冬の女王と秘密の春
3.民は塔へ
街には少しだけ、活気が戻っていました。王からのお触れを聞いたからです。
冬の女王を塔から出せば、リボルブ国に待ち焦がれた春を迎えることができます。それに加えて、王から何でも好きな褒美を与えてもらえるのです。それならば、と国民は被っていた厚い毛布を投げて早速動き出したのでした。
早くも翌日、最初に<季節の塔>にやって来たのは冬の街の民でした。
足の悪い長老に代わり、その息子や家族、ハイデの両親の友人たちなど、ハイデを赤んぼうの頃から知っている面々が塔の前に集まりました。いつもは遠くの空に見る塔を間近に見上げて、皆が声にならない声を白い息に代えて吐き出しました。
彼らには少し自信があります。冬の女王ハイデは、彼らの愛する冬の街の、大切な娘だからです。同じ街に住む家族のような民の声が届かないはずがありません。
ひとりの初老の男性が前に出ると、家から持って来た湿気た薪を振って、毒草の這う扉を叩きました。扉の様子も民に十分伝わっているようです。
「ハイデ、ハイデ。元気にしているかい? 冬の街の者はみんな、きみが家に帰って来ないから変わりないか心配しているよ」
男性が言うと、その妻も寄り添うようにして声を上げました。
「ちゃんと食べているかしら、カメリアが付いているから大丈夫だとは思うけれど。
何があったのか分からないけどいつでも帰っていらっしゃいよ」
それに続いて集まっていた皆が口々に呼び掛けていきます。
女王が塔の外へ出ても次の女王が入らない限り、その季節は保たれます。ですがハイデは冬の始まりに塔に入ってから一度として出てきていません。ですから様子が分からず心配であることはもちろん本心です。皆、純粋にハイデの身を案じているようです。
冷えた空気の中では囁きでさえよく響きます。聞き慣れた声が塔の上のハイデの元まで届いて、薬草の名前を書き上げていた彼女の手を自然と止めさせました。椅子に腰掛けていては見えるはずのない外の様子を、窓枠を見つめることで眺めている気分です。
「始まった、って言えばいいの、これは?」
「そうなのでは?」
尋ねると当然だと言うように返されて、テーブルに茶葉の浮かぶ紅茶のカップがことりと置かれました。優しい香りが辺りに広がります。
「ありがとう」
「それで、どうしますか? 帰してきましょうか?」
「いいや。放っておけばすぐ帰るでしょ」
あの人たちだってわたしが頑固なのを知ってるんだし。
肩を竦めて言うと、紅茶に口をつけました。口に広がる仄かな渋味と甘味が、心をほどく感覚がします。
その後もしばらくは、民の声が聞こえていました。幾つか混じる寂しげな色に何も思わなかったわけではありません。ただ、ハイデの腰を上げさせるまでの力はそこにはありませんでした。
冬の街の者はひとりずつ次第に口を閉ざすと、肩を落とします。雪の塊が乗っているかのようです、しかしそこにあるのは降りかかった軽い粉雪だけでした。
名残惜しそうに塔を振り返りながらも冬の街へと帰ることにします。
彼らの心にあるのは、やはりあのハイデを動かすのは簡単ではない、ということでした。口には出しませんが言い訳のように、仕方ないことだったと考えています。そして、自分たちがだめなら他の街の者では到底無理だろう、と春が来そうにない白んだ空を見上げました。
* * * * *
次の日も、塔の前には人が集まっています。
「冬の街の人は何をしてたのかねぇ。ハイデ様を帰すのはあの人らの仕事でしょうに」
「ばあさん、無茶言うなよ。その点で言えばヴィーシュナを塔に入らせるのだって、俺たち春の街の役目だろ」
今日は春の街の民がやって来たようです。年長の女性をたしなめたのは、ヴィーシュナが兄のように慕っている男性です。彼は少し寂しそうに俯きました。
「昔は何でも話してくれたのにな。どうしてあいつは家から出ようとしないんだ?
あの男が来てからほとんど話ができていない……」
彼を含めた全員の脳裏にひとりの男性の姿が浮かんでいました。他の街の民が知らない何かを彼らは知っているようです。
「シルエラ、お前は何か知らないのか」
「も、申し訳ございませんっ! 侍女というお立場を頂いてはおりますが、「塔で過ごす時以外はただの春の街の住人でいたい」と仰られるので、わたくしの方からは近づかないようにしておりましてっ」
「……ふん、女王に仕える身ならそれでもできる限り傍にいるべきじゃないのか」
「この子だって責任を感じてるんだから、そんな風に言うもんじゃないわよ」
民の間で身を縮こませる少女とも言えるような女性は名をシルエラと言い、春の女王ヴィーシュナに仕える侍女です。
シルエラはおっちょこちょいで大した仕事はできませんが、まったく問題はありません。大抵のことはヴィーシュナが自分でやってしまえるので、塔の上に唯一連れていける話相手のような立場です。
ヴィーシュナが女王に選ばれるまではシルエラとの間にほとんど接点はありませんでしたが、歳が近いということもあって侍女にするならこの子がいいと、ヴィーシュナ自身が彼女に決めたのでした。
どんな理由があろうとハイデ様が塔を出ればヴィーシュナは入らざるを得なくなる。春の街の民の心は一致していました。それが強引なやり方であることは分かっていましたが、そうしてでもこの国は春を迎えなければなりません。次に夏が来て、秋が来て、冬を越えてまた春を過ごす。そうやって季節を廻らせることは四季の国リボルブの国民すべての責務と言えるでしょう。
それに加えて春の街には、春が来なくては困る事情がありました。
春の街の中央には、名もない広大な公園があります。その公園は他の季節には柔らかな緑が広がるだけの景色ですが、春になるとその様子は一変します。
これほどまでの鮮やかな花畑を誰が見たことがあるでしょう。一度見れば感嘆の息を漏らし、春の時期を迎える度に見なくては気が済まなくなるほどです。誰が最初にその公園を作ったのかは分かっていません。まるで魔法にでもかけられたかのように毎年違う顔で見る人を惹き付けています。
その公園があるお蔭で春の街はリボルブ国唯一の観光地となっています。そうして他の国からの旅行客が落としてくれるお金が街を潤しているのです。
ですから、春が来なくて一番困るのは春の街の民かもしれません。何とかして冬の女王を呼び出したいところです。
集まった民の中で最初に動いたのは、女王の侍女シルエラでした。彼女の仕事には不安が大きいですが、侍女としての責任感は誰よりも強くその心に根ざしています。
シルエラは両手を祈るように胸の前で結ぶと、扉に向けて控えめな声をかけました。
「突然の訪問をお許しください。カメリアさんはいらっしゃいますか?」
ノックもせず風に掻き消えそうな声で冬の女王の侍女を呼ぶシルエラのことを、呆けた顔で民は見やりました。そんな声で聞こえるのか、なぜ女王でなく侍女を呼ぶのか、と疑問を囁く周囲の声を無視して、シルエラはそれきり黙ってしまいました。塔はひっそりとしています。
どのくらい時間が経ったでしょう。冬の真っ白な雪景色の中では時間を計るのはとても難しいことです。
それでも温厚な春の街の者が遂にしびれを切らします。ひとりの男性が苛立たしげに彼女を叱責しようとしたその時、かすかにこつこつと階段を下りる靴音が聞こえてきました。民の期待は一気に高まります。出てくるのが女王なら言うことはありません。シルエラが呼んだ通り侍女が現れたとしても、その人を味方に付ければ冬の女王を動かすこともできるでしょう。皆が緑に覆われた扉に注目しています。
そして、扉が開きました。
「私に何かご用ですか、シルエラ?」
出てきたのは侍女カメリアです。そのことにがっかりした者もいたようですが、この扉が開いたということはとても大きな一歩でしょう。シルエラがカメリアの前に進み出ます。
「ごきげんよう。お会いできて嬉しいです」
「ごきげんよう。挨拶はこの辺で結構ですから、ご用件をどうぞ」
「うぅ、はい……」
出鼻をくじかれてしまったシルエラはもう一度気持ちを引き締めると、目一杯の憂いた表情をカメリアに向けました。
「ハイデ様が冬を長引かせることで力を消耗してはいないかと気になって伺ったのです。いつかは沢山降っていた雪もこの頃少なくなっているので、具合が悪いのではないですか? わたくしも同じ侍女の身としてお手伝いできることはないかと思いまして」
シルエラの愛らしい瞳をカメリアが眼鏡越しに刺すように見つめています。雪がブロンドの髪を伝い頬に落ちたのを感じてぴくりと肩が震えましたが、シルエラも目を逸らそうとはしません。
カメリアは白い息を煙のように長く長く吐き出しました。退屈そうな声でシルエラに言います。
「同じ侍女なら女王に与えられている力がどれほどのものか分かるでしょう。それともヴィーシュナ様はひとつの花を咲かせるのに膨大な力が必要なほどか弱いのですか?」
「い、いえ、とんでもないです!」
「でしたら心配はご無用。お気遣いの気持ちだけはありがたく頂戴致します」
では、と踵を返そうとしたのをシルエラは必死に引き留めます。今言ったことが建前であることもはっきり白状してしまいました。
「ごめんなさい、今のは何と言いますか、そういう気持ちはいつでもありますよということをお伝えしたかっただけでして。本題はここからなのですっ」
「それでしたらさっさと本題にお入りなさい」
カメリアが身体を向き直し、その「本題」というのを待っています。
民はずっとふたりのやり取りを邪魔しないように眺めています。正直なところシルエラに任せていいものかとすでに後悔はしていましたが、挽回してくれることを願いながら最後まで見届けてみるつもりです。
シルエラは、今度はもっと情けなく顔を崩してカメリアを見上げました。
「春の街が旅行客によって成り立っていることはご存知ですよね。それが今年は冬が長いせい……えっと、春が来ないのでお金が入ってこなくて困っているんです。これでは満足に生活するのも難しくなってしまいます。
元々病気にかかる人は少ない街ですが、お金がなくては必要なものを買うことができません。なので」
「必要なもの、というのはこの場合食料と考えてよろしいでしょうか?」
ハイデ様を説得してほしい、と続けようとしたところで遮られてしまいました。言い終えることができなかったシルエラは少しの間答えられずにいましたが、どうなのですかと再度聞かれてやっと頷きました。
「一番の問題は食べ物だと思いますが……」
「国からの物資配給は十分に行き届いている状態でしょうか?」
「は、はい、それはまぁ。週に一度、世帯ごとに配られていますから。塔にも届いていますよね?」
「えぇ、ここも漏れなく。ということはどの街のどの家庭にも物資は十分に与えられているということですね」
シルエラは首を傾げました。カメリアは何が言いたいのでしょう、尋ねる前に彼女が続けます。
「そして、国からの物資に支払いは必要ですか?」
「え、いえ。無料で配布していただいてますけど……あ」
気付いた時には多くのことが遅いものです。カメリアのいたって普通の軽い笑みも、民には勝利の冷笑に見えてしまいました。
「では、冬の間お金を使う必要はありませんね。つまりお金を得る必要もないでしょう。国にとって多少の痛手はあるでしょうが、この国の王は有能で偉大な信頼できるお方。民に負担をかけさせることもないでしょう。
特に問題はないようですが?」
そう言われてしまっては、何も言い返すことができません。言い返したところで同じように論破されてしまうだけです。
シルエラは切なげに唇を噛むと、子供のような泣き声を漏らしながら走り去ってしまいました。取り残された他の民も、これ以上はどうもできないとシルエラを追いかけて帰っていきます。
残されたカメリアがひとり、若い侍女仲間を思い、言いすぎたかと唇を固く結ぶのでした。
冬の女王を塔から出せば、リボルブ国に待ち焦がれた春を迎えることができます。それに加えて、王から何でも好きな褒美を与えてもらえるのです。それならば、と国民は被っていた厚い毛布を投げて早速動き出したのでした。
早くも翌日、最初に<季節の塔>にやって来たのは冬の街の民でした。
足の悪い長老に代わり、その息子や家族、ハイデの両親の友人たちなど、ハイデを赤んぼうの頃から知っている面々が塔の前に集まりました。いつもは遠くの空に見る塔を間近に見上げて、皆が声にならない声を白い息に代えて吐き出しました。
彼らには少し自信があります。冬の女王ハイデは、彼らの愛する冬の街の、大切な娘だからです。同じ街に住む家族のような民の声が届かないはずがありません。
ひとりの初老の男性が前に出ると、家から持って来た湿気た薪を振って、毒草の這う扉を叩きました。扉の様子も民に十分伝わっているようです。
「ハイデ、ハイデ。元気にしているかい? 冬の街の者はみんな、きみが家に帰って来ないから変わりないか心配しているよ」
男性が言うと、その妻も寄り添うようにして声を上げました。
「ちゃんと食べているかしら、カメリアが付いているから大丈夫だとは思うけれど。
何があったのか分からないけどいつでも帰っていらっしゃいよ」
それに続いて集まっていた皆が口々に呼び掛けていきます。
女王が塔の外へ出ても次の女王が入らない限り、その季節は保たれます。ですがハイデは冬の始まりに塔に入ってから一度として出てきていません。ですから様子が分からず心配であることはもちろん本心です。皆、純粋にハイデの身を案じているようです。
冷えた空気の中では囁きでさえよく響きます。聞き慣れた声が塔の上のハイデの元まで届いて、薬草の名前を書き上げていた彼女の手を自然と止めさせました。椅子に腰掛けていては見えるはずのない外の様子を、窓枠を見つめることで眺めている気分です。
「始まった、って言えばいいの、これは?」
「そうなのでは?」
尋ねると当然だと言うように返されて、テーブルに茶葉の浮かぶ紅茶のカップがことりと置かれました。優しい香りが辺りに広がります。
「ありがとう」
「それで、どうしますか? 帰してきましょうか?」
「いいや。放っておけばすぐ帰るでしょ」
あの人たちだってわたしが頑固なのを知ってるんだし。
肩を竦めて言うと、紅茶に口をつけました。口に広がる仄かな渋味と甘味が、心をほどく感覚がします。
その後もしばらくは、民の声が聞こえていました。幾つか混じる寂しげな色に何も思わなかったわけではありません。ただ、ハイデの腰を上げさせるまでの力はそこにはありませんでした。
冬の街の者はひとりずつ次第に口を閉ざすと、肩を落とします。雪の塊が乗っているかのようです、しかしそこにあるのは降りかかった軽い粉雪だけでした。
名残惜しそうに塔を振り返りながらも冬の街へと帰ることにします。
彼らの心にあるのは、やはりあのハイデを動かすのは簡単ではない、ということでした。口には出しませんが言い訳のように、仕方ないことだったと考えています。そして、自分たちがだめなら他の街の者では到底無理だろう、と春が来そうにない白んだ空を見上げました。
* * * * *
次の日も、塔の前には人が集まっています。
「冬の街の人は何をしてたのかねぇ。ハイデ様を帰すのはあの人らの仕事でしょうに」
「ばあさん、無茶言うなよ。その点で言えばヴィーシュナを塔に入らせるのだって、俺たち春の街の役目だろ」
今日は春の街の民がやって来たようです。年長の女性をたしなめたのは、ヴィーシュナが兄のように慕っている男性です。彼は少し寂しそうに俯きました。
「昔は何でも話してくれたのにな。どうしてあいつは家から出ようとしないんだ?
あの男が来てからほとんど話ができていない……」
彼を含めた全員の脳裏にひとりの男性の姿が浮かんでいました。他の街の民が知らない何かを彼らは知っているようです。
「シルエラ、お前は何か知らないのか」
「も、申し訳ございませんっ! 侍女というお立場を頂いてはおりますが、「塔で過ごす時以外はただの春の街の住人でいたい」と仰られるので、わたくしの方からは近づかないようにしておりましてっ」
「……ふん、女王に仕える身ならそれでもできる限り傍にいるべきじゃないのか」
「この子だって責任を感じてるんだから、そんな風に言うもんじゃないわよ」
民の間で身を縮こませる少女とも言えるような女性は名をシルエラと言い、春の女王ヴィーシュナに仕える侍女です。
シルエラはおっちょこちょいで大した仕事はできませんが、まったく問題はありません。大抵のことはヴィーシュナが自分でやってしまえるので、塔の上に唯一連れていける話相手のような立場です。
ヴィーシュナが女王に選ばれるまではシルエラとの間にほとんど接点はありませんでしたが、歳が近いということもあって侍女にするならこの子がいいと、ヴィーシュナ自身が彼女に決めたのでした。
どんな理由があろうとハイデ様が塔を出ればヴィーシュナは入らざるを得なくなる。春の街の民の心は一致していました。それが強引なやり方であることは分かっていましたが、そうしてでもこの国は春を迎えなければなりません。次に夏が来て、秋が来て、冬を越えてまた春を過ごす。そうやって季節を廻らせることは四季の国リボルブの国民すべての責務と言えるでしょう。
それに加えて春の街には、春が来なくては困る事情がありました。
春の街の中央には、名もない広大な公園があります。その公園は他の季節には柔らかな緑が広がるだけの景色ですが、春になるとその様子は一変します。
これほどまでの鮮やかな花畑を誰が見たことがあるでしょう。一度見れば感嘆の息を漏らし、春の時期を迎える度に見なくては気が済まなくなるほどです。誰が最初にその公園を作ったのかは分かっていません。まるで魔法にでもかけられたかのように毎年違う顔で見る人を惹き付けています。
その公園があるお蔭で春の街はリボルブ国唯一の観光地となっています。そうして他の国からの旅行客が落としてくれるお金が街を潤しているのです。
ですから、春が来なくて一番困るのは春の街の民かもしれません。何とかして冬の女王を呼び出したいところです。
集まった民の中で最初に動いたのは、女王の侍女シルエラでした。彼女の仕事には不安が大きいですが、侍女としての責任感は誰よりも強くその心に根ざしています。
シルエラは両手を祈るように胸の前で結ぶと、扉に向けて控えめな声をかけました。
「突然の訪問をお許しください。カメリアさんはいらっしゃいますか?」
ノックもせず風に掻き消えそうな声で冬の女王の侍女を呼ぶシルエラのことを、呆けた顔で民は見やりました。そんな声で聞こえるのか、なぜ女王でなく侍女を呼ぶのか、と疑問を囁く周囲の声を無視して、シルエラはそれきり黙ってしまいました。塔はひっそりとしています。
どのくらい時間が経ったでしょう。冬の真っ白な雪景色の中では時間を計るのはとても難しいことです。
それでも温厚な春の街の者が遂にしびれを切らします。ひとりの男性が苛立たしげに彼女を叱責しようとしたその時、かすかにこつこつと階段を下りる靴音が聞こえてきました。民の期待は一気に高まります。出てくるのが女王なら言うことはありません。シルエラが呼んだ通り侍女が現れたとしても、その人を味方に付ければ冬の女王を動かすこともできるでしょう。皆が緑に覆われた扉に注目しています。
そして、扉が開きました。
「私に何かご用ですか、シルエラ?」
出てきたのは侍女カメリアです。そのことにがっかりした者もいたようですが、この扉が開いたということはとても大きな一歩でしょう。シルエラがカメリアの前に進み出ます。
「ごきげんよう。お会いできて嬉しいです」
「ごきげんよう。挨拶はこの辺で結構ですから、ご用件をどうぞ」
「うぅ、はい……」
出鼻をくじかれてしまったシルエラはもう一度気持ちを引き締めると、目一杯の憂いた表情をカメリアに向けました。
「ハイデ様が冬を長引かせることで力を消耗してはいないかと気になって伺ったのです。いつかは沢山降っていた雪もこの頃少なくなっているので、具合が悪いのではないですか? わたくしも同じ侍女の身としてお手伝いできることはないかと思いまして」
シルエラの愛らしい瞳をカメリアが眼鏡越しに刺すように見つめています。雪がブロンドの髪を伝い頬に落ちたのを感じてぴくりと肩が震えましたが、シルエラも目を逸らそうとはしません。
カメリアは白い息を煙のように長く長く吐き出しました。退屈そうな声でシルエラに言います。
「同じ侍女なら女王に与えられている力がどれほどのものか分かるでしょう。それともヴィーシュナ様はひとつの花を咲かせるのに膨大な力が必要なほどか弱いのですか?」
「い、いえ、とんでもないです!」
「でしたら心配はご無用。お気遣いの気持ちだけはありがたく頂戴致します」
では、と踵を返そうとしたのをシルエラは必死に引き留めます。今言ったことが建前であることもはっきり白状してしまいました。
「ごめんなさい、今のは何と言いますか、そういう気持ちはいつでもありますよということをお伝えしたかっただけでして。本題はここからなのですっ」
「それでしたらさっさと本題にお入りなさい」
カメリアが身体を向き直し、その「本題」というのを待っています。
民はずっとふたりのやり取りを邪魔しないように眺めています。正直なところシルエラに任せていいものかとすでに後悔はしていましたが、挽回してくれることを願いながら最後まで見届けてみるつもりです。
シルエラは、今度はもっと情けなく顔を崩してカメリアを見上げました。
「春の街が旅行客によって成り立っていることはご存知ですよね。それが今年は冬が長いせい……えっと、春が来ないのでお金が入ってこなくて困っているんです。これでは満足に生活するのも難しくなってしまいます。
元々病気にかかる人は少ない街ですが、お金がなくては必要なものを買うことができません。なので」
「必要なもの、というのはこの場合食料と考えてよろしいでしょうか?」
ハイデ様を説得してほしい、と続けようとしたところで遮られてしまいました。言い終えることができなかったシルエラは少しの間答えられずにいましたが、どうなのですかと再度聞かれてやっと頷きました。
「一番の問題は食べ物だと思いますが……」
「国からの物資配給は十分に行き届いている状態でしょうか?」
「は、はい、それはまぁ。週に一度、世帯ごとに配られていますから。塔にも届いていますよね?」
「えぇ、ここも漏れなく。ということはどの街のどの家庭にも物資は十分に与えられているということですね」
シルエラは首を傾げました。カメリアは何が言いたいのでしょう、尋ねる前に彼女が続けます。
「そして、国からの物資に支払いは必要ですか?」
「え、いえ。無料で配布していただいてますけど……あ」
気付いた時には多くのことが遅いものです。カメリアのいたって普通の軽い笑みも、民には勝利の冷笑に見えてしまいました。
「では、冬の間お金を使う必要はありませんね。つまりお金を得る必要もないでしょう。国にとって多少の痛手はあるでしょうが、この国の王は有能で偉大な信頼できるお方。民に負担をかけさせることもないでしょう。
特に問題はないようですが?」
そう言われてしまっては、何も言い返すことができません。言い返したところで同じように論破されてしまうだけです。
シルエラは切なげに唇を噛むと、子供のような泣き声を漏らしながら走り去ってしまいました。取り残された他の民も、これ以上はどうもできないとシルエラを追いかけて帰っていきます。
残されたカメリアがひとり、若い侍女仲間を思い、言いすぎたかと唇を固く結ぶのでした。
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