会場を揺るがす程の凄まじい衝突だァーッ! 果たしてこの力比べはどちらに軍配があがるのかァーッ!?」
司会が死の巨人と炎の雄牛の攻防を実況する。
観客も二体の怪物の攻防に釘付けだ。
(ど、どうしよう。取り敢えず、見守るしかないのか……?)
隠れようにも隠れる場所がない。
あるのは多少砂の載った岩の地面と、円形に周囲を囲んでいる石壁、それと東西南北にそれぞれ見える通路口だけだ。
ステージと通路口の間には、極太の鉄格子が何本も並び、人間が通れる隙間すらない。
ハルトが周囲をキョロキョロと見渡していると、ふいに何かがぶつかる金属音が鳴り響いた。
遅れて沸き上がる大歓声。
(……えっ?)
ハルトが目の前に視線を向けると、巨大な牛――炎の雄牛が横向きになった状態で吹き飛ばされてきたところだった。
地面に打ち付けられ、横倒しになりながらも地面を滑ってくる炎の雄牛。
地面との摩擦により勢いがなくなり、丁度ハルトと目の先――ハルトと炎の雄牛が見つめ合う形で滑り止まる。
(お、おおう……)
ハルトがどうしたらいいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていると、炎の雄牛がゆっくりと立ち上がり、自身を弾き飛ばした死の巨人へと向き直った。
(む、無視か…… 助かった)
大歓声とともに、再び死の巨人へ突進していく炎の雄牛。
その後ろ姿を見届けながら、ハルトは何かしなければと思考を巡らせた。
(そ、そうだ! せめて猫耳と協力し合おう!)
怪物達が戦っている間に、せめて言葉の通じる人間(猫耳だが)と休戦を結び、あわよくば協力して策を練ろうと思い至る。
猫耳の姿を探すと、最初と変わらない場所に震えながら立っていた。
その腰は引けており、顔は青白い。
ハルトは猫耳のいる場所へと走り出す。
勿論、怪物達が戦っているステージ中央を避けるため、壁伝いに走る。
かなり遠回りになるが、あの二体の戦いの巻き添えになるよりは断然マシだ。
だが、誤算はあった。
自分目掛けて走ってくるハルトに気付いたミーニャが、反対方向へ全力で逃げ始めたのだ。
「ニャゃあああ!? こっち来るニャゃああ!!」
(げっ!? あ、そ、そうか。この見た目じゃ仕方ないか…… く、くそ)
ハルトは走りながらも、ミーニャへ向けて両手をあげる。
そして危害を加えないことをアピールするため、その両手を左右に振りながらこう叫んだ。
「泣け! 叫べ! そして逃げ惑ぇええ! 捕まえてお前を喰ってやるぅう! (待って! 止まって! 逃げないで! 危害は加えないから!)」
「ヒィィイイ!? い、嫌だニャぁああ! 助けてニャぁああ!!」
……あれ?
話そうとした言葉と、口から出た言葉に違和感を感じる。
だが、気のせいかも知れないと無視して呼び掛けた。
「貴様らまとめて皆殺しだぁああ!! (せめて俺たちだけでも共闘しようー!!」
「ぎニャぁあああ!」
……えっ?
(今、俺なんか違う言葉発しなかった?)
ハルトが違和感を強めるも、その思考を邪魔するかのように大歓声が巻き起こる。
ステージ中央には、死の巨人が大剣を振り抜いた状態で立っており、その先には炎の雄牛が再び吹き飛ばされていた。
だが、先程とは違い、炎の雄牛が中々立ち上がらない。
「おおおっとォーッ! ついに死の巨人が炎の雄牛からダウンをとったかァーッ!?」
司会が実況に、会場が沸く。
ダウンした炎の雄牛を見て、死の巨人が仁王立ちしている。
その凄まじい光景を見たハルトが思わず独り言を呟く。
「弱小の牛虐めてドヤ顔かッ! お寒い奴めッ! この薄のろがぁあああッ!! (ま、マジか…… なんだあれ…… 強過ぎるだろ……)」
ボソっとこぼれ出たはずの言葉は、ハルトの意思とは無関係に、大音量の罵声となって会場へ響いた。
目を見開き、まさかの自分の行動に焦るハルト。
その声の大きさで、流石に自分が意図しない発言をしていることに気が付いた。
だが、自分の意思とは無関係の言葉が口を出るなんて経験は、これまで一度もなかったのだ。
焦って繰り返し発言してしまっても、それは仕方のないことだったのかもしれない。
「聞こえてんのか鈍まがぁッ!? そこでアホ丸出しで突っ立ってる貴様だボケカスぅうううッ!! (ば、ばか何言ってんの!? 何で勝手に挑発してんの!?)」
ハルトの罵声に、ゆっくりと振り向く死の巨人。
そして更に焦るハルト。
「死に晒せやデブ野郎ぉおおおッ!! (阿保かぁあああ!!)」
「オオオオオッ! ここへきてジョーカーがまさかの挑発だァーッ!!」
まさかの展開に、司会がすかさず煽る。
ジョーカーの行動に観客がより一層盛り上がり、その挑発をきっかけに、死の巨人がハルト目掛けて走り出した。
(ば、ばか来た来た来た!? 逃げろ逃げろ逃げろ!!)
逃げるハルト、追う死の巨人。
そしてハルトが逃げる先にはミーニャが――大粒の涙を流しながら、なりふり構わず全力で逃げていた。
「こ、こっち来るニャぁあああ!? あっち行けニャぁあああ!?」
後方で微かな振動を捉えたハルトは、走りながらも器用に後ろを振り向いた。
すると、死の巨人が手に持っていた大剣を投げようと、腕を振りかぶっているのが見えた。
(ま、まじか!?)
凄まじい勢いで回転しながら迫ってくる大剣。
それを躱すために急ブレーキをかけ、頭を下げてなんとかやり過ごす。
飛び道具となった大剣は、ハルトの頭上を掠めるように通過し、地面へと突き刺さった。
「どこ狙ってんだぼんくらがぁッ! もっと良く狙えぇえええッ!!(あ、危ねぇええ!? 掠ったぁ!?)」
繰り返される挑発に、死の巨人がもう一本の大剣の柄を強く握り締める。
どうやら怒らせてしまったようだ。
今のハルトにとってはとても不幸なことに、人族の言葉を理解しているらしかった。
だが次の瞬間――
再び走りだそうと身を屈めた死の巨人に、横から凄い勢いで突っ込む巨体がいた。
――炎の雄牛だ。
死の巨人の丁度横腹を上手く突き上げる形となった炎の雄牛は、そのまま身動きが取れない死の巨人を壁にめり込ませていく。
炎の雄牛の角が死の巨人の鎧を突き破り、角が刺さった箇所からは、緑色の体液が流れ出ては、炎の雄牛を覆う灼熱の炎によって蒸発させられていく。
――ブモォオオオオオ!!
炎の雄牛の雄叫びとともに、全身を覆っていた炎の勢いが増す。
そして突き刺さった大角からは、灼熱の炎が濁流の如く死の巨人の鎧へと流れ込んでいった。
鎧のあらゆる隙間から吹き出る炎。
炎の雄牛の紅の炎は、鎧の内側から死の巨人の全身を焼いた。
死の巨人がその痛みに耐えられずに暴れる。
だが、壁と炎の雄牛に挟まれ、その場から逃げることが出来ない。
そしてその鎧は、炎の雄牛の炎により高温となり、赤く変色し始めていく。
死の巨人の唸り声が、甲冑兜に反響し、牛の鳴き声のようにくぐもった悲鳴となって会場に響き渡る。
同時に肉の焼ける臭いが漂い、その臭いに吐く観客も出始めた。
まさかの展開に、息を呑む観客達。
そしてこの展開に憤るたった一人の男――ジーディス。
「馬鹿なっ! 死の巨人! 何を遊んでいる! 真面目に戦えっ!!」
ジーディスの声援虚しく、炎の雄牛の炎により丸焦げにされた死の巨人は、徐々に動きが鈍くなり――ついには、その動きを止めた。
動かなくなった死の巨人を振り落とし、今度はハルトへと向き直る炎の雄牛。
(お、おお…… 巨人死んだみたいだけど…… この炎の牛さんどうすんの……)
呆然と立ち尽くすハルトに、炎の雄牛はゆっくりと近付いていく。
突如、直接頭へ何かが語りかけてくるような、不思議な感覚に襲われた。
『ハイデルトよ…… 久しいな。またお主に助けられたようだ』
ふと目線を上げると、そこには炎の雄牛が、ハルトへこうべを垂れるようにして、立ち止まっていた。
人族にとって脅威となる魔族の登場に、メイリンが驚きの声を上げた。
その声に、ジーディスが振り返る。
「ああ、メイリン。そうか。死の巨人を捕獲したとき、君は体調を崩していたから知らなかったね。どうだい? あの存在感。痺れるだろ? 人族を軽く凌駕するその巨体に秘めたポテンシャルは本物だ。お陰で捕獲部隊がいくつか犠牲になってしまったが…… この観客の熱狂ぶりを見て改めて実感したよ。あの怪物は最高の商品になるとね」
微笑みを浮かべながら饒舌に話すジーディス。
その様子は、まるで新しい玩具を与えられて喜ぶ子供のようだ。
「少々勿体無くはあるが、炎の雄牛は死の巨人のかませ犬…… いや、この場合はかませ牛と表現するべきかな。ははは、なんて贅沢なショーなんだ。主催である私ですら身震いしてしまうよ」
「し、しかし、良かったのですか? 炎の雄牛も第一線級の主役魔獣、ここで消費しても」
「そうだね。炎の雄牛を捕獲するのに犠牲にした兵士の数に比べたら、呆気ない幕引きになるかも知れない。だが、炎の雄牛は、膨れ上がる維持費に反し、ショーとしての盛り上がりは下がる一方なんだよ。まぁ突進して燃やすしか芸のない魔獣だ。それも仕方ないだろう。見た目のインパクトは強いが、二度三度と見れば飽きもする。他の主役級と戦わせても良かったんだが、炎の雄牛も十分に強いからね。他の主役級を予想に反して喰ってしまうかも知れない。それは私の好むところではないのさ」
「そ、そうですか…… では何故ジョーカーを……?」
その言葉に、ジーディスの表情が僅かだか一瞬止まる。
そして口元に浮かべた笑みをより強くすると、メイリンの瞳をジッと見つめた。
メイリンを見つめるその瞳は蒼く澄んでおり、大抵の者であればその瞳に見つめられて悪い気持ちはしなかっただろう。
だが、今のメイリンには、ジーディスのその宝石の様な瞳が、見た者の心を見透かし、嘲笑う――不気味さを感じさせる何か異質な別のものの様に見えた。
ジーディスの目を直視する形となってしまったメイリンが、その動揺を表情に出さぬまいと腹に力を入れて耐える。
だが、ジーディスにその手の小細工は通用しなかったのかもしれない。
「ああ、そうか。ジョーカー君は君のお気に入りの玩具だったね。だが、許して欲しい。ザウ家から強い要望があって、私としても無下にすることが出来なかったんだ。仕方なくだが、彼をこの舞台の引き立て役に選ばせてもらったよ。苦労して捕獲した新たな英雄――死の巨人の引き立て役としてね」
お気に入りの玩具と言う表現に反応しそうになる気持ちをグッと抑え込み、メイリンは話題を逸らそうと死の巨人について質問を返した。
「英雄…… ですか? あの魔族の怪物が……」
「そう。あの魔族の怪物が、だよ。ジョーカー君が悪役として死ぬことで、本来であれば同じ悪役の死の巨人が英雄となる。不思議だろ? だが、ここはそういう場所なんだ。力は正義であり、人族の罪人を裁く者は皆、英雄になり得る。例えそれが魔族の怪物だとしてもね」
ジーディスの視線の先には、芥子色の全身鎧に身を包んだ巨人が、ガチャガチャとその巨体を鳴らしながら大剣を振り回している。
死の巨人が大剣を振り回す度に、観客席から歓声があがった。
既に観客の関心は、死の巨人に集まっていたと言っていいだろう。
司会がベルを鳴らし、会場が再び静寂に包まれる。
「只今、オッズが確定いたしましたーッ! 注目のオッズは……」
観客が固唾を呑んで見守る。
「泥棒猫ミーニャ、99倍。強姦殺人ジョーカー、5.1倍。炎の雄牛、2.3倍。死の巨人、1.5倍だァーッ!!」
――オオオオオッ!!
沸く会場。
そのオッズに、ジーディスは意外そうな顔をして「ほう」と呟いた。
「死の巨人と炎の雄牛のオッズは想定通りだが、ジョーカー君がここまで健闘するとは正直驚いたな。キングを凌駕すると煽ったのはやり過ぎだったか。呆気なく殺されて暴動が起きなければいいんだが」
そう話すジーディスに心配の色は見えない。
少なくともメイリンにはそう見えた。
どうせ暴動が起きたところで、捕まえて新たな労働力とするだけだろう。
そうなれば得をするのはジーディスであり、そこまで織り込み済みで計画を進めるのもまたジーディスである。
不気味な呪いの仮面を付けた男が、二体の怪物の登場に臆することなく堂々と立っている。
死の権化を目の前にしても物怖じしないその姿に、メイリンは違和感を感じていた。
(あの男…… 何故平然としていられる…… 死の巨人と炎の雄牛相手に勝機でもあるのか?)
人族房での一件――舎房に出来た大きなクレーターは、看守達の中ではキングの仕業という事で落ち着いていた。
囚人達の話では、ジョーカーとキングの戦いで出来たという話だったが、ジョーカーにそこまでの筋力はなく、魔力やあらゆる加護の封じられた牢獄要塞では、贔屓目に見ても並以下だ。
そんな奴が、鋼鉄製の床にクレーターを作れる訳がない。
だが、キングであれば可能だろう。
メイリンもまた、その見解に至っていた。
(まさか…… 人族房の鋼鉄製の床にクレーターを作ったのは、キングではない? ……本当は、奴が? 奴にそんな力が?)
ふと、メイリンがその違和感の正体に気付く――
「あの仮面…… 見覚えが…… 」
ジーディスが「今頃気付いたのかい?」と話しながら、目線だけをメイリンへと動かした。
「古代遺跡で発掘された呪いの仮面だよ。付けたら最後、殺戮の衝動が増幅されて狂人となる古代魔導具。己の恐怖心が消え、死を恐れなくなる代わりに、味方の見分けもつかなくなる呪いのアイテムではあるが、この場所なら最大限有効利用できる。素晴らしい一品だよ。死ぬまで外せないというのが欠点ではあるが…… ははは。それも問題はない。あれを使うことになる者は皆、戦闘での死が確定しているからね」
突如、会場からドッと歓声があがる。
「いよいよか。今日も楽しませてくれよ」
再び会場へと目を向け微笑むジーディス。
そのジーディスにつられ、メイリンも会場へと視線を移す。
もやもやとした違和感が、メイリンは気になって仕方がなかった。
その原因と思わしき、呪いの仮面を付けたハルトを見つめる。
(呪いの仮面…… 確か前回あれを付けた囚人は、それだけで暴れ狂ったはず…… だが、奴にその様子は見られない…… どういうことだ? なんだこの違和感は……)
司会による戦闘開始のアナウンスと同時に、会場の四隅から閃光弾が打ち上がる。
「さぁショーの始まりだ」
ジーディスの言葉とともに、会場は一際大きな歓声に包まれた。
◇◇◇
光の玉が空高く打ち上げられた直後、死の巨人と炎の雄牛、それぞれの怪物を繋いでいた光の鎖が、突如粒子となって消えた。
鎖から解き放たれた二体の怪物は、左右にいるハルトとミーニャには一瞥もくれず、まるでお互い示し合わせたかのように突進を始める。
どうやらハルトとミーニャのことは眼中にないらしい。
怪物同士で潰し合ってくれるのは、二人にとってはとてもありがたいことだ。
むしろ相打ちになれとさえ願っている。
ミーニャに関しては、ハルトを含めた三つ巴になって皆自滅しろと願っていたが。
二体の怪物の突進が加速する。
舞い上がる砂煙。
どちらも全速力で躊躇なく突き進んでいく。
そして中央まで来ると、その勢いそのままに、死の巨人はその二本の大剣を振り下ろし、炎の雄牛はその頭から生えた二本の大角を振り上げた。
会場を揺るがす衝撃。
迸る火花。
そして遅れて鳴り響く金属音。
どちらかが吹き飛ぶ訳でもなく、二体の怪物はステージ中央で動かなくなった。
どうやら力の強さは拮抗しているらしい。
すると、二体の怪物は、その巨体を押し込むように傾けながら、大剣と大角で激しい鍔迫り合いを始めた。
「会場を揺るがす程の凄まじい衝突だァーッ! 果たしてこの力比べはどちらに軍配があがるのかァーッ!?」
司会が死の巨人と炎の雄牛の攻防を実況する。
観客も二体の怪物の攻防に釘付けだ。
(ど、どうしよう。取り敢えず、見守るしかないのか……?)
隠れようにも隠れる場所がない。
あるのは多少砂の載った岩の地面と、円形に周囲を囲んでいる石壁、それと東西南北にそれぞれ見える通路口だけだ。
ステージと通路口の間には、極太の鉄格子が何本も並び、人間が通れる隙間すらない。
ハルトが周囲をキョロキョロと見渡していると、ふいに何かがぶつかる金属音が鳴り響いた。
遅れて沸き上がる大歓声。
(……えっ?)
ハルトが目の前に視線を向けると、巨大な牛――炎の雄牛が横向きになった状態で吹き飛ばされてきたところだった。
地面に打ち付けられ、横倒しになりながらも地面を滑ってくる炎の雄牛。
地面との摩擦により勢いがなくなり、丁度ハルトと目の先――ハルトと炎の雄牛が見つめ合う形で滑り止まる。
(お、おおう……)
ハルトがどうしたらいいのか分からず、ただ呆然と立ち尽くしていると、炎の雄牛がゆっくりと立ち上がり、自身を弾き飛ばした死の巨人へと向き直った。
(む、無視か…… 助かった)
大歓声とともに、再び死の巨人へ突進していく炎の雄牛。
その後ろ姿を見届けながら、ハルトは何かしなければと思考を巡らせた。
(そ、そうだ! せめて猫耳と協力し合おう!)
怪物達が戦っている間に、せめて言葉の通じる人間(猫耳だが)と休戦を結び、あわよくば協力して策を練ろうと思い至る。
猫耳の姿を探すと、最初と変わらない場所に震えながら立っていた。
その腰は引けており、顔は青白い。
ハルトは猫耳のいる場所へと走り出す。
勿論、怪物達が戦っているステージ中央を避けるため、壁伝いに走る。
かなり遠回りになるが、あの二体の戦いの巻き添えになるよりは断然マシだ。
だが、誤算はあった。
自分目掛けて走ってくるハルトに気付いたミーニャが、反対方向へ全力で逃げ始めたのだ。
「ニャゃあああ!? こっち来るニャゃああ!!」
(げっ!? あ、そ、そうか。この見た目じゃ仕方ないか…… く、くそ)
ハルトは走りながらも、ミーニャへ向けて両手をあげる。
そして危害を加えないことをアピールするため、その両手を左右に振りながらこう叫んだ。
「泣け! 叫べ! そして逃げ惑ぇええ! 捕まえてお前を喰ってやるぅう! (待って! 止まって! 逃げないで! 危害は加えないから!)」
「ヒィィイイ!? い、嫌だニャぁああ! 助けてニャぁああ!!」
……あれ?
話そうとした言葉と、口から出た言葉に違和感を感じる。
だが、気のせいかも知れないと無視して呼び掛けた。
「貴様らまとめて皆殺しだぁああ!! (せめて俺たちだけでも共闘しようー!!」
「ぎニャぁあああ!」
……えっ?
(今、俺なんか違う言葉発しなかった?)
ハルトが違和感を強めるも、その思考を邪魔するかのように大歓声が巻き起こる。
ステージ中央には、死の巨人が大剣を振り抜いた状態で立っており、その先には炎の雄牛が再び吹き飛ばされていた。
だが、先程とは違い、炎の雄牛が中々立ち上がらない。
「おおおっとォーッ! ついに死の巨人が炎の雄牛からダウンをとったかァーッ!?」
司会が実況に、会場が沸く。
ダウンした炎の雄牛を見て、死の巨人が仁王立ちしている。
その凄まじい光景を見たハルトが思わず独り言を呟く。
「弱小の牛虐めてドヤ顔かッ! お寒い奴めッ! この薄のろがぁあああッ!! (ま、マジか…… なんだあれ…… 強過ぎるだろ……)」
ボソっとこぼれ出たはずの言葉は、ハルトの意思とは無関係に、大音量の罵声となって会場へ響いた。
目を見開き、まさかの自分の行動に焦るハルト。
その声の大きさで、流石に自分が意図しない発言をしていることに気が付いた。
だが、自分の意思とは無関係の言葉が口を出るなんて経験は、これまで一度もなかったのだ。
焦って繰り返し発言してしまっても、それは仕方のないことだったのかもしれない。
「聞こえてんのか鈍まがぁッ!? そこでアホ丸出しで突っ立ってる貴様だボケカスぅうううッ!! (ば、ばか何言ってんの!? 何で勝手に挑発してんの!?)」
ハルトの罵声に、ゆっくりと振り向く死の巨人。
そして更に焦るハルト。
「死に晒せやデブ野郎ぉおおおッ!! (阿保かぁあああ!!)」
「オオオオオッ! ここへきてジョーカーがまさかの挑発だァーッ!!」
まさかの展開に、司会がすかさず煽る。
ジョーカーの行動に観客がより一層盛り上がり、その挑発をきっかけに、死の巨人がハルト目掛けて走り出した。
(ば、ばか来た来た来た!? 逃げろ逃げろ逃げろ!!)
逃げるハルト、追う死の巨人。
そしてハルトが逃げる先にはミーニャが――大粒の涙を流しながら、なりふり構わず全力で逃げていた。
「こ、こっち来るニャぁあああ!? あっち行けニャぁあああ!?」
後方で微かな振動を捉えたハルトは、走りながらも器用に後ろを振り向いた。
すると、死の巨人が手に持っていた大剣を投げようと、腕を振りかぶっているのが見えた。
(ま、まじか!?)
凄まじい勢いで回転しながら迫ってくる大剣。
それを躱すために急ブレーキをかけ、頭を下げてなんとかやり過ごす。
飛び道具となった大剣は、ハルトの頭上を掠めるように通過し、地面へと突き刺さった。
「どこ狙ってんだぼんくらがぁッ! もっと良く狙えぇえええッ!!(あ、危ねぇええ!? 掠ったぁ!?)」
繰り返される挑発に、死の巨人がもう一本の大剣の柄を強く握り締める。
どうやら怒らせてしまったようだ。
今のハルトにとってはとても不幸なことに、人族の言葉を理解しているらしかった。
だが次の瞬間――
再び走りだそうと身を屈めた死の巨人に、横から凄い勢いで突っ込む巨体がいた。
――炎の雄牛だ。
死の巨人の丁度横腹を上手く突き上げる形となった炎の雄牛は、そのまま身動きが取れない死の巨人を壁にめり込ませていく。
炎の雄牛の角が死の巨人の鎧を突き破り、角が刺さった箇所からは、緑色の体液が流れ出ては、炎の雄牛を覆う灼熱の炎によって蒸発させられていく。
――ブモォオオオオオ!!
炎の雄牛の雄叫びとともに、全身を覆っていた炎の勢いが増す。
そして突き刺さった大角からは、灼熱の炎が濁流の如く死の巨人の鎧へと流れ込んでいった。
鎧のあらゆる隙間から吹き出る炎。
炎の雄牛の紅の炎は、鎧の内側から死の巨人の全身を焼いた。
死の巨人がその痛みに耐えられずに暴れる。
だが、壁と炎の雄牛に挟まれ、その場から逃げることが出来ない。
そしてその鎧は、炎の雄牛の炎により高温となり、赤く変色し始めていく。
死の巨人の唸り声が、甲冑兜に反響し、牛の鳴き声のようにくぐもった悲鳴となって会場に響き渡る。
同時に肉の焼ける臭いが漂い、その臭いに吐く観客も出始めた。
まさかの展開に、息を呑む観客達。
そしてこの展開に憤るたった一人の男――ジーディス。
「馬鹿なっ! 死の巨人! 何を遊んでいる! 真面目に戦えっ!!」
ジーディスの声援虚しく、炎の雄牛の炎により丸焦げにされた死の巨人は、徐々に動きが鈍くなり――ついには、その動きを止めた。
動かなくなった死の巨人を振り落とし、今度はハルトへと向き直る炎の雄牛。
(お、おお…… 巨人死んだみたいだけど…… この炎の牛さんどうすんの……)
呆然と立ち尽くすハルトに、炎の雄牛はゆっくりと近付いていく。
突如、直接頭へ何かが語りかけてくるような、不思議な感覚に襲われた。
『ハイデルトよ…… 久しいな。またお主に助けられたようだ』
ふと目線を上げると、そこには炎の雄牛が、ハルトへこうべを垂れるようにして、立ち止まっていた。
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