混じりけのない白より好きな色

些稚絃羽

7.伝えたい、は、伝わらない?

 ふと、チャッカはこんなことを言います。 

「じゃ、メスは? メスはどうあればいいと思う?」
「メスのことは分からないが……」

 チャッカは聞いてみました。ウォールが思うような者に自分がなれるか、気になったのです。もしもなれるなら、一匹でいるのをやめるのもいいかもしれません。
 また、ウォールにいつまでも悲しい思い出について考えていてほしくないとも思っていました。彼の悲しそうな顔を見た瞬間の苦しさは、これまで味わったことのないほど重くつらいものでした。
 ウォールはしばらく考えていましたが、ふとチャッカの方をまじまじと見て、そっと答えました。

「チャッカには、自由であってほしいと思う」
「自由?」
「何にもとらわれることなく、だれにも流されることなく、自由でいてほしい」

 自由とは何でしょう。だれとも違うということでしょうか。そうだとすれば、ウォールの言葉は冬の風よりも強く肌を刺します。チャッカはつとめて明るく声を上げました。

「こんな毛色をしているせいで、だれとも違うけどね」
「まわりと違うことの何がいけないんだ?」

 ウォールがそう言うのでチャッカは泣きたいような気分でした。ウォールとは違う自分の毛色が目の端に見えました。

「だって、みんなきれいで混じりけのない白なのに、あたしだけこんな汚い色で」
「汚くないと言っただろう」

 怒ったようにさえぎられ、驚いて口をつぐみました。
 ウォールの目にはこの姿がどんな風に映っているのでしょう。チャッカにはそれが分からず、ただただ彼のコハク色の瞳を見つめています。彼は毛色だけでなくその瞳の色さえきれいです。自分の瞳はどんな色をしているのでしょう。そこだけでも同じ色ならいいのに、と彼女は思いましたが、そういえば泉に映った瞳はもっと濃い色をしていました。どうやってもウォールと同じにはなれないようです。
 ウォールもチャッカを見返して、その夜空のような瞳に向けて言葉を続けます。

「まわりと違うからきれいじゃないというのはおかしな話だ。花だって、太陽と月だって、似ていてもみんな違っている。そしてどれもそれぞれの美しさがある」
「……そういうものと比べるのこそおかしいじゃないか」
「なぜだ? 同じことだ。似たものを並べて初めて分かる美しさなど、何の意味があるのだ」

 そう思わないか。尋ねられてもチャッカは首を振るばかりです。それは否定ではなく、そんな風に考えたこともない、と届かない理解への不安の表れでした。
 まるであたしを認めてもらえているようじゃないか。チャッカのふるえる息に応えるように、ウォールは一番優しい声で語りました。


「チャッカは、きれいだ。その毛色も含めて、お前自身をオレは美しいと思う」


 混じりけのない白色の毛を持つオオカミよりも、降り積もったばかりの雪の景色よりも。他のどんな季節も花も、超えられない美しさが彼女にはある、とウォールは思います。
 真っ白で透き通るような毛色である必要はありません、瞳がコハク色でなくてもいいのです。ただ彼女が彼女であるだけでいいのです。あの頃あこがれていた父や母、大好きだった妹よりも、チャッカが素敵なものに見えました。たった今、そう感じたのです。

 もしかすると出会った時からそう感じていたのかもしれません。助けはいらないと苦しんでいたあの時も。お礼をしなきゃおかしいと当たり前に言った時も。ありがとうという言葉の暖かさを教えてくれた瞬間も。
 思えばずっと、ずっと、考えていた気がするのです。

「自由とは、チャッカがありのままでいることだ。無理に強くならなくてもいい。変わる必要もない。痛い時に痛いと言うことは決して弱さではない。チャッカの強さはその心にちゃんとある」

 だから彼女らしくあってほしいと願うのです。
 まだ彼女のことを全部知っているわけではありませんが、ありがとうと伝えてくれたチャッカは、どの時よりもごまかしなく見えたのです。そして、シギーをからかって笑い転げる姿も、ジャッキーが木に付けた歯形に驚く顔も、またそうでした。気取らない彼女の姿はなんと愛らしいことでしょう。
 オレはどんな顔をさせているだろう。目の前でゆれるのはまぶたを閉じてうつむく姿です。どうしてでしょう。どうしたらいいのでしょう。

 するとチャッカが顔を上げました。ウォールの方を見ようとはせずに。

「そう、あたし強がんなくても結構強いんだ」

 そのことを示すようにまだ少しぐらつく身体で立ち上がりました。そしてゆっくりと一歩、進んでみせます。
 その姿はなぜだか最初より少し弱く見えて、けれどウォールは黙っています。

「走るのはまだ無理だけど、そろそろ歩けるようになると思う。元通りになったら、お別れだね」

 お別れとはもう会えないということのはずです。また会える日が来るとしても、どれほど先のことかは見当もつきません。同じ森にいて、こんなにも近くにいるのに、どうしてお別れしなくてはいけないのでしょう。
 ウォールはいつでもチャッカの元に来られます。チャッカの方も、足が治ればウォールたちのねぐらまで来ることができます。森じゅうで生きていた彼女です、一息にたどり着くでしょう。
 けれど彼女はお別れだと言うのです。

「……なぜだ?」
「あんたたちといるのも楽しいけど、やっぱり一匹の方が気楽だからさ」

 楽しいとはどんな気持ちなのか、ウォールは知りません。ですがチャッカといる間に感じた特別な気持ちを言葉にするなら、“楽しい”と言えるのかもしれません。
 シギーやジャッキーといるのと、チャッカといるのとでは何かが違います。数が少ないのにチャッカといるとたくさん笑いたくなりました。普段はあまり笑わないウォールが、チャッカのとなりだとにこやかに頬を緩めていました。チャッカが笑っているのを見るだけで、目覚めたあとのような晴れやかな気分になりました。
 心がさわいでいるような、それでいて静かな冬のような、そんな心地を言葉にするなら、やはり"楽しい"と言うのかもしれません。その気持ちが心にある時、ウォールはとてもうれしいと思えるからです。だからそれがなくなるのは、ひどく悲しいことのように思えます。

「あんたが言うように、あたしは自由でなきゃ。一匹でどこへでも好きに行って、好きに生きるのがあたしの自由な生き方なのさ」

 今思う悲しさが、チャッカに伝わればいいとウォールは考えています。先ほどウォールを思って悲しんでくれたように、チャッカと会えなくなることを悲しいと思うこの気持ちが、伝わってほしいのです。言葉でそれを伝えるのはもっと難しいことです。

 けれどチャッカはこれまでと同じがいいようです。それが自由だと彼女は言います。彼女がそう思うなら仕方ありません。一番大切なのは彼女が元気で、自由で、それから幸せであってくれることでしょう。
 いくつも新しいことを教えてくれたチャッカに、ウォールはお礼がしたいと考えていました。

「でも走れるようになるまでは、迷惑じゃなければさ、あたしのこと助けておくれよ」

 その日が本当に来てしまうなら、それまではチャッカのとなりにいたいと思います。それはお礼というよりは、ウォールがチャッカと一緒にいたいので、そうしようと思います。

 太陽はみるみるうちに昇っていきます。
 少し眠らなければ今度はウォールがケガをしてしまうでしょう。チャッカに言われて、ウォールは小さなトゲが胸に刺さったような、そんな痛みを抱えたままねぐらに帰っていきました。

  

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