冬の女王と秘密の春

些稚絃羽

5.王は待つ

 王カクタスが、塔の扉の前に立っています。もうすっかり陽は暮れて、手持ちのランタンと塔から零れる光がなければ自身の足元すら怪しいほどです。そんな暗がりの中で、どんな風に声をかけようかと悩んでいます。

 国民を頼るというカクタスの案は、事実上失敗に終わりました。恐らくあと数日待っても何の成果もあげられないでしょう。今日はタイマスとアスターというふたりの女王が訪ねていましたが、これもまたハイデを塔から連れ出すまでには至りませんでした。
 カクタス自身、その様子を城から見ていました。城と塔は離れており、話し声を聞くことは叶いませんが、窓から身を乗り出したハイデを少しの間見ることができました。変わりない彼女の姿に思わず微笑んでしまったのを、ベンジャミンには見られたでしょう。慌てて目を逸らしていたので、彼は見ていなかったことにするようです。

 そうして久しぶりにハイデの姿を捉えたことで、カクタスの思いは固まりました。
 カクタスは毒草の繁る扉に手を伸ばすと、素手のまま躊躇なくノックします。扉の揺れに合わせて毒草の葉がさわさわと躍りますが、それ以外の音は何もありません。構わずカクタスは口を開きます。

「夜分にすまない。俺だ、カクタスだ」

 耳を傾ける時間を待つように数秒空けて、それから続けます。

「この間は煩くして悪かった。自分でもやり過ぎたと思っている。……だから、訪ねるのはこれで最後にする」

 考えなんて何もありません。ただあるのはひとつのことだけです。

「会いたい。会って、話がしたい。お前を塔から出させるためじゃなく、王や女王としてでもなく、ただの幼馴染みとしてハイデの言葉を聞きたいんだ。
 明日、塔の下で待ってる。いつまでもずっと、待ってるからな」

 カクタスはそれだけ言うと、名残惜しそうにしながらも城へと帰っていきました。


* * * * *


「カクタス様、やはりおやめになってはいかがでしょう」
「こうなる気はしてたからな。氷の塊が降ってこないだけ、あいつも優しくなったよ」

 身を案ずるベンジャミンに大丈夫だと告げると、厚いコートの前をぎゅっと握ってひとりで城を出ていきます。こうなると執事にできることは、主の無事を祈るだけです。

「ハイデ様のお心が凍りついておりませんように……」


 外は猛吹雪です。
 風が強く、硬くはないものの顔を覆うほどの大きな雪の塊が次々に流れていきます。見えるのはその流れだけで、どこが道かも正確に判断するのが難しくなっています。
 ハイデは頑としてカクタスを塔に近づけたくなかったのでしょう。この吹雪を見れば、ハイデが出てくるつもりがないことも簡単に想像できます。
 ですがカクタスは塔へと一歩ずつ確実に進んでいます。ベンジャミンに話していた通り、こうなることは予想していたのです。予想していたからこそこの程度で足を止めるわけにはいかないのです。

 何とか塔まで辿り着くと、少し離れたところで立ち止まりました。塔の窓から自分の姿がよく見えるようにです。そして縮めていた身体を伸ばすと、何を言うでもなく窓の方をじっと見つめて動きを止めました。

 ずっと吹雪が続いています。息をするにも肺が冷え、身体中が鈍い痛みを訴えています。昨日毒草に触れた部分がいっそう痛く、そこだけが熱をもっています。雪の積もる睫毛は重く、払っても払ってもまた積もっていきます。足先はとうに雪に埋まってしまいました。抜け出すのにはなかなか苦労しそうです。
 カクタスがそこから動く気配はありません。じっとハイデを待っています。もしかしたら、いやきっと下りてはこないだろう。そんな風に考えています。それでも彼は待ち続けます。


 太陽の位置は分かりませんが、昼を過ぎた頃でしょう。彼の足はもう膝まで隠れてしまいました。軽く動くこともできないほど身体が固まっているのに気がつきました。
 このままでは危険だ、と城から見ている執事は思います。今にもあの元に行って止めたいところですが、その衝動を必死に耐えています。これは王の訴えだからです、見届けなくてはいけません。

 カクタスの視界が次第にぼんやりとしてきました。女のために死ぬというのも案外悪くないかもしれない、などと普段は考えないようなことがふと浮かびました。ですが、最期の瞬間にはやはりあいつの顔を見たい、と見上げる視線にまた熱が灯りました。

 その時です。あんなに勢いよく流れていた雪がぴたりとやみました。風もほとんど感じません。どうしたのでしょう。

「馬鹿じゃないの? 王なら王らしく暖かい部屋でじっとしてなさいよ」

 開けていく視界の中に、白衣姿のハイデを見つけました。白衣のポケットに手を突っ込んで、この上なく不機嫌そうに眉をしかめています。
 ですが彼女が塔から出てきたことには変わりありません。誰の言葉も突っぱねたハイデが、カクタスの前に現れたのです。

「……良かった、出てきてくれた」
「薬師として人を殺めるわけにいかないでしょ。身近で死人が出ることほど煩わしいものはないんだから」

 そう言いながらハイデはポケットから手を出して、何かの袋をカクタスに投げました。かじかむ指で拾い上げると、それには黒色の小さな実が幾つか入っていました。彼が目で問うと、発熱効果があるとだけ返ってきました。どうやら冷えた身体を温めるためにくれたようです。二、三粒取り出して一気に口に含むと、噛んだ歯からみるみる内に身体中に体温が戻ってくるのが分かりました。動きの鈍かった手も滑らかになり、埋もれたままだった足もすんなりと引き抜けてジャンプまでできました。これで元通りです。
 ハイデの心遣いに喜んでいると、冷たい声が飛んできました。

「にやにやしてないで、用件は? これでわたしを拘束するとかだったら許さないから」
「そんなことは言わないから安心しろ」

 言って、カクタスはハイデを見つめます。目の前に見るのはいつ振りでしょう。
 王としての彼よりずっと柔らかな声で、彼女にそっと問いかけます。

「女王は嫌か?」
「聞いてどうするの? ルールを守らない女王は罰せられるとか?」
「あり得ない。しかし、嫌だと言われても別の人に代えてあげられる力もない。純粋に考えを聞きたいだけだ」

 するとハイデは俯き加減に息を吐きます。目の前の人を傷つけない言葉を探しているようです。

「女王であることが嫌なわけじゃない。もちろん薬師だけしていられるならそれに越したことはないけど。
 嫌なのは……いつでも女王でいないといけないこと」
「それは、どう違うんだ?」

 カクタスにはその違いが分かりません。少しも差がないように思えます。ハイデはすでに諦めているように首を振って、いい、と告げました。

「多分言っても分からないから、いい」
「嫌だ」
「は?」
「そうやって勝手に決めつけて、理解されることを諦めるな。お前のことを何も知らないままでいるのは、俺が嫌だ」

 至って真剣に、ですが駄々を捏ねるようにカクタスは言います。今の彼に王の片鱗はやはり見られません。幼馴染みと話す、ただの一青年です。
 それが可笑しかったのか、思わずといった様子でハイデが小さく笑います。それから何もなかったように表情を引き締めました。

「女王である限り、国の女王としてしか見られない。対等に話してくれるのは、他の女王と位が上のあんただけ」
「カメリアだってそうだろ」
「そういう問題じゃないの。
 ……誰かと知り合って、ただの自分として仲良くなっても、立場を知られる時が来る。そうなったらそれまで通りの関係ではいられない。離れてしまうかもと恐れるのは、きっと自然なこと」

 生まれながらに王になることが決まっていたカクタスにとっては、それは確かに難しい話でした。新しく人と知り合う時、常にリボルブ国の王として自身を名乗るからです。
 ですがまったく分からないわけではありません。突如として女王という位を授かれば、生活が一変してしまうだろうことは何となく想像ができました。相手が大切になればなるほど、知られた時の相手の反応は深く心に刺さるものです。
 そこで、カクタスは嫌な考えに辿り着きました。

「ハイデ、もしかして他国に好きな男ができたのか……?」

 彼にとってハイデがそうだったからです。
 遂に王に任命されたとハイデに話す時は緊張したものです。王になることが約束されていたとはいえ、急に疎遠になるのではないかとか、よそよそしくなるのではないかとか、そんなことを思ってなかなか言い出せずにいました。それでも何とか告げた時ハイデは相も変わらず無愛想に、へぇ、とだけ返したのです。呆気にとられましたが、何も変わらないでいてくれたことを何よりも嬉しく思いました。
 きっとそんな気持ちなのです。告げる前のあの、不安定な心持ちがあるのでしょう。そうだとすれば彼女は恋をしているのかもしれない。だからこそ苦しんでいるのかもしれない。そんな取り残されたような気持ちでハイデを見返しました。
 ハイデは心底呆れた顔をしていました。

「はぁ? 何でそうなるの」
「だってお前、ただの友達じゃそんな風には思わないだろ」
「そんなことはないでしょ。……あぁ、でも、当たらずとも遠からずってところかも」
「え、遠くないのか……」

 がっかりしてしまいました。自分で言い出したことではありますが、心の片隅では否定してくれるとも思っていたのです。
 なので決心は鈍ってしまいそうです。今日彼は、彼女への思いを打ち明けるつもりだったのです。王として強い意志を持つカクタスも、愛する女性の前では他の民と何ら変わりません。
 どうしようかと悩んでいると、話は終わったとでも言うようにハイデが背を向けました。

「待ってく」
「ハイデ!!」

 呼び止めようとした時、後ろから女性の声が聞こえてきました。

「ハイデ、待って! もう、塔には入らないで」
「ヴィーシュナ!? 何でここにいるの!」

 駆け寄ってきたのは、それまで塔から離れていた春の女王ヴィーシュナでした。薄い茶色をした柔らかそうな髪を風に靡かせながらこちらにやって来ます。
 ヴィーシュナはハイデに抱きつくと、ごめんなさい、と何度も繰り返します。ハイデは彼女の背中を撫でながら、悔しそうに唇を噛みました。彼女がここに来て王の前に出てしまえば、すべては終わってしまうのです。
 その様子に一人置いてけぼりのカクタスが控えめに声を上げます。

「ヴィーシュナ、これはどういう?」

 そこでようやくカクタスの存在に気付いたようで、ヴィーシュナは急いでスカートの裾を持ち上げて頭を下げました。

「カクタス様、この度のことはすべて私ヴィーシュナが悪いのです。ハイデは私の我儘を守ってくれようとしただけなのです。彼女に罪はありません、どうかハイデを責めないでくださいませ」
「事のすべてを聞かせてくれるか?」

 王の優しい声にヴィーシュナが深く頷きます。ハイデは彼女を止めようとしましたが、もういいのだと掴まれた手を押し返しました。
 カクタスの前に進み出ると、ヴィーシュナは雪の上だというのにその場に座り込んでしまいました。スカートが一瞬の内にぐっしょりと濡れてしまうのも構わずに、彼女は哀しみを湛えた表情でそっと口を開きました。

「事の始まりは昨年の春を終えた日のことです。塔での時期を終え、それまでと同じように家に帰ると、家の前でひとりの男性が行き倒れているのを見つけました――――」

  

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